第一章・第一部・ナオト編

第13話 互いの本音

 ドアの閉まる音が聞こえた後、足音が遠ざかっていった。数分待ってベッドから起き上がり、カーテンの隙間ごしに窓の下を覗き込んだ。

 心臓の音が今でもうるさくて、ちゃんと呼吸していたはずなのに、ため込んでいた息を盛大に吐き出した。



「バレたのか? いや、そんなはずは……」



 ベッドに腰掛けて頭を抱えた。


 彼はたしか、訓練校で、混血者の成績で常に首位にいた子だ。しかも、北闇に住む混血者の一族を率いている家の息子でもある。


 ソウジには、同じ年の配下が四人いる。皆、別の一族だ。その内の一人に俺はあだ名をつけられた。しかしそれはどうでもよかった。ずっと気になっていたのは、ソウジの視線だ。何を言うわけでもなく、彼はずっと俺を見ていた。


 卒業した後はヒロトと同じ赤坂班に配属された。そのため、月夜の国と大猿の任務の他で会ったことはない。正直、あの目から逃れられた事に気が休まる思いでいたのだが。


 一度も話したことのない三ツ葉ソウジが、まさか見舞いに来るなんて。


 突然の訪問に驚いてしまい、慌てて眠っている振りをしたまではいい。あいつは「秘密を暴いてやる」と言い残して去って行った。

 意識を失っている間に、寝言で洩らしてしまったのだろうか。俺が抱える、究極の隠し事を。はたまた、言葉通りの意味か。どういう経緯があったにしろ、警戒するに越したことはない。


 上半身をベッドに投げ捨てて、片腕を額の上に置いた。もう片方の手をズボンのポケットに突っ込んで手紙を取り出す。

 起きては何度も読み返していたせいで、紙はくしゃくしゃだ。指で開いて、また息を吐き出した。手紙にはツキヒメの名が書かれている。



【私が口を開くと、あなたを怒らせる事ばかり言ってしまうから、手紙で伝えておくわね。ナオトが入院してから、すぐに妹とお見舞いに来たの。激しい戦闘を物語る大怪我で、ウイヒメは泣いてしまったわ。本当はナオトが目覚めるまで北闇に残りたかったのだけれど、長居は迷惑をかけるだけだから、この手紙を置いたら国に帰ります。生きて帰ってきてくれてありがとう。それと、最後に一つだけ】



 困った事になった。なぜツキヒメはこんな考えに至ったのだろうか。



「……近々、上級試験が開催されると聞きました。きっと、オウガ様はナオトを推薦するはず。その試験、王家と共に見守りたいと思います。いつの日かまた会いましょう」



 また態度が一変した。何がしたいのか全く想像もつかない。それに、上級試験とは何のことだろうか。

 考えると、頭にズキンと痛みがはしった。傷は癒えているはずなのに、どうしてだか頭痛だけが治らないのだ。


 手紙をポケットに入れて、両手で頭を包み込んだ。定期的にやってくるこの頭痛、横になっていれば治るなんてレベルじゃない。

 頭を包んでいただけの両手は、頭痛の勢いが増すにつれて、押しつけるように力を入れていた。しだいに吐き気を感じ、急いで体勢を起こしてゴミ箱に顔を突っ込んだ。すると、そこへ父さんとタモン様が病室を訪れた。



「ナオト! 大丈夫か!?」



 走り寄ってくる父さんに、袖で口を拭いながら頷く。



「もう身体は平気だよ。ただ……」

「まだ頭痛が治まらないのか?」

「うん。まあ、あんなに大きな獣が相手じゃ、そう簡単に完治はしないってことだね」



 タモン様が話してくれた、火の体質を持つ者の治癒能力。あれは、業火防壁に限ったものではなく、身体に受けたダメージも含まれているのだと大猿との戦闘で学んだ。やみくもに戦っても、やはりまずは己を鍛えなければ死期が早まるだけだ。



「父さんはこれから任務で国を出るけど、ちゃんと大人しくしてるんだぞ?」

「わかった。無事に帰ってきてね」



 そうして、父さんはタモン様を残して病室を出て行った。


 タモン様は俺を静かに見据えていた。



「申し訳ありません」

「何がだ」

「上手く囮になれませんでした」

「青島と赤坂から報告を受けたが、あれは仕方あるまい。それに、そう落ち込むな。一つだけ成果を残している」



 俺に巻物を投げて寄こしたタモン様は、読むように言った。表には王家の印がある。



「いいんですか?」

「もう終わった任務だ、構わん。これは上級歩兵隊と上官に託された、王家からの極秘依頼が記された巻物だ。セメルとヒロトには先に読んでもらったから、安心しろ」

「わかりました」



 目を通すと、そこにはとんでもない内容が記されていた。



「な、なんですか? これ……」

「最初の重度の目撃情報あった数十年前、捕獲に挑んだ隊が半壊した。ここまでは前に話したな」

「はい」

「あの時も捕獲には失敗した。その代わりにある物を持ち帰ることが出来た。重度の組織だ」

「組織って、なんですか?」

「削いだ肉の塊だ。医療班がこの組織を調べて、重度のなれの果てに行き着いた。だが、それ以上のことは分からず終いで、それから目撃情報はなかった。ところがだ、ここ数日で事態は一変し、好機到来ときた」



 巻物をもう一度読み返した。



「……重度の組織の回収、これが好機?」

「なれの果て、つまり獣化・妖化してしまうことが判明した。その逆を辿れば、混血者の病気を治せるのではないか――。王家が組織回収を依頼したのには、こういった訳がある」

「ですが、俺は組織なんて持ち帰っていませんよ?」

「ちゃんとあったさ。お前の爪の間にな」



 死に物狂いだったから記憶にはないけど、大猿に踏みつけられた時。それしか考えられない。

 しかし、これでいいのだろうか。



「混血者の病気が治せたとして、その後はどうするんですか? 彼らの能力がなければ、近い将来を待つまでもなく、人類は三種に喰われて終わります」

「治療に関してはそんな手軽いものではないだろう。もっと時間が必要になる。それに、あれだけの組織じゃ薬が作れたとしても足りんだろうよ」

「じゃあ、何に使うんですか?」



 一息置いて、タモン様は答えた。



「人間の強化だ」



 相槌もうてないほどの衝撃的すぎる答えに言葉をなくした。同時に、ぼんやりと現実を見る。


 今回の任務で多くの死者を出した。その全てが人だ。混血者は誰一人として死んでいないし、俺やヒロト、ユズキも無事である。とはいえ、能力を持つ人間や混血者を前戦にいかせても、この様だ。結果はあまりにも残酷すぎた。


 ユズキは言った。新人三班だけでもよかったのではないか、と。今なら同意見だ。彼らはただ逃げ惑い、死んでいった。無駄死にもいいところだ。



「重度の血を飲むとか、そんな感じですか?」

「いいや、もう方法は心得ている。過去に、不運な事故で偶然にも力を得た者が北闇には二人存在する。青島ゲンイチロウと赤坂キョウスケだ。お前たちほどではないが、力を得た。肉を食ったそうだ」

「――っ、それは感染したってことじゃ……」

「かもしれん。だが、身体の一部が変異しただけで進行はない。重要な点は、選ぶのは重度であって我々ではない、ということだ」

「選ぶとはどういう意味ですか?」



 この二人の体質変化により、王家は隊の強化を図るべく、過去に何度か実験したことがあるそうだ。何十年も前に発見された重度の組織は厳重に保管されており、その一部を使って人体実験を行ったのだ。勿論、強制的にではない。結果は予測不可能だと説明した上で、賛同した者だけが実験体となった。その合計人数は千を超えたという。



「数ミリの肉の欠片しか与えていないのに、結果は拒絶反応により全滅だった。要するに、誰もが力を得られるわけではないってことだ。そして、今回、再びその実験が行われる。お前の隊長は青島だ。成功したらどうなるか、いずれわかるだろう」



 ふと、ソウジの姿が頭に浮かんだ。



「混血者も、そうやって力を得たのでしょうか?」



 タモン様は首を横に振る。



「現在は少数となった一族も、大昔はそれは数多くの一族が存在した。先代たちが仮に食ったとして、今よりも医療が発達していない時代だ。千人以上の人間が全滅するほどの、いわば猛毒肉を食ったにしては生き残りが多すぎるだろう?」

「確かに……。では、混血者に関しては、まだ……」

「ああ、謎ばかりだ」



 それにしても、タモン様はなぜ王家からの極秘依頼書を走流野家に公開したのだろうか。父さんならまだしも、俺とヒロトはほやほやの下級歩兵隊だ。

 まるで俺がそう考え至ることを察していたかのように、タモン様は話を続けた。



「お前が意識を失っている間に、全国に通達がいった。過去の倍ほどの被験者が募ったそうだ。北闇からは四十人が被験体となる」

「そんなに!?」

「これには走流野家が影響している。セメルは勿論のこと、お前は北闇を呪縛から解放し、月夜の姫を救った。そして、重度と直に交わり生き残った。ヒロトは、三ツ葉ソウジと共に他国でも功績をあげている」

「それは……――っ、なんでっ」

「皆、死にたくないからだ」



 そう言われて、言葉に詰まってしまった。


 混血者だけでは限界がある。それは、現実を目の辺りにした俺にも十分に理解し得るものだ。しかし、納得がいかない。

 だってそうだろう? 化け物扱いしてきた者たちが、今度は俺たちのように力を得たいだなんて、こんな胸くそ悪いほどに矛盾した理由が通ってたまるか。

 大猿と戦った時だってそうだ。前戦にばかり行かされて、人は皆、薄暗い洞窟を走り回っていた。死にかけたのは俺たちの方なのに、死にたくないから被験者になるとは、あまりにも考えが甘すぎる。


 思い起こして腹が立ったせいか、血圧が上昇してまた頭痛に襲われた。しかも、今までで一番の痛みだ。悶えるとベッドから転がり落ちてしまった。すると、体が勝手に他の痛みで誤魔化そうと、自分の体を引っ掻いたり、地面を蹴ったりし始めた。


 暴れる俺を押さえつけたタモン様が、俺の顔を覗き込みながら声を上げた。



「いつからだ!?」

「大猿と戦った後だとっ……話したじゃないですかっ」

「違う! その症状は戦いで負った傷のせぇじゃねえ! いつ夢を見たんだ!?」

「夢っ……?」



 ああ、そういえば夢を見た。



「大猿と戦った後に二度目のハンターの襲撃に遭い、それから気を失って……。森を走っている夢を見ました。不思議な事に、夢のはずが、まるで俺が走っているみたいで……」



 横抱きにされて、再びベッドの上に寝かされた。激しく呼吸を繰り返す俺を見据えながら、タモン様は話した。



「ヒロトにも同じ症状があった。誘拐された直後の事だ。おかしな夢を見た後、激し頭痛に吐き気、そして無意識の自傷行為があったとヘタロウから報告を受けた」

「それは……あり得ない……」



 まだいくつかの単語しか喋ることの出来ない時期なのに、一歳のヒロトが夢を見ただなんて、どうしてわかるのだろうか。


 呼吸が落ち着いて、顔だけをタモン様の方へ動かした。今は頭痛というよりも、ショックの方が大きすぎて、ただただ胸の奥が痛い。



「ヒロトを誘拐したのも重度の可能性が高い。つまり、捜索は続いているんですね」

「ああ、ずっと捜している」



 タモン様は、爺ちゃんと重度の繋がりを疑っているのだ。


 爺ちゃんの失踪から数年後、フードつきのマントを着た男の出現に、突然として目撃情報が増えた重度。タモン様が爺ちゃんを疑うのも当然だ。



「初めから、爺ちゃんと重度には繋がりがあると疑っていたんですか?」

「いや、そうではない。お前にこの症状が現れずにいたら確信は得られなかった」



 だからあんなに大声をあげたのかと、心の中でそう思う。


 タモン様は言葉を続けた。



「まともな暮らしをさせてやりたいが、今話したように、走流野家の体質の全てが解明できたわけではない。ヘタロウが居ない今、国民や隊員を納得させるだけの情報もないんだ。すまないが、もう少しだけ堪えてくれ」



 その言葉に、俺はこれでもかと目を見開いた。今までずっと、とんだ勘違いをしていたようだ。


 タモン様に会いたくないほど、俺はこの人の存在を嫌っていた。見捨てられているのだと、幼いながらにそう感じていた。しかし、そうではなかった。情報がまとまっていないから、何も出来なかったのだ。まだ幼い俺たちに変に口を出せば期待を抱かせる。


 けれど、今の俺は走流野家の事情をあるかた把握しているし、闇影隊に入隊もしている。性質は爺ちゃんと同じで、ヒロトに出た症状も現れた。


 今にも溢れ出そうな涙のせいで、タモン様の顔が歪んで見えた。

 俺が思っている以上に、この人は見てくれていた。俺たちの身体を気にかけるだけでなく、話す機会を待ってくれていた。


 だから、俺も話すことにした。



「本当はこんなこと思っちゃいけないし、口に出すのはもっとダメなんだろうけど、申し訳ございません、タモン様」

「言ってみろ」

「俺、北闇の国民が嫌いです。守りたくないです。多分、あの大猿が北闇を攻めてきていたら、簡単に見捨てていたと思います」

「それには、家族やユズキも含まれているのか?」

「いえ……」

「ならば問題はない」

「ですが、俺の考えは闇影隊として許されるものではありません。本音ではあるけれど、恥ずべき発言です」

「いいか、ナオト。守りたくもない依頼人を護衛し、時に雑用を任されることもあるかもしれない。その時、青島は必ず、〝三種を警戒せよ〟と言っているはずだ。なぜなら、それを討伐するのが闇影隊の職務だからだ。俺ならどうするか。大猿が北闇を攻めてきたと仮定しよう。俺はこう命令を下す」



 獣を討伐せよ――。



「ついでに言うならば、囮に関してもそうだ。国内待機を命じることは出来ないと言ったが、そもそも、囮になる目的はなんだ」

「奴の狙いを見定めるためです」

「その通りだ。そこでお前に問いたい。誰がいつ、国民を守れと言った」



 またしても言葉に詰まってしまった。そんな命令を受けた記憶がないからだ。全部、自分で決めつけていただけじゃないか。国民を守るのが闇影隊のあるべき姿だと思っていたからだ。


 訓練校でも教わったはずだ。


 闇影隊とは、この世界を統治する王家が大昔に設置した歴史ある部隊だ。その目的は、人害となる生き物を駆除し社会の安寧を維持することである、と。



「あの、俺……」

「国民を守るのは俺の勤めだ。その代わり、お前たちに外を任せている」



 話しが逸れたな、と言葉を続けて、タモン様は爺ちゃんの件に話しを戻した。頭の中を切り替えて、真剣にタモン様の声に耳を傾ける。


 爺ちゃんが自ら行方をくらませたのか、はたまた誘拐されたのか。そのどちらなのか皆目見当がつかないらしく、これが捜索を困難なものにさせているそうだ。


 薄紫色の瞳を持つ者は必ず命を狙われる。そう父さんに話した爺ちゃん。言葉通りなら後者の可能性が高いけど、聞く限りでは爺ちゃんは強い。


 しかし、やはりと言うべきか。



「それでも、ユズキは走流野家とは無関係です」

「そうだな。俺もそこで引っかかりを感じている。なぜあの時だけ、ヒロトではなくユズキを狙ったのか……。なんにせよ、ヘタロウを見つけ出さなければ話にもならん」

「どうして俺にそこまで話してくれるんですか?」

「近々、上級試験が開催される。それに合格し上級歩兵隊になれば、任務の幅が広がる上に、もっと自由に動けるようになる。もし青島班全員が合格できたら、青島班にはお前の家族の捜索任務を言い渡す。今回は、その心構えをさせてやるつもりで話しに来た」



 走流野家の瞳を狙う者の存在、フードの男の目的、そして爺ちゃんと重度の繋がり。王家との極秘会議だろうが、依頼だろうが、この三つの件に触れる事項は全て話すつもりなんだそうだ。

 どのみち、家族の捜索をするとしたら、自ずと重度へ向かうことになる。さらには、国から離れれば離れるほどに、何処かしらで瞳を狙う者と遭遇する可能性もでてくるし、囮にもなれる。



「本当にそれで大丈夫なんですか? タモン様が罰せられるんじゃ……」

「青島班を守るためには情報開示は必須だと言い通せばいいだけのこと。王家は、青島や走流野家の者を失いたくはないはずだ。納得せざるを得ないだろう。色々と話したが、後はお前が決めろ。俺からは以上だ」



 こうして、タモン様は本部へと帰っていった。


 俺はというと、王家がタモン様が用意してくれた道しるべを行く気でいる。爺ちゃんさえ見つけ出せれば、事の真相を明らかにできるかもしれない。


 ここしばらくピリピリとしていた神経が弛緩していくのを感じた。


 タモン様の話は俺を楽にしてくれた。流れで、青島班に配属された理由がわかり、走流野家に関して知識が増えた。さらに、闇影隊の職務の再確認もできた。その代わりに、爺ちゃんという不安要素が増えたではあるが、胸の中で蠢いていた輪郭のない黒い靄は薄れていった。


 ユズキが病室を訪れたのは、そんな時だった。片手に差し入れの品を持っている。「まだ本調子ではなさそうだな」と言いながら、備え付けの丸椅子を取り出して座った。



「ユズキってさ、俺の家族よりも家族っぽい……」



 率直にそう思った。


 戦闘着のままで訪れてくれたときは、汗臭い日もあれば、血が付着している日もあった。別の日には、私服で、洗髪料の良い匂いがしたときも。それくらい彼女は見舞いに来てくれているのだ。面会時間が過ぎても居座った日には、流石に帰るように言った。


 何を驚いたのか、ユズキは目を丸くしていた。



「平気か?」



 声をかけると、「ああ、平気だ」と返事をしながら、袋から食べ物を取り出す。


 今日の彼女は戦闘服でいる。この後、任務があるのだろう。


 差し入れのジュースとお菓子を二人で食べながら、ここ最近の任務について話しを聞いていると、唐突に彼女はタモン様の話しをし出した。



「会話を盗み聞きするつもりはなかったんだが、その、入るタイミングを失ってしまった」

「別に気にしなくていいよ。ユズキだし」

「そうか? ならいいんだが」



 確か、ユズキにはニオイや気配がない。タモン様は扉の向こうにユズキがいるとは知らずに話してしまったのだろう。

 部屋を出たとき、どんな顔で彼女と対面したのかと想像すると、ふと笑いがこみ上げてきた。



「タモン様ってさ、感情が高ぶると言葉遣いが荒くなるよな」

「僕にはいつだってそうだぞ」

「なんでそんな不快な顔するんだよ。ユズキの場合、タモン様を怒らせるような態度ばかり取ってるじゃん」

「逆だ。あいつが僕を怒らせてばかりいるんだ。何度も同じ事を言わせる能なしだからな」



 そういえば、イツキの話をしていたときも、似たような事を口にしていた。それに、オウガ様を見送った後、ユズキはイツキについて「隊全体が荒れる」と懸念していた。見事に的中し、青島班に注がれた視線は痛いほどであった。


 青島隊長をはじめ、青島班は能力者で構成されている。人を巻き込む可能性を考慮し、タモン様は「混血者以外の者と組ませる気はない」と断言した。となると、イツキは混血者ということになるわけだ。


 それはそうとして。やはり気になるところは――。



「イツキとの関係に何かあるの?」



 これだ。


 初めは、ユズキに対する一方的な距離感を不思議に思った。それがどうだ。洞窟の中では、戦闘や惨劇を笑って傍観しているだけときた。ユズキは束の間、口を閉じてしまった。



「洞窟の中で大猿から離れていたときなんだけどさ。あいつ、笑ってたんだ」



 俺はイツキの言動を漠然と頭に浮かべていた。


 ハンターの襲撃から二人の手を引いて逃げて、俺の手を離したユズキの迅速な行動に驚き、体質の変化に目を奪われた。それから、俺は大猿に怯えてイツキの手を握ったまま、最も暗い場所に立ち仲間と大猿の死闘を眺め、視察した。


 この一連の流れは鮮明に覚えているけれど、最後の一撃以外で、イツキが何をしていたのかはしっかりと見ていたわけではない。でも、笑っていたあの恐ろしい表情だけは、はっきりと記憶に残っている。


 何かある――、そう思われてもおかしくはない。



「これから青島班として行動を共にするんだ。何かあるのなら、知っておかないと問題が起こる。話せないことは話さなくていいからさ」

「……確かにお前の言う通りだな」



 外には青空が広がり、遠くにはむくむくとした入道雲が連なって夏を演出しているのに、ここだけ雨漏りしているみたいに湿気のある重い空気が漂う。



「僕が北闇に保護される前の話しからになるが……。夜の森でイツキと出会った。あいつは身体中に怪我をしていて、そこには闇影隊もいた。最初は、臨戦態勢でいるイツキを見て相手を敵だと判断し攻撃した。だが、体調が優れていないのもあって本領を発揮できず、挙げ句の果てには僕の体質が知れてしまい、保護という名の捕獲に至った。そして、イツキと共にある場所へ放り込まれた」



 その場所は、俺が修行をした鍛錬場だ。


 八歳の頃、二人は地下生活を送っていたそうで、鍛錬場から解放されたのは一年後のことであった。それからタモン様が用意した部屋の一室で暮らし始め、十歳になったときユズキは一人で他国に出向いて、そこで訓練を積んだ。

 そうして一年の時を経て、北闇に戻り、訓練校に編入学した。



「なんでイツキは夜の森にいたんだ?」

「鍛錬場から脱走したんだ。僕がイツキと知り合った時、あいつは手に負えない獣のような奴だった。誰彼構わず攻撃してしまうせいで、あそこに閉じ込めていたらしい。そのイツキが僕にだけ気を許した。だから解放された。しかし、僕が何も言わずに北闇を出たせいで、帰ってきた頃にはあの様だ。過去の経験もあって、闇影隊を嫌い、自分が認めた者以外、誰が死のうとも全く気にしていない」



 それから、ユズキはこう言葉を繋いだ。「あいつの感情は複雑で、尚且つ、ある分野を除いて知能が幼い子どものまま止まっている」、と。

 喜怒哀楽の差が激しいらしく、その理由は、身体にある二つの血が上手く交わらなかった為だと言う。


 生まれてすぐに人と二種の血に順応する混血者と違って、イツキはそうではなかった。身体はパニック状態になり、結果、未だに言動が五歳児ほどらしい。しかし、頭の中では自分の年齢を理解している。だから、複雑であり幼いのだ。イツキ自身が混乱することもあるというのだから、俺も考えて会話をしなければならないだろう。


 だが、戦闘となると――。



「イツキを押さえ込むために、始めは優しく宥めていた闇影隊も、いつしか手荒くなってしまった。それは何度も繰り返されて、あいつは誰よりも早くに戦いの術を学んだ。そのため、普段の会話ではなく、任務となると一変する。言葉も、動きも、闇影隊だ」

「だけど、鍛錬場で散々な扱いをされたから、闇影隊が嫌い……。そういうこと?」

「ああ。……ちなみにだが」



 そう言って、俺を真っ直ぐに見据えるユズキ。



「イツキも化け物と呼ばれていた」

「――っ、いつから?」

「生まれてすぐ、らしい」



 ユズキが伝えたいことを瞬時に理解した。



「……はは、そういう意味か」



 いつだったか、俺の視野が狭いと言ったユズキ。あの時は、社会的認知を身をもって教えてくれた。しかし、イツキが関係しているとは知らなかった。そう易々と話せる内容ではないし、仕方がない。


 問題なのは、俺だ。



「俺たちだけが噂されてるとばかり思ってたから……」



 噂されているのは事実だ。だけど、あの時の〝化け物〟は俺に対して言った台詞だったのだろうか。じゃあ、あの時は? その前は? そんな疑問が頭に過ぎる。


 すると、どうだろう。ここにはユズキしか居ないというのに、裸で公衆の面前に放り出されたかのような恥ずかしさがこみ上げてくる。色んな人の目に囲まれている気がする。一度は理解したはずなのに、と落ち込んでしまう。


 タモン様のことにしろ、噂にしろ、思い込みもいいところだ。



「その場しのぎで自分の感情を誤魔化したところで、それは何の解決にもならないぞ」

「だな。ユズキの言う通りだ」

「とはいえ、僕にもそういった節がある。本当の意味で、もやもやとした物を消し去るには時間がかかるのかもしれない。にしてもだ。こうやって話してみると、僕とお前には似た部分がたくさんあるな。家族……、そう思えても不思議じゃない」



 そうだったらいいのに――。

 喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。ユズキに家族の記憶はない。無神経で傷つけかねない言葉だ。


 青島隊長とユズキの件で話したとき、外傷がある状態での発見だったと言っていた。闇影隊を敵だと判断したユズキは、そのせいで本領発揮できなかったんだろうけど、外傷という言葉は、今の話を聞いてから様々なことを連想させた。


 親からの仕打ちか、はたまた三種と戦闘を交えたのか、あるいは闇影隊が取り押さえるために乱暴な手段にでたのか。あり得そうなのは、一番目と二番目だ。なおさら、そうだったらいいのにとは口に出せない。


 だけど――。



「ただでさえヒロトは神経質なのに、そのうえユズキがお姉ちゃんだなんて考えただけでゾッとするんだけど」

「僕が小言ばかりだからか?」

「じゃなくて、喧嘩の仲裁に入るのが面倒だなって思っただけ。二人とも馬鹿力だしさ。間に入りたくない」



 これくらいなら、いいだろう。冗談を交えながら例え話で口にするくらいなら。



「そういうのもアリかもしれんな」



 言いながら、何を想像しているのかクスクスと笑うユズキ。



「もし兄弟を選べる選択権があるとしたら、お前のような奴だったらいいなと考えた事がある。本当の家族だったら、どんな人生を送れたんだろうと……。きっと、幸せだ」



 カーテンの隙間から陽の光が差し込んだ。白い肌に薄らと頬を赤く染めているユズキが照らされて、微笑みながら、今までにないくらい澄んだ瞳で俺を見ていた。それは絵画のようで、時が止まったかのような錯覚を起こした。


 あまり感情を顔に出さないユズキが、こんなにも可愛く笑えるなんて。



「……そうだったらいいのにな」



 喉につっかえていた台詞は、さらさらと流れる小川のごとく口からでてきた。


 それから数日後。頭痛で倒れることもなくなり、俺は本格的に覚醒した。即退院し、青島班に復帰する。


 任務先に向かいながら、自分の身体に視線をやった。


 今回は、相手がハンターと獣だったからこの程度で済んだのかもしれないが、もし俺たちの目を狙う者が現れたら――。そう考えると、父さんの言葉の真相を突き止めない限り、家族や友達と平穏無事に暮らす事はできないのかもしれない。


 薄紫色の瞳を持つ者は、必ず命を狙われる――。

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