第10話 駄菓子屋をドラッガーを読んだ俺がマネジメントしたらヤれるかもしれない

「愛ちゃん、ちゅっちゅー!!」


「帰れぇっ!!」


 ルパンダイブで駄菓子屋の孫娘さん――こと愛さんに飛び掛かる兄さん。

 しかし、対空戦闘力最強の格闘ヤンキー愛さんは、兄さんの掴み技を、縦方向の回し蹴り一発で撃退した。


 ちらり見えたパンツは、確かに猫さんがにゃーんしていた。

 不良っぽい見た目に凄いギャップだ。というか、あれだけ弄られて変えないあたり、本当にピュアな人なんだろうな、この人。

 それかよっぽど貧乏なのか。


 なんにしても、ルパンダイブを弾かれて、のけぞって飛んだ兄さんは、アスファルトの上に、カエルのようにひっくり返って倒れたのだった。

 口元の血糊――たぶん時間遡行タイムリープで仕込んだ――を拭いながら、兄さんが立ち上がる。芝居がかったその表情に、僕と愛さんは白い眼を向けた。


「ふっ、いいキックだ。パンチもいいが、キックもいいものを持ってる」


「まぁ、ジムに通ってるからな」


「……本当に格闘系女子だったんですね、愛さん」


「前に言わなかったか?」


 言いませんでした。

 というか、聞くタイミングがありませんでした。


 愛さんと知り合うことになったのは、兄さんが時間遡行タイムリープで、無理やり関係性を作ったからで、僕たちはつい最近知り合ったばかりですから。


 ――うぅん。

 この辺りがちょっと不便な所なんだよな。


 基本、前に言ったように、兄さんの時間遡行タイムリープを、僕は知覚できる。

 けどそれは逆に、兄さんが時間遡行タイムリープしたことにより、改変・改ざんされた歴史に対して、僕は知覚することができないということを意味する。いや、結果について、確認をすることはできるが――とにかく、自動的にその知識が補完されることはないのだ。


 周りの人間は、兄さんが造った新しい歴史に、自動的に順応する。

 兄さんのバカみたいな発言も、兄さんのアホみたいなやり取りも、全部、なかったことにして、きれいさっぱり、修正された何事もない時間を生きることができる。

 だってそれは兄さんによってなかったことにされたのだから。

 剪定された歴史なのだから。


 それはとても平穏なこと。

 そして僕からはもっとも遠いこと。

 不便だなと感じる一方で――。


 いや、やめておこう。


 閑話休題。


 だからこそ、僕は兄さんと一緒に居て、彼が改変した歴史がなんなのか、正しく把握しようと努めている。だけれど、まぁ、たまに大きく歴史を変えたりすると、こんな感じに、しっくりこないことが時々起こる。


 こちらを見て、首をかしげる愛さんに、僕は笑ってごまかした。


 弱ったな。

 けど、こういう時、助け舟を出してくれるのは兄さんだ。


「ところで愛ちゃん。駄菓子屋儲かってないみたいだけど。大丈夫か?」


「大丈夫じゃねえよ。火の車だよ」


「んふー、だったら、もっとお客様に対して、取るべき態度というものがあるんじゃないのかね。うぅん、どうなのかね、愛ちゃぁん」


「お前は客じゃなくて変態だろ」


 返す言葉がなかった。


 だいたい、会うやいきなり、ちゅっちゅーとか言って向かって来る糞キモ童貞野郎に、客という概念を当てはめるほうが難しいというものだった。


 ていうか、兄さんアグレッシブすぎでしょ。なに、こういう口も行けると思ってたけど、むしろこういう口の方がアリなの。清純派より、ちょっと遊んでる感じの、ヤンキー系の女の子の方が好きなの。


 そういえば、兄さんが持ってる雑誌も、そういうのが多かったような。


「新次郎!! お前が今、考えていることは分かっている!! みなまで言うな!!」


「兄さん!!」


「兄ちゃんは清楚系ギャルも、ビッチ系ギャルも、ギャルならなんでもオールOK派だ!!」


「口が滑ってるよ兄さん!!」


「誰がビッチだこのアホ!!」


 また、愛さんの蹴りが兄さんに炸裂した。

 かわいい猫さんがにゃーんした。


 ギャルがいいのかい兄さん、ギャルが好きな属性持ちなのかい兄さん。

 ギャルに弄ばれているから、今もそんなにいい笑顔なのかい兄さん。


 困った性癖を持った兄だとは思っていたけれど、まさかここまでとは思わなくて、僕は思わず目から熱い水を迸らせるのだった。


 業が深すぎるよ兄さん。


「まぁ、そりゃそうとして――愛ちゃん、ほんと、この閑古鳥状態は、なんとかした方がいいと思うよ?」


「んなことオメーに言われなくても分かってるよ!! クソっ!! どうにかできるもんなら俺だって、どうにかしてるっての!!」


「ふふっ、商業高校に通っていたのに、商売のなんたるかを学ばなかったのね。そうやって怠惰に過ごしてきたツケが――その処女おとめビッチね!!」


「何が処女おとめビッチだ!! だから、ビッチじゃねえって言ってるだろ!! それと、オメーが乱入してきてこんなことになったんだろうが!!」


「知ってるさ!! 俺たちは、猫ちゃんパンツを見た仲だろう!!」


「――殺す!!」


 一撃必殺。


 人が、一撃必殺を放つ瞬間を、初めて見てしまった。


 兄さんは愛さんのその目にも留まらぬ一撃に倒れ、気がついたら自爆攻撃で地面にめり込んだ人類の戦士みたいになっていた。なんていうことだろう、この世界に兄さんを倒すことができる人間がいるなんて。


 愛さん、恐ろしい人――。


「しかし、時間遡行タイムリープで即復活!!」


「兄さん!!」


 いつの間にか、いつもの左目隠しで兄さんがそこに立っていた。

 ピンピンしている。むしろ、全部のダメージをキャンセルしてきた、そんな感じさえする。


 おしい!!

 あと、少しだったのに!!


 けどもうちょっとだよ愛さん。

 この調子で修練を積んで。


 兄さんを倒せる可能性があるのは、愛さんだけなんだ。


 そんな愛さんは、ぴんぴんとした兄さんを見て、真っ青な顔をする。

 技を破られた格闘家がするような、そんな感じの奴だった。


 いつからこれ、異能力バトル系になったんだろう。おかしいな、天然アホアホ系だったはずなのに。もしくは、ちょっとストレンジな日常系。


「俺の一撃必殺を、かわした!?」


「ふっ、危なかったぜ――ドラッガーのマネジメントを胸に仕込んでおかなかったら、命がなかった!!」


「流れるように自然な感じで固有名詞をぶっこむのやめて!!」


「ドラッガーだと!! まさか、俺が五秒で諦めたそれを読んだのか!!」


「挑戦したんだ!! 見た目に反して勉強してるんだね愛さん!?」


 いやけどなんでそのチョイス。

 というか、本当にドラッガーのマネジメントを読んだのかい、兄さん。

 割と有名な作品だけど、最近は読んだって人、聞かないよ兄さん。


 ずたずたになった本を手にして、愛さんに近づく兄さん。そして兄さんは、逆顔芸とばかりに真面目な顔をして、愛さんをみつめるのだった。


 うっと、愛さんの頬が赤くなる。


「なにかお困りかなお嬢さんマドマァゼル。暗い顔は、君に似合わない。笑いな」


「……な、なんだよぉ。ほっとけばいいだろ。関係ないんだから」


「俺の辞書ドラッガーのマネジメントに不可能はないぜ」


「どういう当て字!! そして、そういう本じゃないよ!!」


「経営の傾いた駄菓子屋を現代知識でチートして立て直したら、そこの店主と――ヤれるかもしれない!!」


 ヤれないよ。

 異世界転生系じゃないから。

 そして、ドラッガーのマネジメントは、もはや現代知識じゃないよ。


 ちょっと古いよ、兄さん。

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