第18話 心の弱さ

 最初に出会ったのは村の外れだった。いつもは出てはいけないと言われていたが、たまに村を出て散策する事が多かった。それは長老にばれてしまうと叱責を受けるほどのものであったが、全ては生贄としての体が大事であるが故であった。


「選ばれし者」の候補者たちが旅立って一か月が経とうとしていた。グレーテストベアの毛皮を試験内容にしたために、おそらくはテレンだけでも合格するだろう。他の候補者にはきついかもしれない。候補者は常に二人が良いとされていた。内容が内容であるだけあって、もう一人はテレンとは違った性格の者が良い。それこそ、将来の村を任せる立場になるのだ。優秀さではユーリがもっとも良いとロトフは思っていたが、ユーリの性格のきつさには将来の長老は苦労するかもしれない。他の年頃の女性で「選ばれし者」の旅に同行できそうな者はいなかった。そう思っていた矢先だった。もっとも、その候補からは遠いと思っていた女性が視界に入ったのだ。


「おい、あれは守護霊の村の人間か?」

「えっ?」


 隣には見知らぬ男がいた。その佇まいを見て、精霊の霊木がロトフに忠告した。間違いなく、他の人物とは一線を画す実力を持った男だった。精霊の力を借りると、体が浮くように軽くなった。


「ロトフ!」


 明るい表情でリンがこちらに手を振っている。もっとも候補者からは遠いと思われていたリンがこんな時期に帰ってくるとは思わなかった。グレーテストベアの生息地はかなり南にあり、リンの脚ならば二週間はかかるだろう。現地に着くと同時に帰ってきたと考えてもよいくらいだった。また、旅に出た時の装備を見て、もしかしたら帰ってこられないのかもしれないと思うほどだった。だが、それの理由は一つだった。この男がリンを助けたのだろう。もし、この男に悪意があったとしたら、精霊の力抜きでは村のものは太刀打ちできない。


「おかえり、リン」


 ロトフはその男から視線を放さずに言った。警戒しているのが分かったのだろう。相手に隙はない。精霊によって力は増していても、その他の経験が補われるわけではなかった。殺気の消し方なども知らない。


「ど、ど、どうしたのかな? こっちはゼノ。恩人だよ」


 リンが慌てる。そうか、まだ悪意があると決まったわけではないのだなと、ロトフは少しだけ警戒を緩めることとした。力は借りたままであり、すぐに対処ができるようにしてある。


「リンの恩人と言うのであれば歓迎する。だが、この男、尋常じゃないぞ」

「ゼノ=アキュラだ」

「アキュラ! 将軍の息子か?」


 納得がいった。実は他の集落から南の国の情報は随時仕入れている。北の大地が脅威と認定するのは常に南からの侵略であった。この数十年、侵略はないがかなり大きな国ができている事は分かっている。そしてひと昔前にその国でもっとも実力のあった将軍の姓がアキュラであった。であるならば、この目の前にいる男は年齢から言ってその息子の可能性が高い。


「俺も将軍だった。いまではただの流刑の罪人だがな」


 ロトフがアキュラ将軍の事を知っているのに驚いたのか、ゼノはそれを隠そうともしなかった。そして流刑の罪人という言葉を鵜呑みにしたわけではないが、南人が守護霊の村の事を知っているわけもなく、リンを助けたのは間違いないだろうと判断した。あとは、リンを助けたことによって守護霊の村に近づこうとしたという思惑があるのか、もしくは単純に生きる道を失っているのか見極める必要があった。


「ゼノ=アキュラ、南の話が聞きたい」


 リンの家に泊まると言ったゼノから話を聞くことにした。精霊の力を借りたままのロトフに村人は一歩引いて接してくる。候補者と共にやってきたよそ者に対して補佐人が精霊の力を纏ったまま接しているというのは異様な光景に移ったことだろう。それだけ警戒しているという主張となったが、逆にロトフが精霊の力を返し、いつも通りになると、そのことでゼノは村の皆から信用された。補佐人が認めた人物として扱われたのだった。これはロトフにとっては意外な効果だった。


 今代の長老ステンは少し変わった人間だった。以前からある村の掟に対して少し懐疑的であったのである。それは妻であったヤルタが「選ばれし者」の旅に出た際に涙を流しながら後悔していたというくらいのものだったために、長老に決まった際には村から反対の意見が出たほどだった。しかし、先代の長老もロトフを抱いて帰ってきたヤルタもステンを長老にする事を強行に決めた。反対は許されなかった。ステンはその事を知っていたために、反対した村人に対しては必要以上に丁寧に対応した。少しずつ、ステンは長老として皆に認められていった。

 そんなステンがロトフを育てた。ヤルタは「選ばれし者」の旅からロトフを連れ帰ると体を壊すことが多くなった。よく寝込む妻の代わりに、ステンは必至にロトフを育てた。子供のいない二人にとって、ロトフはそれこそ息子のようなものだった。ただし、ステンとヤルタにとっては息子であると同時に親友の忘れ形見でもあり、さらには遠く北で守り人をしているシオンとの約束でもあった。ヤルタは、ロトフが成人する前に病で亡くなった。ステンはさらに必死になった。

 ステンたちに育てられたロトフは順調に育った。しかし、育ての親の影響があったのだろう。思春期にヤルタが病死したのも原因の一つだったのかもしれない。「補佐人」の運命を教えられるほどの年齢になり、その事を伝えた頃にはすでに村の掟に関して反抗するようになっていた。


 さらには歴代の補佐人が使う精霊の霊木から精霊の力を取り出すことに、ロトフは長けていた。今までのどの補佐人よりも簡単に精霊の力を使うロトフを見て、大人たちはロトフを叱った。そして、それによってロトフの性格はゆがんでいったのである。気づくと、同世代の男たちとの接触はほとんどなくなっていた。そんな中、唯一ロトフと関わっていたのがテレンだった。彼女は「選ばれし者」を目指していた。その運命を呪いながらも、ロトフはすでにテレンを「選ばれし者」として選んでいたのである。


 そんな中、リンがゼノを連れてきた。今まで精霊の力を恐れて近づいてこなかった村の男たちとは違って、自信に溢れるその姿にロトフは惹かれた。酒を酌み交わす仲となり、様々な事を語り合った。

 ロトフに初めて親友ができた。そして、ロトフはゼノにある思いを抱いていた。それは運命から自分を救ってくれるかもしれないという事である。しかし、無理なものは無理であり、非情な運命に親友を巻き込むのを後悔もした。だが、傍にはテレンがついていてくれて、さらにはゼノも助けてくれるという旅に憧れた。相談相手がステンしかいなかったというのもあったのだろう。若かりし頃の自分を重ねたステンは、ゼノ同行を反対しなかった。ロトフの弱い心は村の掟の網を潜り抜けて、ゼノが旅に同行してくれないかと思うようになり、都合のいい事にゼノはリンを助けるために必死だった。ロトフは親友を助ける振りをして自分の欲求を満たそうとしてしまった。

 案の定、ゼノは旅に同行してくれた。そして守り人の集落へとたどり着いた。


 母に出会い、ロトフは自分のした事を後悔しだしていた。しかし、そこにはリンがいた。テレンを守り人に、ユーリを長老の妻にと思っていたロトフにとってリンには役割がなかった。歴代の補佐人が候補者を二人にしていたのはそのためである。シオンはその辺りをくみ取ってリンには秘密を打ち明けてこなかった。ゼノがロトフの親友となったことも分かっていたために、シオンはゼノとリンには他の役割を与え、最終的には村へ帰るユーリの護衛を務めさせるつもりでいた。もしくは、ゼノはリンを連れて他の土地へ行けばよい。

 当初、自分にないものを持っているゼノならば、運命をどうにかできるかもしれないとロトフは感じていた。だが、この守り人の集落へたどり着き、「その時」が身近に迫るとゼノであってもどうする事もできないというのは身に染みて分かる。自分で広げた「傷口」をこれ以上できるだけ大きくしないようにとロトフは思い始めた。


「リン大丈夫だ。だから早まるな」


 焦りを感じだしたゼノに掛けてしまった言葉がそれである。しかしロトフの思惑とは逆に、ゼノはその言葉で全てを悟ってしまった。こちらを見る親友の目が「死ぬのはロトフである」と確信した瞬間が分かった。それまでに薄々感じていたのだろう。案の定、ゼノはいなくなった。そして、その事にほっとした自分をロトフは責めた。


「心が弱くてもいいんだ」


 夜、ヒナタがロトフに言った。ロトフは泣いた。そして、翌朝に北へと向かった。

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