第五話 部室の中で二人きり   

 二年ぶりに見る部室は、まったくと言っていいほど以前のままだった。

 昔々に流行ったテレビゲーム。全巻揃えた漫画本は本棚にぎっしりと並べられている。部室の中央には六人掛けのテーブルと、パイプ椅子がホコリを被って鎮座していた。

 十畳ほどの空間は本棚のせいで二畳分が潰れてしまい、さらにテーブルのせいでくつろげるスペースは半分以下になっている。


「なんだ、あんまり変わらないな」

 廃部寸前と聞いていたものだから、てっきり物置小屋にでもなっているかと思っていた。窓の外に見える中庭の風景といい、昔のまんまだ。


 彼女はまるで、秘密基地でも発見したようにワクワクとした表情で部室の中を見渡していた。

「良いです、良いですね! 気に入りました!」

 甚くお気に召した様子だ。


 彼女はパイプ椅子を一つ取り出すと、ハンカチでホコリを払ってから腰かけた。ふわりと俟ったホコリが気になったので僕は窓を開けた。

 雨上がりの穏やかな陽気が流れ込んでくる。

 彼女は先ほど買ったというピンクの手帳を取り出すと、


「お部屋は少し掃除の必要がありますね」

 キョロキョロとしながらそう呟いた。


「そうだね、もしここを使うならホコリくらいは掃っておかないと、健康に悪いよ」

「それもそうですけど……。そこのゲームとか、あそこの漫画とか、星を見るのに必要あります?」

「いや、必要ってわけじゃないけど……。娯楽の一種として置いといても損はないんじゃないかな?」

 なんとなく、思い出の品を捨てられるのが嫌で、僕はそんなことを言ってしまった。


 彼女は少しだけ考えるような仕草を見せ、

「そうですか。先輩がそういうなら処分ではなく、整理だけにしておきましょう」

 そう納得してくれた。


「あ、でもあそこの棚の本は捨てちゃっていいと思う」

「あそこ? なんなんですか、あの本は?」

 僕が指さした本棚の奥には、一見すると普通の本が連なっているように見えた。しかし、あれはカモフラージュなのだ。

 中身はそう。男子学生の宝物が、代々の先輩から引き継がれてきたものだった。


「あれは……。まあ、僕が処分しておくよ」

 僕がそういうと

「ああ、エロ本ですか」

 的確に当てられ、びっくりた。彼女はニヤニヤと笑いながら、「外カバーを変えてまで保存しておくなんて狡猾ですねえ」などと感想を述べている。


「はは……」

 乾いた僕の笑い声が部室内に木霊する。

 立ち上がった彼女が宝物を読もうとしたので、僕は必至に阻止した。


「年頃の女の子がこんなもの見ちゃいけません」

「自分は見ていたくせに」

「僕は……、一度しか見たことないよ」

「エッチ」


 ……誤解しないでほしい。読んでない。

 本当に、一度だけ。

 チラッと見ただけ。見ただけだから。


「まあ、冗談はそこまでにして。そろそろ、座ったらどうです?」

「え? あ、うん」

 彼女に促されて、僕は彼女の向かいに腰掛けた。

 彼女は新しく買った手帳を開いて、何やら真剣に書き込み始めた。ちらりと見えたけど、彼女の字はとても達筆だった。


 ジロリと彼女の視線がこちらに向く。

「女子の手帳を勝手に見ないで下さい」

「ご、ごめんなさい」

 「ふんっ」と鼻を鳴らした彼女は、また書き込む作業に集中してしまった。


 二人の間に、静寂が訪れた。


 手持ち無沙汰な僕は、またぼんやりと外を眺める。時たま流れてくる微風が、観葉植物をゆさゆさと揺らしている。


「あれ?」

 そういえば、僕のミッションは既にコンプリートしていることに、今更ながら気が付いた。部室のカギは開けたのだから、もう用はないじゃないか。

「あの、じゃあ部室も開いたことだし、僕はこれで失礼しようかな……。カギはここに置いておくよ」

 カギをテーブルの角に置くと、そっと立ち上がり、部室を後にする。彼女は手帳に熱中しており、僕が出て行くことに気が付いていない様子だ。


「どちらに行かれるんです?」


 それは、ドアノブに手をかけた時だった。 彼女はじろりと厳しい視線をこちらに向けていた。手帳は既に閉じている。

「いや、帰ろうかなと」

「どうしてです?」

「用はもう済んだと思ってさ……」

「先輩はさっき掃除が必要だって言ったじゃないですか」

「え? ああうん、必要だと思うよ」


 これだけホコリっぽいと色々問題ありそうだし。

「だったらやりましょう」

「やりましょうって、僕も?」

「他に誰がいるんですか?」

 誰かいないかな。


 とぼけた顔をすると、彼女のギロリとした視線が飛んでくる。

「分かった、掃除は手伝うよ」

 乗りかかった舟だ。掃除までなら手伝ってあげよう。明日とか、時間のあるときに。


「なら用意して下さい」

「……今日?」

「今日じゃありません。“今”です」


 なんてこったい。

「ずっと段取りを考えていました」

 彼女は誇らしげに手帳を見せてくれた。そこには、今日やる事リストとして「掃除!」という文字とともに綿密な計画が組まれている。


「さあ、善は急げです。早速行きましょう!」

「え? どこに?」

「どこって、買い物に決まってるじゃないですか」

「買い物?」

「ええ。カーテンとかラグとかコップとかポットとか、買いたいやつがたくさんあるんです!」

「……掃除だけ手伝うんじゃないの?」

「レディー一人に全てを任せるんですか?」

「…………」


 こうして部室の大掃除が始まり、僕たちはホームセンターに行ったり、電気屋さんに行って小物家電とかを買ったりした。

 その全てが終わる頃にはすっかり日が傾いていた。

 

「上出来です」

 見違えた部室を見渡しながら、彼女は満足そうに頷いた。


「はは、それは良かった……」

 主に力仕事を担当した僕は既に体力の限界を通り越し、クタクタになっていた。重たいもの運んだせいで、腕がプルプルとしている。

 部屋の内装は、掃除というレベルをはるかに超えていた。古いパイプ椅子なんかはすべて処分し、ホームセンターで新たに購入したし、テーブルやカーテンなんかも新調した。それから備品として、電子レンジ、電子ケトル、マグカップ等々の生活品も購入した。


 彼女の指示のもとに完成された部室は、まるで女の子のお部屋のように変身していた。

「お疲れ様です、先輩」

 彼女にコーヒーを差し出され、プルプルと震える手で受け取った。それにしても筋肉なさすぎだろ、僕。


 すっかり女子の部屋っぽくなってしまった部室でソファーに座りながらコーヒーを啜っていると、まるで彼女の部屋に遊びに来たような錯覚に陥った。そんな妄想をしてしまったことが気恥ずかしくて、熱々のコーヒーを一気飲みする。

 彼女を見ると、まだ何か物足りないのか、手帳を見ながら「うーん」と唸っている。


 まだ何かする気か? 僕は不安になった。

 日はすっかり暮れている。


「うん、今日はまずまずですね」

 手帳をポンっとたたむと、彼女がどっかりと隣に座り込んできた。僕は思わず身じろぎしてしまう。彼女が近づく度にふわりとした良い匂いが漂うのだ。


「あれ? もう飲み干し干しちゃったんですか? コーヒー」

「え? ああ、うん。喉乾いてたからさ」

「ふーん」

 少し不思議そうにしてはいたが、それ以上彼女が突っ込んでくることはなかった。


「先輩、とりあえず今日は解散にしましょうか」

「え? 今日はってことは、まだ何かやるの?」

「当たり前です。まだまだやることが沢山あるんですから。新・天文同好会の活動は始まったばかりなんですから」

「……」


 それは僕も手伝う前提なのだろうか?

「とりあえず、明日は九時に部室に集合です。いいですか? 遅刻は厳禁ですからね?」

 そう宣言した彼女はとても生き生きとしていた。

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