最終話 兄さんは相変わらずヤってるかもしれない
「愛ちゃんらぶちゅっちゅー!!」
「だぁっ!! やめろっ!! 朝から鬱陶しい!! 営業妨害だっ!!」
兄さんが、駄菓子屋の前に立つ愛さんに駆け寄る。
いつものように、ルパンダイブした兄さんに向かって、愛さんは上段蹴りを的確に当てた。兄さんたちの青春は後ろ斜め下溜め待ちである。
そして、今日も愛さんのパンツは猫ちゃんプリントである。
もうなんか隠す気が一切ないよね。あれで本当に、兄さんの恋人だっていうんだから、世の中って不思議。
「なんだよぉ、婆さんのことがあって傷心かなと思って、慰めてあげようとしたのに」
「もっと普通に慰めろ!! まだ四十九日あけてねえんだ!! こっちの身にもなれってんだよ!!」
「だって、愛ちゃんの暗い顔なんて、俺、みたくないから!!」
「……け、健一郎、お前」
「そして、早く喪があけて、イチャイチャしたいから!! あけてなくても、喪服の愛ちゃんといちゃこらするのもやぶさかではないから!!」
「殺す!!」
そして兄さんは一撃必殺を喰らう。
愛さんの一撃必殺を喰らう。
兄さん、ほんと糞雑魚だな。
溜息を吐き出すと、
むぅ、と、腕を組む愛さん。
一撃必殺をかわされたからか、それとも、なんだかんだで慰められたのが嬉しかったのか、先ほどまでの殺意はすっかりとその背中から消えていた。
「……おめぇーが優しいのは分かったよ。ありがとな」
「あったりまえだろ。俺は愛ちゃんの彼氏だぜ。愛ちゃんのためならなんだってするぜ」
「嘘くせー」
「信じてぇ!! 俺、こんなだけど、義理堅いんだから!!」
じっと兄さんを睨みつける愛さん。
殺意の波動は感じないけど、まだまだ怒っているみたいだ。
そんな彼女は――。
「信じてるなら、目を瞑って、歯を食いしばれ」
と、なんとも分かりやすいことを言い出した。
兄さん、もう、兄さん。そんなひょっとこみたいな顔してちゃダメだよ。
一応、殴られる体なんだから。そんなわくわくした顔してちゃダメだよ、兄さん。
ほんと朝からやめてバカップル。
「……暑いなぁ」
僕は額の汗を拭った。
◇ ◇ ◇ ◇
「むっふっふ。愛ちゃんってばほんとツンデレ。最初から、ちゅーしようって言ってくれれば、いくらでもしてあげるのに。むふっ!!」
「兄さん、気持ち悪いから、限りなく僕と平行に顔を向けてくれるかな」
「やきもち? 新次郎やきもち? お兄ちゃんとられてくやしい?」
「んなわけねー。普通にキモいんだよこのヘタレ童貞糞ウカレヘブンが」
「新次郎!! だから言葉を選んで!! 愛ちゃんの言葉は、愛があるから受け止められるけど!! 新次郎の言葉には毒しかないからお兄ちゃんきついの!!」
言葉の毒で死んでくれないかなこの兄さん。
ほんと、彼女ができて、いつでもヤれる可能性ができたので、ちょっとは落ち着くかとおもったら――ますますひどくなってこの有様なんだもの。
ヤれても、ヤれなくても、兄さんはずっと一生このままなんだろうな。
なんていうか、将来愛さんとどうなるのか知らないけれど、ろくでもない家庭を築くのが瞼に浮かぶよ。
とほほ――。
「なに、橘ちゃんとABCの進展が遅くって困ってる系なの?」
「……誰かが紛らわしいことしてくれたおかげでね」
「そんな新次郎に、お兄ちゃんが一つアドバイス!! 女の子を落とすための、とっときのテクニックを教えてあげちゃう!!」
「……絶対無理だと思うけど、まぁ、彼女持ちだから聞いてみるよ兄さん」
咳ばらいをする兄さん。
それから彼は――青い空を見上げて、なんだか僕の知らない記憶を懐かしむような顔をした。
その顔があんまり綺麗だったものだから。僕は、兄さんにもかかわらず、ドキッとしてしまった。
「ある所に、なんでもできるとても器用なバケモノがいました。けれども、その器用なバケモノは、この世にたった一人きりで、いつもさみしい思いをしていました」
「……おとぎ話?」
「バケモノは一人だと思い知るのが嫌で、いろんな人たちから言われるままに、いろんなことをしました。とてもとても、言葉にすることも憚られるような、そんなひどい行いもしました。全部、それは人から好かれたいという一心で、誰かと一緒にいたいという一心でなされた行いでした」
悲しい系の話かな。
なんとなく、オチは読めた。
そのバケモノは、結局、いろんな人にいいように使われて、ぼろ雑巾のようになった最後の最後で、女の子か子供に救われるんだ。
なるほど、確かにそれは泣ける。
これを女の子に話せば、ロマンチックな人と思われて――ヤれるってことだね兄さん。
もうそこまでオチも見えたよ。
「けど、ある時、バケモノは知りました。やっぱり、自分はこの世界に一人だけなんだと。そして、決断しました。どうせ一人ぼっちなら、この世のすべてを喰らいつくして、本当に独りぼっちになってしまおうと」
「……え? 怖い系の話なの?」
「違う違う。希望に満ちた話だよ」
「希望?」
「バケモノはすべてを喰らいました、ありとあらゆるものを喰らいつくしました。そして、最後の最後に、病気を患って目も見えない、ベッドの上から起き上がることもできない、老人の下にたどりついたのです。それはあまりにおいしくなさそうで、最後の最後まで、バケモノも食べるのを戸惑っていたのです」
「なんでそんなグルメなんだよ。ひどいバケモノもいたもんだな」
「だって糞尿垂れ流し、髪はぼっさぼっさの、くっちゃいくっちゃい爺さんなんだよ」
「納得」
「ひどい奴だなぁ新次郎」
苦笑いをする兄さん。
そして、兄さんは、僕の方を向いて言った。
「さて、ここで質問です。老人は、バケモノに向かって、いったいなんと言ったでしょう」
「……は?」
ふふっ、と、笑って兄さんがこちらを見る。
ひっかかったな――ヤれるぜという、そんな感じの顔だった。
「こういう感じに、女の子に突然質問をする。すると、うぅんと、ちょっと困った顔をするのが見れて、なおかつ、ミステリアスな男を演出できて――ヤれるぜ!!」
「……ヤれないと思うなぁ」
「新次郎も橘ちゃんに試してみろよ、きっと効果てきめんよ」
それより僕は、その答えの方が気になるよ。
まぁ、口から出まかせで、きっとそんなの、持ってないんだろうけどさ。
ほんと、兄さんってば仕方がないんだから――。
◇ ◇ ◇ ◇
「こんなところによく来てくれた。今日はなんだかとても静かで、少し寂しい思いをしていたんだ」
「……そうか」
「臭くはないだろうか、なにせ、もう、体もろくに動かせない。耳もよく聞こえぬ、目も見えぬ。いやはや老いるというのは辛いものだ」
「……それはそんなに辛いことか」
「いいや言うほど辛くはない」
「ほう」
「本当に辛いのは、誰からも忘れ去られてしまうことだ」
男は言った。
男は言った。
男は言った。
俺の心を、男は言ってくれた。
俺の孤独を、男は言ってくれた。
「この世に独りぼっちというこほど、悲しいものはないものだ」
「お前はこの世に一人なのか」
「父が死に、母が死んだ。兄弟もおらず嫁もいない。まことに恥ずかしいことながら、一人で生きるのがせいいっぱいで、家族が持てなかった」
「人間でも一人なのか?」
「一人なのだ」
「……ならば、どうすればよかったのだろう。教えてくれ、人間よ」
俺は聞いた。
俺は聞いた。
俺は聞いた。
男に、どうすればいいのか聞いた。
この心の空洞を、どうすれば埋めれるのか答えを聞いた。
「そうさな」
「……」
「兄弟でもいれば、また話は違ったのかもしれない」
「……兄弟」
「血を分けた兄弟がいれば、この孤独を埋められたかもしれない」
「兄弟とはどうすればなれる」
「なれるものではない。なっているものなのだ」
男は笑った。
男は笑った。
男は笑った。
不快ではなかった。
馬鹿にしているとは感じなかった。
真心と、同じ境遇の俺のこと思って、その言葉を紡いでいた。
俺には分かった。
全能のケダモノの俺には分かった。
「しかし、幼き頃から一緒なら、血が繋がらなくともなれるかもしれぬ」
「何故だ」
「そういう摂理だ。人の理だ」
「分からぬ」
「このように老いてからでは兄弟をつくるのは難しい」
「であろうか」
「いや、試してみずには分からぬな」
お前は一人か。
お前は一人か。
お前は一人か。
男は俺に尋ねた。
一番尋ねられたくないことを、俺に向かって尋ねた。
けれども嫌ではなかった。
だから、俺は――。
「一人だ。寂しい。こんな思いは、もう、たくさんだ」
「私もだ」
「人間よ、頼んでもいいだろうか」
「なんでも。私にできることは、このとおり限られているけれど」
俺は頼んだ。
俺は頼んだ。
俺は頼んだ。
このみすぼらしい老人に。
俺は一縷の望みを託して頼んだ。
「俺と兄弟になってはくれぬか」
「ほう。名はあるのか。そして、歳は幾つか」
「ない。俺はなにものでもない。ただのバケモノだ」
「ふむ。ならば――こうしよう」
俺は、老人の兄となった。
俺は、高尾健一郎となった。
俺は、ようやく一人でなくなった。
たった一人の兄弟を得た。
「短い間だが、仲よくしよう兄さん」
「そうしよう、新次郎」
しかし、あまりにその短い時が愛おしかった。
だから跳んだ。
俺は跳んだ。
時間を跳んで、因果を捻じ曲げた。
新次郎に因果を植え付けて、同じ時を生きられるようにした。
俺は
望むものはただ一つ。
「兄さん、私は幸せだった。貴方と会えて幸せだった」
その言葉をまた聞くために。
【了】
振り返ればあの時ヤれたかも kattern @kattern
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