第十七話 それをラッキーと呼ぶならば

  〇


「それじゃ真紀ちゃん。よろしくお願いします」


 彼女かのじょの合図に真紀ちゃんは「はーい」と返事を寄越よこすと、ぼくらに向けてレンズを構えた。そして、レンズの中からまじまじとぼくらを見つめながら、


「高野さん、もう少し左にずれて下さい。もう少し、もう少しです。結月ゆいづきちゃんと秋月さんはもっと右です。はい、はい。それで大丈夫だいじょうぶです。みなさん、りますよ」


 真紀ちゃんはそういって、レンズ横のシャッターボタンをした。するとカメラはピカピカと赤いランプを定期的に発し始めた。


「真紀ちゃん。早く早く! こっち来て下さい」


 かすような彼女かのじょの声に、また「はーい」と返事を寄越よこした真紀ちゃんはテクテクと走ってくると、彼女かのじょの横にすっぽりと収まった。赤いランプはしばらくピカピカと点滅てんめつしている。


「……まだかな?」


「しー、動かないで。静かにしていて下さい」


「ご、ごめん」


 カメラの点滅てんめつは速度を早め、ちょうど十回ほど点滅てんめつした後に「パシャリ」と自動でシャッターが切れた。またテクテクと真紀ちゃんがカメラにり、写真を確認かくにんする。


みなさん。大丈夫だいじょうぶそうです」


 その声に、ぼくたちは「ふう」と初めて脱力だつりょくした。


 みんなでカメラをのぞむ。


「良い感じにれてるね」


「ばっちりです」


「けっこう良くれてるじゃん。おれにも一枚くれ」


 図々しい高野に対してにらみを利かすと、


大丈夫だいじょうぶです。わたしが代表してみなさんにお送りしますから。さっきみなさんをグループに招待しましたので、参加して下さい」


 流石さすが彼女かのじょである。ご準備が早いことで。


 彼女かのじょが作ったというグループに参加すると、さっそく彼女かのじょから一枚の写真が送られてきた。


 みんな良い顔をしている。夜空をバックに映し出された六人は、それぞれのみをかべてそこに立っていた。ぼくの顔が若干じゃっかん引きつっていることと、高野の満面のみがイラっとすること以外は、大成功だ。


「真紀ちゃん、ありがとうございます」


 彼女かのじょ礼儀正れいぎただしくもう一度真紀ちゃんにお礼を言うと、


「それじゃあ、みなさん。そろそろ帰りましょうか」


 そう宣言し、ぼくたち天文同好会の歓迎会かんげいかいは、幕を閉じたのだった。




  〇


 若菜さんをふくめた新入生三人を乗せた高野の車は、二回クラクションを鳴らすと、「じゃーなー」と窓の外で手をりながら走り去っていった。残されたぼく彼女かのじょは、観測道具を大学まで運ぶという名目で、かれらとは別行動をとることになっていた。


「うう、寒……」


 すべての荷物を彼女かのじょの車にみ終えると、寒さからげうるように助手席にんだ。中はほどよく暖かくて、途端とたん疲労感ひろうかんおそわれる。


「早く行こうよ」


 外でっている彼女かのじょに話しかけると、「ちょっと待ってください」と素っ気なく返された。見てみると、何やら手帳にんでいるようだった。


 仕方がないのでぼくはスマホを取り出すと、先ほど彼女かのじょから送られてきた写真をながめることにした。ぼんやりと見つめていたつもりだったが、視線は無意識に若菜さんの方へと向かってしまっていた。


 二年前の旧天文同好会でも、確か歓迎会かんげいかいの後にこうして写真をった記憶きおくがある。しかし、あの時の写真は残念ながらくしてしまった。元々、保存し忘れていたのかもしれない。


 しかし、今はこの写真がある。昔よりもずっと近くなった距離感きょりかんを感じながら、ぼくほおは自然とゆるんだ。


「なーに、ニヤニヤしてんですか。気持ち悪い」


 助手席のとびらを開けた彼女かのじょは、開口一番、そう毒づいた。座席をたおしてくつろいでいたぼくは、急に開いたとびらにビクリと体をふるわせた。


ぼく、そんなにニヤついてた?」


「ええ、そりゃもう。大の大人おとながニヘラニヘラと気味の悪いみをかべていましたよ」


 ニヘラニヘラって……。


 そりゃ確かに、ぼくの顔はかっこいいとは全然言えないけれど。でも、そんなに変な顔をしてたかな? ただ、写真を見てただけなんだけど。


「それ、さっきった写真ですか?」


「え、うん。良くれてるよ。夜空までこんなにきれいにれるなんて、ちょっとおどろいた」


「言ったじゃないですか。真紀ちゃんは良い所のお嬢様じょうさまだから、良いカメラを持っているんですよ」


 さいですか。


「それより、えらくリラックスしてる格好ですね。わたしの車なのに」


 彼女かのじょぼくの姿勢が気に入らないのか、額にシワを寄せ、っかかってきた。でも、ぼくにだって言い分はある。


「確かにこれは君の車だけど、でも、荷物を運んだのはぼくだよ」


 そう指摘してきすると、「ふんっ」と彼女かのじょは鼻を鳴らした。


「どうでも良いですけど、ちょっとめてもらえません?」


「え?」


 言っている意味が分からずぼく困惑こんわくしていたが、彼女かのじょはお構いなしに助手席の方にんできた。もともと、ぼくが先に助手席にすわっているわけで、彼女かのじょの車の助手席に二人ふたりすわれないわけで、当然ながら、ぼくは運転席と助手席の間へと追いやられてしまう。


 その際、彼女かのじょからふんわりとただよってくるあまかおりに、ぼくは鼻をひくつかせた。ハッと我に返ると、彼女かのじょに向き直る。彼女かのじょつかれたとばかりに助手席にゴロンとそべると両目をつぶった。


「ちょっと、何してんの?」


「あーあー、今日きょうつかれました。ほとんど自分一人ひとりで準備をしましたからね!」


 つぶやくには大きな声で、彼女かのじょ一人ひとり話している。そりゃ、もうこの歓迎会かんげいかいが大成功に終わったのは九九パーセント彼女かのじょのおかげなわけで、本当に感謝している。


「ほんとに感謝してます?」


 うたぐるような彼女かのじょの視線。ぼくってそんなに信用ないですかね?


「本当だよ。ほんとに感謝してる」


「じゃあ運転して下さい」


「はい?」


 唐突とうとつな提案に、ぼくはそんな声を上げてしまった。彼女かのじょ面倒めんどうそうに、片目だけを開けると、


免許めんきょ、持ってますよね?」


「……一年生の内に免許めんきょだけは取ってあるけど……?」


「なら帰りは運転して下さい」


「ちょ、ちょっと待ってよ。免許めんきょはとってあるだけで、取得してから一度も運転したことはないんだってば!」


 公道を走るなんて、そりゃ無謀むぼうすぎる。


 そんなぼくあせりとは裏腹に彼女かのじょはやけに落ち着いた口調で、


「良かったですね。これでやっと先輩せんぱい免許めんきょむくわれる時が来たじゃないですか。さあ、早く早く! さっさと大学まで向かいましょう」


 もうこれ以上、話し合いは無用! とばかりに、彼女かのじょぼくを運転席へとんだ。


 もう一度、彼女かのじょ確認かくにんする。


「マジ?」


「マジ!」


 こりゃ、大変なことになった。




  〇


「えっと、まずはエンジンを入れて、あっとその前にニュートラルに入ってるか確認かくにんして。……え? これってマニュアルだったっけ? じゃあ、クラッチを切りながらギアを変えないと。それから……」


「グチグチ言ってないで、早く発進して下さいよ」


 ぼくが走り出す前のイメージトレーニングをしていると、しびれを切らしたように彼女かのじょが声をあらげた。


「本当に、どうなっても知らないからね?」


「事故ったら一生うらみますから」


「おい」


冗談じょうだんですよ」


 あまり冗談じょうだんには聞こえないのだが……。


 ぼくはエンジンを入れると、ゆっくりとアクセルをんだ。ごとごとっとギアの変わるヘンテコな振動しんどうが伝わると、車はゆっくりと前に動き出した。


 二速、三速、とクラッチをみ、ギアを変えていく。ああもう、どうしてマニュアルなんだよ。こりゃ、坂道発進があったら死ぬぞ。あと、右折も。


 などと考えていると、


「……一体いつになったら大学まで着くんですかね?」


 左からヤジが飛んできた。


「いやでも、法定速度は守らなくちゃ。ここの道、三十キロらしいから」


 などとぼくは反論してみる。安全第一なのだ。


 車を走らせると、すぐに坂道へと到着とうちゃくした。これから続く道のりは大半が下り坂だ。上り坂がないことにホッとしたぼくは、ゆっくりと下っていく。


 しばらくすると、運転にも徐々じょじょに慣れてきた。変速も上達している。


「ほら見て。ぼくだってやれば出来るんだか……」


 ら。


 そう自慢じまんしてやろうとして、となりを見てぼくは口を閉ざした。彼女かのじょは目を閉じて、ねむれる森のひめのような表情で、ねむっていたのだ。ぼくの不器用であらい運転にも、彼女かのじょはピクリともせずに寝息ねいきを立てている。


 彼女かのじょ寝顔ねがおを見るのは、これで三度目だった。


 こりゃ、こんな状況じょうきょうで事故るのは先輩せんぱいとしてずかしい。ぼくは腹をくくると、あせばんだ額をぬぐい、坂道を下り続けた。




  〇


 本来なら二十分ほどで大学につくはずの道を、ぼくは一時間をかけて走った。お陰様かげさまで無事故無違反いはんである。


「ねえ、着いたよ。ねえってば」


 となりねむっていた彼女かのじょを起こそうとゆすってみたが、全然起きる気配がない。仕方がないので、ぼく一人ひとり外に出ると、荷物を倉庫へと運び始めた。


 荷台を使い、やっと三往復した後に、荷物をすべて運び終えた。


 助手席を見ると、彼女かのじょはまだねむっている。


「どうしようか……」


 無理に起こしても良いのだが、なんとなく気が引ける。今日きょうのことで彼女かのじょにはとてもお世話になったのに、気持ちよくねむっている彼女かのじょをここで起こしてもいいものだろうか。


「おーい、おーいってば」


 一応声をかけてみるが、まったく反応はない。


 しばらく外で様子を見ていたが、外気の寒さに負けて、もう一度車へとんだ。


 彼女かのじょ家を知っていれば送り届けることも出来たんだろうけど、あいにくぼく彼女かのじょの家を知らない。


 前に一度、送ろうと申し出たけれど、速攻そっこうで断られたのだ。


「どうしたもんかなあ……」


 頭の後ろで手を組み、ぼんやりと星空をながめる。困ったふりをしていて、実は彼女かのじょとなりすわれている自分を、役得などと思っていることは秘密だった。


「うう、寒い……」


 エンジンの切った車内は、思いの他、冷えていた。厚手の上着を持ってくること、と彼女かのじょに注意されていたのに。薄手うすでのパーカー一枚で来てしまったのが間違まちがいだった。


 さきわい、ねむっている彼女かのじょは、黒のトレンチコートを羽織っており、防寒対策は十分なようだった。


 きっと、もうすぐすれば彼女かのじょも起きるだろう。そう思ったぼくは、運転席の背もたれを下げると、またくつろいだ姿勢で、窓の外の夜空なんかを、見上げているのだった。

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