第十五話 久しぶりの二人きりで 

  〇


 みんなもう、帰っちゃっただろうな。


 すっかり暗くなってしまった大学内を歩きながら、ぼくはそんなことを思った。時刻はすでに七時を回っており、あれほどいた学生がウソのようにいなくなっている。


 サークルとうに着いてみると、天文同好会の部屋へやに明かりはついていなかった。まあ、当たり前といえば、当たり前なのだけれど。


 早足で部室の前まで来ると、カギをみ、中に入ろうとした。


「あれ?」


 閉まっていると思っていたとびらは、あっさりと開いてしまった。カギの閉め忘れだろうか。不用心だな。


 そう思いながら、ゆっくりと中に入っていく。電気を付けようとかべの辺りをさぐっていると、月明りに照らされて、何かがソファーにあるのが見えた。


 目をらしてみると、かびがった人影ひとかげにびっくりして、ぼくは「ぎゃっ」というさけごえを上げてしまった。


 彼女かのじょがいたのだ。


 彼女かのじょはソファーに深く腰掛こしかけ、少し猫背ねこぜな姿勢でねむっていた。以前にみた寝顔ねがおと同じ。普段ふだん、つり目がちな目元がゆるみ、口元は少しだけ開いている。その無防備な表情が、いつもの彼女かのじょと相まって、不思議な魅力みりょくかもしていた。


 電気を付けようとしていたことも忘れ、ぼく彼女かのじょの横顔をまじまじと見つめてしまった。


「…………」


 女の子の寝顔ねがおを、不躾ぶしつけな視線でながめている下賤げせんな男がここにいた。「ハッ」と我に返ると、これはいけないと彼女かのじょから視線をらした。


 女子トークで盛り上がっていた机の上は、綺麗きれいに片づけられていた。表面は殺菌さっきんペーパーでキレイにかれており、少しばかり消毒液のにおいがする。


 ふと、疑問に思った。


 真紀ちゃんと明音ちゃんの姿がない。二人ふたりはいつ帰ったのだろうか。普段ふだんなら、みんなとっくに帰っている時間帯だ。二人ふたり一緒いっしょ彼女かのじょも帰らなかったのだろうか。


 ぼくはもう一度、彼女かのじょを見た。


 彼女かのじょすで身支度みじたくを済ませており、いつでも帰れる姿である。今朝けさ着ていたトレンチコートを羽織り、少し寒そうに顔をえりの中にうずめていた。


 それでも彼女かのじょが帰らなかったということは、ソファーでねむっていたということは、こんな時間まで部室にいたということは、つまり……?


 その瞬間しゅんかんぼくの失敬な視線を感じ取ったのだろうか、彼女かのじょひとみが「パチリッ」と開いた。ぼく彼女かのじょの視線がぶつかる。


 彼女かのじょはその細い目をさらに細めると、立ち上がり、うでを組みながらギロリとにらんできた。


おそい! 何をチンタラとしていたんですか! もう七時を過ぎていますよ!」


 ずんずんとせまってくる彼女かのじょ。それはもう、整った彼女かのじょの顔が視界をめるほどである。いかりを帯びたその表情に圧倒あっとうされたぼくは、数歩後退あとずさった。


何処どこで油を売っていたんですか!」


「いや、 部員探しを……」


「それならおそくなると一言連絡れんらくくれれば良いでしょう!」


「あ、スマホを部室に忘れて……」


「まったく……」


 とあきれたようにつぶやいた。そして、フラフラとかべに近寄ると、電気を付けた。パチパチッと蛍光灯けいこうとうが鳴り、まぶしい光に包まれる。


「あの、真紀ちゃんと明音ちゃんは?」


「とっくに帰りましたよ! もう、二時間も前にね!」


「あ、そうなんだ……」


「あ、そうなんだ? そうなんですよ!」


 彼女かのじょはまだ言い足りないのか、散々悪態をつきながら、ああだこうだとぼくへの不満をぶちまけた。


 ぼくはただただ聞き役に回り、彼女かのじょいかりが静まることをいのっていた。


「それで? 念願の部員は確保できたんですか?」


「えっと、うん。一応、たぶんだけど……」


 そういうと彼女かのじょはちょっとびっくりしたようにを見開いた。しかし、何かがおかしいと察すると、またするどい視線にもどる。


「何かえらくうれしそうな顔ですね?」


 若菜さんを思い出して顔がゆるんだのだろうか。彼女かのじょはそれを見逃みのがさなかった。


「まさか、わたし一人ひとりさびしく待っている間に、先輩せんぱいは楽しい思いをしてたんじゃないでしょうね?」


「そそそ、そんなことないよ!」


あやしい……」


 彼女かのじょはそういうと「クンクン」と犬のように鼻を鳴らし、ぼくの周りをはじめた。そして、


「んん? もしかして、新しく確保した部員って“女”ですか?」と的確に当ててきた。


 なんで分かるの、するどい。


 ここでウソなんかついても、どうせ後でバレることだからと、ぼくは腹をくくった。


「……うん。といっても、昔の同好会の人だよ。偶然ぐうぜん出会ってさ」


「ふーん。偶然ぐうぜんねえ……」


 ウソは付いていないのだが、彼女かのじょうたぐる視線がからい。


「なるほど、そうですか。女ですか、女ねえ……。わたし先輩せんぱいを待っている間、先輩せんぱいは昔の女と乳繰ちちくっていたわけだ」


 語弊ごへいのある言い方をするんじゃない。昔の女って何だよ。乳繰ちちくうって……。


「君が想像しているようなことは何にもないからね」


「へえ、先輩せんぱいわたしの心が読めるんですか、すごい能力ですね。それじゃあ言いますけど、わたしが今どんな想像をしていたというんです? まさか、昔の女に嫉妬しっとして不貞腐ふてくされているとでも? バカバカしい」


 ……まずい。ぼくが何か話すたびに、彼女かのじょいかりをあおっているみたいになっている。もちろん彼女かのじょ嫉妬しっとしているとか、そんなことは毛頭考えていない。


「その、一応弁明させてほしいんだけど……」


「良いでしょう」


 彼女かのじょはそういうと、うでを組んだ姿勢のまま、「さて、どんな言い訳をするんですか?」といった挑発的ちょうはつてきな態度で待っている。


 ぼく彼女かのじょとケンカがしたいわけじゃない。「ふうっ」と一呼吸置くと、誠心誠意の精神で


「待っててくれてありがとう」と、そういった。


 彼女かのじょは最初、何を言われたのか分からずに、はと豆鉄砲まめでっぽうを食ったような顔でっていた。それが、感謝だと分かると、なんだかよく分からない顔をしてそっぽを向いてしまった。


 気まずい沈黙ちんもくが流れた。


 どうしよう、まずっただろうか。彼女かのじょの表情からは、いかっているのかどうか、確認かくにんできない。ぼくしかられることを覚悟かくごしながら、彼女かのじょの一言を待った。


 彼女かのじょは「ふー」とため息をらすと、


「仕方ないでしょう。先輩せんぱいの荷物がまだ残っていましたから。帰るに帰れません」


 と、半ばあきらめるようにそういった。


「ごめん。もっと早く帰ってくるべきだった」


 彼女かのじょうでを組むのを止めると、ドカッとソファーにこしかけながら、


「まあわたしも少し用事がありましたから、別に良いんですけどね」とそういった。


「用事って?」


 こんな時間まで何の用があるというのだろうか。


「はい。夜空を見ていました。星座を探す練習です」


 なるほど。この時間帯にならないとできない用事だった。彼女かのじょがソファーにすわっていたのは、夜空を見るためだったのか。


「それでねむってたのね」


「仕方ないでしょう。最近少しいそがしかったものですから。この時間帯はねむたくて」


 ねるようにそういう彼女かのじょ。その姿が幼い子供の様で、いつもの彼女かのじょとはちょっと変わって見えた。


「それで、星座は見つかった?」


「ええまあ。まだまだ思うようには行きませんが……」


 彼女かのじょはそう謙遜けんそんしたが、きっとすぐにぼくなんかってしまうだろう。ぼくは星座を覚えるだけで半年を要したが、彼女かのじょは三日で覚えてしまったのだから。あとは夜空からそれを見つけるだけである。一つだけアドバイスするならば、


「好きな星座を作ると良いよ。そこからだんだん輪が広がっていって、気づいたら沢山たくさんの星座を見つけられるようになるから」


「好きな星座ですか。そうですね、それはもう決まっています」


 彼女かのじょはそういうと、何かを思い出したように「クックック」と笑った。


 星座のことを楽しそうに語る彼女かのじょは、もういかってないみたいだ。ぼくたちは久しぶりに部室で二人ふたりきりになって、星座や新しい部員、取り留めのない話題まで、沢山たくさんのおしゃべりに興じていた。




  〇


 星空のかがやく夜道、ぼくたちは連れ立って帰路についていた。随分ずいぶんはなんでしまったせいで、すっかり夜もけている。夕食もとらずに、こんな時間まではなんでいたことに、ぼくはびっくりした。


 んだ夜道を歩く。


「それで先輩せんぱい。その新しい部員さんはいつごろ来られますか?」


「うんっと。テニス部とけん部だからそっちの事情も聞いてみないと分からないけど、近々来てもらえるよう話してみるよ」


「新しい部員が全員集まったら、ウェルカムパーティーをしないとダメですね」


 ウェルカムパーティー? ああ、歓迎会かんげいかいか。


「そうだね。真紀ちゃんと明音ちゃんにも、改めて招待しよう」


「ホストですからね。週末は大変ですよ?」


「うん、そうだね」


 そこまで話した時、ぼくたちは別れ道にたどり着いた。いつもはここで別れるが、今は夜遅よるおそい。


「家まで送ろうか?」


 ぼくがそう提案すると、彼女かのじょはすぐに首を横にった。


大丈夫だいじょうぶです。わたしの家はすぐそこですから」


 すぐそこなら、それこそ送っていくけど? とは言えなかった。


「それでは先輩せんぱい。また明日あした


 言えなかった言葉をみながら、ぼく彼女かのじょ後姿うしろすがたを見送った。彼女かのじょの背中が視界から消えても、ぼくはしばらくそこにっていた。なんとも長い一日だった。色んな事があったと思ったが、しかし、思い返してみると一瞬いっしゅんのように感じられた。


 こうしてぼくの部員探しの一日は幕を閉じたのだった。

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