第2話 ナオトの闇

予期せぬ獣と鉢合わせた、それよりも数ヶ月前――。



「一週間後、卒業試験を行う!!」



 担任の、いつもよりも一際大きな声を最後に、六歳から通い始めた学校生活に終止符を打とうとしていた。俺が通っているのは闇影隊を育成する学科だ。

 闇影隊とは、この世界を統治する王家が大昔に設置した歴史ある部隊だ。その目的は、人害となる生き物を駆除し社会の安寧を維持することである。


 教科書から引用すると、ここまで簡潔に説明できるが、そんな生易しいものではない。


 教室を後にする同期の表情は実に様々だ。一週間後を楽しみに目を輝かせる者や、不安に押し潰されそうな者、はたまたいつも通りに帰って行く者もいる。俺は後者にあたるだろう。



「ナオト、帰ろうぜ」

「うん」



 秋風に身震いする夕暮れ時。校舎を背にして歩くと、女子の熱い視線が二種類と待ち構えていた。いつものことだ。一つは俺の隣を歩く兄、走流野ヒロトに向けられた、好意を寄せる視線である。

 金髪というだけでも十分に目立つのに、下唇にある三つのピアスは印象に残りやすく、また喧嘩が強い。俗にいう不良の類いだ。性格は短気で、口が悪い。入学する前から問題児である。

 その反面、入学から今日に至るまで、一位の成績を誇るという天才であるし、喧嘩はするけれど友達作りがとても上手だ。女子から人気があるのも頷ける。


 一方、この俺はというと、ヒロトとは違った意味で問題だらけだ。


 いつもヒロトの背中に隠れながら過ごしている。もっと幼い頃には、人の目が怖くて、声に敏感で、常に他者の顔色を伺っていた。言うまでもないが、喧嘩は弱い。真逆の性格というわけだ。

 伸びきった黒い髪で視界を隠しながら、どんな暴言を吐かれても全て受け止めていた。時には泣き、時には逃げて、時には引きこもりになったこともある。もちろん、ちゃんとした理由があってのことだ。

 周りからは、臆病な性格に例えて「千切れかけの金魚の糞」と呼ばれるようになったけれど、胸の奥のそのまた奥で文句をぶちまけて発散する。こんなやり方ですら臆病だ。


 そんな俺を外に連れ出すのはヒロトだった。学校に通えるのも、兄がいてこそだ。


 鞄を抱きながら、目の前で静かに揺れる金髪を見て小さく息を吐いた。鞄の中には、教科書よりも重いラブレターの束がぎっしりと詰まっている。

 つまり、もう一種類の視線は、ヒロトに必ず渡せという半ば脅しの視線である。まあ、こんな俺に好意を抱く女子などいるはずもない。


 ちなみに、俺たちは一卵性の双子で、外見の違いは髪の色だけだ。



「自分で渡す度胸がないのなら、告白なんて無駄なことやめておけばいいのに」



 小さな独り言はなびいてきた風にかき消されてしまった。


 家までの帰り道、瞳を下に落とした。俺たちが歩くだけですれ違う人は立ち止まるし、道の先にいる人がこちらに気づくと、ヒソヒソと会話を始めるからだ。



「呪われた双子め……」

「あんたの奥さん、妊娠しているんだろ? 絶対にこの道を歩かせるんじゃないぞ」



 いつものことだ。



「岩を拳で砕いたり、走らせればあっという間に遠くへ行っちまうってのは本当なのか?」

「ああ、そうだ。息子に聞いた話しだが、混血者と同等の力をもっているらしい。呪われているだけでなく、化け物じみた能力も備わっているとなりゃ、成績上位なのも納得だが……。結局は化け物ってことじゃねぇか」



 いつものことだ。



「そういやあ、母親とお爺さんはまだ発見されていないのか? 前にお爺さんの家の前を通ったんだが、廃墟みたいになっていた」

「なあに、もう死んでるさ……。手入れする必要もない。セメルさんも災難だ」

「あの双子の父親か……。子に恵まれず、可哀想に」



 いつものことだ。そう自分に言い聞かせてやり過ごす。そして、心の中で謝るのだ。尊敬する我が兄に、申し訳ない――と。

 それから、タイミング良く、屈託のない無邪気な笑みを浮かべながらヒロトがこちらに振り返る。まるで心の声が聞こえているかのように。



「なあ、ナオト」

「なに?」

「一週間後の卒業試験、絶対に合格しような。闇影隊になって外に出まくるんだ。んで、親父みてぇに活躍しまくって、こいつら全員を黙らせてやろうぜ。な?」

「簡単に言うけどさ、〝なに〟と殺りあうかわかってんのかよ……」



 すると、ヒロトは自身の両手を擦り合わせて、その手で俺の両頬を包み込むようにして軽く叩いた。頬にはじんわりと熱が伝わってくる。俺は、本日何度目かの息を吐き出した。



「安心しろ、だろ?」

「そういうこった。まだ一週間もあるんだ。俺や友達に相談するのも良し! とことん悩めばいいじゃねぇか」



 この日、闇影隊である父さんは、任務が滞っているのか帰って来なかった。時計を見ると、すでに日付をまたいでいる。


 二階にある自室を出て、隣の部屋にいるヒロトが眠っているかを確認した。ドアに耳を押しつけると物音一つ聞こえてこない。階段を下りて靴を履き、夜道を歩いた。こんな時間ではあるが、人と待ち合わせをしているのだ。


 それともう一つ。真夜中に外へ出るのにはこんな理由もある。


 ある夢をきっかけに、俺は長時間の睡眠をとれなくなってしまった。その夢は現実のもので、これこそが俺が抱える大きな隠し事だ。誰にも話すことはできない。口を滑らせでもすれば、家族に多大な迷惑をかけてしまう。


 吹きつける風の感触はとても柔らかく、春の訪れを感じさせた。それと同時に、この国は奇妙だと改めて実感させられる。


 待ち合わせ場所である公園に着いたので、ひとまずベンチに腰を下ろした。そして夜空を仰いで、考えるのだ。



(……どうして北闇には冬がないんだろう)



 ここ北闇の国は、四大国ある中で最も森林面積を誇る国だ。その割合は国の六割にも及ぶ。そんな森だらけの領土の左側に、木壁で囲まれた土地で暮らしているのが北闇の人々だ。

 なぜだか北闇には冬がこない。子どもは、おそらく俺を除いて誰一人としてこの疑問を抱いていない。

 三年間通った訓練校で説明はなく、この疑問を教室で何気なく口にした日には変人扱いされ、先生には「二度と季節の話しをするな」と注意された。大人は誰一人として教えてくれない。


 そんなことを考えていると、いつの間にか目の前に女の子が立っていた。その子は、雪のように白く長い髪を揺らしながら黄金の瞳で俺を見下ろしている。彼女の名はユズキだ。唯一の友達である。



「待ったか?」

「さっき着いたばかりだよ」



 友達とはいっても、付き合いは短い。他国で一年間訓練校に通い、その後、北闇に転校してきてからの付き合いだからだ。

 もともとは北闇に住んでいたと言っていたが、常にヒロトの背中に隠れていたせいか、見かけた記憶はなかった。


 ユズキは変わり者だ。口開けば毒舌と嫌味のオンパレードだし、どれだけ人に嫌われようとも気にしていない。人よりも動物と一緒に暮らしたいとか、そんな事を言ったりもする。なによりも、悪い噂ばかりされている俺と一緒にいることが、変わり者である証拠だろう。


 それに、俺たちは少し似ている。互いに友達は少ないし、特定の人としか会話をしない。他者とあまり関わりを持たずに過ごしているのだが、理由は違った。俺の場合は〝必要がないから〟で、ユズキの場合は〝人間が嫌い〟だからだ。あまりにも極端で、しかし変わり者である彼女らしい理由だ。


 ユズキは隣に腰を下ろした。



「ヒロトは?」

「眠ってる」

「それは好都合だな」



 その一言に、知ってるくせに――と、思わず笑いがこぼれた。



「ヒロトは良い奴だよ。仲良くしたら?」

「あいつが毒を吐かないとしたら、それはお前にだけだ。優しすぎるうえに、あまあまのベタベタだからな。その間に入るのは気が引ける」

「ヒロトと喧嘩になるからって、素直に言えばいいじゃん」



 ユズキの言う通り、ヒロトは俺に優しい。優しすぎるくらいだ。卒業試験のことを話したときがそうだろう。最初は「絶対に合格しよう」と背中を押してくれたが、最後には「一週間あるのだから悩めばいい」と言った。


 本音は、俺に入隊を諦めてほしいのだ。


 噂のせいで、今よりも幼い頃から喧嘩に明け暮れていたヒロト。臆病な俺を必死になって背中で庇い、いつだって守ってくれた。だけど、闇影隊に入隊すれば、自ずと一緒に過ごす時間は減るだろう。それをヒロトが快く受け入れるはずがない。

 ましてや、ヒロトは、目の届かない場所に俺がいることをとても嫌う。そんな兄が弟の入隊を喜んでくれるとはとても考えられない。家に居てくれた方がマシだと思っているに違いない。


 けれど、ヒロトは俺に優しい。口が裂けても「入隊するな」とは言わないだろう。



「ユズキは卒業試験、受けるの?」

「ああ、そのつもりだ。条件付きだがな」



 そう言って、ユズキはおもむろに俺を指さした。



「お前が受験するなら僕も受験する。しないのなら、卒業試験は受けない。仮にお前が不合格となった場合は、僕は入隊を辞退する」

「それはつまり、俺の合否次第でユズキの将来が決まるってこと?」

「そうだ」

「ちょっと待ってよ。それだと俺は嫌でも受験しなきゃいけないじゃん!」

「どうしてだ? お前が受験しないのであれば、僕もしない。そう言ったじゃないか」



やっぱりユズキは変わり者だ。



「そういうのがヒロトと言い合いになる原因だって気づいているくせに、ユズキは全く折れないよな」



 ユズキが鼻で笑う。



「一応、これでもあいつに気を遣っているつもりなんだがな。だから、こうして夜中にコソコソと会ってるんじゃないか。まあ、ヒロトの性格がああなったのは噂のせいだろう。でも、誰といようが僕の勝手だと――」



 ユズキが話している最中、ふと、帰り道を思い出した。


 俺たち兄弟は、呪われた双子だと噂されている。原因は、母さんやじいちゃんが消えたからではない。これは後づけであって、本当の理由は、俺が生誕したことと、人間離れした身体能力にある。

 能力についてはさておき、出産時、母さんのお腹の中にはヒロトしかいなかったのだ。それなのに、ヒロトの後に続いて俺が誕生した。噂によると、病んだ母さんは国を出て行き、爺ちゃんも後を追うようにして出て行ったらしい。

 父さんに真実を尋ねる勇気はない。もし噂が本当だったら、ヒロトから家族を二人も奪ったことになるからだ。

 

 さらに最悪なのは、俺が〝生まれた瞬間からのことを全て覚えている〟ことだ。俺が抱える秘密に比べたらどうってことはないが、秘密と出産時の出来事は繋がっている。


 それはともかく、友達であるユズキと居ることさえヒロトが嫌うのは、いつか俺を傷つけるのではないかと心配しているからで、言われたことも何度かある。つまり、ヒロト性格を作り上げてしまったのは――。



(全部、俺が悪いんだ……)



 俺にもヒロトのような勇気と強さがあれば、こうはならなかったのだろう。

 まるで生き埋めにされたみたいに身体が重く、いうことを利かない。罪悪感から動けなくなった俺の耳の横で、ユズキが指を鳴らした。



「人の話は最後まで聞くものだ。考え込むのはお前の悪い癖だぞ?」

「ごめん……」

「僕がお前の合否に任せるのには、ちゃんとした理由がある」

「なんだよ、それ」

「友達だからだ。友達というものは常に一緒にいるものだろう?」

「それはすごく嬉しいけど……。とりあえず、ヒロトとも話し合わなきゃな」

「お前にとってヒロトは大切な存在かもしれないが、入隊すれば今まで通りではいられなくなる。任務への支障を考慮し、身内は別々の班に配属するはずだ。そのとき、班員のメンバーに混血者がいた場合、あいつは怒り狂うだろう。お前に止められるのか? 学校でのことを忘れたわけじゃないだろう?」

「まあ……」



 混血者と聞いて思い起こすは、たいした思い出もない学校生活だ。


 訓練校には、混血者と呼ばれる者がいる。彼らは、人から別の生き物に姿を変えることができ、闇影隊にとってなくてはならない存在だ。

 四大国全てに存在し、北闇には、昔から住んでいるいくつかの一族がある。皆、犬に似た生き物に変貌する。実際にその姿を目にした時は、思わず息を飲み込むほどに綺麗だった。


 そんな彼らの数名は、俺たち兄弟の中でも、特に俺を嫌っている。投げつけられる文句は可愛いもので、弱虫だとか、今では聞き慣れている呪われた双子だとか、そういったものだ。いつものように聞き流していたのに、ヒロトはそれを許さなかった。


 学校内では人の姿で過ごさなければいけない決まりがあり、そのおかげか、ヒロトは混血者の一人を簡単に殴り倒してしまった。慌てて止めに入るも、ヒロトの力には適わなくて、それどころか巻き添えを食らう始末。


 盛大なため息がでる。



「無理だ」

「だろうな。だが、僕がいれば話は変わってくる。あいつは気に食わないかもしれんが、一緒に行動するなと言っているわけではない。嫌々ながらも諦めるはすだ。それに、どのみちヒロトが受験するなら、お前もそうするだろう?」

「だとしても、俺とユズキが同じ班になれるかどうかは、また別の話じゃん」



 それから一週間後――。

 俺の両隣には、腕を組みながら片頬を上げて笑みを浮かべているユズキと、彼女をこれでもかと睨みつけるヒロトの姿があった。俺たちの胸には真新しい戦闘服が抱かれている。

 その近くを、担架で運ばれていく人たちがいた。全身を白い布で覆われている。無意識に目で追っていた。すると、俺の視界をヒロトが両手で覆ってきた。そうしながら、ヒロトが話しかけたのはユズキだ。



「ナオトを頼む。絶対に死なせるんじゃねえぞ」

「お前こそ、死んでナオトを泣かせるんじゃないぞ」

「誰に言ってやがんだ」



 視界が解放されると、担架の姿はどこにも見当たらなかった。ヒロトの両手は俺の肩に置かれた。



「いいか、ナオト。必ず俺と親父のところに帰って来い」



 肩がとてつもなく痛い。ヒロトの手は小さく震えていた。

 こうして、俺は訓練校卒業と共に千切れかけの金魚の糞をも卒業したわけだが。

 まさか、早々に大事件が勃発するとは予想もしていなかった。

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