第3話 最強【賢者】の地球帰還 PART3

「ーーぅ……ぁ、…………こ、こは……?」


 冷たい風が頰を撫でる事で重たい瞼を開ける黒コートを羽織った黒髪紅目の少年……日神 剣はまだ夢現つから抜け出せないようで辺りを見渡すも場所の特定が出来なかった。


 記憶も曖昧で何が合ったのかもボンヤリしている。

 思い出そうとしてもボヤがかった景色が見え、ズキリと感じる痛みが走る。


「ーー痛っ! なんだ、この痛み。何か 違和感が……」


 その時に理解する。


 嘘のように感じる痛み。

 というより、全てが嘘がかった世界。

 存在しない記憶。

 あり得るはずがない虚構の世界。


「ーーっ! なるほどな。 何か【術式作用】が掛かっているのか」


 しかし、この現象が何事であるか即座に理解する状況判断能力の高さは本物だ。


 異世界に召喚されてただ遊んで過ごしていたわけではない。

 剣には一般常識では当て嵌らない才覚と異世界で培った修羅なる経験がある。

 それ故に、戦略的思考と俯瞰的思考、瞬間把握能力から生まれる状況判断能力は人智を超越したものとなっている。


 ーー【術式作用】ーー

 魔法や魔力を継続的に使用するときに埋め込む魔力術式。


 魔法の原理は単純だ。


 魔法を発動させるだけならば、体内にある属性……元素エネルギーを魔力と結合させることで具現化させ、体外で放出するだけのことであるため、魔力と属性を感じ取ることが出来る者ならば誰でも出来る簡単な技術である。

 しかし、何もなしでは単発での使用に滞るの必然だ。

 持続的に魔法が発動されることは原則としてありえない。


 何せ、魔力と属性を常に体内で結合し、体外へ放出させる事を連続的に繰り返せば、必ずと言っていいほどガス欠を起こしたり、隙が大きくなったりとムラが大きいのだ。

 そこで出来たのが、【術式作用】だ。


【術式作用】は魔法ではなく、技術スキル

 魔法には属性や魔力などの才能の差で発動不可能なモノが幾つか制限があったりするピーキーな能力に対して、技術スキルはやろうと思えば誰でも出来る能力の事を指す。


 そして、【術式作用】も魔法を使わないものでも修行さえすれば習得できる能力である。


 魔力は生物だけでなく物にも必ずと言っていいほど含まれている元素。

 学者や研究者が挙って探しても現代技術ではいくら経ってもと見つけることすらままならない最小の原子。

 だから、地球では知られていない。


 そして、魔法は使えない者でもこの技術を習得すれば魔力の流れを使って色々と出来るようになる。


 例えば、魔法が使えないものでも魔力を使うことが出来るものは【身体強化魔術エンチャント】や【魔力弾マナ】などの属性を使わず身体に能力を掛けるだけの【魔術】。


 特に人間は【身体強化魔術】を無意識のうちに使っている節がある。

 俗に言われる『ゾーン』だ。


 極限の集中状態によって生み出される力を最大限に引き出す事を指す『ゾーン』。

 その正体は集中状態によって生み出された魔力が全身に纏わったものだ。

 これによって人間の潜在能力が引き剥がされ、常人には理解しがたい運動能力が生み出されるのだ。

 そういった点から言えるのは【魔法】は物理演算を超えた超常現象に対して【魔術】は物理現象を少しだけ超えただけの誤差でしかないという事だ。

 最近だと、それすらも科学で証明されようとしているので【魔術】は才能が無くても誰でも使えるようになるのはそう遠くはないかも知れない。 (閑話休題)


 こういったケースでも【術式作用】を使えば、魔力が続く限り、常時『ゾーン』が使うことが出来るようになる。

 スポーツ選手なら誰でも望む技術だといえるであろう。


 しかし、これには大きな落とし穴が二つある。


 一つは、けっきょくの所魔力が垂れ流しになっていることには変わりが無いのでガス欠になる可能性が大きいということ。


 剣や女神クラスの魔力はそこらの冒険者や魔族と比べ、どれだけ軽く見積もっても一千倍以上の保有量であることは明確なる事実。

 あの【魔王】でさえ、剣や女神の五分の一しか保有していないというのだから異常であり理不尽の権現である。


 故に、一つ目の問題は彼等に当てはまらないのが実情だが、それ以外の人間や生物にはそうはいかない。

 特に誰でも使える技術のために、調子に乗って使いまくれば自分の首を絞めることになる。


 使い勝手の悪い話だ。


 そして、二つ目……


「ーー【創造魔法】・『術式解体アンチディスペル』……」


 低い声色にも関わらず、脳天に響きわたる程の圧を感じる。

 魔力が収束し、白色魔弾が体に溶け込む感覚に身をまかせた。


 分解するのは体内にある他人が残した魔力と其れを蓄えた術式。

 幻惑が脳を刺激しているのなら、その根源を断ち切れば何ら問題はない。

 ま、そんな事が出来るものなど、女神か【魔王】……【賢者】ぐらいなものだろう。


「ーーふっ!」


 体の中にある異物を浄化していく。

 暖かいものが体内に送り込まれる感触。

 全身の筋肉がジンワリと緩んでいく感覚が襲い掛かる。


 これは副作用。

『術式解体』は魔法を消し去る最強の対魔法技術。

 この世に使えるものはただ一人。

 異世界により生まれた最強の【賢者】のみ!


「ーー派っ!」


 気合一閃。

 魔力の根元を断ち切った。

 魔術痕、魔力、術式、呪いを全て浄化した剣。


「ふぅ。 中々根太い術式だった。 分解仕切るのに2秒もかかっちまった……」


 一呼吸してから聞こえてきた言葉。

 それは通常ならばもっと早く出来たという暗示。


 異世界の魔導師達が聞けば、顔面蒼白させて、教えを請う為に泣きながら土下座をしていることであろう。


 これが二つ目のデメリット。

 そうーー


「ーーま、よく出来た術式だったし、たぶんシンモラさんが俺に何かしようとしてたって事だろうな」


 ーー女神を超える能力と魔力を持つものにとってはこの程度は造作もなく捻り潰せるということである。


 そして、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の全ての五感が戻った剣が先ず目の当たりにしたものは……


「ーーなんだこりゃ?」


 ◇


 ーー地球(剣にとっての……)ーー


「ーーはぁ、はぁ、くそっ!」


 息を切らせ、足が縺れそうになるほど走る。

 肉体が限界を迎え始めるが、今はそんな事は関係ない。

 走りを緩めれば訪れるのは自身の死。


「がっ! ぁぁぁぁあ……!」


 視界が霞む。

 気力を振り絞り、檄を飛ばすように叫んで走る。

 手先の痺れが全身に広がってきた。

 脳に酸素が行き渡らずに嘔吐感が襲ってくる。


 それでも止まらない。

 止まってはならない。

 殺られる。

 止まれば確実に殺られる。

 ヌメッとした汗が全身に纏わって気持ち悪い。

 憎悪と嫌悪の塊が自身の背中を常に一定の速度で追ってきていることが本能的に理解できる。


「くそっ! くそっ……!」


 言葉が出てこない。

 そんな自分にも嫌気が差してくる。

 相手が自分を甚振るように追いかけてくる事が分かっているからこそ悔しいし、何より弱い自分に憤然の思いが募る。


 頰をつたる暖かい感触。

 濡れる顔。

 涙。 無意識のうちに涙が溢れる。

 悲しいわけではない。

 ただ悔しい。

 何も出来ない自信が恨めしい。

 天涯孤独になって、他人とは関わらず一人で暮らしてきた事で多少の慢心が何処かにあった。


 なんでも一人で出来るという自信があったのだ。

 しかし、実際はどうか。


 ーーグルガァァァァ!ーー


 雄叫びを上げる黒い獣は緋く光る眼光に殺意と喜色を込めて此方を睨みつけながら追いかけてくる。


 数名ときていた肝試しを森の中で行い、奇数によってはみ出た自分が一人で森を徘徊していた時に起きた事件。


 もし、一人で行く事にならなければこんな目に合わずに済んだのだろうか?


“ーーあぁ、俺が悪い。 弱い俺が悪いんだ”


 違う。

 結局は何もできない自分が悪い。

 間も無く訪れる死を他者の責任にしようとする事が何より弱い証拠だ。


 生きる事を諦めたことを他人に押し付けることは禁忌だ。

 それが母と交した最後の約束。


“ーー何があっても他人に責任を押し付けてはならない”


 最後の最後でこの約束を違えることは決してしてはいけない。


“ーーならどうする?”


 自問がグルグルと心の中で渦巻くが、心の奥では理解している。


“ーー決まっている!”


 頭を切り替えろ。

 恐らく、自身の肉体を超えたスピードで走った影響だろうが、筋肉繊維は既にズタボロ。

 人間の限界を超えた速度を出している。

 これが火事場の馬鹿力だろうと頭の片隅で思う。

 それでも、後ろの獣には容易く追いつけるスピード。

 逃げ切ることは不可能。

 なら……


「ーーぉぉぉぉぉお!」


 急ブレーキを掛けて、減速する体。

 スザザッ! と聞こえてくる地面を気にしないまま勢いを残した状態で体を捻って獣と対峙するような形をとる。


「ーーっ!」


 腰が逝った。

 人智を超えた肉体の疲労が限界に達したのだ。

 軽く捻るだけでも激痛が走り抜ける。

 それを人間の限界を超えた速度を殺した勢いのまま振り返れば豆腐の様に安易に崩れることは当たり前だった。


 脚の靭帯は引き千切られ、既に歩くことすらままならない。

 特にブレーキをかけた右脚の腿は一生使いものにならないだろう。

 筋肉繊維の分裂。 粉砕された骨。 砕けた骨によって切られた血管。 噴出する血液が起こす逆流。

 恐らく、内臓にもダメージが入ってる。


「ーーぅぁ」


 小さな呻きが漏れた。

 口の中で鉄の味が広がり、ドロリとした感触が舌を撫でる。

 胃物がぶち巻かれていないだけマシだ。


 ーーグルァァァア!?ーー


 だが、体を犠牲にしたお陰だろう。

 黒い影なる獣は咄嗟に反応できずに此方に突っ込んでくる。


 それに合わせて左足を一歩分前に出す。


「ーーっ。 ァァァァァア!」


 逝った腰だが構わずに捻り出し、右拳を握りしめ大振りに殴りつける!


 通常なら空振りをして終わりの一撃。

 しかし、今の相手は勢いそのまま突っ込んでくる獣だ。 回避は不可能。


 たとえ、反応速度が異常な生物であってもこの完璧な自滅覚悟の拳を躱しきることなど出来やしない。


 ーーギャピィィイ!ーー


 ドスッ! という生々しい音が闇夜の森に響き渡る。

 獣から痛みに喘ぐ音が漏れた。


「ーーウグァァァッ!」


 痛みで喚いてしまう。

 それでも……!

 与えた。

 完璧に一撃を。 それでも、死んでない。 血反吐を吐いてはいるが、呼吸はしている。

 神速で襲ってきた獣の勢いでぶつけた拳は見るも無残に肉片と血を撒き散らしながら永遠に使えないものと化した。


 もっと酷いのは踏み込んだ左脚。

 最後の脚は神速を受け切るために最大限に踏み込んだ為に中は既にすっからかんになる程の分解が行われていた。


 痛みが体を蹂躙する。

 命を賭した最後の一撃も相手を死に至らしめる迄には至らなかった。


 負け。

 これで奴が動けば死ぬのは此方。

 あの尖った爪を喉元に突き刺され死に至るのは此方だ。


 視界が霞む。

 音にノイズが掛かる。

 皮膚から何も伝わってこない。

 血と肉の匂いだけが辺りを包んで、死を漂わせるには十分なものだ。


 ーーグルガァァァア!ーー


「ーーーーーーーーぁ」


 どうやら、仲間がいたようだ。

 緋く光る眼が血肉を撒き散らした敗北者を見据える。

 獲物を食い散らかす獣が一歩、また一歩と近づいてくる。


 死神が近づいてくるが、どうしようもない。

 やるべき事はやった。 それでも生き残れなかった。

 なら、後は死ぬだけ。


 ーー後悔はない。 未練もない。 残したいものもない。


 ない事尽くしの凡人は獣に喰われ死ぬ。

 溢れる筈がない涙が頬を濡らす。

 幻夢ならどれだけ良かったものか。

 だが、痛みが現であると教えてくる。

 儚い望みも断ち切られ、残された体は一片も残らずに食べられる。


“ーーあぁ、これが死ぬ時の人間の感情か……”


 諦めと、何処かまだ生きれるのではないかと画策する中で見える走馬灯が心の灯火を強くする。

 要するに……


“ーー死にたくない”


 簡単な事だった。

 人間……生物として当たり前の感情が心を強く持たせた。

 諦めない限り何かあるという幻想と理想を持ってしまうのが生きるということだと初めて理解した。


 故に、最後の最後まで諦めない。


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぁァァァァァァァア……!」


 ーー!?ーー


 仰向けに倒れていた獲物が最後の最後の力を振り絞って尚勝てなかった人間がまた限界を超えて無事とは言い難いがまだ使える左腕を使って必死に立ち上がろうと足掻き始めた。


“ーー生きる事を諦めてたまるか! 何をしてでも生き残るんだ!”


 生きる闘志を糧に全神経を左腕に込める。


 獣は同士が倒れている光景を本能的に察し、そのまえに獲物にトドメをさした方が確実だと直感した。


 ーーグルォォォォォオ!ーー


 鋭く光った牙が頸動脈を断ち切らんと噛み付く!


 その瞬間だった……!


「ーー大丈夫ですか?!」


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーぇ、ぁ」


 安心するようで眩すぎる光が剣を包み込んだのはその時が最初の事であり、それが最強の【賢者】を生み出した元凶となった事は又別の話である。


 ◇


 ーー現在ーー


「ーーそうか。 俺は戻ってきたのか……」


 静かな夜。

 木々が揺れる音だけが支配する闇夜の空間。

 木の葉が舞い落ち、冷たい風が其れを空へと誘っていく。

 記憶にあるその場所はまるで変わっておらず、今でも体に染み付いている恐怖が体を強張らせる。


 今だからこそ言えるが、あの程度の魔獣に手こずっていた自身が恥ずかしいものだが、力を手に入れたのは紛れもなく女神のお陰なので何とも言えないのが実際のところである。


「ーー血の匂いだ」


 急成長した肉体。身体能力だけでなく五感すべてを人間から逸脱した剣は鉄の香りを感じ取り、嫌な気配を嗅ぎつけた。


「ーーさて、どうしたものか。 結局、向こうに戻る手段は無いし、このまま血の匂いがする方に行ってみるか……?」


 何故、地球に戻されたかは未だ理解できない剣であるが、魔法や魔力はまだ体内に残っていることは確認済みだ。


 とりあえず、あの程度の魔獣しかいないのなら危険はないだろうと判断して、血の匂いが漂う場所へ向かうことにするか、それとも、森から出て現状の確認に移るかを思案する。


「ーーっ!」


 だが、彼は突然走り出した。

 奇行である。

 知らない人間が剣を見ていたのなら、気持ち悪がる程の剣幕で走り出したのだから奇行と言わずなんというのか。


 しかし、彼が森の中へ走り出したのには明確な理由があるのだ。

 それは……


“ーー間に合えっ!”


 視界が暗闇にあるためよく見えない筈だが、剣は木々にぶつかることなく、人間の目では追いきれない速度で駆けていく。


 ーー【創造魔法】・『夜目暗紅ダークアイ


 彼は一度、異世界の暗殺者に命を狙われた経緯があり、夜の戦闘は案外厄介である事を理解した。

 その時に覚えたのがこの魔法だった。

 暗い闇の中でも視界が遮られない効果を持つこの魔法はサーモグラフィーの様に温度によって見える色が違い、物質を見分けるのにも役立つ便利魔法だ。


 温度が高ければ高いほど紅く見えるため、人間と魔獣の違いも直ぐに分かるようになっている。


 そして、彼が何を其処まで焦って走っているのか……


 簡単だ。


“ーーや、止めなさい!”


 明らかに苦戦を強い入られている者の声が聞こえてきたからに他ならない。


(異世界で五感を最大まで上げておいて正解だった)


 剣はギリギリ間に合うと判断して心の中で安堵をする。

 だが、気を緩めることはしない。

 魔獣がどれだけ弱くとも警戒を緩めれば死ぬと思ったことは一度や二度ではない。

 故に、彼に手を抜くという言葉は存在しない。


 ーー助けられるものを全て救う。


 そんな信念を抱える彼にとって五感とは最も重要な役割を担っている。

 助けの声を聞き漏らさないように、見逃さないようにと……

 全てを見守れるようにした五感。

 それが今回も作動した。


 そして、これが地球での始まりの物語。


 異世界最強【賢者】が無双し、全てを《幸福》にする現代ファンタジーの序章だった。



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