第一章・第二部・ナオト編

第17話 立ちはだかる壁

「青空イツキ! 前へ!」



 声が聞こえたのと同時に、木の上から面を着けた怪しい者が飛び降りてきた。


 唸っていたイツキは真顔になって、「また後でね」と言って、隊列の間をすり抜けて行く。面の者は青島隊長に会釈すると、イツキを追っていった。


 ちなみに、この合同強化合宿は一ヶ月にも及ぶ大がかりなものだ。それなのに唯一の班員を連れて行かれては先が思いやられる。


 青島隊長によると、参加しているのは臨時授業を受けた者全員で、監督には総司令官と精鋭部隊十名が任命されているそうだ。


 総司令官という役職や精鋭部隊という小隊を初めて目にした俺は、合宿場所に移動しながら、前を歩く彼らの後ろ姿に好奇な視線を向けていた。

 格好は珍しく、首から下は俺たちと同じ戦闘服を着用しているものの、顔の下半分を隠すために手拭いで口を覆っていて、その上からは動物の面を着けている。彼らはユズキを追ったメンバーの中にもいた者たちだ。


 精鋭部隊という名前は知っていたけど、闇影隊にそういった役職があるとは知らず、青島隊長に詳しく聞いてみる事にした。



「精鋭部隊の事はなんとなく理解しました。総司令官って人は何をする人なんですか?」

「総司令官とは、闇影隊の頂点に立つ人の事で、任務の振り分けや総指揮をとるだけでなく、国帝であるタモン様の側近や、外交に出向いたタモン様に代わって国帝代行も務めている。よって、滅多に北闇を出る事はないのだが……。それ以前に、合同強化合宿に精鋭部隊が派遣されるなど聞いたことがない。今回はどうやら特別のようだ」

「ジンキとかいう者が関係しているんでしょうか?」

「……ナオト、これだけは覚えておくんだ」



 そう言って、青島隊長は声を低くする。



「その名は二度と口にしてはいけない。ユズキを追った時に耳にしたのだろうが、北闇の掟だ。わかったか?」

「はい」



 ユズキは掟は二つあると言っていた。おそらく、これがもう一つの掟だろう。


 ともかくだ。総司令官の隣にはなぜかイツキが歩いていて、二人は精鋭部隊に囲まれていた。青島隊長は異様な光景だと言い、俺とは違った視線を向けていた。


 きっと、ユズキが関係しているのだろう。二人は一緒に住んでいたし、イツキの問いかけに、ユズキははっきりと「ジンキの味方だ」と言い放った。この言葉は精鋭部隊の者も耳にしている。


 イツキが重要人物であることは一目瞭然のこの光景。やはり、ジンキという者のことを知る必要があるだろう。


 それからしばらくして、先頭を行く総司令官は道を外れて山の中に足を踏み入れた。そこは、二日前に青島班だけで訓練を行った山だ。あの時は一キロという範囲での訓練であったため、どんな山なのかは青島隊長が話してくれた範囲でしか知らなかった。


 一キロ地点より先へ山を登っていくと、木の葉の層は太陽の光を遮断するほどに空を覆い隠し、そのせいか森に充満する湿気が肌にまとわりつき、奥深くに進むにつれて体力を奪われていった。


 あえて過酷な環境が整う山を選んだのではないかと思えた。というのは、森に足を踏み入れてから奥に進むにつれて冷気を肌に感じるのだ。

 やがて眼前には白い層が広がりはじめ、その正体がわかった俺は思わず足を止めて白い物体を手に取った。



「雪だ……」



 冬がないはずの北闇で、初めて雪を見た。



「どうしたんだ?」



 立ち止まる俺に青島隊長が声をかけてくる。



「なんでもありません。行きましょう」



 元気だけではどうにもならない寒さに、俺たちは身体を摩りながらまた足を進めた。


 少し開けた場所で足を止めた総司令官は、隊列を組むこちらを振り返った。動物の面ではなく、四本の角がある般若の面をつけている。



「この場所を野営地とする。訓練は明日の早朝から開始だ。なお、食料の調達は各班で行うこと。今日はゆっくりと休んでくれ」



 解散を告げようとする総司令官に右手を挙げた参加者は、なぜ精鋭部隊がいるのかと尋ねた。上級試験を想定したこの合宿は、毎回の事、監督は各部隊長が務めていたという。


 少しの間を置いて、総司令官は質問をした者の前に歩み出た。



「この森がどこだかわかるか?」

「いえ、存じ上げません」

「ここは、北闇の領土内にある森の中で唯一名がつけられた森だ。迷界の森と呼ばれ、三種全てが生息する森でもある」

「獣やハンターはわかりますが、妖は滅多に遭遇しないのでは?」



 その問いに、総司令官は雪を手に取った。強く握りしめ、石のような塊になった物を手に待たせる。



「これは雪という物質だ。迷界の森に巣くう妖が原因とされており、そいつは己の気分で雪の降る量を決めているそうだ」

「つまり、総司令官も見た事がない……という事ですよね?」

「ああ、そうだ。だが、前総司令官はその妖と交流があり、その報告は俺も聞かされている。こちらから危害を加えない限り、向こうから接触してくる事はない……とな」



 その言葉に背筋を伸ばした参加者一同。何を想像したのか顔を強張らせていた。かくして、俺も同じだった。


 総司令官が実物を見た事がなくても、妖は確かに存在し、しかもそいつには雪を降らせる能力がある。冬を知らない周りがどんな想像をしているかは定かではない。だが俺には、いかにして人間や他の生き物を殺すのか安易に想像が出来る。


 それから、総司令官は最初の問いに話を戻し、白い息を吐き出しながら上級試験の事について説明し始めた。



「この場には初めて試験を受ける者が多数いるだろう。これだけは教えておく。試験は二つ用意され、第一試験は毎度のこと変更がない。そして、この試験では少なくとも受験者の半数が命を落とす。過去には全滅した国もあるほどの過酷な試験だ。その試験内容は……」



 各班、ハンター二十体の討伐――。


 これには、さすがの混血者も動揺を隠しきれないでいた。なぜなら、臨時授業の黄瀬隊長の説明で「自由参加」とあったからだ。

 もし班の内、一人だけが参加となった場合、二十体を一人で討伐しなければいけない事になる。


 想定内の反応だったのか、総司令官は淡々とした口調で続けた。



「今年は伝達がないため、第一試験の内容がどうなっているかはわからない。だがな、常に先陣を行くのは誰だ。真っ先に二種と激突するのは誰だ」

「それは理解していますが……」

「参加希望を出した以上、お前たちの不服などこちらには関係のないことだ。我々はタモン様の指示通りに動くまで。どのみち、この森では班員同士の意思疎通が成されなければ全員死ぬ。そうさせないために、監督に精鋭部隊を任命したのだ。それ以前に、お前たち人間は試験に限らず、今後から混血者に合わせて行動していかなければならない。体力の強化は不可欠だろう」



 般若の面が正面を向いた。



「長話は無用だ。さて、この合宿期間中に第一試験と同じ内容をクリアしてもらう。一日でとは言わん。一ヶ月で二十体を討伐する事が目標だ」



 一人につき二十体、だがな――。



 最後にそう言葉を紡いだ総司令官は、解散を告げ、各班は重たい足を引きずりながら野営の設置に取りかかる事となった。


 次の日から、総司令官の監督のもと、順番に各自精鋭部隊とタッグを組んでの上級歩兵隊の試験を想定した訓練が開始された。


 山を来た方向とは別の方向に下山すると、そこには一面に広がる層の厚い雪原があるのだが、うさぎ跳びで何往復もさせられた時は気が狂いそうになった。

 しかも、雪原までの行き帰りには、膝まで埋まる雪に加えて、少しでも気を抜くと滑ってしまう山道をダッシュで登山と下山を繰り返さなければならないのだ。その日課は、早くも心身共に疲労を蓄積させていった。


 登山や下山の途中では、何度もハンターや獣の襲撃に遭った。死にそうになると精鋭部隊が間に入り助けてくれたが、その代わりにまた野営地や雪原に戻され、もう一度ダッシュからやり直しとなる。俺はまだ鉢合わせていないけど、混血者が襲撃してきた際には助けはなかった。


 それだけでも気が滅入るのに、さらに追い打ちをかけたのは精鋭部隊の罵声だった。



「貴様、そんな走りで生き残れると思っているのか! 他の邪魔をするのならハンターの餌にしてやるぞ!!」

「旧家の力はそんなものなのか!? たかがダッシュごときで息を上げるな!! やる気がないなら今すぐ帰れ!!」

「どうしてお前が卒業出来たんだ!? お前のように亀よりものろまな人間は初めて見たぞ!! 訓練校に戻されたくなかったら死ぬ気で走ってみせろ!!」

「走流野ナオト!! 兄に負けてるぞ!! 地に手をつく暇があるなら足を動かせ!!」



 などと、あちこちから聞こえてくる。その声に苛立ちを感じるものの、言い返す気力すら残っていない。


 だが、この合宿。最も過酷を強いられているのは混血者だろう。適役に加えて通常通りの訓練までやらされている。重度の恐ろしさを知ったソウジたちだからこそ、目に宿る強い意志を絶やさないでいるが、体力や能力を誇る混血者ですら精鋭部隊に命を救われていた。


 寝ても寝足りない合宿で、ついに俺の目の前に混血者が現れた。最悪なことに、相手はソウジだ。



「貴様を見つけるのに苦労した。やっと手合わせ出来る」

 


 なぜかやる気満々だ。



「こんな具合の悪い時に勘弁願いたいけど。そうもいかない、か……」



 ユズキと同じくして、俺の秘密を暴く気でいるソウジ。だが、彼女のは俺を心配してのものであって、ソウジは違う。イツキのような純粋な疑問でもないし、あれは明らかに好奇心のようなものが感じられた。


 なるべく接触したくはなかったが、この合宿では避けては通れない混血者との戦い。


 やるしかない。


 どんな性質で、どんな攻撃を得意とするのか情報は一つもない。なので、自己暗示を身体全体にかける。合宿期間はまだまだ残っている。ここでダメージを負うのは最小限にとどめたい。



「装!」



 ソウジが半獣化した。かなり鍛えているようで、生身の部分がほとんどない。いずれ一族を率いるのだから当然のことと言えば当然だが、この年齢でここまで体を作り上げているだなんて、素直に驚くしかない。手合わせで済むだろうか。


 精鋭部隊の者は、腕を組んで見守る姿勢となった。


 ソウジが構えを取り、二人同時に地を蹴った。互いの両手を塞ぎ、額がくっつきそうになるくらいまで体を押し合う。俺の足はソウジの力に負けて後ろへと滑っていった。彼には爪があるが、俺にはないからだ。ブーツでいくら踏ん張っても足もとは雪だ。


 押された力を利用して、ソウジを一本背負いで地に叩きつようと動いた。簡単に体勢を整えられてしまい、片膝をついた瞬間に宙返りで後退する。そしてまた一気に俺の元へ距離を詰めてきた。


 イツキのようなスピードはないが、瞬発力が尋常ではない。目で追えるし、頭で動きを先読みしても体が反応してくれない。間合いがなくなると、ソウジは爪を俺の喉にあてがった。


 後ろに引こうにも、腕を伸ばすだけの余裕があるため意味はない。かといって、前へ出ればソウジに捕まるだけだ。もしソウジが重度なら、取るべき行動は一つ。

 しゃがんだ俺は、片手を軸に下半身を持ち上げて回し蹴りをした。読まれていたらしく、あっさりと避けられてしまう。さらには、俺の片足を掴んで言霊を唱えた。



「炎・包火!」

「――っ!? 火の性質なのか!?」



 冷ややかで意地の悪い笑みを浮かべて、序の口だとさらに火の輝きが増した。

 膝下までの服が焦げる臭いがする。俺の包火が放つ火の大きさよりも、一回りも二回りも大きくて勢いのあるソウジの包火。同じ性質だからだろうか。とても苛々しい。



「貴様の父親は尊敬に値するほどに素晴らしい言霊の持ち主であり、残す数々の戦果は驚かされるものばかりだ。それに、ヒロトは唯一、半獣化したこの俺に傷をつけた奴だ。比較するまでもなく、貴様はひ弱だな」



 襲いかかるやるせない嫉妬と怒り。これが俺の苛々しさを倍にした。



「父さんとヒロトが強いからなんだ。そんなもの、俺には関係ない!」

「ならば証明してみせろ。ユズキが消えた今、貴様は何を糧に強くなれるのか、この俺にな」



 宙を彷徨う片方の足で、太ももと脹ら脛を使ってソウジの首を挟んだ。自己暗示で硬化させているため、締めるというよりもへし折るに近い。一瞬、ソウジは痛みで顔をしかめた。その隙に、ソウジの両足首を掴んで、言霊を唱える。



「炎・衝撃砲!!」



 咄嗟の間にソウジは離れた。ついでに俺を大木へ投げ捨てることを忘れずに、本人はもといた位置に戻る。足首を確認すると、かすり傷一つなかった。


 気持ち悪いくらいの、もぞもぞとした得体の知れない物体が腹の中で蠢いていた。両拳には力がこもり、無意識に噛んでいた唇からは一筋の血が流れる。

 ユズキが居なければ何も出来ないのだと、そういう意味で言われたような気がしたからだ。


 俺が修行をしたきっかけは、彼女を守るためだった。だからこそ、言葉にならないほどの怒りが俺を支配する。

 この日、俺は初めて敗北を知り、虚しくも訓練終了の声がかかった。


 野営地に引き返さなければならないのに、俺は動けずにいた。膝から下の火傷は治っているし、他に目立った外傷があるわけでもない。あるとしたら、心の傷くらいだろう。


 精鋭部隊の者は、何も言わずに待ってくれていた。



「俺にも精鋭部隊の人たちみたいな力があればいいんですけど。あんな簡単にやられるだなんて……」



 雪を握って遠くへ投げた。ポスッ……と小さな音が鳴る。すると扇の形をした影が瞬く間に同じ方向へ飛んでいった。やったのは精鋭部隊の者だ。刃物で切ったように、岩が真っ二つに割れる。



「俺のようになるのは無理だ。なぜなら、精鋭部隊は混血者のみで構成される特殊部隊だからな」

「じゃあ……」



 片足を目の前に見せる。つま先には黒い蹄、足首から膝までに無駄な肉はなく、お尻なのか太ももなのか、一体化して見えるそれは大きな筋肉の塊のようであった。



「そういうことだ」

「雪で岩を裂くだなんて、俺にはそれすらできません」

「三ツ葉ソウジを目指しているのら、やめておけ。そもそも種が違う」

「いえ、そういうわけじゃ……。ただ、手も足も出なかったというか、俺だってそれなりに頑張ってきたつもりなのに、根っこからひっくり返されたような感じがして……」



 青島隊長が話していた、「自分の認識がどれだけ甘かったかを全員が思い知らされる」とは、このような事態を意味していたのだろう。


 何も言わずに歩き始めた精鋭部隊の後に続き、野営地へ向かった。



「……お前が負けた原因を教えてやろう」



 野営地を目の前にして唐突にそう言った精鋭部隊の者は、歩みを止めて振り返った。



「言霊は感情を念にするものだ。よって、感情で力の差異が決まる。あるいは、経験が物を言うだろう。ただ怒り任せであればいいわけではない。怒りを力に変えるのは爆発的な攻撃力を産み出すに違いないが、冷静さを欠いてはコントロールを失い、結果として威力を弱めてしまうことになる。今回の一戦と、これまでの任務を比較してみるといい。何がお前を成功に導いたのか、その答えが見つかるはずだ」



 そう言って、彼は彼の野営地へと戻っていった。


 いくつかある野営地の中で、青島班の野営地は隅の方に設置されている。中を覗くと、イツキはまだ戻っていなかった。

 もしかして――と、そんな心配を胸に周辺を捜す。イツキは野営地から少し離れた場所で唸っていた。



「やっぱり……。落ち着かせてほしいとは言ったけど、そんなに無理しなくていいよ」



 両方のこめかみに人差し指を押し当てながら、寒空の下で精神統一をはかろうとするイツキ。力なく雪の上に両手をだらりと下ろすと深呼吸を繰り返す。


 ユズキのことを聞くのはまだ待った方がいいのかもしれない。なにせ、北闇の住民が多くいる中で、ユズキだけに気を許したんだ。イツキが荒れていた姿なんて想像すら浮かばないけれど、あの濃い闇は過去を物語っている。


 ユズキが去った今は、さらにイツキの心は病んでいる。

 だけど、ユズキ以外の事は聞かなきゃいけない。そうしないと先に進めない。



「なあ、イツキ。ユズキは誰を追って北闇を出たんだ?」



 イツキの隣に立って返事を待つ。



「誰って?」

「ほら、アレの味方だって言ってたじゃん。それって敵なの?」

「追ったわけではないよ。それに、アレは北闇にとっては敵だけど、ユズキにとっては敵じゃない。なんだか、難しい獣なんだよね」

「へぇ……。え!? ジンキってけもっ」



 イツキの両手で口を塞がれて、掟である事を思い出した。半分以上も大声で叫んでしまった後ではあるが、周囲を見渡すイツキの顔に変化がないことから、とりあえず誰の耳にも聞こえていないのだと判断する。


 口を解放してくれると、イツキは何処かへ向かって歩き始めた。今居る場所よりももっと森の奥深くに進み、これ以上は危険だと思えるほどに雪が積もる所で歩みを止めた。


 そして、ジンキとはどのような生き物なのか説明してくれた。



「ジンキっていうのは、元々、北闇の地中深くに棲み着いていた馬鹿でかい化け物のことだよ。どれくらいの年月かはわからないけど、長い間眠りについていたのに、突然目を覚ましたんだ。……今から十二年前にね」

「その十二年前ってさ、何があったの?」

「あの日、北闇を大地震が襲った」



 それを聞いて、生まれた日の出来事が脳裏に過ぎった。


 〝ドンッ!〟と大きな音が聞こえた後、建物が上下左右に揺れて、まだ生まれたばかりの俺とヒロトを両脇に抱えた父さんは急いで建物から外に出た。


 しばらく同じ感覚で揺れて、そこから徐々に落ち着いていく地震だが、十二年前の地震は長くは揺れなかった。しかし、一発目の衝撃が大きすぎて、大木で築いた壁は倒れてしまった。


 俺の記憶を補足する形でイツキが話を続ける。



「地震の原因はジンキが覚醒したことによるもので、地中から這い出ようとしたんだ。でもそれは、一人の女性によって阻止された。光影こうえいの国出身、夜桜レイ。彼女がジンキを再び眠りにつかせた」

「光影の国って、たしか北闇と東昇の間にある小国だよな?」

「うん。光影血筋の人間には特殊な能力がある。人間なのに言霊を使えるんだ」



 身を乗り出す勢いでその言葉に食いついた。



「走流野家だけじゃないのか!?」

「全く別物だよ。俺たちの言霊は自然の力によるものだけど、光影の国の言霊は眠らせる能力しかない。闇影隊のように隊を組んで戦うんじゃなくて個人で扱うから、封印術士っ呼ばれてる。発症する人間はごく僅か。能力の差異も極端で、夜桜レイは中でも凄腕の封印術士だったみたい」

「そうなんだ……。ってことは、ジンキはまだ俺たちの足もとにいるってことなのか?」

「ううん、もういないよ。足もとには、ね」

「じゃあ、何処にいるんだよ」



 まるでお腹の上から胎児を優しく愛でる母親のような手つきで、イツキが自身の腹を撫でた。それから「ある妊婦さんの話になるけど……」と言いながら、風呂場の時と同じ遠くを見るような眼差しで言葉を紡いだ。



「その日、夜桜レイのお腹の中には赤ちゃんがいた。出産予定日はまだ数日先だったのに、大地を揺るがした最初の衝撃で陣痛がきた。封印術士である夜桜レイは、本部にいる旦那の元へ向かった。だけど、玄関先には大きな空洞ができていて向こう側へは行けなかった。その時、夜桜レイは空洞の奥に生き物の存在を感知した。そこへ侵入し、ジンキと対峙した。ジンキは四肢を地に着けて、立ち上がろうとした。このままだと北闇がひっくり返ってしまう。時間が無い。だから、夜桜レイはジンキを自分に封印することにした。陣痛に堪えながら自分の職務を果たした。でも……」



 封印した直後に破水し、自力で出産するしかなかった夜桜レイ。そこへ闇影隊が駆けつけた。直後、赤子が誕生した。赤子は産声ではなく獣のような咆哮を発した。そして、あろうことか、母親である夜桜レイを喰い、その場にいた闇影隊を襲い、殺した。


 イツキの目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。



「封印は失敗した。夜桜レイではなく、胎児に……俺に封印されたんだ」



 頭からつま先まで、ぞわっとしたものが俺の全身を這う。イツキは混血者だ。その力の源は――ジンキ。


 イツキの闇の濃さは、闇影隊による仕打ちから生まれたものではない。母乳ではなく、母親を初の食事としてしまったことへの恐怖。これが始まりだ。それから母親を殺してしまった恐怖、鍛錬場に閉じ込められた恐怖、闇影隊への恐怖が積み重なって、あんな闇に仕上がったのだ。


 ユズキから聞いた話しと繋がった。だけど、あるのは情報がまとまった達成感ではなく、胸を抉られたような痛みと、ユズキに対する怒りだ。


 彼女はこの事を知っていたはずだ。それなのに、イツキがいる目の前で「ジンキの味方」だと言い放ったのだ。いくら物事をはっきりと口にする性格だといえども、時と場合を考えてほしいものだ。


 イツキを頼れと言いながら、当の本人をこんな状態に追い込むなんて。


 話題を変える意味も含めて、俺は自分に関係することについて尋ねてみることにした。



「イツキ、聞きたいことがあるんだ」

「なに?」



 涙を拭いながら、腫れた目で俺を見る。



「走流野家について、父さんとヒロトが俺に何かを隠しているってユズキが言ってたんだ。それって本当だと思う?」

「…………うん、確かだよ。タモン様とよく三人でナオトの事について秘密裏に会話してる。こんなこと言うの嫌だけど、あれは家族としてではなくて、闇影隊としての会話だから……その……」

「そっか……」



 しばらく沈黙した。


 正直に言って、俺は〝普通〟じゃない。能力云々ではなく、生まれた瞬間から自覚していることだ。それでも家族として接してくれる父さんとヒロトにはいつも感謝していたし、同時に罪悪感を抱きながら過ごしてきた。けれど、イツキが教えてくれたおかげで、その感情が遠ざかっていく。


 沈黙を破るために、俺は「よし!」と声を出して気合いを入れた。



「これからずっと青島班で一緒なんだしさ、痛みは全部半分こしよう。イツキは母さんに対する痛み、俺は父さんとヒロトに対する痛みだ。形は違うけど、同じだろ?」

「こんな俺と友達でいてくれるの? 自分の母親を食べたんだよ?」

「当たり前だ。喰ったのはイツキじゃなくてジンキだろ? それに、世の中には自分の家族を殺してしまう奴だっているんだ。イツキの場合は、ソレとは違う」



 俺たちはきっと、北闇という狭い空間に居すぎたのだろう。あまり良い思い出もない、しかも鳥かごのような場所で、同じ風景に同じ人々、同じ言葉に変化のない日常に触れてきた。


 気が狂いそうになるのも、病むのも、当然だ。

 けれど、試験に受かれば世界が変わる。俺たちはもっと自由になれる。



「こういう時、なんて言えば正解なのかわからないけど、頑張ろう。お互いに色んな事から解放される為にも、試験に受かろうぜ!」

「――っ、うん!」



 ようやくイツキに笑顔が戻った。


 それにしてもだ。ジンキはここに居るのに、味方だと言いながら、どうしてユズキはイツキを置いていったのだろうか。なんて考えながら、野営地に戻って、ソウジとの一戦をイツキに話した。自ら〝負けた〟と口にするのは実に気分の悪いものだ。



「精鋭部隊の人がアドバイスをくれたから、眠る前にこれまでの事を振り返ってみようとは思うんだけど……。でも、あの男の人、凄かったなぁ。雪で岩を真っ二つって、どんな脚力してるんだよ」

「性別は面を外さないとわからないよ。ヘッドマイク式の音声変換器を装着してるから。女の人かもよ?」

「……それはそれで恐ろしいよ」



 しばらく話して、俺は寝た振りをした。イツキと青島隊長の寝息が聞こえるまで、寝袋に身を包みながら時間が過ぎるのを待つ。


 寝静まった野営地に、寝息といびきが行き交った。外に出て背伸びをし、雪を踏みしめながら山の頂上を目指す。野営地は頂上に近いし、火が焚かれているため迷子になることはないだろう。


 辿り着くと、連なる山の一部で、他と比べてそんなに高さがないことがわかった。山の頂上に木はなく、澄んだ空気のおかげで北闇を一望できる。所々に明かりが見えるのは、まだ起きている子たちがいるからだろうか。



「もう寝なさい。何時だと思ってるの? とか怒られてるんだろうな」



 イツキの前では堪えていた悲しみが、俺の頬を伝った。


 爺ちゃんの行動は不可解で、父さんとヒロトは俺を闇影隊の眼で見ている。だけど、どうしても信じられないのだ。なぜ家族である俺に隠すのか、なぜ家族として見てくれなくなったのか。だって、ヒロトが誘拐されたって父さんが話してくれた時は、ヒロトは俺の身を心配してくれたし、父さんは言霊の修行に付き合ってくれた。それなのに、どうして――。



「母さん……」



 姿すら知らない母さんに会いたい。会って、確認したい。俺の事を愛してくれているのか、それとも得体の知れない存在に恐れているのか。


 閃いたのは、母さんを想っていた時だった。



「父さんに聞いてみるか……」




 何を隠しているのかは不明だが、順番にいくなら母さんの写真だ。自宅へ返された時、すでに母さんは北闇にいなかった。衣類や写真すら家にはない。だが、全く手掛かりがない、というわけではない。


 俺とヒロトは父さんに似ていない。つまり、母さんに似てるということだ。髪の色だけは俺は父さんを受け継ぎ、ヒロトは母さんを受け継いだ。捜すとなれば、俺たちに似た金髪の女性だろう。しかし、そうする前に、確認したい。


 これまでの出来事や家族の言動を思い返せば、走流野家がおかしくなったのは母さんの失踪から始まっている。

 もし、これで父さんが写真について言葉を濁したり、話しを流したりしたら、ユズキとイツキの言う通り、北闇と俺の家族は走流野家に関して何かを隠しているのは確実になる。


 上級歩兵隊になれば二人の捜索は同時進行で出来るだろう。どちらを先に発見出来るのか、それ以前に生きているのか不安でいっぱいだけど、ユズキと再会するまでに果たさなければならない。


 ソウジの言葉を借りるわけではないが、秘密を暴いてやる。

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僕たちはただ、人に愛されたかった 犬丸 @sky129

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