第二話 懐かしの大学      

 今、なんて言った?


 聞きなれた単語が、おかしな文脈の中にふくまれていた気がしたけど。【天文同好会】がなんとかって、言ってなかった?


 ぼくの頭の中で、どうでも良い記憶きおく破片はへんが、音を立てて暴れだした。


 それはまぶしい光を放ちながら、キャンパスを闊歩かっぽしていた大学一年生の春。


 あわい青春の一ページ。


 封印ふういんしていた過去。


 遠い記憶きおく


 それがまさか、こんなところで、その名前を聞くなんて思ってもみなかったぼくは、素直すなおにたじろいでしまった。


『もしもし?』


 せっかく忘れかけていたというのに、どうして今になって思い出さなくちゃいけないのだ。【天文同好会】というワードは、ぼくの中で禁句指定されていたのに……。


 てか、今彼女かのじょぼくのことを『部長さん』とか呼んでいなかったか?


『もしもーし?』


 いや、確かにぼくは【天文同好会】なるものに所属していた時期があったけど、それはもう二年も前のことだ。今の今まで、【天文同好会】の部員だったことも忘れていたし、それにもう、二年近く顔を出していない。


 そんなぼくが【天文同好会】の部長?


 そんな冗談じょうだん面白おもしろくもなんともない。


『あの、聞いてます?』


「え? ああ、はい、いや、え? もう一度お願いします」


 動揺どうようのあまり、まったく彼女かのじょの話を聞いていなかった。


『まったく。しっかりしてくださいよ。料金を支払しはらっているのは、ワ・タ・シ! なんですからね!』


 イヤミったらしく聞こえるのは、きっとぼくの精神が不安定なせいだと思いたい。


『だからですね【天文同好会】にわたしも入部したいんですよ』


「……はあ」


『気のない返事ですね。念願の部員一名確保じゃないですか』


「部員が一名……」


『そうです。わたしえある後輩こうはいくん第一号に名乗り出ようとしているんですよ? 先輩せんぱいだって一人ひとりよりも二人ふたりの方が楽しいとお思いでしょう?


 卒業するときに自分のいた同好会がなくなっているなんてさびしいじゃないですか。だから、それをわたし阻止そしします』


 ……ん? なんだか、全然話が読めないのだが? 彼女かのじょの話をまとめると、どうやら今の【天文同好会】の部員は一名だけらしい。そしてそれが部長であるぼくなのだという。


 【天文同好会】は部員が集まらないと今年ことし廃部はいぶになるらしく、それを阻止そしするために彼女かのじょが今回、ぼくにコンタクトを取ってきたらしい。


 ……らしい、らしい。とまるで他人事のように話してしまって申し訳ないけど、でも、そんなことを急に言われても、ぼくだって納得なっとくできないのである。


 だってぼく、部長になったなんて聞いてないもん。


 なんとなくつかめてきた現状に、ぼく愕然がくぜんとしてきた。


 光陰こういん矢のごとしとはよく言ったものだが、これほどまでに時の流れを感じたことは初めてだ。


 二年前、ぼくあわい青春の一ページであった【天文同好会】は、今やだれもいない廃部はいぶ寸前のサークルになってしまったのだという。


「…………」


 それじゃあ若菜さんも、もういないのか。


 二さい年をとっただけなのに、まるで玉手箱を開けてしまった浦島うらしま太郎たろうのように、ぼくは過去をなつかしんだ。


『それで先輩せんぱい。どうすれば【天文同好会】に入部できますか? 新入生歓迎かんげい祭のパンフレットには先輩せんぱいの名前と電話番号しか書かれてないんです。部長の一言だって空白だし……やる気あるんですかね?』


 新入生歓迎かんげい祭。略して新歓しんかん祭のパンフレット。


 それには確かに覚えている。サークルの紹介しょうかい連絡れんらく先がずらーっと書いてある、今思えばプライバシー的に大丈夫だいじょうぶか? と疑いたくなるサークル紹介しょうかい本だ。


 ぼくも二年前はピカピカの大学一年生だったわけで、あふる未来への希望をおさえきれずに何度もあのパンフレットをめくっては魅惑的みわくてきな大学生活を想像したものだった。


 つまりはアホのきわみだ。


 今、彼女かのじょがそのような状況じょうきょうに置かれているのは定かではないが、彼女かのじょが入りたいとしているサークルが【天文同好会】で、その部長がぼくになっていることは、だれかの陰謀いんぼうか?


「あの……。それならサークルについて、学務にでも聞いてみたらいいんじゃないかな? きっとぼくよりも色々しっていると思うし」


『あなたが部長なのに?』


「いや、そのことについてはぼくもさっき知ったばかりで……。まだよく分かってないんだよ」


「そんなの知ったこっちゃありません」


 そりゃあ、そうなんだけどさ……。


らちが明きませんね。それでは先輩せんぱい、とりあえず一度会ってお話しませんか? その方が手っ取り早いし、電話代もバカにならないし』


「え? 会う?」


 いきなりの提案に、ぼくの心臓がバクンっとがった。


『そうです。これじゃ話が進まないじゃないですか。電話で話すよりも直接話した方が色々と伝わるだろうし』


「いやだから、学務に聞い……」


『大学の食堂で落ち合うってことでどうです? 今なら結構空いてますよ』


「いや、あのね……」


『それじゃあ先輩せんぱいわたしはもう食堂にいますので、先輩せんぱいも早く来てくださいね』


「あの……」


 そういって電話は一方的に切れてしまった。


 強引ごういんなアポイントメントに面接官もたじたじだ。


「……」


 スマホをおっぽり出すと、ゴロンっと布団ふとん転がった。あらしのように過ぎ去って行った見知らぬ彼女かのじょとの電話。その耳に残った彼女かのじょ声音こわねから、ぼくは勝手に彼女かのじょの姿を想像してみる。


 もう一度スマホをのぞいてみて、おどろいた。


「あっ、九分も電話してた」


 道理でこんなにのどかわいているわけだ。

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