第3話 放課後話しかけてくるなんてヤれるかもしれない

「し、し、し、新次郎きゅぅん!? その隣の女の子は誰なのぉ!?」


「文化祭実行委員の橘さんだけど」


「はじめまして。新次郎くんと文化祭実行員やってる、橘です」


 放課後。

 自分たちの教室で文化祭の準備をしていると、いきなり兄さんが来た。

 まるで日曜日の定番アニメみたいなノリで――弟、一緒に帰ろうぜと教室に入ってきた兄さんは、僕たちの姿を見るや深夜アニメでしか見せられない作画崩壊したような顔になった。


 この世界を滅ぼしてデストロイして、新しい秩序を造ろうという顔だ。


 そんな変顔できるんだね兄さん。

 きっと合コンとかでそれやったら、女子にウケると思うよ。

 まぁ、兄さんが合コンに参加できるかどうかは知らないけど。


 文化祭の小道具と資材を抱えたままだった僕と橘さんは、兄の来訪に足を止めつつ、手に持っていたそれらを近場の机へと載せた。

 夕焼けが教室には満ちている――。


 少し、沈黙があった。

 兄にしては珍しい、沈黙だった。


「……橘さん、会っていきなりだけど、下の名前はなんて言うんだい?」


「あ、蜜柑です。橘蜜柑たちばなみかんです。被っちゃってますよね」


「……橘ヤリ〇ンだってぇ!!」


「おい!! 時間巻き戻せよ、このアホ兄さん!! なしなし、今の色ボケネタはなしだから!! 橘さん、ごめんね、ほんと、兄さんがアホで!!」


「……えっと、どういう意味?」


 僕に向かい橘さんは首をかしげる。


 なんと。


 割と最近の女の子はスレていて、この手の知識は豊富らしい。

 と、僕は誰からともなく――たぶん兄さんから――聞いていた。

 けれど、どうやら橘さんはそういう知識には詳しくないらしい。


 兄さんのセクハラをまったく意に介さず、短く切りそろえたアッシュボブの髪をふわふわと揺らし、橘さんは僕と兄さんを交互に見てきた。


「えっと。もしかして新次郎くんのお兄さんとかですか?」


「高尾健次郎です!! 趣味はスケボーにギターの弾き語り!! 頭が悪そうな奴とはだいたい友達だけど、進学校だからちょっと孤立気味!!」


「名前が似ているだけの赤の他人です。それだけで兄弟のふりして付きまとってくるサイコパス野郎なので、橘さん近づかない方がいいと思うよ」


「……え?」


「おい!! 新次郎!! おい!! お前、それは傷つく奴ですよ!!」


 友達いないからって、一緒に帰ろうぜと毎日誘ってくる兄さんである。

 血縁関係がないというジョークについては、ちょっと言い過ぎかもしれない。だけど、サイコパス野郎については事実のため否定する気はない。


「うそうそ、僕の兄さん」


「あ、そうなんだ」


「新次郎。血縁関係を認めてくれたのはうれしいけど、もうちょっと、他に謝るべき所があるように思うの。そう、お兄ちゃん思っちゃうの」


「気をつけて。女の子に話しかけられただけで好意があるんじゃないかと舞い上がる童貞の中の童貞、童貞皇帝フリードリヒ二世だから近づくと危険だよ。ほんとすぐに勘違いするんだから」


「またそういう!! 事実でも言って良いこと悪いことがあるのよ!!」


「……童貞なんですか?」


「うん!! 君のようなワンコっぽい後輩に童貞貰って欲しい系男子!! それが紛れもなく僕さ!!」


 ぶっちぎりにサイコでパスなセリフを吐き出す兄さん。

 だから、そういうのを直さない限り、兄さんは一生童貞のままだって。


 まったく改めるつもりがないのが、僕を余計に不毛な気分にさせる。

 やれやれだよまったく。


 流石に青ざめた顔をして、僕の後ろに隠れる橘さん。

 彼女をかばうように兄さんの前に出ると、まるで獲物を求めるようななまめかしい童貞クソ野郎の視線が僕に向かって来るのだった。


 うん。

 身内を前にして劣情丸出しですか。

 親しき中にも礼儀あり。心の窓は開いても、社会の窓は開かない。

 そういうのも大切だと思うよ。


 もうちょっと、加減というものをしようよ、兄さん。

 というか、純粋にキモイです。


 ちょっといいかな。

 僕は兄さんの肩を掴むと、そのままぐいぐいと彼の体を押して、教室の外へと連れ出した。


 目を見開いて、鼻の穴も開いて、きらきらとした顔をするキモイ身内に、僕はかける言葉を丁寧に吟味する。


「……えっと、もしかして惚れた?」


「惚れちまったんだ、たぶん、気づいてないでしょ?」


「モロバレだよ!! 気持ち悪い態度でモロバレだよ!! 僕はもちろん橘さんも気がついてるよ!!」


 あと、歌に想いを載せて語るな。


 そういうネタは、知っている人選ぶんだから、よっぽどつなげたいオチでもない限り、使っちゃいけない。

 合コンで、自分の分かるネタだけで話をするようなもんだ。


 そういう男って最低だろう。


 兄さんは今、そういう最低野郎のような行いをしている。そういう自覚をもっと持つべきだ。いわんや、ネタもないのに歌パロとなという奴である。


童貞チェリー


「ブフォォ!!」


 あった。

 どうしてもやりたいネタがあったみたいだ。


 兄さん――自虐ネタもいいけど、そこは加減してください。

 ほんと身を切らせて骨を断つようなところあるよね、兄さんって。


「それはそうと新次郎」


「なんだい兄さん。もうだいたい予想はついているけれど」


 兄さんはいつもの妙な威厳を取り戻すと、腕を組んで僕の方を見据えて言った。さきほどまでの、童貞ネタで暴れる男子高校生の姿はもうない。

 超能力者の矜持を取り戻した彼は、ふっと不敵に笑ってみせた。


 まぁ、そんな顔でいうことは――。


「髪をおろせばクリソツな俺とお前。入れ替わって接すれば、俺の溢れるワイルドな性格に、えっ、新次郎くんってばこんなに男らしいのってなって――ヤれるかもしれない!!」


「ヤれないから!!」


「女はギャップに萌えるもの!! 草食系動物の筆頭格!! サバンナのシマウマのような新次郎!! そんな弟に対して兄である俺は北極熊!! 哺乳類にて地上最強の生き物!!」


「大きく出たなおい!! 童貞の悪い癖だと思うよそういう所!!」


「仲良くなった所でカミングアウト。え、新次郎君のお兄さんだったんですか――いつもよりなんかぐいぐいくるなって、ちょっと思っていたんです。けど好き。的な展開をキボンヌ!!」


 そして兄は、いつものように左目を隠すと皇帝ポーズを取った。


時間遡行タイムリープ!!」


「だぁもう!! 一応、僕のクラスメイトなんだから、気まずくならないように配慮してよ!!」


 兄が駆けだしたら止まらない、時を暴走特急で駆ける男だと知っている僕は、それだけ言うとことの成り行きを見守ることにしたのだった。


◇ ◇ ◇ ◇


「……で、兄さん。なんでそんな落ち着いた顔をしているの?」


「……いや」


「……まさかとは思うけど皇帝時間エンペラー・タイムに突入したとかじゃないよね」


 気になって僕は教室の中を覗いた。

 まさか、事後――なんて思ったが。


「あ、新次郎くん!! お兄さんとのお話は終わった?」


「え、あ、うん」


 特にこうよそよそしい感じはない。初仕事を終えてしまった男女なら、なんというか、隠そうとしてもどうしても隠せない、浮ついた感じがにじみ出て来そうなものだが。

 そういう感じは橘さんからは少しも感じられなかった。


 まぁ、最初から成功するとは思っていなかったけれど、今回も、兄さんは失敗したみたいだった。


 しかし――。


「この落ち着きはいったい」


「新次郎、ひとつ、聞いておきたいことがあるんだ」


 暗い顔で兄さんが言った。

 なんだか思い詰めた声色に、少し僕もマジな顔になる。

 兄さんは再び僕を廊下へと引っ張り込むと、眉間にしわを寄せて言った。


 ここ一年ぶりくらいに見る、真剣な表情だった。


「新次郎はさ」


「うん」


「密かに自分のことを想ってくれている女の子が実の兄に寝取られても、それはそれで興奮するタイプ?」


「するわけないよ、馬鹿かお前は」


 いきなり何言っちゃってんの。

 そんな展開、高校生にはいくらなんでもハード過ぎるわ。


 ――って、えぇ?

 えぇっ、ちょっと、えぇ?


「ふふっ、こいつはとんだピエロだぜ。いや、キューピッドかな」


 はじめて兄さんの能力が僕の人生で役に立ったかもしれない。

 やだ、ちょっと、嬉しい。


 橘さん、そうだったんだ……。

 人気のない文化祭実行委委員に立候補してくれた時、もしかしてと思ったけれど、気持ち悪い童貞の勘違いかなと思っていたんだ。

 けど、そうじゃなかったんだね。


 唐突なラブコメに、胸が苦しい。

 とても切なくなる。


 橘さん――。


「まぁいい。高校生の初恋なんてそう簡単に成就するものじゃない。破局すれば、俺が彼女に優しく近づいて、なし崩しに彼氏になるというのも」


「おい、別れる前提で話を進めるな」


 弟の青春に余計なちゃちゃを入れないでください。


 兄さん。

 アンタ、僕の兄さんだろう。

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