第四話 天文同好会      

「プランって、何計画してるの?」


「まだ秘密です」


 彼女かのじょは楽しそうにそうつぶやくと、一人ひとりでに歩き出した。あわてて後ろを追いかけようとしたが、


先輩せんぱいはここで待っていて下さい」


「え? あ、ちょっと……」


 おかげでぼくは、公衆の面前で漫画まんがとか小説とか、エロ本なんかをかかんでくす羽目になってしまった。


 他人ですら、ジロジロ見られてずかしいのに、こんなところを知人に見られてしまったら……。ぼく脳裏のうりで、よからぬ伏線ふくせんを張ってしまったので、「あれ? 秋月か?」早速さっそく声をかけられた。


 ったみをかべながらかえると、そこには同じ学科の二枚目男、高野祐介ゆうすけ悠然ゆうぜんと立っていた。


 いややつに出会ってしまった……。


 ぼくは内心、毒づいた。


「よう、なんか久しぶりだな」


 高野はニヤニヤと下賤げせんみをかべながら、こちらに近づいてきた。久しぶりに会ったが昔と変わらぬ、鼻持ちならない男だ。


「お前、最近何してんの?」


「…………」


 コイツとは同じ学科なわけで、だったら講義にぼくが出ていないことを知っているわけで、それはつまり……。


 察しろよな。


「まあ、別に興味ないけどさ」


 だったら話しかけてくんな。


 ぼくはまた、毒づいた。内心でだけど。


 高野はまたニヤニヤと人を見下すように笑っている。ぼくはコイツのこのみが大嫌だいきらいだった。昔からコイツのことは好きじゃないが、数年ぶりに話して見ても、やっぱり好きになれない。


 つまりぼくとコイツは、そういう間柄あいだがらなのである。


「つうかお前、何持ってんの? そんなにたくさん」


「あっ、いやこれは……」


 エロ本だけはかくそうとアタフタとする。


「ま、興味ないんだけど」


「…………」


 だから、聞くな。


「あっ、そうだった」


 高野は今気がついたような声を上げると、「これ見てみ?」と、背負しょってたものを見せつけてきた。最初っからそれが見せたかったにちがいない。


「なにそれ?」


「見てわかないのか?」


 ……わからないから聞いているんだろうが。無言のぼくを察してか、「はぁ」と深いため息をつく。


「テニスラケット」


「テニスラケット?」


 どういう風のまわしだ?


 確かコイツにテニスの趣味しゅみはなかったはずだが?


 というより運動全般ぜんぱんきらいなやつで、運動部のやつらを「青春バカ」などと表して嘲笑あざわらっていたはず。


 それが、テニス?


「ふっふっふ、聞いておどろくなよ? あの若菜香織かおりがテニス同好会に入ったんだ」


 若菜さん?


 久しぶりに聞いた彼女かのじょの名前に、ぼくの心臓はドキリとがった。


「お前ん所の……なんて言ったけ? 星、節、飯? まあ、その同好会が解散になった後、紆余曲折うよきょくせつあって最近テニス同好会に入部したんだよ。そして、このおれは昔っからテニス大好きっ子だろ? こりゃ、一緒いっしょに青春のあせを流すしかないだろって思ってな」


 何をぬけぬけと。


「運動なんか大嫌だいきらいだって、お前言ってただろうが……」


「男子、三日会わざれば刮目かつもくして見よという言葉を知らんのか」


 なんのこっちゃ。お前は三年ぶりに見たって、何一つ変わってないだろうが。コイツのことだから当然、若菜さん目当てに入部したにちがいない。昔から若菜さんとお近づきになりたがっていたからな、コイツ。


 彼女かのじょの言い付けがなければ、ぼくはすぐにでもこの場から立ち去るのに。ペラペラと聞いてもないことを話す高野に辟易へきえきしていたときだった。


「お待たせしました」


 彼女かのじょもどってきた。


「すみませんね、おくれてしまって。新しい手帳を買い直すのに少々手間取ってしまいました」


「いや、ぼくは構わないけど……。手帳?」


「はい。どうしても手帳を新調したかったものですから」


 そいういうと彼女かのじょは新しく買った桃色ももいろの手帳を見せつけならがら、ニコリと微笑ほほえんだ。


 彼女かのじょの登場に高野は面食らったようだった。あれだけ饒舌じょうぜつに話していたのに、今はピタッと止まって彼女かのじょ凝視ぎょうししている。


「……」


 コイツの考えていることはだいたい想像できる。可愛かわいい子に目がないやつだ。きっと今、かれの頭の中では、女の子センサーがビンビンと働いて、彼女かのじょのポイントを集計しているにちがいない。


 その下賎げせんな視線が彼女かのじょに注がれているのが、何となくいやだったぼくは、「ゴホンッ」とわざとらしく咳払せきばらいした。


 そのせきのおかげで、彼女かのじょは高野の存在に気がついた。高野はニコリッとその男前を生かしたみ(ぼくから言わせれば、小汚こぎたなみだが)をかべた。


 彼女かのじょはジッと高野の顔をみつめると目礼だけして、すぐに視線を反らした。


 その態度が高野にはつまらないらしい。容姿には自信のある男だから、その反応は頂けないようだ。少しコメカミがピクピクとしている。ざまーみろ。


 それでもなお、彼女かのじょが全くかれを無視して話をするものだから、高野はバツの悪そうなみをかべると、「じゃ、じゃあな」と、どこかに消えてしまった。


「お友達ともだちですか?」


 去っていく高野の背中を見つめながら、彼女かのじょが問うてきた。


「いや、なんか道を聞かれただけ」


「そう」


 ちょっぴりウソをついてしまったけれど、まあ、大差はないだろう。


「それじゃ、行きましょうか」


「えっと、どこへ?」


 そんな疑問は彼女かのじょの一言でんだ。


「どこって……。【天文同好会】の部室に決まっているじゃないですか」


 彼女かのじょそでを引っ張られるようにして、ぼくたちは歩き出した。




 〇


 小柄こがらな体格からは想像できないほど、彼女かのじょは歩くのが速い。おかげでぼくは小走りしなければ置いてきぼりをくらいそうだった。


「ちょ、ちょっと待って……」


「待ちません」


 ぼくのお願いも聞き入れられず、ずんずんと先へと進んでしまう彼女かのじょ。歩くたびに、その短い黒髪くろかみが耳の辺りでフワフワとれている。


 サークルとうに着いたころには、ぼくは「ぜーぜー」と息を切らしていた。こんなことなら大学に入ってからも、ちょっとは運動しておくんだった。


先輩せんぱい、体力なさすぎです」


 彼女かのじょにそう言われたが、もっともな意見だったので反論できない。


 二年ぶりに見たサークルとうは、なんだか様子がちがっていた。ぼく記憶きおくしていたものより六割増しでキレイになっていたのだ。 


「去年新しく塗装とそうしたんですよ」


「あ、そうなんだ。なんか、雰囲気ふんいき変わっちゃったな」


「そうですか? わたしは知りませんが……」


 そうだろうとも。


 新入生にとってぼくの感傷など道端みちばたの石ころよりもどうでもいいものなのだ。


「さあ、行きましょう」


 彼女かのじょに連れられるようにぼくたちはサークルとうの中へと進んだ。




  ○


 サークルとうは上から見ると、コの字の形をしていた。四隅よすみには階段があり、そこで上下に移動できる構造となっていた。建物の中心にはくるまぎれの観葉植物が植えられている。


 カースト制で、上層にいる部ほど上階の使用を許されていた。野球部とか、サッカー部とか、あとは吹奏楽部すいそうがくぶとか。


 もちろんぼくたち星見同好会は最下層の一階である。


 そうはいっても、一階の角部屋かどべやあたえられているあたり、最底辺ではないのだと思いたい。


 雑多な物であふれている廊下ろうかの合間を、スルスルとすりけていく。最初の角を曲がり、たった廊下ろうかの先に、、l二年前の面影おもかげを残したままの天文同好会の部室があった。


「さあ先輩せんぱい、このとびらを開けて下さい」


 やけに興奮した様子の彼女かのじょが「今か、今か」ととびらが開くのを心待ちにしている。


 しかし、ぼくは申し訳なく口を開いた。


「ここは、開かないよ……」


 興奮した顔が一転、彼女かのじょの顔がくもる。


「どうしてです?」


 簡単なことだった。ぼくはこのとびらを開けられるかぎを持っていない。つまり、中に入ることはできない。それだけなのだ。


「なんと……」


 期待が裏切られた分、彼女かのじょはより一層がっかりした様子でうなだれた。


「部長なのに部室のカギを持っていないなんて……」


「だから、ぼくは部長になった覚えはないんだって……」


「じゃあ、この部屋へやは使えないんですか?」


「……カギが無くちゃね」


 ぼくたちはだまんだ。


 彼女かのじょまゆをひそめて、じいっととびらにらみつけている。どうにかして中に入ることはできないものか、と考えているようだ。妙案みょうあんが思いつかなければ、彼女かのじょのことだから、蹴飛けとばしててでも中に入りかねない。


 ふと、昔の記憶きおくがよみがえった。


 確かとうのどこかにカギのかく所を設けていたような……。カギを忘れても入れるようにと、先代の部長がかくしていたんだっけ。


 それがあれば、中に入れるな。


 そのかく所って、確か……。


 無言のままぼくが歩き出したので、彼女かのじょは不思議そうにしながらも後ろをついてきた。


 階段の裏側には、ちょっとしたデッドスペースが存在していた。だれのものでもないその小さな空間には、身元不明の物があふれていた。


 その中に一つ、タンスがあったはずだ。だれが持ってきたのか分からないけど、年季の入った古びたタンス。たぶん大学を卒業してらなくなった生徒が置いていったのだろう。


 それが流れ流れてこの階下に配置されたのだ。


 タンスは昔と変わらず、ぽつねんと置かれていた。年代を感じるきりタンスが、ホコリを十分にこうむりながら。 そのタンスの右から二番目の小さな引出しに、昔はカギをかくしていたんだけど。ぼくはゆっくりとタンスの引出しを開けた。


「あった」


 古びたキーホルダーの付いたカギが一つ、その存在をだれにも知られずに置かれていた。


「これで何とか入れるよ」


「あっぱれです」


「あ、あっぱれ?」


 あっぱれなんて言葉、現代で聞くとは思わなかった。彼女かのじょいわく「あっぱれは、でかしたの最上級敬語なんです」だそうだ。


「開けるよ」


 キキキキとヒンジのれる音がして、とびらが開いた。

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