第12話 子供の頃ならヤれるかもしれない

 兄さんと僕は歳が近い。

 一個違いという奴だ。


 普通、歳が近い兄弟は、お互いに張り合って険悪になるものらしい。体格的な差が少なく、頑張れば逆転できるかもしれない、されるかもしれないという心理が、強く働くのだと個人的に僕は思っている。


 ようはライバルという奴だ。

 歳の近い兄弟というのは競い合う宿命に生まれついているのだ。


 ただ、スポーツものの漫画や小説、ドラマやアニメの例を見るに、ライバル関係が必ずしも険悪なものであるということはない。お互いの実力を認めつつ、友好を育むというのも普通によくあるパターンだ。


 思うに、兄弟が仲が良いかどうかは、血縁の同族意識ではなく、そういうお互いを認め合える関係か――というのが大きいのかもしれない。


 兄さんとの関係を考えた時、どうしても思い出す話がある。


 あれはそう。

 僕が小学校二年生で、兄さんが三年生だった時の話だ。

 いきつけの駄菓子屋のおじいちゃんが死んでしまった年。

 だからだろうか、よく覚えている。


 夏休み。


 地元の自衛隊が主催している納涼会に家族で出かけた。僕と兄さんは、その祭りの最中にふとしたことから父さんと母さんとはぐれた。


 小学校二年生と三年生では、祭りの中を自由に歩き回ることができない。

 僕たち兄弟は、心細い気持ちで縁日を彷徨い歩いていた。


 兄さんが僕の手を引いて歩いた。

 もう歩き疲れたよ、休もうよ、と、ぐずる僕に、そうだねと言って兄さんは、それでもずんずんと人ごみの中を進んでいった。


 向かい来る大人たちは、僕たちのような小さいものなど見えないようで、何度も何度も体をぶつけることになった。いつもは自衛隊の訓練場になっているお祭りの会場は、必要最低限しか整地されておらず、転がっている石や土の中から顔を出している岩に、何度も足先をぶつけて痛い思いをした。


 やがて、兄さんが足を止めた。

 僕たちが居たのは、七色のシロップを店先に並べるかき氷屋の前だった。


 わぁなんて、女の子みたいな声を出したので、慌てて口をふさいだのを覚えている。そんな声を上げる僕を――まだ当時、対抗意識を持っていた兄さんに見られるのが恥ずかしかった。


 そんな僕に、兄さんは――。


「おごってあげる。どれがいい」


 と、挑発的なことを言ってきた。


 僕は当然、まだ、兄に対抗意識を持っていたものだから、そんなのいらないよと突っぱねてみせた。


 わぁ、なんて言ったのにだ。

 暑い暑い、夏の夜だったのにだ。


 体は涼を求めていたし、心細さからそれを紛らわす甘いものを求めていたのは、今思い起こしても間違いない。


 それでもやせ我慢をする僕に、兄さんは――。


「遠慮しなくてもいいよ。もう、俺は食べたから」


 と、言った。


 言葉の意味が分からなかった。

 だって、僕は兄が時間遡行タイムリープができる超能力者だと、当時まだ知らなかったし、そもそもそんな概念すら理解していなかったのだから。

 だから――かき氷を食べていないのに、なんて変なことを言う兄なのだろうと、幼いながらに思ったのだ。


 何度も何度も、しつこく兄は僕に奢ってあげると言った。

 僕は、それでついに根負けして――というより、最初から負けていたのだ――ブルーハワイのかき氷を頼んだ。


 すると兄は、同じものを選んだねと、食べてもいないのに笑った。


「やっぱり兄弟だ。新次郎。俺とお前は、たった二人の兄弟だ」


 そう言って兄は笑った。


 それからしばらくして、血相を変えた父さんと母さんがかき氷屋の前に現れて、僕たちのこの不思議な放浪は終わりを迎えた。


 結局、かき氷を食べなかった兄さんに、僕は、一口食べるかい、と、かすかに残ったブルーハワイのかき氷を渡した。兄さんは、溶けかかったほぼシロップと言っていいいひと掬いを口に含んで、満足げに笑った。


 それから――兄が時間遡行タイムリープの能力者だと、僕が知ったのは、小学校四年生の頃だった。そしてその時ようやく、僕は、あの夏の日に、何があったのかを、兄が僕に何をしてくれたのかを思い知ったのだ。


 その時からだ、ぷっつりと、僕の中で兄への対抗心がなくなったのは。

 それと同時に――兄のことを、なんだかんだといいつつではあるが、心のどこかで尊敬するようになったのは。


 あの経験がなかったら。

 僕はきっと、今でも兄さんと醜い言い争いを続けていることだろう。


 逆に、あの経験があったからこそ、僕は――。


 こんな――口を開けば女の子とヤれる、ヤれないしか言わない――ろくでもない兄さんと、今も一緒に笑いあって過ごすことができるのだろう。


 兄さんが僕を思ってくれている。

 それは、あの遠い夏の日に証明されて、今もなお、僕の中で美しい思い出として残っているのだから――。


 あの日食べたかき氷の味と一緒に。


◇ ◇ ◇ ◇


「新次郎。お前、本当にブルーハワイが好きなのな」


「んー? うん、そうだね」


「たまには違う味にしたらどうなんだよ。宇治抹茶とか」


「なんかクドい感じがするんだよね、宇治抹茶ってさ。そこに更に練乳をかけるんでしょう。ちょっとカロリーオーバーかな」


「カロリーなんて気にする歳じゃないだろ。青春が、余剰摂取したカロリーを燃やしてくれるさ。信じろ新次郎、ビリーブ、ブート、ブラザー」


「はっはっはっ。兄さん、鏡で自分を見てからそういうことは言いなよ」


「いいのか新次郎。時間遡行タイムリープして体造るぞ。夏に向けて、体造っちゃうぞ」


 はいはい。

 そう言いながら、僕は今日もブルーハワイのかき氷を食べるのだった。


「兄さんも一口どう?」


「……いやん、間接キス。お兄ちゃんのはじめての唇は、素敵な女の子のためにとってあるのよん」


「……兄弟でなに言ってんだよ」


 同じ釜の飯もつつけなくなる。

 やめてよそういうの。


 まったく。


「そういえば、ブルーハワイで思い出したけど」


「うん?」


「昔さ――同級生の女の子を花火大会で見つけて、尻を追いかけてるうちに迷子になったことがあったよな。いやぁ、あん時は新次郎――お前がびーびー泣くし、父さんたちは見つからないし苦労したよ」


「……今、美しい思い出が、一瞬にして溶けたよ兄さん」


 その頃からヤれる、ヤれないで動いてたんかい。

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