第7話 トモダチ

 帰宅して早々、門前で待機していた伝令隊が、赤坂班に任務を言い渡した。すぐに出発ということで、ヒロトに手を振って無事に帰ってくるよう祈った。


 青島班は国内待機を命じられた。青島隊長は俺以外の班員をその場で解散させ、もう一つの任務結果について尋ねてきた。



「して、どうだった?」



 色々と報告しなければならないものの、先に頭に残っている疑問から話すことにした。



「本題に入る前に、一つ気掛かりなことがあります」



 それは、二種と戦った時のことだ。




「あくまで俺の見解ですが、実際に二種を相手にしてみると、ハンターよりも虎の方が脅威に感じました。それに、あまりにもタイミングが良いというか、向こうにとって有利な流れで事が進んだ。ですが……」

「人間にとって最も脅威なのはハンターである。座学でそう教わったと言いたいのだろう? しかし、ナオトの目には連携を組んでいるように見て取れた」



 代わって答えてくれた青島隊長に、こくりと頷いた。


 最初は、人間と同じくして、虎もハンターを恐れているのだと思った。しかし、天野家で身体を休めている間に思い返してみると、あえて入れ替わっていたのではないかと思い至ったのだ。すると、それには原因があると気づいた。



「そこでなんですが、本題に入ります。あの地形を覚えていますか?」

「ああ。濁った池を取り囲む背の高い茂み、そして高さのない崖。あの場所になにか足掛かりとなるような物があったのか?」

「断定はできませんが……」

「構わん。言ってみろ」

「はい。あの時、俺たちを襲ったハンターの数は三十ほどでした。囲まれでもしたら全員の死は免れない。そこで、俺は水中にある岩を渡って崖側まで移動したんです。あそこには小さな空洞がありますから、ツキヒメをそこへ避難させました。加えて、自分の背中も守れる。敵は正面からしか攻撃できません。けれど、ハンターは追って来なかった……」



 池の周りを走っているかと思いきや、一斉に立ち止まった。



「その後、ハンターは全員いなくなりました。間髪を入れずに現れたのは七頭の虎です。一頭は最初に戦ったあの虎でした。なにか変ではありませんか? ハンターは狙った獲物を逃がさない。なのに、虎に譲った。だけど、もしそれが譲ったのではなく、池に関係があるとしたら……」



 鋭い衝撃が頭を貫いたのか、青島隊長が目をカッと開いた。



「――っ、まさか、ハンターは泳げないということか!?」

「俺にはそう見えました。だとすると、ハンターは諦めたということになります。つまり、食すだけの生き物ではなく、感情を持っている可能性があります」

「すぐにタモン様のもとへ行くぞ。断定できずとも、その可能性は全国に伝達しなければならん」



 言いながら、早足で本部を目指す青島隊長の後に続いた。


 執務室に着くと、王家に出向いていたタモン様は帰国しており、運良く来客者はいなかった。青島隊長は、早速ハンターに関する情報を報告し、俺は戦闘で負った傷のことと、マナヒメから首飾りを貰ったことを伝えた。


 すると、椅子に腰掛けていたタモン様が立ち上がって、俺の方に歩いてきた。腕を掴まれ、包帯を外し、傷を見るなり眉間に皺を寄せながら言った。



「虎に噛まれた挙げ句、自らの言霊で皮膚が焼けたと?」

「はい」

「この火傷は、業火防壁によるものか?」

「そうです。父さんには注意されていたのですが、どうしようもない状況だったので……」



 そう説明すると、タモン様と青島隊長が目を合わせた。居心地の悪い空気が漂う。二人の表情を見て、あの時の選択が間違っていたのかと深く悩む。


 二人は口をつぐんで、しばらく沈黙が続いた。それから、青島隊長が頷いて、タモン様が俺に話しかける。



「本来ならば、言霊の仕組みを説明するのはセメルの役目だが、致し方あるまい。そもそも性質が違うのだから、火についてよく知る俺が話した方が早いかもしれん」

「それは、どういう意味でしょうか? タモン様にも言霊の能力がある、ということですか?」

「いいや、俺にそんな能力はない。また違った物だ。よく知ると言ったのは、お前の祖父であるヘタロウが火の性質を持っていたからだ」



 爺ちゃんの名前が出て、全身が棒のように硬く強張った。


 いつ国を出たのか、爺ちゃんが消えたと知ったのは国民の噂がきっかけであった。父さんに理由を尋ねようとしたけれど、影がのし掛かる姿を見て、硬く口を閉ざした記憶はまだ新しい。


 俺は三歳まで本部で育った。この平屋のどこかで、世話係に面倒を見られながら。ようやく解放されて、初めて爺ちゃんと会ったとき、しわくちゃの顔で「お帰り」と微笑んでくれた。雰囲気が優しさを物語っているような、そんな人だった。しかし、一緒に住んでいなかったこともあって、爺ちゃんと過ごせたのはほんの僅かだった。


 そんな爺ちゃんと俺が同じ性質を持っている。本音を言うと、嬉しいというより、胸の奥底がざわつくような不気味さを感じている。



「詳しく教えてください」

「いいだろう。まずは、走流野家に共通している体質から説明する」



 俺の腕を掴んだまま、目を細めて傷を観察しているタモン様は、そのまま話を続けた。



「混血者以外に、似たような体質を持つ人間がいると知ったのは、お前の祖父の申し出があってからだった。執務室を訪れに来たヘタロウは、唐突に俺にこう言った」



 私の力が国の役に立つかもしれません――。



「その申し出があった時、ヘタロウの年齢は三十手前だった。戦いの基礎を学ぶには遅すぎる年齢だ。しかも、農家を職としている男だった。使えるはずがない、そう思って申し出は却下しようとした。しかし、ヘタロウはなんの説明もなしに俺の目の前で自身の腕を刃物で抉り、それから全身を炎で纏って見せた」



 するとどうだろう。みるみる内に火傷や傷口は塞がっていき、床に垂れ流れていた血は止まってしまった。そして、「私は使えますか?」と尋ねられた。



「農作業中に怪我を負ったのが原因で、混血者と似た力があると知ったそうだ。この治癒能力には個人差があるが、セメルにも、お前にもある能力だ」

「人より傷の回復が早い、ということですか?」

「ああ。この傷が証拠だろう。実際に、業火防壁という技の凄まじさを俺は目の辺りにしている。部隊を丸々と飲み込んだ炎の球体は、長時間使用したせいもあって、ヘタロウに重度の火傷を負わせた。しかし、それがたった三日で完治した。お前にも、ヘタロウと同じ症状が現れ始めている」



 言われてみれば、戦闘服が焦げるほどの火を間近に肌で感じていたにしては、傷の治りが早い。

 俺が納得したのを確認して、「特に……」と言った。



「火の性質を持つ者は、治癒能力がずば抜けて高い。しかし、お前にはまだヘタロウほどの力は備わっていない。むやみに使えば、治癒が追いつかず死ぬことになるだろう」



 確かに、俺の業火防壁はまだ完成していない。爺ちゃんのような球体ではなく、筒状の形になってしまう。その上、三日で完治だなんてまず不可能だ。



「では、どうすればいいのでしょうか?」

「この技や他の技の強度を上げるには修行を積み重ねる他ないが、かなりの時間を要する上に、肉体的・精神的苦痛が伴う。だが、やるんだ」

「いや、でも……」




 今の流れだと、俺は選択肢を与えられるのだとばかり思っていた。答えはすでに用意していて、断ろうとした。急がなくとも、一戦交えて自分の力量をある程度だが把握していたからだ。

 力不足なのは承知の上で、今はまだこれ以上の力は必要がないと考えていた。それよりも優先すべきは――。



「先に、隊の連携強化を行うべきでは?」



 これだ。青島班には、俺とユズキの他に二人いるけど、俺以外は人だ。とはいえ、一つの班で動くのだから、それぞれの力量を知り、三種に備える必要がある。しかし、赤坂班のように、会話しながらでも周囲の警戒を怠らないような、そんな連携すら取れていないのが現状だ。


 もちろん、俺とユズキにも原因はある。あえて離れて歩いているし、いつだって隊列の後方にいる。


 俺の腕を離して腕を組んだタモン様は、青島隊長に「まだ説明していなかったのか?」と言葉を投げた。



「はい。時期をみてからと考えておりました」

「では、俺から話そう」



 タモン様の視線が再び俺に向いた。



「青島班は、お前とユズキの他はまだ決定していない。そもそも、混血者以外の者と組ませる予定はなかったからな。周囲に合わせて戦うと、お前たちが死ぬ確率が上がるからだ。各々の力量を評価してから、最終的な振り分けを始める」

「ちょっと待ってください。確かに俺の力は人にも危害を加える可能性が十分にあります。それはユズキも例外ではありません」

「ん? お前、あいつと友達ではないのか?」



 友達だからこそ、危惧の念を抱いているのだ。


 衝撃砲や包火ならば、自分自身に点火させて尚且つ狙った敵に放てる技なので、仲間を巻き添えにすることはそうない。だが、業火防壁は、自分も含めて仲間ごと囲う高熱の球体だ。空気が出入りする隙間もない、熱気の籠もった密室のようなもの。今の俺に球体を作る力はなくとも、完成した時にはどうなるか。


 球体の中で過ごす時間によっては汗を流しすぎて脱水症状を引き起こしたり、最悪の場合には意識を失うことだってあり得る。ツキヒメとウイヒメを守るためにこの技を使用したとき、球体でなくとも二人は大量の汗を流していた。その代わり、敵は防壁に触れることさえ出来ない。虎の時のように、触れた部分に点火してしまうからだ。


 業火防壁は諸刃の剣のような技だといえるだろう。


 例え混血者が人より耐えられるとして、加えて友達の身を守れるのだとしても、長時間の使用が出来ないのであれば、ユズキは安全ではない。むしろ、ツキヒメたちのように身に危険が及ぶ。



「まあ、お前の意見は関係ない。これは決定事項だ」

「――っ、彼女だって人です! それ以前に、俺の一番大切な友達を傷つけたくはありません!」



 何か癇に障るようなことを言ったのだろうか。タモン様は目を丸くして、眉間にいくつもの皺を寄せた。



「……あいつが〝人〟だと? 馬鹿を言うな。ユズキは、お前や混血者とは違う種の生き物だ。一緒に過ごしていて気づかなかったのか?」



 信じ難いタモン様の発言に、俺の口は半開きになってしまった。口内が乾き、どくんどくん……と脈を打つ心臓の音と共に、手足が重くなるような感覚がした。

 すると、ある出来事が頭を過ぎった。フード付きのマントを着た、あの男と出会った時のことだ。その瞬間、目から鱗が落ちる。


 俺はユズキの手を引いて全速力で逃げた。きっと、今までで最速だったんじゃないかと自分でそう思った。そのスピードについてこられるのは人以外の生き物だけだ。

 ユズキはどうだった? 転げることもなく、引きずられるわけでもなく、俺の足に合わせて走っていた。それから男に向き直って、地面に相手の身体を沈めるほどの一撃をお見舞いした。


 それは、人の成せる技ではない。



「ともかく、今回もよくやってくれた。走流野ナオト、お前が得た情報はすぐに伝令隊に伝達させる。後は青島、お前に任せる。下がっていいぞ」



 青島隊長が俺の肩に手を置いて、そのまま二人で執務室を後にした。長い石段の下にある鳥居まで来たところで、まるですがりつくように青島隊長の顔を見上げた。



「身に覚えがあるのだな?」

「はい……」



 俺の気持ちを理解できると、そう何度も言ってくれていたのに。俺は、ユズキについて何もわかっていない。


 ユズキの言葉で、様々な重苦から解放された気でいた。でもそうではなかった。あれはただ楽になっただけで、走流野家にはまだ何かあるのだと、タモン様の発言がそう裏付けた。一朝一夕に解決できる問題ではなかったのだ。


 彼女についても、家族についても、俺はまだほんの少ししか理解できていないのだと思い知る。


 ユズキは俺に「視野が狭すぎる」と言った。それだけは、本当の意味で理解できた。俺は、あまりにも長い時間を自分の殻に閉じこもりすぎてしまった。


 人目の着かない場所を探し歩いて、青島隊長はユズキについて話してくれた。どれも、縄で力強く肺を締め付けられたみたいに呼吸がしずらいような話しばかりで、とにかく苦しくて、悲しくて。


 人々が彼女を見る目に疑問を抱いたのはつい最近だ。「僕についてはまた今度だ」と言って話は終わってしまったが、言外の意を覚った。


 ユズキは、八歳の頃に北闇に迷い込んだ孤児であった。外傷があり、発見された時には記憶喪失だったそうだ。記憶がないため確証はないけれど、おそらく両親に捨てられたのだろうと北闇は結論づけた。

 しかし、彼女は三種が潜む森をたった一人で生き抜いた。監視対象となり、そのせいで人に対する信用を失い、タモン様にも反抗的な態度を見せ、終いには他国に行ってしまった。その間、タモン様は相手の国帝とやり取りをし、情報収集に励んでいたという。


 それよりも驚愕せずにいられなかったのは、ユズキが人間でも混血者でもない、ということだった。


 ユズキに半獣化する力はない。だが、爪を鋭利な物に変化させたり、とんでもない馬鹿力を発揮できる。かといって、半妖化できるわけでもないのに、気配やニオイといったものがまるで無いそうだ。

 混血者にある力を、混血者ではないユズキが扱える。それどころか、走流野家のように言霊や身体能力の向上を特化させる必要もなく、彼女にはその能力まで存在する。


 これが、ユズキが言葉を濁した理由。


 二の句が継げなくなり、俺はただ耳を傾けるしかなかった。



「ナオトよ、そう気に病むんじゃない。私の隊にユズキがいるのは、彼女がタモン様に頼んだからだ。お前と一緒に組ませてほしいと言ったそうだ。友達だから、とな」



 目の奥が熱くなった。こんな俺を友達だと言ってくれる彼女に、感謝と虚しさと悔しさが複雑な形となって目からこぼれ落ちてくる。

 俺は、友達を守るために修行を始めた。しかし、ユズキは俺よりも遙かに強い。


 その日の夜、俺は珍しく家で過ごしていた。どんな顔をしてユズキに会えばいいのかわからなくて、ベッドに寝転がりながら、飽きることなく左右に転がっている。そうこうしていると、カーテンの隙間から日が差し込んだ。

 しばらく天井を仰いで、それから戦闘服に着替えて、公園に行く。ユズキはベンチに寝転がっていた。



「おはよう」



 そう声をかけると、瞼をゆっくりと開いた。



「遅かったな」



 起き上がり、空に向けて背伸びをする彼女に、俺は言った。



「俺とユズキは〝同じ〟だ。だから、周りに振り回されるな。一緒に頑張ろう……。友達なんだし、ユズキは一人ぼっちじゃないだろ?」



 ユズキの動きがぴたりと止まって、錆びついた電動式の人形みたいに、ぎこちなく俺の顔を凝視した。猫のように大きく見開かられた目からは、今にもぽろりと黄金の瞳が落ちてきそうだ。


 あれから悩みに悩んだ。俺よりも強いって事実に悔しさは消えなかったけど、それ以上に「友達なんだ」って気持ちの方が勝っていて、悔しさも、他人じゃないから感じるものなんだと思い至った。


 それに、ユズキの体質がどうであれ、俺たちが人と違うという点は〝同じ〟だ。すると、他にも共通点はあったんだと嬉しくなった。

 公園に来るまでの足取りは軽く、待ってくれていた彼女を見た時は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。だけど、謝るよりも先に出てきた言葉は、何よりも伝えたい言葉だった。



「ユズキのそんな顔、初めて見た」



 そう言って笑うと、ユズキの顔が真っ赤に染まる。



「と、友達にしか見せない顔だからな。誰にも言うんじゃないぞ!」

「はいはい。そんなことよりも、もう朝だ。早く着替えなきゃ」



 慌てて公園を飛び出して行ったユズキを、今度は俺が待った。ベンチに腰掛けて、彼女の代わりに背伸びをする。今日はまだ始まったばかりだ。

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