第15話 答え合わせをしようか

「くかーっ、すぴーっ」


「ふふっ、愛ちゃん、よっぽど疲れていたんだな。マッサージの途中で寝ちゃうなんて」


「んぐ……けんいちろぉー」


「……なんだい愛ちゃん」


「……えへへ、しゅきぃー」


 俺はその言葉に答えてあげることができなかった。


 睡眠薬――マイスリー10mg――を握りしめて、それを使わなくて済んだことを感謝しながら、俺は彼女の顔を覗き込んだ。


 この感情が愛ではないことを俺は知っている。

 俺は彼女に下心を持って近づいた。

 それも、身勝手で、我儘で、利己的で、自分の欲求を満たすためだけに、俺は彼女に近づいたのだ。


 ひどい男だと思う。

 けだもののようだ。


 仕方ない。

 実際俺はけだものなのだ。

 人の皮をかぶったけだもの。


 けど、人の中でしか生きられない。

 そういうけだもの。


「愛ちゃん。許してくれ。俺は君にまたひどいことをしてしまう」


「……んー」


「君には迷惑をかけっぱなしだ。けれど、その責任を俺は取るつもりさ」


「……けんいちろぉー、ちゅー」


 彼女の唇に自分の唇を重ねる。

 彼女は眠っている。寝言がその証拠だ。もし、起きているなら、彼女はこんな恥ずかしい言葉、口が裂けても言いはしないだろう。

 だから、夢の中だけでは、優しい俺でいてあげようと思った。


 もう今さら、彼女との関係を巻き戻して清算する訳にはいかない。

 成り行きで巻き込んでしまったとはいえ、俺は彼女と、彼女の過去に深くかかわってしまったのだ――。


 変えてしまったから知っている。

 彼女と初めて、彼女の祖父がやっていた駄菓子屋で出会った日のことを。

 守るために近づいたから知っている、彼女と過ごした穏やかな日々を。

 壊したから知っている、彼女が祖父の死を嘆き俺の手を握った日を。

 監視してきたから知っている、彼女が何も知らない娘ということを。


「……清算しにいこうか」


 俺は愛ちゃんをベッドに寝かしたまま、窓を開けて部屋を出た。


 新次郎は、さっきのやりとりでしばらくポンコツだ。

 橘ちゃんはよく吟味したが、アレは問題ない。彼女も普通の娘だ。


 手を出される心配はない。


「……さて、いっちょヤリますか」


 そう言って、俺は青い空に跳んだ。


◇ ◇ ◇ ◇


「……婆さん」


「おや、シンちゃんのお兄ちゃんかい。いらっしゃい」


「あぁ」


「ご注文は――ラムネスラッグ弾でいいかい?」


 そう言うと、老婆は突然背筋を伸ばした。

 膝をついて座卓の下からショットガンを取り出し玄関に向けて構える。

 ダンという音と共に、シェルバレットが弾けて、駄菓子屋の入り口に雨霰となって鉛玉が降り注ぐ。木でできた扉と、そこに嵌っていたガラスを割って、それはけたたましい音を立てた。平穏な、日常には不相応な――そんな音だ。


 そこに人が立っていたら、肉の爆ぜる音まで混ざって、さらにこの場は不快なことだったろう。


 しかし――。


 そこに俺はいなかった。

 未来を視てきた俺はいなかった。


 婆さんの背中に、俺は立っていた。


「なにっ!?」


「答え合わせをしようか、婆さん。爺さんといい、アンタといい、本当に厄介だぜ。なぁ、勘弁してくれないか、俺のただ一人のを奪おうとするのはよう」


「……時間跳躍タイムリープじゃない?」


「空間操作も使える。時間跳躍タイムリープ左目を隠セーブした時の能力さ。便利なものだろう。俺はその気になったらなんだってできちまうんだ」


「……化け物バケモノ!!」


「知ってる」


 ひっ。

 その時、婆さんの声が上ずった。


 どうやらタイミングよく効いてくれたらしい。やれやれ助かった、これで、余計なやり取りをせず、スマートにこの話を終わらせられる。


「なっ、何をした」


「別に。ただ、ちょっと、婆さんの昼食に細工をさせてもらった」


「……昼食ぅ?」


「この時期に、太陽の下にさらしておいたカレーはまずいぜ、婆さん。それでなくても、スペシャルなスパイスをふんだんに仕込んでおいたんだ」


「……それがアンタのやり方かい」


「あんたたちと違ってスマートなもんさ。爺さんは、縁日に紛れてヤろうとしたけどね。まぁ、俺が相手とあっちゃ分が悪かった」


「……あの子新次郎が死ねば、この世界は自由になる」


「違うね、あいつ新次郎がいないと、この世界は存在する価値がない」


 俺は婆さんに背を向ける。

 こぉ、こぉ、と、浅くなっていく吐息。青ざめていく顔。それから顔を背けて、俺はクーラーボックスから一本――ホームランバーを取り出した。

 財布から代金を取り出すと、それを婆さんの前に撒く。


 そして、その白い棒を口に含んだ。


「放っといても死ぬけどね、こうして、最後のあいさつに来てやった。それは俺が紳士だからだよ。アンタたちみたいな外道とは違うってことさ」


「人類史を、その能力でズタズタにしたお前が言うか」


「まだ剪定されていない未来の俺たちに唆されたか。やれやれ、弟を殺そうとするなんて、ろくでもない兄貴だねぇ。マクスウェルドライブか、ラプラスサーキットか、黒箱猫ブラックボックスキャットか知らないけれど、ただの人間が一度きりの時間跳躍タイムジャンプをして、人生を賭して殺しにくるなんて――正気の沙汰じゃない」


 しかもカップルでだ。

 いよいよ、狂気じみてる。


 クライド&ボニーだって、時を越えてまで犯罪はしないだろう。


 けれどその勇気に敬意を表する。

 戦士としての行いに敬意を表する。

 俺もまた戦うために生まれたケダモノなのだから。


 俺は死にゆく婆さんに微笑んだ。


「あんたの息子、娘は、このことを知らないんだろう」


「……それはもう調べたんだろう」


「爺さんをヤった時に。アンタはシロだと思ったが――違った。新次郎を殺すタイミングを虎視眈々と狙っていた。そして、あの日――久しぶりに店に寄った日に仕掛けようとした。人払いをしたまではよかったが甘かったね。俺が一緒でも新次郎をヤレるなんて、そいつはちょっと舐めすぎだぜ」


「だから愛を巻き込んだのか――」


「お前たちだって、俺の大切な人を殺そうとした。あおいこさ」


 安心しろよ婆さん、愛ちゃんの面倒は俺がちゃんと見てやる。

 そう言って、俺は口の中から残ったアイスの棒を引き抜いた。


 あたり――と書かれたそれを、息をしなくなった老婆の前に投げる。


「愛ちゃんは貰っていく。大切にするよ。新次郎の次なのが申し訳ないが」


 サイレンの音がした。

 見越して、俺が手配しておいたものだった。


 駄菓子屋の入り口に出来た銃創は跡形も消え去り――そこには、食中毒で倒れた老婆の死体がひとつあるだけだった。


「ばいばいだ、婆さん」


 あぁ、そう言えば言い忘れていた。


「あんたも、あんたの旦那も詰めが甘いね。もし、あの時、馬鹿正直に声の方を向かず、振り返っていれば――」


 この不死身のバケモノを、万が一にもヤれていたかもしれなかったのに。

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