第3話 幻覚

 班員と真っ昼間の林道を歩きながら、俺は時折空を見上げていた。そして、いったい何をしているのだろうか――、という自問を抱きながら視線を戻すのだ。

 他の班員に囲まれるようにして、その中心を歩く中年男性。彼は一般市民で、山菜を採りに行くために闇影隊に護衛を依頼した。その依頼を任されたのは、俺が配属する青島班だ。


 入隊して二週間、気が狂いそうになるくらい同じ任務をこなしてきた。



「余裕だな」



 声をかけてきたのは、同班であり、友達のユズキだ。木々の隙間から差し込む日の光が反射して、白い髪が煌びやかになびいている。彼女も依頼人と距離を置いて歩いていた。

 そんな彼女の黄金色の大きな瞳と、前髪でほとんど隠れている俺の薄紫色の瞳がかち合った。


 耳に髪の毛をかけながら、ユズキは小声で続けた。



「どうせまた、くだらない事を考えていたんだろう?」

「別にそんなんじゃないけど」

「嘘をつくな。まあ、気持ちはわからなくもないがな。しかし、楽に越したことはない」



 誤魔化したところで、彼女には心の中を見透かされているようだ。


 ユズキの言うことは正しかった。


 確かに、依頼人の山菜採りに付き合い、無事に家まで届けるだけの任務は、他の班からすると恵まれたものだと言われるに違いない。頭ではわかっているが、しかし納得がいかないのだ。



「父さんとヒロトは毎日のように死にかけてる」



 理由はこれだ。


 俺の家族は、父と兄と俺の男三人で、全員が闇影隊に入隊している。二人はちょっとした有名人だ。父さんは任務の達成率が高いと評判で、ヒロトは訓練校で成績を残している。上層部からの期待も高い。よって、任務の難易度が俺たちとは違う。

 かといって、俺もそうなりたい、というわけではない。ただ、二人のように身を張って誰かを守りたいのだ。


 そもそも闇影隊とは、人害認定の化け物を討伐するために結成された組織だ。父さんとヒロトはその化け物の討伐任務に向かった。


 けれど、俺は入隊してからというもの一度もお目にかかっていない。とはいえ、あくまで入隊後――。見たことがないわけじゃない。同班であるユズキも、ある化け物の襲撃に遭ったことがある。


 同様に思い出したのか、ユズキはさらに声を小さくした。



「訓練校に通っていた頃、野外訓練で何度も死にかけた。あれだけで十分だ」


 

 それから、ユズキは説教するかのように小言を口にし続けた。緊張感の足りない俺を心配してくれているのだろう。


 林道を抜けると、目の前に巨大な門が姿を現した。母国――北闇きたやみの国の正門だ。門は正門と裏門があり、居住区を囲うようにして四本一組の巨木で壁を築いている。敵の侵入を防ぐための大切な防壁だ。

 巨木の上は人が歩けるよう通路がある。そこに立っているのは監視員だ。外を見張る彼らに睨まれながら正門を通過した。


 そして俺はまた空を仰いだ。

 日は傾き、空はオレンジ色に染まっている。きっと、家に帰っても誰も居ないだろう。



「なあ、ユズキ」

「いいだろう。泊まりに行ってやる」

「ありがとう」



 やはり、彼女には心を見透かされているらしい。



「いやあ、お陰様でこんなに収穫できました。またよろしくお願いします」



 深々と頭を下げる依頼人と別れて、班は解散した。そして、色んな人の視線を一身に浴びながらユズキを連れて家に帰った。


 夜――。

 やはり、父さんとヒロトは帰って来なかった。



「もうどれくらいになる?」

「初任務のときからだから、もう二週間だな」

「そんなにたつのか。初任務がアレの討伐だなんて……。僕たちのような新米が就く任務ではないぞ」



 畳に寝そべり、脱ぎ捨てた戦闘服を眺めるユズキ。

 黒と緑を基調とした戦闘服は、北闇の闇影隊であることを示す大事な服だ。

 鎖帷子くさりかたびらの上からジップアップの服を羽織り、袖が邪魔にならぬよう手甲に腕を通す。腰回りがゆったりとした栽付たっつけは袴に似ていて、袴の脚を包み込むように、ブーツは膝の少し下まである物を配給されている。これが闇影隊の戦闘服一式だ。


 緊急事態に備えて、休日であっても、外出する際には必ず着て出歩かなければならない。

 俺とユズキは未だに休日を経験したことはないのだが。



「ヒロトは強いんだ。だから……」

「仕方がない、か?」



 黙って頷くと、ユズキは上体を起こした。



「お前だってそれなりに強い。十二歳という若さで訓練校を卒業したんだからな。過去の記録では十歳で卒業した者、お前の父親がいるが、それに次いで十一人の精鋭が早期卒業を果たした。それなのにお前は不満ばかりだな」

「評価が変わるわけじゃない。俺とヒロトに向けられる視線は一生変わらない。それなのに、あいつらを見返してやる前にヒロトは死ぬかもしれない」



 一つ息を吐き、テーブルの上にあるマジックペンを片手に握ったユズキ。立ち上がり、カレンダーの前に移動した。そして、今日の日付に×印を書く。書き終えて、ようやく言葉を返してくれた。



「大人はさておき、同期がお前を馬鹿にする原因に、そろそろ気づくべきだ。お前には自信もなければ勇気もない。常に最悪の事態を考えている。不安は全て表情に出ているし、言動にも表れている。終いにはどれだけ励まそうとも否定される。マイナス思考なのもいい加減にしろ」



 こちらに向いたユズキの瞳の奥には、明らかに怒りが揺れ動いていた。一方、俺はというと、ぐうの音も出ずにいる。



「傷つけたのなら謝る。だが、問わずにはいられないぞ? あれだけの成績を残しながら、なぜこうも怯えているんだ? そもそも、どうして闇影隊を目指したんだ。なぜあの時、闇影隊の育成学科を選択した。一般教育を選ばなかったのはなぜだ?」



 学校では、二年間通った後に二つのコースから選ぶことができた。

 一般教育学科と闇影隊育成学科だ。このどちからを選ぶわけだが、仮に一般教育学科を選んだ場合は十八歳までの教育が義務づけられ、主要となるいくつかの科目や後に細分化された科目を学ぶことになる。


 闇影隊育成学科――通称・訓練校はというと、主要となる科目以外に闇影隊に関する全てのことを学ぶ。また体力測定や、実戦を想定した訓練などを行うことになるが、義務ではないし卒業する時期も人によって違う。卒業を決めるのは、通った年数ではなく、学校側だからだ。


 学校側の判断で、年齢など関係なく卒業試験を受けることになる。逆をいえば、学校側から判断がされない限り、たとえ十八歳を超えようとも、訓練校に通わなければならない。


 ちなみに、卒業試験は辞退することもできる。そうしたときは、また一年間追加で育成学科に通うか、一般教育学科に変更して残りの義務年数を通うか、だ。


 俺はヒロトと同じ育成学科を選び、ヒロトには及ばずとも、体力測定の成績は二位をキープしていた。なぜここまでの成績を残せたかというと、噂通り、化け物じみた力が宿っているからだ。

 そんな俺たち双子に、学校は大いなる期待を寄せていた。「混血者に劣らない優秀な生徒が人間にいる」と。だからといって、その期待に応えるべく闇影隊を目指したわけではない。



「ヒロトがいたからだ」



 理由はこれだけだ。命を賭ける仕事にしては、自分でも呆れてしまうくらいにたいした理由ではない。

 また怒られるだろうと覚悟するも、ユズキはいつもの調子で声を返した。



「まあ、わかりきっていた答えだな。僕だって似たようなものだ。お前がいたから通い続けた。卒業試験だってそうだ。だがな、もうヒロトはいないんだ。もっと気を引き締めろ。でないと、明日は死ぬかもしれないぞ」



 そう言って、マジックペンを投げて寄こす。



「様子見は今日で終わりにしよう。明日、任務を終えた後、闇影隊らしいことをする」

「なにをするんだ?」

「僕たちと同じ目に遭ってる奴がいないか探しに出よう」



 そうだ、今は悩んでいる場合ではなかった。卒業後、青島班に配属された次の日から、俺とユズキはある思いがけない事件に直面していた。

 

 翌日、集合場所である正門に到着すると、真っ先に目に飛び込んできたのは、がたいのいい大男の姿だった。

 彼の名は青島ゲンイチロウ。筋骨隆々な体つきに丸坊主が印象的で、青島班を率いる隊長である。

 班員には、俺とユズキの他に二人いるのだが、ヒロトの班の任務応援で今この場にはいない。代わりの増援は面識のない男の先輩が二人。

 青島班は隊長を含めたこの五人で依頼主を護衛することとなる。まだ来ていないようだが、もうしばらく待てばやって来る。


 ここで一つ言っておこう。彼らにとって俺とユズキは〝初対面〟だ。


 隊員全員が揃ったのを確認して、依頼人が到着する前に、青島隊長は軽い自己紹介と任務内容を説明した。



「おはよう。私の名は青島ゲンイチロウだ。新人の二名、よろしく頼むぞ。では依頼内容を伝える。依頼者は黒岩ジロウという男性だ。北山に山菜を採りに行くので、その間の護衛をする役目が我々の任務だ。林道を通り、途中で山に入るという至って安全なルートではあるが、周囲の警戒を怠らぬよう気を引き締めて任務に取り組むように」

「了解」


 

 しばらくして、依頼人のジロウさんがやって来た。大きな籠を背負った彼を中心に、青島班が正門を出発する。

 

 少し距離を置いて、俺とユズキは隊の後方を歩いていた。



「やはり、今日も昨日と同じか」



 ユズキのこの一言は、事件の全てである。


 俺とユズキは、卒業試験に合格した次の日から同じ時間を過ごしている。初任務だった山菜採りの護衛を半月間もこなしているのだ。初めはなにかの試験かと思っていたが、会話も行動も周りの動きも全てに一寸の狂いもない。


 青島隊長の自己紹介を聞くのも十五回目となった今日もまた変わらない。ただ、その日によって天気が変動することから、同じ時間を過ごしているだけで、一日は終えていることがわかった。つまり、把握している限りではあるが、俺とユズキ以外の人々は毎日同じ言動・生活を繰り返しているのだ。


 俺たちはこの症状を〝幻覚〟と呼んでいる。


 苦虫を噛み潰したような顔で、先頭を行く隊を見つめるユズキ。



「……おそらく、ジロウさんを自宅に送り届けるまで変化は起きないだろう」

「犯人が出てくるかもしれないじゃん」

「もし姿を現すとしたら、もっと早くにそうしているはずだ。なぜなら、僕たちが今に至るまでなにも行動を起こしていないからだ。きっと、全員が幻覚にかかったと踏んで目的を果たしていただろう。しかし……」



 しつこいようだが、なんの変化もない。


 この事件が自然現象や病ではなく、誰かに仕組まれたものだとしたら、上層部に報告して手を打ってもらう他ないが。この事件の一番の厄介どころはそこだ。



「上が動かないってことは、みんなと同じってことだよな?」

「そう考えるのが妥当だろう」



 報告したとしても、朝が来ればまた繰り返すことになる。現状、動けるのは俺とユズキしかいない。


 任務を終えて、ユズキは一度自宅に帰った。皆が寝静まる頃に戻って来た彼女の腕の中には、黒いフード付きのマントが二着あった。戦闘服だと目立つし、闇影隊の中に幻覚にかかっていない者がいると知れるのはまずいから、持ってきたそうだ。



「どこで拾ってきたんだよ」

「細かいことは気にするな。とにかく、なにが起きても素性だけは死に物狂いで隠すんだぞ」

「フードがめくれたら終わりだな」

「そう言うと思ったから、これも持ってきた」



 鞄から取り出したのは、角が二本生えた般若の面だ。面にはベルトのような物があり、後頭部でしっかりと固定できるようになっている。



「早く事件を解決させよう。そうすれば、お前の家族も帰ってくる」



 そう言ったユズキは、俺を安堵させるかのように、ふんわりとした笑みをみせて、それを般若の面で覆い隠した。


 夜道、監視員を警戒しながら二人で北闇中を走り回った。時刻は三時頃といったところか。こんな時間に出歩く一般人はいない。

 北闇にはあるルールが存在する。それは、一般人の十二時以降の夜間外出を禁止する、というもの。これは、この国で一番偉い人、玄帝が決めたことだった。皆は忠実にこの決まりを守っている。

 理由は、十二年前に発生した大地震が原因だ。

 あれは、ちょうど今くらいの時間帯だった。俺が生まれた日、北闇は大地震に見舞われた。壁材である巨木は大きな音を立てながら横倒しになり、土埃の向こう側から化け物の集団が襲ってきた。

 そのため、地震による死者よりも、襲撃による死者の数が上回ってしまった。このことから、一本ずつ埋められていた巨木は今では四本一組に改善されているが、人々の記憶からあの時の恐怖が消え去ったわけではない。


 よって、人気のない北闇での犯人捜しは止まることなく行えるが、物音一つしないのだからどこか恐ろしくも感じる。


 怪しい者がいないか一通り確認した。北闇を隅々まで駆け回っていたため、すでに早朝を迎えそうである。

 ふと、ユズキが足を止めた。そこは卒業試験前に会話を交わした公園だった。



「変だな……」



 そう言って、俺の手を引きながら公園が見渡せる民家の裏に隠れる。しばらくして、彼女は堂々と公園に向かって行った。ユズキの背中に思わず手が伸びる。



「おいっ……」

「大丈夫だ。ここは監視員から死角となる場所みたいだ」



 辺りを見渡した。すると、緊張で強張っていた身体から力が抜けていくような感じがした。彼女の言う通り、公園の周りにある建物や木のおかげで――、いや、違う。俺はなにを安堵しているのだろうか。死角があるとはつまり、北闇でもっとも手薄な場所ということじゃないか。


 それと、気になるのが、変だと洩れたユズキの言葉。



「ここでなにかあったのか?」



 ユズキはこくりと頷く。



「実は、数日前から今みたいに調査を始めていたんだ。これくらいの時間になると、必ず公園付近を徘徊しているお年寄りがいた。危険だし、家の近くまで送り届けていたんだが、今日は姿が見当たらない」



 調査をしていた時間帯が、よりにもよって今なのかと、俺はすっかり気落ちしてしまった。

 朝を迎える前。それは俺が眠っている時間帯だ。夜の散歩に付き合っていた彼女はそのことを知っている。俺が眠るのを見計らって、外に出ていたのだろう。



「一人で行くことないだろ」

「うだうだ悩んでいる奴を連れて歩き回る方が、僕にとっては危険なんでな。置いて行かれたくなかったら、これを機に少しは強がってみろ」



 考えていることはお見通しだと言わんばかりのユズキは、呆れた声振りである。

 こうやって、彼女ははっきりと物事を言う。だけど、俺はこの関係は崩れないだろうと、なんの確証もなしにそう信じている。それくらい仲の良い友達だ。



「ほんと、ユズキって変わってるよな。俺と居て腹が立ったりしないの?」

「最初は、な。だが、お前の性格や行動を理解できないわけではない。……ともかく、一つ収穫だ」



 緩んでいた気を張り詰め直すかのような、ユズキの低い声。生唾を飲み込んだ。北闇のどこかに幻覚にかかっていない老人がいる。


 毎夜、同時刻に現れていたのは、あえて周囲と同じ行動をする必要があったからだと仮定しよう。根拠は二つある。一つはこちらと同様であるか。もう一つは、そいつが犯人であるかだ。最悪なのは後者だ。



「もし俺が、そのお年寄りの立場だったら、とっくに騒いでいるかも。でもこれはあくまで被害者だったらの話しだ。もしくは……」



 今、この瞬間も、俺たちのやり取りを傍観しているか――。なぜならここは、監視員から死角となる場所なのだから。


 そう考えたところで、ユズキの般若の面を俺の両眼が捉えた。表情はわからずとも、腕を組みながら黙っている彼女をみるに、どうやら推測するところは同じのようだ。


 ユズキは姿を見られている。


 冷たい風が身体を撫で、マントが静かになびく。少しの間、公園には葉が擦れる音が聞こえていた。それから静寂を取り戻して、ユズキが口を開く。



「……走れ」



 直後、居たたまれぬほどの重苦しい気配を感じた。膝から崩れ落ちそうになる足を懸命に動かす。もはや、ただ走るというよりも逃げるにちかい。全身にのしかかった気配は、殺気そのものであった。


 重圧から抜け出したのと同時に、俺はユズキの手を引いて本気で駆けだした。その瞬間、皮膚の内側から燃やされているみたいに、身体中がカッと熱くなるのを感じた。この変な現象に疑問を抱いたのも一瞬で、今いる場所から近い裏門を目指す。監視員に見つかるかもしれない、なんていう不安は微塵もなかった。それよりも、なぜだか、感が〝外へ出ろ〟と叫ぶのだ。


 走りながら、背後から得体の知れぬ物体が追いかけてきている気がしてならなかった。


 自分の荒々しい呼吸音が鼓膜を刺激しているけれど、決して息が切れているわけではない。指先は冷たくなり、背中は鳥肌が虫のように這いずり回っている。


 恐怖による身体の異常だ。


 常に一身に浴びてきた視線や、罵声、脳裏に刻まれている様々な過去。トラウマになるほどに怖かったはずが、これらのなによりも、背後に迫る何者かの存在が遙かに上回っている。


 いつだって冷静なユズキですら息が上がっていた。


 目前に現れた裏門を飛び越えて、二人で同時に盗み見るように振り返った。


 ユズキが息を吐き出すように言う。



「アレはなんだ……?」

「――っ、あり得ないだろ! なんでっ……」



 腰の曲がった老人が、俺たちと程度を同じくして走れるのだろうか。俺のスピードは100メートルを3秒で走りきるほどだ。この異様な能力のせいで成績を残せた。



「こ、公園に居たのって、あの人?」

「そうだ」



 急に足を止めたユズキが、俺の手を振りほどいて後方に向いた。数秒ほど遅れて俺も老人に向く。地を蹴って高く飛んだユズキは、あろうことか老人の頭上めがけて拳を振り下ろしていた。



「な、なにしてんだよ!」



 自分の発言がおかしいってことはわかっている。しかし、相手は老人だ。


 舞い散る砂塵を纏いながら、影が一つ飛び出してきた。ユズキだ。砂塵が晴れると、顔面から首までが地中に埋もれている老人の姿。



「死んだ……のか?」



 なんの躊躇もなくやって見せたユズキに肌が粟立った。「闇影隊らしいことをする」とは言っていたが、ここまでとは想像すらしていなかったのだ。思わずユズキの肩を掴んだ。



「なんてことしたんだよ!」

「アレが人ではないからだ」

「……え?」



 向き直ると、老人は両手をついて顔を引き抜いていた。だらりと垂れている頭はそのままで立ち上がる。そして、身体に異変が現れた。

 あらぬ方向に関節が曲がり始め、まるで操り人形のような体勢となる。それだけでも不気味なのに、蠢きながら姿を変えていった。

 最終的には、俺たちと似たような格好となった。フードを深く被っているせいで顔は確認できない。しかし、立ち振る舞いは明らかに人であった。


 そいつはユズキにこう言った。



「どうしてバレたのかな。完璧だと思っていたのに」



 立っていたのは老人ではなく、そして本人が認めてくれたおかげで人でもないとわかった。まだ幼さの残る男子の声を発しながら、首を傾げている。

 俺の脳が危険信号をだした。ズキズキと痛みにも似た感覚は、今すぐ手を下せと命令している。拳に力がこもった。だが、その手をユズキが強く掴んで首を振る。


 ユズキが話しかけた。



「目的はなんだ。なぜ北闇を襲った?」



 その問いに、そいつは肩を揺らして笑った。



「目的は果たされた。君たちのおかげでね。……北闇には可能性が二つ。顔を確認できないのは残念だけど、身長や声、行動から察するにまだ子ども。問題なのは君たちのその服装……。それが本当なら少し厄介だけど、まあ支障はない。そっちの男の子は使い物にならないようだから」

「……その発言は、自ら死を志願したことになるが、そう捉えて構わないな?」

「別にいいよ。殺せるものならね。だけど、意味は成さない。俺の死はなんの解決にもならない」



 これは始まりにすぎない――。


 奴が喋っている隙に、上層部に突き出すため、ユズキと同時に捕獲しようと動いた。だが、伸ばした俺たちの手は空気を握りしめていた。



「逃がしたか……」



 般若の面を外しながら、そう言って舌打ちをするユズキ。


 すると、北闇を包み込む光のドームが浮かび現れた。直後、音もなく弾けて消えていく。それは、半月に及んだ謎の事件の解決を示していた。

 いまだに不安がくすぶるなかで、どこか胸を撫で下ろしている俺がいた。父さんとヒロトが帰ってくる安心感からだ。それも束の間、今度は別の感情が芽を出す。


 あいつはハッキリと言った。俺は使い物にならない、と。どこで見ていたかはさておき、見抜かれていた。だからあいつは行動に移したのだろう。俺が足を引っ張ってしまったという結果に、ユズキから注意された数々の言葉を思い出す。


 般若の両目に空いている二つの穴。そこから見渡せる狭い視野の朝を迎えた空。仰ぎながら、また自問を抱いた。



(俺はいったい何をしているんだろう……)



 同じ言葉なのに、持つ意味が違う。


 相手が何者だったにせよ、別の結末だってあり得た。大事な友達を失うという、最悪な結末だ。

 無力な自分をこんなにも責める日が今までにあっただろうか。強さが欲しいと望んだのは、生まれて初めてのことだった。

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