僕と彼女の事情

白玉いつき

第一章 それは突然現れた

第零話 それは突然現れた    

  〇


『もしもし? これ、つながっていますか?』


 始まりは、そんな電話だった。


『もしもし? あれ、応答なしですか。あーあーあー。もしもーし? 変ですね、電話はつながっているみたいですけど……?』


 受話器の向こうでは、怪訝けげんと、少しばかりの苛立いらだちをふくんだ女の子の声が聞こえていた。




『すみませんが、あなたはだれですか?』




 通話画面に表示されたのは名前ではなく、数字の羅列られつであって、それはこの声の主をぼくのスマホが記憶きおくしてないことのあかしだった。


 不意の着信であったために、とっさに出てしまったが、ふむ、どうしようか。もぐっていた毛布の中からもぞもぞといずり出ると、あぐらをかいて、通話中と書かれたスマホ画面をまじまじと見つめた。


 途端とたんに、開け放たれた窓からなが肌寒はださむい風に、思わず身震みぶるいした。


 電話しに聞こえてきた声音こわねから判断するに、声の主は若い女の子だ。はらった、知的な声だった。


 しかし、ぼく彼女かのじょを知らない。


 そして何故なぜだか彼女かのじょもまたぼくのことを知らない口ぶりであった。


 間違まちがい電話か?


 なんとも不可思議な電話がかってきたものだな。


 ぼくは少々戸惑とまどいながらも、「ここは何か話すべきだな」などと、すでに通話中の電話に向かって一呼吸をおいた。そして、


「もしもし?」


 と、成熟した大人おとなを演じようとしたが、声が少しうわずった。


 いや、ウソだ。本当は、かなりうわずってしまった。


 最近、声を出してないせいだろうか?


 久しぶりに聞いた自分の声は野太いくせにか弱く、たよりなくひびいた。


 胸の奥底おくそこからフツフツと羞恥心しゅうちしんげてくる。


 ぼくは練習しなければ「もしもし」も普通ふつうに言うことができないのだろうか。ああ、ずかしい。


『ああ、やっと出てくれましたか。勘弁かんべんしてくださいよ、通話料金はわたし持ちなんですからね』


 うわずったぼくの声なんてつゆほども気にしていない口調で、彼女かのじょは返事を寄越よこした。置いてきぼりにされたぼくの気持ちはどこへ?


『そんなの自分で処理して下さい』


「へ?」


『はい?』


 なんだか、心を見透みすかされたような……。




『それで、あなたはだれですか?』




 ……。


 そっちから電話をしておいて、相手をただすとはいったい何事だろうか? 相手も分からずに電話をかけることなどあるものか? 新手の電話詐欺さぎということも注意しながらぼくは口を開いた。


「えっと、どちら様でしょうか?」


『それはわたしが聞いています』


「……」


 スパスパと切れる果物くだものナイフのような返答にぼく狼狽ろうばいした。


 これほどまでにするどいナイフと対峙たいじしていたらきっと、会話が終わるころにはぼくの心はズタズタにかれているにちがいない。


 ぼく彼女かのじょの名前をたずねるのは正しいはずだし、間違まちがっていないと思うのだが、自分の心がこわされないうちに、ここはぼくの方から名乗っておこうと思った。


「秋月……弥生やよいですけど……」


 躊躇ためらいがちにそう告げると、しばしの沈黙ちんもくおとずれた。


 受話器の向こう側からは、彼女かのじょかすかな吐息といきと、何かをめくるような音だけが聞こえていた。


『ああ、やっぱり。わたし間違まちがっていませんでしたね』


 沈黙ちんもくえられずに、ぼくが口を開きかけたその時、ひどくうれしそうな彼女かのじょの声が聞こえてきた。


 間違まちがっていた?


 あ、いや、間違まちがっていなかったのか。しかし、何がだ?


『いやだな、先輩せんぱい。あなたの電話番号に決まってるじゃないですか』


 ぼくの無言を察してか、彼女かのじょうれしそうにしゃべはじめた。なんだか、いやな予感がするな……。やけにあせばんだ手の平を布団ふとんにこすりつけながら、ぼく彼女かのじょの次の言葉を待った。


『単刀直入に言います。わたしを【天文同好会】に入れて下さい。部長さん』


 ……いやな予感というものは、大抵たいてい当たるものである。

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