第14話 新生・青島班

「青島班率いる、青島ゲンイチロウだ」

「赤坂班率いる、赤坂キョウスケ。よろしく」

「黄瀬班率いる、黄瀬ミハル。よろしく頼むわね」



 新人下級歩兵隊を率いる三部隊の各隊長の挨拶から、今日一日がスタートした。


 朝起きて、居間に行くと、机の上に一枚の用紙が置かれていた。

 用紙には、訓練校の一室で臨時授業が行われる、とのことが書かれていた。闇影隊になってから外に出る機会が増えたため、訓練校の授業では習わなかった闇影隊の階級や他国について学ぶらしい。


 伝令隊のニスケが言っていた、時期が来れば訓練校で説明があるとはこれを意味していたようだ。


 朝の支度を終わらせて家を出た俺は、先に向かったヒロトを追いかける形で訓練校に走った。


 久しぶりの校舎を眺めてから指定された教室へ行くと、班ごとに着席していた。俺を除く十人の同期の姿と、初対面の先輩方が多くいる。どうやら俺が最後のようで、皆を待たせていたみたいだ。


 慌ててユズキの隣に腰を下ろした。


 厳格があって大柄な体格の青島隊長と比べると、赤坂隊長は細身の筋肉質でどこか抜けたような顔をしている。黄瀬隊長は、妖艶な身体つきで男心を惑わすなまめかしいラインが目を惹く。目つきは優しくて柔らかな面立ちだ。


 そんな三人に共通するのは、体に残る傷跡の数だろう。見えている肌だけでも、所々に傷跡が残っており、三人が幾つもの修羅場を乗り越えてきたのは一目瞭然だった。


 こうして、全員が集まったところで、青島隊長を一番手に授業が始まった。



「まず初めに、四大国について説明する。我々が住むここ北闇の他に、東に東昇とうしょうの国・南に南光なんこうの国・西に西猛せいもうの国がある。そして、この四大国と小国を統治しているのが、オウガ様率いる〝王家〟だ。王家は南光の国に君臨し、この世の秩序を保つため尽力されている。また、我々闇影隊の始まりでもある」



 当時、闇影隊は王家のみで構成されており、その中に混血者はいなかったのだそうだ。混血者を導入する発端となったのは、三種のうち、ハンターの数が急激に倍増したことにあった。そこから大国造りが始まり、人々は住んでいる場所から近い大国へ移住した。


 一通り、歴史の確認を終えた青島隊長に代わって、次に教壇に立ったのは黄瀬隊長だ。


 訓練校で習ったことを復唱されたせいか、皆の集中力が途切れかけている。


 教室内を見渡した黄瀬隊長は、見た目からは想像もつかない、太くて芯があり、なおかつインパクトのあるメリハリのきいた声で前を向くように一喝した。そして黒板にある文字を書き記す。


 大きな字で、〝上級試験〟と書かれていた。この試験は三年ごとに開催されているそうだ。



「前回試験を受けた者は退屈でしょうけれど、きちんと話しを聞いている可愛い新人三班のために説明させてもらうわ」



 嫌味たっぷりの一言に、先輩方は決まりの悪そうな面立ちでいる。



「近々、南光で上級歩兵隊への昇格をかけた試験が開催されます。四大国全てから下級歩兵隊が集結し命を賭けた試験に臨む事になりますが、班全員の参加が条件ではなく、あくまで自由参加。ご両親とよく話し合った上で、自分の意思で決めて下さい。でも、君たちはまだ若いわ。経験を積んでからでも遅くはないでしょう」



 黄瀬隊長の話しで、臨時授業が行われた意味を理解した俺は頭の中で簡潔に整理していた。


 四大国についてや王家の説明、そして上級試験の参加有無。これらは全て結果として南光に繋がる内容だ。つまりは俺たちに南光を知れと言いたいのだろう。


 この世界の法である王家がそこにいるとなれば、今まで通りの俺たちで国を歩く事は許されない。北闇の顔となる以上、他国が見ている前で恥を晒すような真似は出来ないのだ。だからこそ、あらかじめ王家の存在をもう一度より詳しく教える必要があったのだと思う。


 そこで、誰かが黄瀬隊長に質問をした。



「試験内容は、三年前と同じっすかね?」

「さあ、どうかしら。そんな伝達はきてないけれど……。あなた、甘ったれた覚悟で挑むと今年は死ぬかも知れないわよ?」

「すみません……。ただ、前回は公表されてたもんで……」



 咳払いをして、質問を続ける。



「前回の試験では、混血者のいる班と人のみで構成されている班は別々に試験を行ったんすけど、それに変更は?」

「そうねぇ……。今年は世界中を震撼させる事件が相次いで起こっている。それはあなたも承知のはず。だとしたら、どうかしら。王家が何を基準に試験内容を組むかは、三年間の流れを見て決める傾向があるのは確かよ」

「つまり、合同もありえるってことっすか?」



 黄瀬隊長は、にっこりと笑みを浮かべただけで有無を答えなかった。


 黄瀬隊長の説明が終わった後、最後に赤坂隊長が教壇に立った。青島隊長と黄瀬隊長が全員に用紙を配っている間に、上級試験の文字を消して、〝合同強化合宿〟との文字を書く。



「用紙は行き渡ったかな? ……よし、じゃあ説明する。見ての通り、上級試験前に合宿を行うことが決定した。まあ、この合宿は恒例なんだけど、内容に変更がされているから、前回参加した者もしっかりと聞くように。黄瀬隊長の説明にもあったように、今年は類を見ない生き物の出現に加え、各国近辺の村などで被害がでている。闇影隊が出動したにもかかわらず小国規模の町が全壊したとの報告もあった」



 そこで、今年度の合宿は混血者の動作を中心とした連隊強化を実施するそうだ。結果次第では、自由参加ではなくタモン様が却下する場合も。


 この説明に、大勢の人が思わず声を漏らし教室内が響めいた。



「そう睨むなって。仕方ないでしょーよ。全壊した理由が、闇影隊の連携不足なんだからさ。……はっきりと言おうか。人が足を引っ張ってるわけよ。わかる? もう混血者に頼ってられない時代に突入したってことかな。そこでだ。用紙を読めばわかるけど、合宿に参加するかどうかの選択欄がある。記入したら各隊長に提出するように。合宿は三日後だから、それまでにお願いね。その間、全員任務はナシだ」

「で、ですが! 俺たちの班に混血者はいません! その場合はどうなるんですか?」

「私の班もです! いきなり混血者と組む……だなんて、急な班の編成でもするつもりなんですか?」



 興奮気味に、一斉に質問が飛び交った。

 皆、死にたくない――、そう言っていたタモン様の声が聞こえてくる。


 青島隊長が静かに口を開く。騒がしい教室に低く重い声が隅々にまで届いた。



「お前たちが混迷するのもわかる。試験が行われている最中の重度による襲撃。これは、お前たちも、王家も予測しているはずだ。そのため、襲撃を前提とし試験中の混乱を回避すべく、あえて試験内容は伏せている。その場で説明を順次に行い、逐一頭にたたき込んだ方が事前に知って気が緩むより断然にいいからだ。つまり、今回の強化合宿は、試験の為のものではなく重度の襲撃を想定としたものだ」



 もし混血者との連携が取れなければ、赤坂隊長が話していたように町や国の全壊、最悪の場合、隊の全滅もあり得る。強化合宿でどれだけ経験を積めるかが決め手となりそうだ。



「こんな時期に試験だなんて、ついてねぇや……」



 賛同する声がぽつりぽつりと嘆かれた。その声に応えたのはソウジだ。



「この愚民が。各隊長の説明を聞いて理解出来なかったようだな」

「な、なんだと!?」

「重度の襲撃を想定とした強化合宿に、襲撃を前提とした試験。つまり、班の編成はないということだ。では、なんの為の説明か……。仮に南光の国に攻め入られた時、瞬時に近くに居る者同士で連携を組まなければならないからだ。その者は人か、あるいは混血者か。混乱と化した場で選ぶことはできん。しかし、貴様らは俺たち混血者を捜すしかない。だからこんな面倒な合宿が行われるんだ」

「面倒って……。もっと言い方があるでしょーに」



 赤坂隊長が苦笑気味に言う。



「入隊している混血者の数は限られている。面倒な思いをするのは俺たちの方だ。いったいどれだけ適役をさせられるのか、想像するのも嫌になるほどにな」



 皆、ようやく理解したようで、さらに教室は騒がしくなった。同じく俺の心境もドタバタしている。


 用紙を読み返していると、周囲のざわめきが遠くなっていった。


 ソウジたちに合わせた動きの訓練だけでなく、彼らと何戦も交えるこの合宿。それには人も参加しなければならない。試験以前に、怪我で入院ってこともあり得る。しかし、タモン様が用意してくれた道しるべをここで断たれるわけにはいかない。かといって、修行をする時間はない。


 包火と衝撃砲、業火防壁を習得したけど、言霊の扱いがいかに難しいか身をもって体験したばかりだ。ましてや、業火防壁は完成していない。そんな状態で混血者を敵とするなんて――。


 こうして臨時授業は各々に葛藤を抱かせたまま終わりを告げた。その後は班ごとに集合し話し合いとなる。


 青島隊長は、俺たち三人に着替えを持って正門に集合するように言った。集まると、理由も目的地も言わぬまま何処かへ向かって歩き始めた。やはりというべきか、イツキはユズキにべったりである。


 そんななか、先に問うたのはユズキだ。



「この荷物、いったい何の為に必要なんだ? 僕たちは合宿について話し合うんじゃないのか?」


 

 先頭を歩きながら、青島隊長が答える。



「参加するか否か、まだ答えはださなくていい。しかし、三日という時間を無駄にすることもない。よって訓練を行う」

「サバイバルでもさせるつもりか?」

「そのようなものだ。短期間で能力の向上を図り、己の限界を超えて行う特別な訓練だ。合宿の模擬訓練だと思えばいい」



 となると、青島班にいる混血者はイツキだから、彼を相手にすることとなる。



「試験はひとまず置いておこう。青島班はこれからこの四人で行動を共にすることとなる。互いを知り、隊に必要な基礎能力を鍛える必要があるだろう」




 しばらく歩いて、青島隊長は看板のある場所で立ち止まった。〝立入禁止区域〟との文字がある。看板の背後には奥が見えないほど、うっそうとした深い森。

 ここが目的地のようで、青島隊長が森について話す。



「四大国のうち、二カ国には足を踏み入れてはいけない区域がある。一つはここ、迷界の森だ。ここから森の奥深くまで行くと磁気がなくなり、迷ってしまえば最期。二度と出てこられない」

「そんな場所で訓練するんですか?」



 俺の質問に、青島隊長が静かに頷いた。



「半径一キロ圏内の狭い区間でだがな。課せるルールは至ってシンプルだ」



 青島隊長が俺とユズキに向く。



「一つ、時間最後までこの林道に出てはいけない。二つ、イツキを捕まえること。手段は問わん。三つ、期間は二日間。その間、休憩は状況で判断すること。四つ、全員、この看板をゴールとすること。イツキに課せるルールは二つ。逃げるにしろ攻撃するにしろ、好きに行動していい。ゴールはこの看板だ」

「ルールはわかったが、相手がイツキじゃ無茶だ。360度ではなく、180度の範囲内でやれ、と言いたいんだろう? 僕とナオトを殺す気か」



 言い終えると、ユズキの口元がきつく閉まった。やりたくないという気持ちが読み取れる。イツキを知るからこそ、余計にだろう。俺だってそうだ。イツキの戦闘能力を知らずとも、大人数の闇影隊を手こずらせるほどの力があることだけは理解している。本音を言わせてもらえるのなら、やりたくない。


 しかし、このルール。イツキが自由行動という点から考えると、要するに彼の戦闘能力に見合う能力を磨けという意味だろう。そもそも、強化合宿の目的はそれ似たものなのだから、確かに模擬訓練だといえる。


 なぜなら――。



「訓練校ではクラスが別だっただろう? その上、混血者は人の姿で通うという決まりが課せられていた。彼らは否応無く伏在状態にあったわけだ。つまり、ナオトとユズキは、彼らの本来の能力を把握できていないことになる。しかし、いきなり理解しろというのも無理だろう。そこで、手始めにイツキからだ。勝つことが目的ではない。混血者がいかなる者か頭にたたき込むのだ」



 青島隊長が片手を上げたのと同時に、イツキは颯爽と森に消えていった。



「それでは、始め!」



 号令に押されるかのようにして、俺とユズキも森に足を踏み入れた。


 木の葉が一面に広がり、さらに木の葉の層が出来ているせいで森の中はとても薄暗い。そんな森を進み始めて僅か数メートル。早速イツキが攻撃を仕掛けてきた。ただでさえ薄暗い森が、全く何も見えない闇と化した。



「どうなってるんだ!?」



 焦って立ち止まる俺に、ユズキは冷静に答えた。



「これが、あいつの能力だ」

「闇ってこと?」

「そうだ。気をつけろ。この闇に長く触れていると気を狂わせてくる。幻覚に幻聴、パニック症状など、精神的におかしくなる」

「わかった。でも、これだと俺の言霊は使えないな。居場所がバレてしまう」

「そうだな。だが、まだ大丈夫だ。二人で居れば……」



 ユズキが手探りで俺の片手を見つけ出した。小指を握られた瞬間に、恐怖が背筋を伝った。肩がぴくりと跳ね上がったが、深呼吸をして自身を落ち着かせる。


 確かに、一人だと気が狂いそうになるが、二人居るとわかるだけで気持ちが違う。じんわりと暖かい小指に胸を撫で下ろした。


 ユズキが歩き始める。空いている片方の手を前に伸ばしたり、横に向けたりしながら、木を避けて進んだ。


 どれくらい歩いたのだろうか。暑さのせいか、それとも緊張感から流れ出た汗か。目に染みて、ユズキに声をかけた。



「ちょっと待って。目が痛い」



 手を離して目を擦った。それから直ぐに彼女を手探りで捜す。だが、どこにも居ない。



「ユズキ?」



 声も返ってこない。その場でしゃがみ込み、推測する。


 つい先程まで一緒に歩いていたのだから、俺の声に気づかなかったはずはない。では、一瞬の隙にイツキに捕らわれたのだろうか。にしては、物音一つ聞こえなかった。茂みや木々だらけなのに、それは不可能だ。しかもユズキなら、すぐに反撃するなり声を上げたはずだ。


 しだいに、心臓の音が異様に大きく聞こえてきた。まるで抜き取られて、耳元に当てられているみたいだ。


 正面に目を凝らせた。すると、今度は本当に正面を向いているのか訳がわからなくなってきた。落ち着け、落ち着け、と何度も自分に言い聞かせる。けれど、脳の反乱は全く効果が無く、当然のように悪化していくばかりであった。



「なんで物音一つ聞こえないんだ……」



 ついに心の声が漏れた。息づかいが荒くなり、それすらうるさく感じるほど静寂だ。あんなに人々の噂話しが耳障りだと思っていたのに、今度は静寂を恐れるだなんて。


 背筋を伝うような悪寒がしたのは、静寂に支配されかけている時であった。



「誰だ……?」



 ソッと振り返る。暗くて、まるで空中を浮いているようなこの場所に、見えない誰かが居るような気がするのだ。

 恐る恐る手を伸ばした。もちろんのこと、そこに居るのは空気だけである。でも、俺には徐々に見えているのだ。俺の最大の恐怖が。



「どうして……ここに……」



 近づいてくる二人の男女に、俺は思わず後退りした。


 割れた頭部から噴水のように溢れる血、折れた片腕、千切れた両足。もう一人は、顔の損傷が酷く、もう面影すらない。皮一枚で繋がっている舌を揺らしている。

 這いずりながら、あるいは両手で顔を覆い、身悶えして苦しみながら、俺に恨みをぶつけてきた。


 口は動いていないのに、「お前が殺したくせに」と繰り返えし訴えてくる。


 つい最近ソウジの事があったせいか、二人の出現によって俺の精神はさらにパニックに陥った。

 もしかすると、俺は気絶していて、夢を見ているのではないだろうか。となれば、寝言で秘密を口にしているかもしれない。


 この二人は、俺が眠れない原因となっている夢の人物だ。まさかこんな場所で、しかも違う夢の形となって現れるだなんて。いつもならば、ある映像から始まって、最後に二人が出てくるのだ。今回は、最後から始まった。



「ダメだ……」



 頼むから目を覚ましてくれと、自分に強く願う。でないと、バレてしまう。全て台無しになる。ただでさえ俺が生まれたせいで苦しんだ家族が、更にどん底に落とされる。しかし、どれだけ言い聞かそうとも、二人が消えることはなかった。



「――っ、早く消えてくれっ!」

「私みたいな足になれば、あなたを永遠に抱きしめられるのに」

「俺のような顔になれば、もう嫌な現実を見る必要もなくなるぞ」



 いつもならば夢はここで終わる。だが、そうはならなかった。


 おいで――と手招きする二人に、俺は溢れ出る涙を堪えることができなかった。



「ごめんなさいっ」

「許さないわ。どうしてあなただけ幸せになるのよ」

「こちら側に来い。そもそも、そこに居るべき人間じゃないんだから」



 嗚咽が止まらず、改めて突きつけられた現実に胸を締め付けられた。



「望んで生まれたわけじゃない! 俺のせいで、家族がどれだけ苦しんだかっ……」



 二人の動きがぴたりと止まった。女が、怒りの籠もった口調で言う。



「家族……?」



 その瞬間、高速で這いずり、動く方の腕で俺の足首を強く掴んだ。そして、血まみれの顔で俺を見上げた女は、甲高い声を上げながら、この世の終わりとでも言わんばかりに絶叫した。

 両手で耳を塞いでも、女の絶叫は鼓膜が破れるくらいに突き刺さる。


 今までに一度だってこんな夢は見たことがない。何かがおかしい。そう思うと、急に二人が遠ざかっていった。

 どうやら夢ではなく、幻覚だったようだ。肩で荒々しく呼吸を繰り返しながら、変わらない暗闇に胸を撫で下ろした。



「まさか闇に救われるだなんて……」



 両手を摩って自身の頬を覆った。ヒロトがやってくれる、俺を落ち着かせるための行為を真似たのだ。すると、忙しなく鼓動していた心臓が落ち着きを取り戻した。


 それから一息ついて、もう一度ユズキの行方について考えた。次は声が漏れないように、必死になって心で話す。あまり喋るとイツキに場所が知れてしまうからだ。


 彼女とはぐれたのが手を離した時じゃないと仮定しよう。だとすると、闇と化した瞬間から居なかったか、あるいは――。



(やってくれたな……)



 人の話は最後まで聞けと口うるさいユズキが、「二人で居れば……」だなんて、あんな中途半端な言い方で喋り終えるはずがない。


 となると、俺の小指を引っ張って進み始めたのはイツキだ。物音一つ聞こえないのは、そういう空間だからだろう。最初は二人同時に閉じ込めて、話している隙にユズキを空間から追い出したのだ。つまり、今の俺は隔離されている状態にいる。


 出られる方法があるのか不明だが、とにかく進むことにした。空間ならばいずれ壁に辿り着くだろう。



「ビンゴ……」



 手の平に当たった感触。これは木や岩などではない。森には見られないツルツルとした平らな物だ。



「炎・包火」



 照らすと、目の前には黒い壁があった。衝撃砲を当ててみるも、蒸気が立ちこめるだけでビクともしない。拳から伝わってきた振動では、分厚い壁には感じなかった。どちらかというと、波打つような振動だったから薄いはずだ。俺の力が足りていないため、破壊できないのだろう。


 ふと、思い出したのは父さんの話しだった。


 放たれた力の差を決めるのは感情。それに込められた念がどれほどかによって、相手が受けるダメージは大きく異なると言っていた。


 今俺の胸の内は、壁を見つけて更に落ち着いているし、包火で辺りが明るいから、いつもの冷静さを取り戻している。


 そこで、俺は包火を解き、闇に身を潜めた。しばらく堪えて、もう一度あの時の感覚を引き起こさせる。湧いてきたのはパニックではなく、現状を知ってからは、あんな無様な状態に陥った自分に対する怒りだ。その怒りを念に、言霊を唱える。



「炎・衝撃砲!」



 ピキピキ……と、ひび割れるような音がして、ぽっかりと出口が開いた。直後、森は薄暗いというのに、思わず目を逸らしてしまうほどの光に襲われた。それほどまでに、イツキの闇が濃かったのだ。


 いったいどれだけの闇に触れてきたのだろうか。


 振り返ると、そこには異色な存在を放つ真っ黒な箱状の物体があった。それから、目の前に立つイツキを両眼に捉えた。


 イツキが指を鳴らすと、箱は渦を描くようにして消えた。



「四分ってところかな。なかなかやるね」

「なんの時間だ?」

「あの中に居た時間だよ。おん牢鎖鏡ろうさきょう。この言霊は敵を捕獲し、情報を抜き取るための技なんだけど……」



 顎に手を添えて、観察しながらイツキは俺を軸にくるりと回った。



「ナオトのあの情報はなに? あの人たちは誰?」

「誰って……――っ!」



 そうだ、俺の小指を引いて歩いていたのはイツキだ。あの闇の中にイツキも居たんだ。



「あれはパニックになって引き起こす幻覚みたいなものだろ?」

「そうだけど、映し出すのは空想の世界なんかじゃなくて〝現実〟だよ」



 毛穴という毛穴から汗が滲み出てきた。誤魔化しは通用しないどころか、中での出来事がイツキには見えていた。闇に捕獲されていた時よりも気が動転してしまいそうだ。


 色々と策を練るも、大猿になぶり殺しにされた仲間を見て笑っていたような奴だ。あの二人の姿を見たからといって、恐怖など抱くはずもない。あるのは、ただ純粋な疑問だけだ。


 ならば、もっともらしい言い訳を押し通す他ない。



「ある意味あれは現実かも。っていうのは、小さい頃からよく怖い夢を見ていたんだ」

「夢?」

「うん。父さんも爺ちゃんも闇影隊だろ? どんな仕事なのか頭ではそれとなく理解していたけど、本当に理解したのは俺自身が闇影隊になってからだ。それまでは、三種の姿なんて空想の世界の生き物だったから、いつも想像してたんだ。人を殺す二人の姿を……」

「だけど、二人は人を殺さないよ?」

「そうだな。それを知ったのは訓練校に通ってからだ。小さい頃は人を殺してるんじゃないかって思ってたし、夢にまで見るようになった。あの頃の俺にとっては夢ですら現実みたいなものだ。頭に染みついて、トラウマになって、今でも夢に出てくる」

「ああ、そういうことか。だからあんなに悲惨な姿なんだ」

「まあな。だって、知らなかったから」

「ダメだよ、ちゃんと闇影隊の職務を把握してなきゃ。タモン様が任務の振り分けを行う闇影隊の主な職務は三種の討伐。当主が任務の振り分けを行う闇影隊の主な職務が人に関係するもの。これでもう大丈夫だね」

「……え? そうなの?」

「うん、当主に関しては授業で習わないからね。それに、所属を振り分けるのは学校だし。少しでも混血者の役に立ちそうな人間は、こちら側に配属されるよ。だけど、人間にも悪者はいるでしょ?」

「あ、ああ。そうだね」

「タモン様は忙しいから、代わりに当主が指示を出してるってわけ。ただ、給料の差が凄いから、タモン様側の闇影隊に異動願いを出す人が多いけど」



 なるほど――、と心の中で納得した。

 おそらく、大猿やハンターとの戦いで生き残った人間の中に、学校側が選んだ優秀な者たちがいたのだろう。そして、ただ逃げ惑っていた彼らが異動願いを出した者。どうりで死者が多かったわけだ。


 とにかく、これで話しを流すことに成功した。納得する俺を見て、イツキは満足そうだ。そして、本題に入る。



「んで、俺はイツキを捕まえなきゃいけないわけだけど……」

「あ、そうだった。じゃあね!」

「――っ!?」



 地面に落ちていた枯れ葉が宙を舞う。すでに、そこにイツキの姿はなかった。ユズキの言葉を真似るわけではないが無茶だ。


 180度の範囲ならいけるかも、だなんて心の隅っこで考えていたけど、足が速すぎる。これだと、どれだけ追いかけても、捕まえたと思いきや叩き損ねた蚊のような心情になるばかりだ。


 イツキを捕まえるより先ず、ユズキを捜すことにした。範囲が狭いおかげでそう時間はかからず、彼女を発見した俺は今までのことを話した。



「あれは、内側からしか攻撃できない上に、イツキの念に勝る念でないと破壊できない仕組みになっている。経験が物をいう言霊は、相手が抱くあらゆる感情に勝つしかない、というわけだ」

「だとしたら、衝撃砲だけで簡単に壊せるもんじゃないだろ?」

「それほどまでに、お前が悪夢に対して抱く感情が大きかったってことだ。イツキも驚いただろうな。まさか、四分で破壊されるだなんて思ってもなかっただろうから」



 話しながら、ユズキの身体に伝う汗や赤く腫れている拳を見て、彼女の優しさに自然と笑みがこぼれた。内側からしか攻撃できないと知っていながらも、ただ待つだけではなく、外で動いていたのだとわかるからだ。たった四分間で、いったいどれだけ攻撃してくれたのだろうか。



「ありがとう。ユズキも疲れただろ? 手は痛くない?」



 そう言うと、ユズキが頬を赤く染める。前もそうだったが、彼女は心配されたり褒められたりすると、すぐに表情に出る。こういったことには慣れていないのだと、語らずとも言っているようなものだ。


 勢いよく立ち上がったユズキは、顔を隠しながら、「さっ、イツキを捜すぞ!」と裏返った声で言って歩き始めた。


 それから、イツキを何度も発見したし、束の間の仮眠を邪魔されたりもした。うたた寝をしている時に、容赦なく顔面すれすれを攻撃されたときは、心臓が口から飛び出てくるかと思うほどに驚いた。

 地面にぽっかりと空いた穴。穴の周囲にひび割れなど無く、それは攻撃の速さと、拳の軽さを物語っていた。あんな力で殴られたら、顔の骨が粉砕してしまうだろう。


 なかでも一番に疲労を感じたのは、やはり仮眠の邪魔だろう。十分の仮眠でさえイツキは許さず、攻撃した瞬間に姿を消す。それに加えて、森の中は昼夜問わず暑い上に、ちょこまかと動き回るイツキ。しだいに腹が立ち、次の日の夕暮れ前、俺は一度、捜すことを中断した。


 今日は最終日である。



「いいのか? もう時間は無いぞ」

「とりあえず、イツキのスピードに目が追いつくようになった。それに、まだ一つしか言霊を見ていないけど、闇の性質だってわかった。スピードを合わせるのは、どのみち修行か任務を積まなきゃ無理だ。俺の自己暗示を鍛える必要がある」

「まあ、そうだな。それで、捕獲は?」

「前にユズキがイツキの性格を教えてくれたろ?」

「ああ。役に立つのか?」

「多分……。イツキの攻撃の仕方、確かに上手いし、人の嫌の所を突いて心身共に疲労を蓄積させる方法も熟知している。だけど、行動はユズキの言う通り子どもだ。鬼ごっこくらいの感覚でしかない。攻撃は必ず仮眠時間。構ってもらえなくなったら起こす……みたいな感じだ」

「鬼ごっこはわかるが、あいつはそこまで構ってちゃんじゃなかったはずだが……。一緒に住んでいても、僕の睡眠を邪魔したことは一度だってない。今回は違うのか……?」



 自問自答を繰り返しながら考えるユズキ。しかし、答えは出なかったようだ。



「それで、作戦は?」



 ユズキの耳元で青島隊長が課せたルールを復唱し、それから策を伝えると彼女は片頬を上げてにやりと笑った。



「なるほど。一か八かではあるが、いけるかもしれん」

「よし、じゃあ移動しよう。時間ぎりぎりだ」



 姿勢を低くして、出来るだけ音を立てないようにしながら、俺たちはある場所に向かった。そこで身を隠し、息を殺す。すると、直ぐ近くでカウントダウンを叫ぶ青島隊長の声が聞こえてきた。



「20秒前!」



 身体を小さくしながら早まる気持ちを抑える。



「10秒前! …………5、4、3」



 茂みが大きく揺れた。青島隊長の方に向かって飛び出してきたのはイツキだ。同時に、俺とユズキもイツキの背後めがけて飛躍する。



「っしゃあ! ユズキ、今だ!」



 林道と森の境目の一歩手前にいるイツキに手を伸ばした。戦闘服に指先が触れると、「しまった!」と言わんばかりに目を大きく開いたイツキが振り返る。


 俺が立てた作戦はこうだ。鬼ごっこ感覚でいるイツキなら、時間前に看板の近くを通り一番を目指すはず。一等賞を狙いに行く子どもみたいなものだ。ということは、闇雲に捜し回ったり、体力を削られるより、看板の近くで捕まえにいったほうが勝算がある……というもの。

 足の速いイツキを捕らえられるか自信はないけど、イツキの行動は俺の推測通りであった。



「2、1!」



 イツキの戦闘服を握ろうと指先がしぼむ。が、しかし。



「そこまで!」



 まだ握り方が甘いときに、青島隊長がイツキを俵担ぎにした。空いている片方の手を腰に置きながら豪傑に笑い、「私の勝ちだ」と告げた。



「なんでお前の勝ちなんだ! 絶対に間に合った勝負だったのに! 僕たちから勝ちを奪うなんて、この愚か者!」



 興奮して立腹するユズキが、ふと青島隊長の足もとを見た。それから、気が狂ったみたいに髪の毛をわしゃわしゃと手で乱す。



「ど、どうしたんだ?」



 声をかけた俺に向いたユズキは、それはもう般若のような形相であった。髪が乱れているせいで増して恐ろしい。



「ルールの意味がわかったから余計に腸が煮えくり返っているんだ! こいつが立っている所を見てみろ!」



 ユズキが指でさした方に視線をやると、青島隊長は森に一歩足を踏み入れていた。その瞬間、二日間で最大の疲労が俺を襲い、言葉をなくした。そんな俺に代わって、ユズキは怒りの籠もった口調でルールの意味を説明した。



「そもそも、この訓練の目的は混血者について知ることを前提としたものだ。尚且つ、青島班が今後四人で行動を共にするために、互いを知るための機会でもあった。ましてや! 誰も二対一だとは言っていない……。初めからルールには、全員のゴール地点が決められていた」

「その通りだ。私もこれに参加しているのだと、わかっていなかっただろう?」

「全くな! ああ、腹が立つ! お前はいったい何をやってたんだ!? 僕は参加しているところ見てないぞ!」



 ユズキと同じくして、俺も見ていない。



「私だって攻撃させてもらった。仮眠中の二人を狙うイツキの攻撃を阻止すべく、先手を打っていたのだが」



 その言葉で、俺とユズキの顔から怒りや疲労が消え去り、別の感情が芽を出した。



「じゃあ、あの顔の横にあった穴は……」

「お前の攻撃なのか?」



 綺麗な穴。それは攻撃の速さと、無駄な力を使っていないコントロールの上手さを示していた。それと同時に、軽い拳でここまでの力を発揮できる威力に、手に汗を握るような圧迫した恐れを抱いた。


 いったい、こんな馬鹿でかい体格の青島隊長のどこから、あんな身軽で威力のある技を出せるのだろうか。重度の肉を食べた青島隊長の力は計り知れない。


 青島隊長はさらに追い打ちをかけた。



「お前たちの行動は全て観察させてもらった」



 そう、ずっと見られていたのだ。青島隊長はいつでもイツキを捕獲できた。


 イツキを降ろし、看板の前に移動する青島隊長に続いた。



「まず一つ、暑さに堪え、少ない仮眠でも動ける体力があることがわかった。そして二つ、イツキの速さに目が慣れたことは良い収穫と言えよう。三つ、互いに理解しようとする心を養えた。たった二日間ではあったが、各々の言動を観察して、私は心からお前たち三人を部下にもらえた事を誇りに思う。青島班は、どの班よりも素晴らしい班だ」



 照れくさくて、嬉しくて。きっとそれは三人とも同じで。口の中でもごもごとしながら、目はきょろきょろとして、柔らかな表情で俺たちを見る青島隊長から逃げるような行動ばかりとっていた。


 これまで、俺の頭の中では、ざっくりと〝青島班〟という班名と、班員だけが存在していた。それがどうだろう。この二日間、イツキの言霊に捕まったり、イツキを追いかけたり、ユズキと野宿のような生活をしたり、青島隊長に褒められたこともあって、青島班という存在がより明確なものとなった。


 青島隊長が言葉を続けた。



「相手の力量なんてものは後からでもいい。まずは、個人を知り、理解しようと歩み寄る心。これが大事だ。人から得た情報だけで混血者を知った気になってはいけない。明後日から行われる合同強化合宿で、嫌というほどわかるだろう。自分の認識がどれだけ甘かったかを全員が思い知らされる。だが、お前たちは大丈夫だろう。今回得た感覚や感情を忘れないように。いいな?」



 こうして、短い訓練は終わった。北闇に戻り、各々自宅の帰路につこうとした時、俺はイツキに呼び止められた。



「今日は泊まりにおいでよ。着替える余裕もなかったし、持ってるでしょ?」

「そうだけど、いいの?」

「うん。ユズキ以外の人を家に入れるのは初めてだけど、なんだか気分が良いし、それにナオトをもっと知りたいから」



 まさか、この俺にこんな夢みたいな日が訪れようとは。



「ねえ、ナオト。友達になろうよ」



 新生・青島班が誕生したのは、イツキの言葉がスタートとなった。


 その日の夜、とあるアパートの一室にお邪魔して、イツキと一緒に風呂に入った。ユズキは三人分の戦闘服を洗ってくれている。


 湯船につかり、イツキは天井を見上げながら言った。



「噂は聞いてたよ。走流野家の息子は化け物だって、皆が言ってた。クラスが別だったし、俺ってこんな性格だからさ。自分から他人に関わろうとはしないんだけど、間違ってた」

「どういう意味?」

「俺たちは同じ言葉で噂されてきた者同士だから、痛みだって半分こに出来るはずなのに、どうして他人だと思ってたんだろうね。噂で二人のこと知ってたのに……。青島隊長の言う通りだね」

「……うん、そうだな」



 人から得た情報で混血者を知った気になってはいけない。これは、混血者に限ったものではない。誰に対しても言えることだ。


 お湯を手にすくって、顔に思いっきりかけた。その手で前髪を上げて、はっきりと見渡せる視界でイツキを見る。



「わーお……」



 目が合うと、イツキは一言漏らしてから黙ってしまった。



「え、なに?」

「その方がいいよ。優しい顔したヒロトみたい。前髪、切ったら?」

「それは無理だ。まだ俺にとって〝現実〟はツラいものだから」

「それで何か変わるの?」

「気持ちの問題かな」

「ふーん。俺も伸ばしてみようかな?」



 言いながら、癖のある髪の毛を指でいじるイツキ。



「やめろよ、気持ち悪いだろ」



 そう答えると、頬を膨らませながら拗ねてしまった。


 そろそろ上がろうかと、腰を上げた。すると、イツキが俺の肩に手を置いた。振り返ると、遠くを見るような眼差しでいた。



「ねえ、ナオト」

「どうした?」

「俺たちはいつになったら人に愛されるんだろうね」



 俺の行動を止めるに十分な、重くて悲しい言葉。どうしてだか目の奥が熱くなった。

 俺は答えることが出来なかった。そんなこと、考えた事すらなかったからだ。



「……友達、なろっか」



 無意識に出てきた言葉だった。



「うん、なろう!」



 ユズキを手伝うために、俺たちは急いで風呂から上がった。「お待たせー!」と子どものようにして走って行くイツキ。髪の毛を拭きながらその光景を見ていた。


 軽快な動作で部屋を走るイツキであったが、しだいに足音が大きく鳴り始めた。まるで大事件でも起きたかのように、あちこちのドアを力強く開け閉めする音が響き渡る。



「ユズキ!? どこにいるの!?」



 イツキの泣きそうな声に、慌てて俺も部屋に向かった。ふと、ベランダの方を向いた。ドアを開けると、俺とイツキの戦闘服だけが干されている。そこに、イツキがやって来た。



「ナオト、どうしよう……。どうしようっ……」



 震える手で一枚の紙を手渡される。紙には【今まで世話になった。こんな形で、このタイミングで本当にすまない。ありがとう。さようなら】と書かれている。


 火照っていた身体から血の気が引いていった。

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