第5話 恋の相談に乗ってあげたらいいお兄さんでヤれるかもしれない
日課である筋トレとマラソンを終えてからの風呂上り。
母さんの晩御飯(スーパーのお惣菜フルコース)を前にして、プロテイン入りの牛乳をキッチンで飲んでいると、不意に僕のスマホが鳴動した。
誰かさんが奇人変人奇天烈サイキックなせいで、一緒にいる僕まで割を食ってあまり友達がいなかったりする。
電話はもちろんメールもラインもあまりかかってくることはない。
どうせ業者の宣伝メールだろう。
「と、思いつつ、スマホ確認してしまう律義な僕なのであった」
誰も聞いてないのにそんなことを言いながらスマホを手に取る僕。
兄さんがあんな破天荒だからだろうか。どうにも、こういうあきらかに不毛と分かっていることでも、確認しないと気が済まない性格をしていた。
まぁ、何か減る訳でもない。
いや実際には時間は減るのだけれど、メールを開いてそれで終わりだ。
十秒もかからないやり取りに何を戸惑っているのだろう。それが歯に引っかかったように気になり、どうにも居心地が悪くなるくらいであれば、さっさと確認してしまうに限る。僕はそう判断して、スマホの電源を入れた。
えっと――。
「あれ、ライン?」
学校で友人と連絡先を交換する時にしか使ったことのないアプリ。
その更新通知が入っていた。
未読のメッセージがあります、と、通知には出ている。
差出人は――。
「橘ちゃん!! 橘ちゃんじゃないか!! 橘ちゃん!!」
「……勝手に人のスマホを覗き込まないでよ、兄さん」
「いいじゃぁないか、兄弟なんだから!! 新次郎、水臭いぞ!! お風呂に入ったばかりだからか!! よっ、この水も滴るいい男!!」
「……顔面指紋認証」
「へぶっ!!」
僕はスマホを握りしめたまま、兄の顔に軽いパンチをお見舞いした。
大丈夫。兄さんの顔も、僕のスマホも、そんなにやわにはできていない。
これくらいの衝撃は大丈夫だ。
鼻っ柱を叩かれてのけぞった兄さんは、そのままよろよろと後ろに下がった。そして、キッチンのテーブルにも背中からたれかかるのを確認すると――僕は兄さんに背を向けた。
目指すはもちろん僕の部屋だ。
どういう用件かは知らないけれど、橘さんがラインでメッセージを送ってくるなんて珍しい。きっと今日、兄さんがいろいろとちょっかいをかけたから、文化祭実行委員の仕事でやり残したことがあるのだろう。
きっとそうに違いない。
彼女の手を煩わせてはいけない。
僕はすぐにでも自分の部屋に戻り、鞄の中から文化祭実行委員会の仕事の資料を取り出して、それに対応しなくてはいけない――そう判断した。
断じて、彼女とのやり取りを兄さんに見られたくないからではない。
また、夕方のやり取りから――もしかしてそういう会話なのかなとか、やらしい期待をしている訳ではない。
そう、そんな浮ついたことは、少しも考えていないのだ。
そわそわするが浮ついてはない。
そう、橘さんは真面目な娘。
それは一緒に文化祭実行員の仕事をしている僕がよく知っている。
仕事でもない限り連絡なんて――。
「新次郎!! ちょっと、待て!!」
そんなことをドギマギと考えているうちに、いつの間にか立ち直った兄さんが僕に待ったをかけてきた。
鼻を抑えて、彼は格好つけて僕に真面目な視線を向ける。
兄さんがろくでもないことを考えているのは、鼻を抑える手でその表情が隠れていてもよく分かった。
ほんと、どうしてこの人、こんなろくでもない性格をしているんだろう。
いつも思うけれども、こんな人と血が繋がっているのが恨めしい。
「……なんで待つ必要があるのさ」
と言いつつ、兄の言葉を待つ僕。
年上にパンチはできても逆らえないのは――やっぱり損な性格をしていると自分でも思った。
僕の苦悩など知らぬのだろう。
腕を組み、ドヤ顔をした兄さんはふっと息を吐き出す。
「橘ちゃんからのメッセージ!! 新次郎よ、お前それって――ワンチャンある奴だぜ!!」
「……なんのワンチャン」
「決まっているだろう!! ヤれるワンチャンに!!」
「……倒置法使ってまで言うこと?」
ないない絶対ないから。
そう思い首を振っていると――。
気がつけば僕の手の中からスマホがなくなっていた。
いったいどこに消えたのか。
決まっている。
「俺が時間を巻き戻したぜ!! お前が、スマホを手に取る前にな!!」
「兄さん!!」
ほんと勘弁して。
ドヤ顔で僕のスマホを握る兄さん。
こんな邪悪な存在がはたしてこの世に居ていていいんだろうか。
うん。
いいはずがない。
いくら兄弟だからって、踏み込んでいい領域と、悪い領域がある。
これはあきらかにその領域を犯すような――そんな許せぬ行いだ。
プライバシーというものが、たとえ兄弟であっても存在するのだ。
とはいえ。
「スマホを奪ったくらいで何をいい気になっているのさ。パターン認証知らないでしょ。兄さんにそのロックを解除することはできないよ」
「ふっ、それはどうかな!!」
「……いや、無理でしょ、常識的に考えて。認証制限もあるし」
その時、兄さんが顔の半分を隠す。
何が起こったのか、何をしたのか――気がついた時には。
兄さんはげっそりとやつれた顔をしていた。
まさか、これは――。
「兄さん、もしかして!!」
「パターン認証が通るまで、何度でも時を巻き戻してやったぜ!! 全百六十五回!! この俺にセキュリティなど無効と知れ、新次郎!!」
「能力の圧倒的な無駄遣い!!」
そんなしょーもない風に、
知りたくない。
そして、それが僕の血を分けた兄さんだと思いたくない。
情けなくって涙が出る。それを拭いながら、やめてよ兄さんと、僕は兄へと縋りついたのだった。
そんな僕に――あぁ、無慈悲。
「えっと、なになに――こんばんは。新次郎くん。こんな夜遅くに連絡してごめんなさい」
「読み上げないでぇっ!! お願いだからぁ!! 母さんとか、父さんとか来たら、大惨事になるからぁ!!」
「――もう既にお兄さんから聞いたかもしれませんけれど。好きです。私と付き合ってください。お願いします」
「うっそだろおい!!」
僕は兄からスマホを奪い取った。
いつもの与太だと思った――。
けれど残念。
僕のスマホには確かに、橘さんから、一言一句兄さんが読み上げたのと同じ、メッセージが届いていた。
橘さん。
橘さぁん。
真面目な風に見えて――積極的なんだね、橘さぁん。
僕ちょっと感動しちゃったよ。
いや、ちょっとどころかもう、感動でさっきから胸やら脈やら瞳孔やらが、バックバックだよ。
バックバックだよ。
「どうしよう!! 兄さん!! どうしよう!! 告白なんて初めてされたから、どういう返事をしたらいいか、僕、分からないよ!!」
「落ち着け新次郎!! 俺が誰か忘れたのか!!」
「童貞拗らせ糞キモサイコ兄貴!!」
「なにその言葉の刃。この日のために研ぎ澄ましておいたの。さっと出てくるあたりが我が弟ながら狂気を感じさせてくれるわ」
いくらでも失敗すればいいんだ。
俺が、全部巻き戻して、なかったことにしてやるからさ。
そう言って親指を立てる兄さんを、僕は――うまれてはじめて、なんて頼もしいんだなんて思ったのだった。ほんと、普段は最高にろくでもなくて、厄介この上ない人なんだけれど。
だけど、今日だけは――。
「とりま、その愛情が本当なら――パンツ見せてよ、から、始めようか?」
「それは巻き戻すまでもなく失敗するよね?」
うぅん。
ちょっと尊敬したけど、やっぱ童貞拗らせ糞キモサイコ兄貴でしたわ。
頼りになっても根本はクソだわ。
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