第十一話 それは不運の始まり  

  ○


 もし、昼間の大学を散歩したことのない人は、一度そうしてみることをおすすめしたい。そこは、街中の喧騒けんそうを忘れてしまうようなゆったりした時間と、だれにでも開放されている自由な空間が広がっている。


 図書館を利用する近所の高校生や、お昼ご飯に立ち寄った社会人。遠足にやってきたちびっこ園児たちや、グラウンドであせを流す未来のスーパースターまで。


 大学という所は、多種多様な人種が集まる場所だった。


 それゆえ、キャンパスに集まる人の大半が他人同士であり、教室でとなりすわったあの子も他人、廊下ろうかですれちがったかれも他人、食堂で前に並んいた君も他人、他人、他人……。そう、大学とは他人同士がうじゃううじゃと集まって形成されるコミュニティーなのだ。


 そんな場所だからこそ、ブラブラと散歩していた知人にばったり出会う確率は限りなく小さく、ましてや、そもそも友達ともだちの少ないぼくにとっては、それは最早もはや、天文学的数字に近い確率値となっていた。


「あっ……」


「げっ……」


 だから、高野祐介ゆうすけと出会ってしまったのは、不運という他なかった。


 遠目からでも分かるくらい、さわやかオーラを全開にしていたかれは、ぼくの存在に気が付くと、呼んでもないのに近づいてきた。


「よう」


 その表情は人を見下したようにニヤついており、加えて二枚目ということもあって、それが余計にぼく苛立いらだたせた。


「…………」


 ぼくが無言でにらみつけていると、かれはまた、ニヤニヤとした表情をかべる。


「久しぶりじゃん。元気にしてた?」


 ……。無論、ぼくがコイツとこんな立ち話をするような仲ではないことは、ここで強調しておきたい。何なんだ? 普段ふだんならば、ニヤニヤとこちらを見下しはするが、それ以上口をはさんで来ることはないのだが……。


 ぼく不審ふしんがっていると、かれはまた、いけ好かない笑顔えがおかべたまま、


今日きょうはあのオカッパちゃんはいないのか?」


 とそう聞いてきた。


 はて、オカッパちゃんとは? ぼくは少しかんがんだ。そして、あるうたがい念をいだいてしまった。オカッパちゃんとはもしかして、彼女かのじょのことだろうか?


 だとしたら聞き捨てならない。


 あの髪形かみかたちはオカッパではなくショートボブヘアーであって、前者と後者とでは天と地ほどの差があることを理解していないコイツはアホだ。


 あれがオカッパ? 冗談じょうだんじゃない。あれをどう見たらオカッパなどという髪形かみかたちに分類できるのか。


 ぼくいかりのあまり両腕りょううでをプルプルとふるわせた。


 ぼくがショートボブに対して熱いおもいを秘めていることなど、コイツは全く気が付いていないのだろう。


 高野はぼくの首にうでを回すと、耳元で「あんな上玉、どこで手に入れた?」などと下品なことをつぶやいてきた。


 この野郎やろう。こそばゆいだろうが。


はなせ!」


 ぼくは高野のうではらうと、かれを無視して歩き去ろうとした。こんなことに付き合っているひまはないのだ。早く部員を探さなければ、かれ女になんと言われるか。


 が、しかしである……。


 何故なぜか高野もぼくの後ろをついて来た。


「なーなー、マジでどこで引っかけたんだよ? なんだよおれにも紹介しょうかいしろよ、うらやましいなこの野郎やろう


「うるさいなあ。どっか行け」


「行かない、行かない。どうだ? これからちょっとテニスでもしてかないか?」


「テニス?」


 そういえばコイツ、最近テニスサークルに入ったんだっけ? 確かによく見るとかれの服装はテニスウェアであった。


「やるわけないだろ」


 ぼくは高野に向き直ると、憮然ぶぜんとした態度で「ぼくは今いそがしいんだよ」


 そう宣言してやると、高野はあのニヤニヤとしたいやみをかべ


いそがしいって? 何が?」と問うてきた。


「……」


 かれの言いたいことは大体分かっている。


 ぼくはまた、高野をにらみつけた。


 彼女かのじょとの天体観測の一件以来、ぼくは引きこもりみた生活を脱出だっしゅつした。しかし、脱出だっしゅつしたからといって、それですぐにぼくが大学の講義に出席するかは別問題であった。


 ましてや二ヵ月以上、教室に顔を出していないのだ。今更いまさら行くのもなんだか気が引ける。


 ということでぼくは、引きこもりを脱出だっしゅつした後も、授業に出ることもなく、部室と自室を行き来している生活を送っていたのだった。


 引きこもりから不良少年へと昇格しょうかくしたというわけである。


「ほっとけ」


「ほっとかない、ほっとかない。どうだ、今から飯でも?」


 コイツ……。


 高野のこういう強引ごういんな所がきらいだ。手段を選ばない所がもっときらいだ。そして、敵対する相手とも利益のためなら距離きょりを縮めてくる所がもっともっときらいだ。


 要するにコイツのすべてがきらいなのである。


「なあ、あのオカッパちゃんは今どこにいんの? 一緒いっしょじゃないのか? 彼女かのじょとラブラブしなくて良いわけ?」


 あれこれと無意味な質問をしてくる高野にえ切れなくなったぼくは、きっぱりとした口調で、


「言っとくけど、あの子はぼく彼女かのじょじゃないから」


 宣言しておいて、なんだかむなしくなったのは秘密だ。


「あん? そうなの?」


 高野は目をパチクリとすると


「じゃあ、お前らってどんな関係なの?」


 ……そんなこと聞かれても。


「どんなって……。ただの先輩せんぱい後輩こうはいだよ」


「何の?」


「サークルの」


「サークル?」 高野は少し考える素振そぶりを見せると、「それって昔廃部はいぶになったとか言ってた、星、節、飯……」


「そのくだりは止めろ。星見同好会だよ。最近また、復活したの」


 へー、と高野は気のなさそうにつぶやいた。


「今は部室でほかの部員たちと仲良くやってるよ」


 きっと今頃いまごろもまだ、彼女かのじょ駄々だだをこねて、ババきをしているにちがいない。


「ふーん」高野はまた、そうつぶやくと、何やらかんがんだ表情をした。美形なだけに、その表情が似合っていてムカつく。アホのくせに。


「これは使える」


 かれはよく分からないことを口にした。


「使えるって?」


「バカ」


 だれがバカだ、バカって言った方がバカだ、このバカ!


「若菜香織かおりさそう口実に使えるってことだよ」


「若菜さん?」


 思ってもみない名前が飛び出したので、ぼくは思わずかれを二度見してしまった。


 高野はニヤリと笑うと、


おれってばやっぱり美男子だろ? だからおれさそえば若菜香織かおりもコロッと落ちると思ったんだが……。あれから中々てこずっててな。今の話を使って彼女かのじょをグッときつけたい」


 コイツめ……。高野のこの自信過剰かじょうな所は、どっから出てくるのか……。あきれた。


「お前まだ若菜さんにちょっかい出してたのか?」


 あきれ混じりにそういうと、かれはキッと視線をとがらせ、


「当たり前だろ! 何のために三万もするテニスラケットを購入こうにゅうしたんだよ! ウェア、シューズ、ラケット、諸々みで十万だぞ!」


「…………」


 コイツの女子にかける情熱と資金には脱帽だつぼうするが、正直それで若菜さんがこいに落ちるとは思えない。


無駄むだな努力だと思うけどな」


 そういうと、高野は人差し指を持ち上げ「チッチッチ。あまいな」とそう前置きしてから、


「秋月君。すべてにおいて無駄むだな行動というものは存在しないのだよ。君が無駄むだと思ってしまうだけで」


「…………」


 どうでも良いけど、そのドヤ顔は止めろ。ムカつく。


「というわけで早速さっそく、若菜香織かおりにこのことを話してくるか」


「それはダメだ!」


 急に、ぼくさけんだものだから、かれおどろいたあと、露骨ろこつ不愉快ふゆかいそうな視線をこちらに向けた。


「それは、何故なぜ?」


 何故なぜって、そりゃあダメだよ。ダメなんだ……。特に若菜さんに話しては、絶対ダメなんだ。ぼくがしどろもどろになっていると、かれは余計、ぼくいぶかしんだ。


「どうしてダメなんだよ」


 だって、だってぼく……。


 彼女かのじょにフラれてるんだから!


 高野にられて、ぼくは二年前の記憶きおくを、いやでも思い出す羽目になった。

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