第12話 少年Aー04~08話

 早朝、山を朝霧が流れる。白ではなく、太陽光で薄らとオレンジ色をふくんだ朝霧だ。


 縁側に立って、幻想的でありながら、視界の悪いその風景を眺めていた。


 ふと、目を閉じた。背後のガラス戸が開いて、父さんが俺の隣に立った。



「ソウジよ、もう起きていたのか」

「ああ。目が覚めた」



 薄らと瞼を開いた。父さんを横目に見ると、腕を組みながら朝霧を眺めている。



「……行くんだろう?」



 俺の方を向きもせず、父さんは言った。



「朝飯までには戻る。そう母さんに伝えといてくれ」

「わかった」



 国を出て、林道に入り、適当な場所で山中に足を踏み入れた。


 中は一定の湿度に保たれていて、地面や岩、木の幹にはコケや藻が様々な模様を描いている。木々の隙間から差し込む太陽の光で、それは神秘的であった。


 俺の名前は、三ツ葉ソウジ。訓練校を卒業し、闇影隊に入隊したばかり下級歩兵隊だ。皆には〝混血者〟と呼ばれている。


 闇影隊とは、大昔から生息する生き物、獣・妖・ハンターを三種を討伐する部隊だ。その三種のうち、獣と妖の血を引く人間、それが混血者である。歴史の古い三ツ葉家は、一代目から王家と共に死闘を繰り広げてきた。


 人間を守るために多くの血族が命を絶たれ、今では、三ツ葉家を筆頭に少数の一族が残るだけとなった。


 混血者は原因不明の病気とされている。なぜ二種の力が体内の血に流れているのか、それすらもわからない。当初は、血液感染を疑い、人を隔離したこともあったそうだ。しかし、それは全くの見当違いであった。

 いつしか、混血者と王家では三種と戦えるだけの人員が足りなくなり、被害は拡大の一途を辿った。そこで、王家は隔離に使っていた場所に国を築くことにした。人間と混血者を分散させ、闇影隊を設置し、さらに北闇のような大国には国帝と当主の両方の地位をおき、こうして国を確立させた。


 この方法は見事に成功し、被害を食い止めることができた。先代たちは玄帝に忠誠を誓い、北闇の犬と呼ばれようとも、忠実に任務を遂行してきた。そうして、俺の代がもうそこまでやって来ている。


 だけど、俺にはわからない事がある。


 道を歩けば、人は「あいつは病気だ」という目で見てくる。言葉にはせずとも、心の内が手に取るように分かるのだ。人間の目は、実に様々な種類の視線を向けてきた。同情や哀れみ、恐怖や軽蔑。

 果たして、そんな人間を守る価値があるのだろうか。俺の先代たちは、無意味なことをしてきたのではないだろうか。


 自分が病気だと知ってから、ずっとそう思ってきた。


 けれど、あいつは――。



「走流野ナオト……」



 太く逞しく成長する一本の木に片手を置いて、あいつの名を口にした。


 双子の兄、ヒロトはわかりやすい性格をしている。ナオトにさえ触れなければ、誰とでも親しくなれるような明るくて喧嘩っ早い馬鹿だ。能力においては優秀だろう。俺がライバル視するほどだ。


 それに比べて、ナオトはどうだろう。前髪が長くて、ほとんど目が見えていない、不気味で陰湿な奴だ。あいつだけは、どんな目で混血者を見ているのかが読めない。だからだろうか。あいつの存在は癇に障る。



そう!」



 ナオトの存在を頭から消し去るように、大声をあげた。すると、俺の身体に異変が現れ始める。


 肌がほとんどが黒くなり、首元や指先だけは白くなる。目は薄茶色に光り、口呼吸する度に見え隠れする歯は全てが尖っている。


 獰猛な犬に半獣化したのだ。その瞬間、胸底がざわざわと騒がしくなった。なにかを破壊したい――、そんな攻撃的な性質が爆発しそうになる。仮に爆発すると、敵に噛みつけば死ぬまで離さない。逃がしはしない。この衝動を抑える修行に来たはずが、ナオトを思い出したせいだろう。


 手当たり次第に暴れた。



「炎・壊柱撃かいちゅうげき



 地面に拳を強く打ち当てると、地面が陥没し、そこから火柱があがる。半獣化した俺は鋼の鎧を着た獣そのもの。火柱の中に立って、己の身体の表面を高熱に熱し上げ、次の技を繰り出す。



「炎・旋回包火球せんかいほうかきゅう



 火柱を軸に回転しながら両手に点火させると、火の塊が剛速球で四方八方に飛んでいく。これは、包火の一段階上の技だ。半獣化すると、俺の体は全身が鋼のようになる。体重が増したこの体が軸となり、初めて成せる技だ。


 ここまで派手に暴れても、ナオトの存在が頭から消えない。



「――っ、かい……」



 半獣化を解いて、無駄に疲れた体で家に戻った。


 その日、依頼人のいる月夜の国に向かっているとき、同班であるヒロトに弟のことを聞いてみた。あまり触れないようにしてきたが、もう限界だ。そろそろ答えが欲しい。



「ナオトが気になるって……。もっと言い方はねぇのかよ」

「そのままの意味だ。訓練校に通っていた頃、あいつは俺の配下に罵られても、やり返してきたのは貴様で、当の本人は聞き流していた。いつかは胸の内を知れると思っていたが、結局、今に至るまで語る日はなかった。しかも同班にすらなれず終いだ。ならば、貴様に聞く他ない」

「んで、何が知りたいわけ? 実は俺に愚痴ってるんじゃねぇかってか? だとしたら、それは勘違いだ。ナオトは混血者について一切口にしたことがない。あの時だって、家に帰って怒られたんだ。やりすぎだってな。多分、深く考えたことないんじゃねえの」



 振り返ると、隊列後方で距離を置きながら歩いている奴の姿があった。ユズキとなにやら楽しげに会話をしている。その様子を見ていると、人間がこちらを意識しているのに対して、あいつは興味すらなさそうであった。



「それによ」



 ヒロトの声に、前方を向いた。



「お前の配下に〝千切れかけの金魚の糞〟だなんてあだ名をもらっちまったけど、そうじゃねえよ。ナオトは自分でいっぱいなだけだ」

「では、なんだというんだ。貴様の背中に隠れてたじゃないか」

「それが当たり前だったから、そう見えてるだけだ。確かに小さい頃は怯えて隠れてたかもしれねぇけど、訓練校に通ってからは、俺の背中は別の使い方になった。俺にひっついてるんじゃなくて、線を引いてんだよ。自分の領域に誰も入れないようにしてやがる」

「噂のせいか?」

「違うと思う。もう慣れちまってるからな。弟のことを知ろうとしてくれるのは嬉しいんだけど、実際のところ俺も困ってんだ。あいつと話すときって、内容が親父のことだけなんだわ。それ以外の会話がない。どう接したら心を開いてくれるのか、もうわからねぇ。ユズキなら出来るんだろうけど」

「いくら親しいからといって、全てを話すとは限らんだろう」

「どうだかな。夜中にコソコソ会ってるみてぇだし。まあ、俺が口うるさいせいなんだろうけどよ」



 そうこう話していると、月夜の国に到着した。依頼内容の確認を終え、姉妹の姉の方にも会った。綺麗ではあるが、口の悪い女だ。


 俺は壁の建設に勤しんだ。半獣化して、重たい丸太を一人で担ぎ、配下にその力強さを見せつけながら月夜の民を惹きつける。いずれ父さんから一族を引き継ぐための下準備だ。

 俺は強くいなければならない。そうでないと、誰も着いては来ない。先代に恥じぬよう努めなければならないのだ。


 無心になって働いていると、あの口の悪い女がやって来た。半目になりながら護衛につくヒロトを見て、危うく力が抜けるところであった。暇なのだろう。それにしても――。



「おい、護衛される身でありながら、こんな場所に来るんじゃない。邪魔だ、この愚か者」



 心の声が囁かれる前に同意見を口にした者がいた。ユズキだ。こいつは誰にでも構わずこんな調子であるが、まさかご息女に対しても態度を変えないとは驚きだ。


 ツキヒメは、顔を赤くしてわなわなと震えた。



「なんなの、その言葉づかいは。まずは女らしさから学ぶことね」



 理由はともかく、俺はユズキが嫌いだ。内心、もっと言ってやれとほくそ笑む思いだが、相手が相手だ。



「女らしさを心得ているのなら、尚更だ。女を捨てて手伝う気がないなら、男の仕事現場に足を踏み入れるんじゃない。怪我をしても自己責任と言いたいところではあるが、お前は偉い地位にいる人間だろう? こちらの都合も考えろ」



 そう、ユズキは口が達者なのだ。ツキヒメは簡単に言い負かされてしまった。そして、禁止ワードを口にした。



「あなたは確か、青島隊長の部下だったわね。あの気味の悪い子といい、あなたといい、どうなってるのかしら。使えない隊員をかき集めでもしたのね。あの子は特に使えなさそうだわ」

「それはナオトのことを言っているのか?」

「他に誰がいるの?」



 二人がかりで担いでいた丸太をユズキが下に置くと、前で担いでいた俺の配下が後ろに倒れてしまった。「ユズキ、お前!」と、怒鳴った配下であったが、思わず口を閉じてしまう。

 ツキヒメの前で仁王立ちになって立ち止まったユズキは、目を吊り上げたまま、暴言を吐いた。



「あまり怒らせるな。僕は人間が嫌いなんだ。今ここで、お前の喉をかっ切ることだってできる」

「やってごらんなさい。あなた、殺されるわよ?」

「僕の命はどうだっていい。ナオトのためなら僕は簡単に北闇を敵に回す。いいか、これは本気だ。当主の娘だろうが、僕の友達を馬鹿にするのは許さん。今回は見逃すが、次はないぞ。わかったら出て行け」



 場が静まりかえった。誰よりも先に文句をぶちまけるはずのヒロトでさえ、ユズキを見て固まっている。そして、我に返って、ここに居るのはマズイと判断したのだろう。ツキヒメの手を引きながら一目散に去って行った。

 ユズキは長くて太い鋭利な爪を引っ込めた。あれは脅しではない。それくらい本気だったのだ。



(走流野ナオト……。お前はいったい……)



 次の日の朝、早い時間帯からツキヒメが見当たらないと騒動になった。どうやら妹を捜しに家を抜け出したらしい。壁の建設よりも先にツキヒメの捜索を開始するため動こうとすると、本人は、青島班と共に戻って来た。


 ナオトはというと、上半身に火傷を負って帰ってきた。聞けば、獣とハンターの二種に襲われたそうだ。二人を庇いながら戦っていたと、ユズキがヒロトにそう話していた。


 ツキヒメとウイヒメは、母親であるマナヒメ様から自宅謹慎を言い渡された。それによって、護衛任務を外れたヒロトは、壁の建設を手伝っている。弟のあんな姿を見たせいだろう。上の空だ。



「平気か?」

「いや、ダメだ。俺のせいだ……」

「なぜそうなる」

「親父が言霊について話したんだ。そんで、あいつは修行をして力の扱い方を覚えた。止めるべきだった。あれはどう見ても、虎に噛まれた傷より、言霊で負った傷の方が深い……」

「あの火傷……、言霊なのか?」

「任務に出る前、修行の様子を聞いたんだ。親父が言ってた。ナオトは火の性質だってよ」



 まさか、こんな身近に同じ性質を持つ者がいたとは。やはり、走流野ナオト、貴様は気になる存在だ。



「弟の見舞いに行って来い。居ても邪魔だ」

「悪い、そうするわ」



 それから、数ヶ月後――。

 今までにない大きな任務が舞い込んできた。王家からの依頼だ。内容は重度の捕獲。加えて、同時進行でハンターの討伐と、その巣を排除する。先頭に任命されたのは混血者を率いる班だ。


 一騒動起きたのは、上官が説明を終えた直後のことであった。


 噂を持ち出し、大人げない発言を吐く上官に、ナオトは言った。



「俺を馬鹿にするのは構わないけど、父さんとヒロトまで悪く言うのは許さない。それに、俺はあんたを守る気なんてない。守るべき人間は自分で決めさせてもらう。っていうか、上官なら、お前が先頭を歩きやがれ! 混血者に頼るな!」



 最後の言葉が鋭く鼓膜を直撃した。俺も、配下も、魂を奪われたかのように立ち尽くしている。そして、ようやく理解した。

 長い前髪が邪魔をしているだけで、国を、人を、混血者をちゃんと見ていたのだ。同時に、癇に障る理由もわかった。原因は、奴がユズキと似ているからだ。


 互いの物言いは違えど、先程の言い方が物語っている。ナオトは、平気で北闇を捨てることの出来る者だ。ユズキと同じくして、心の奥底から冷え切っているうえに、周囲に対して興味を持っていない。


 しかし、獣を相手にした時だけは違ったようだ。


 薄暗い洞窟で、死にゆく仲間に目を背けている最中。あいつは、誰よりも大猿と離れた場所で怯えて縮こまっていた。

 まだ逃げ惑う隊員が生き残っていたとき、誰かが叫んでいた。「どこにこんな巨体を隠せるってんだ!」と。俺だって、こんな生き物がいるなど、見たことも聞いたこともない。だから、あいつが怖がる気持ちはわかる。しかし、俺たちは闇影隊なのだ。配置された場所は、敵の目の前。しかも今いる場所は、おそらくハンターの巣だ。



「あいつ、口だけじゃないだろうな」



 大猿から距離を取りながら、俺の隣に立ったヒロトに言った。差し込んだ陽の光に照らされた顔で俺に向くと、薄紫色の瞳が透き通り、澄んだ瞳で答えた。



「……必ずや成し遂げる力を秘めている。時期が」「ソウジ! 危ない!」



 配下の声に、咄嗟にヒロトの襟を掴んで大猿の攻撃を避けた。光が消え、また薄暗くなった洞窟の中で、俺はヒロトの顔を凝視した。



「今、なんて?」

「なにがだよ! 喋ってる暇があるなら手を動かせ! 殺されっぞ!」



 俺の聞き違いだろうか。一瞬、言葉づかいが違っていたような気がしたのだが。するとそこで、ナオトが戦闘に加わった。大猿の影の中へ入るように言われる。


 怯えていたんじゃなかったのか? しかし、表情はそうではない。正門に集合していた時よりも覚悟を決めたような、引き締まった顔をしている。僅かの間に何が起こったんだ? 奴の感情があまりにも中途半端すぎて、やはり読めない。

 急な展開に混乱していると、大猿に捕まってしまった。少しの力で全身の骨が軋み、あまりの激痛に顔が歪み、強制的に半獣化が解かれてしまう。



「――っ、装!!」



 すかさず半獣化し、握り潰そうとする大猿の手中で必死に反発した。だが、この半獣化、長くは持たないのだ。修行と経験を積み重ねなければ、長時間の半獣化は出来ず、場合によっては病気が進行する可能性があり、あるいは死んでしまうからだ。


 何度か装と解を繰り返しながらここまで戦ってきたが、これが最後だろう。血が煮えたぎっているのか、身体中が熱くて意識を飛ばしそうだ。


 そんな時、助けてくれたのは新人三班だった。なかでも、ヒロトとナオトは大猿の手中から俺を解放してくれた。


 すぐに青島隊長が後退の指示をだし、ナオトが場所を指定した。全員が動き始めると、白い髪が俺の頬を撫でた。ユズキだ。

 あいつは、後退する振りをして立ち止まり、大猿を見上げていた。いつもと変わらない表情で、まるで感情がない。そこへナオトが走って行った。振り上げられた大猿の手は二人の頭上まできている。思わず目を閉じた。直後、膝が崩れるほどの地響きが起きた。確認すると、ナオトの蹴りで大猿がひっくり返っていた。


 ユズキが逃げると、今度はナオトが捕まってしまった。外に放り投げられて、大猿は怒り狂いながら奴を追った。

 オモチャで遊んでいるみたいに、不規則な動きでナオトを攻撃し続ける大猿。普通なら死んでいる。だが、あいつはかろうじて生きていた。


 俺も配下も、隊長たちも、闇影隊を守りながらの戦闘が長く続いたせいで、皆が限界であった。半獣化できないどころか、身体が重くて動きが鈍くなっている。諦めるものかと、引きずりながらナオトを目指した。ところが、あいつは諦めていた。そう、死を覚悟したのだ。


 いつの間にか、ユズキが「諦めるな!」と叫びながら走り出していた。続いて、その後をイツキが追いかけていく。


 片足でナオトを踏み潰す大猿。ナオトの体が地中に埋まった。こちらからは確認できないが、大猿に反撃しているのがわかる。くぼみが赤く光っていた。

 熱さに咆哮する大猿だが、それでもナオトを殺そうと全体重をかけていた。そこにユズキが大猿の顔に飛びついて、少しの間、互いの動きが止まった。その隙にイツキが下顎に強烈な一撃を食らわせた。


 大猿は森の奥へ去って行った。終わったという安堵と、捕獲に失敗した悔しさの両方が押し寄せてきて、不覚にも力が抜けた。いつもならば傷が癒え始めている頃なのに、今回は無茶をしすぎたようだ。一向に傷が塞がらないでいた。


 そんな俺たちよりも重傷なのはナオトだ。その姿は見れたものじゃない。皮膚は裂かれ、おびただしい量の血が口から溢れているし、顔も腕も足も腫れ上がっている。頭を強く打ち付けたのか、視線は定まらないでいた。


 さらに状況は悪い方へ向かった。動ける者たちが洞窟内を捜査した結果、この場所がハンターの巣ではないと判明したのだ。そこに、追い打ちをかけるようにして、茂みからハンターが飛び出してきた。



(数が多すぎる……。これだと全滅だ)



 生まれたての子鹿のような足つきでナオトが立ち上がった。ほんの僅かではあるが、瞳には戦意があるように見えた。しかし、心のどこかでは、考えている事は同じらしい。皆、口にはしないけれど、身体が逃げ道の方を向いているのだ。


 頭ではわかっているのだ。守らなければならない命がここにはある、と。だがやはり、俺には人間を守る価値があるのかわからない。こんな状況に置かれても、答えを導き出せない。

 真っ先に死んだ役立たずの上官、意味のない作戦に従う使えない歩兵隊たち。囮にもならず、救援を求めに戻るわけでもなく、作戦を練るわけでもない。こんな奴ら、すぐにでも見捨ててしまいたい。


 そこに、幸運にも別の任務に行っていた上級歩兵隊の班が通りかかった。


 すぐさま助けを求めたのはナオトだ。父親に叫び、そしてついに倒れる。



「ナオト!!」



 ハンターのど真ん中に立つ俺たちのところに、なんの迷いもなく来てくれた父親。息子を抱きかかえながら混乱しているようだった。


 青島隊長が側に寄った。



「セメル、頼めるか?」



 そう声をかけた途端に、父親の目が据わる。



「……全て凍らせる」

「――っ、全員離れろ!」



 これから何が起ころうとしているのだろうか。

 ヒロトにナオトを任せた父親は、皆が後退したのを確認して言霊を唱えた。



「氷・棘千殺生きょくせんせっしょう!!」



 一面に分厚い氷の層が広がった。そこから複雑に絡みあった幾つもの棘が生え、容赦なくハンターを串刺しにし、天に向かって突き上げる。棘の餌食にならずに済んだハンターもいたが、氷の層に閉じ込められている。あまりにも残酷な言霊に鳥肌が立った。


 そして、思い出した。


 走流野セメル――、この人は訓練校で最も優秀な成績を残した卒業生にして、たった数ヶ月で上級歩兵隊に昇格した異例の闇影隊だ。王家が一目置いている人物である。



「明日も暑さのある天気なら、氷が溶けてここら一帯は水浸しになる。ハンターの駆除はこれで完了。だよね、ゲンイチロウ」

「あ、ああ。助かった」



 こうして、半数以下にまで減った闇影隊は北闇を目指して歩いた。ナオトは父親の背におぶられ、横にはユズキとイツキがついている。


 ナオトはすぐに入院となった。月夜の姉妹や、ナオトの家族、ユズキが見舞いにいったらしい。数日空けて、俺は一人で訪れた。

 目を覚ましたと聞いたが、タイミングが悪かった。ナオトは深い眠りについている。しかも驚くことに、傷はもう癒えているではないか。混血者よりも治癒が早いだなんて――。



「貴様は何者だ……」



 噂は耳が腐るほどに囁かれていた。腹にいるはずのない胎児、それがナオト。本来なら生まれるのは一人だけだった。不幸はさらに続いた。母親と祖父の失踪だ。

 この環境がこいつを作り上げたのだろうか。いや、ヒロトは違うと言っていた。ならば、他に理由があるということになる。それは家族に話せないほどの何かだ。


 それはともかく、結局、作戦を練ったのも囮になったのも、救援を求めたのもナオトだった。


 ふと、「守るべき人間は自分で決めさせてもらう」と、はっきりと言い放っていたのを思い起こした。最初は、練った作戦を伝えに大猿の元へ戻って来たが、その後の行動を考えると背筋に冷たいものが流れる。



「そうか、貴様はユズキのためなら命を捨てられるんだな」



 それに比べて、俺はどうだろう。ナオトのことを闇影隊の恥だと思っているが、俺はいまだに闇影隊でいる理由を探してるではないか。

 中途半端な気持ちなのは、俺の方だ。



「北闇の混血者を代表して、貴様に礼を言う。だが、次は手を借りずとも成し遂げてみせる。そして、貴様の秘密を暴いてやる」



 病室を出ると、帰り道でヒロトに会った。

 ナオトが入院しているため、上の空でいる。



「また泊まりに来い。前みたいに二週間いてくれても構わんぞ」

「悪い、そうするわ」



 それから、ナオトが本格的に覚醒したのは、今より数日後のことであった。

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