第15話 決意

「腕は大丈夫か」


 小屋で療養しているリンは殊の外元気だった。守り人の村の周囲での狩りは順調だった。ラウスよりも早く周辺の村との往復もできる。特に虎の魔獣の毛皮は驚くほどの値段で売れた。ゼノはそのほとんどを食料と酒に換え、さらには必要なものも背負い守り人の村へと帰った。村人が喜んだのは言うまでもない。


「ゼノはすげえな」


 たまたま帰る時期が同じとなったラウスはそう言った。しかし、守護霊の不条理なまでの力を目の当たりにしたゼノには届かなかったようだ。知れば知るほどに分からないことが増えていき、とてもではないがゼノの思う通りに事が運ぶとは思えなかった。



「ゼノ、大丈夫か」


 ロトフが言う。その目に言い難い寂寥を感じてしまうのはゼノの思い過ごしだろうか。


「ロトフ、焦りは人を駄目にする。しかし、人の背中を押すこともあるんだ」

「守護霊の領域には入ってはいけない」


 思っていた事を見透かされた。それだけ今のゼノの焦りは分かりやすい。


「入れば、どうなる」

「守護霊に排除されるだろう。虎の魔獣のように」


 それはリンがゼノを殺しにくるという事を示していた。ゼノにとってもっとも耐え難いことである。


「リンは大丈夫だ。だから早まるな」


 何かを耐えるようにロトフが言う。だが、ゼノはその言葉に自信が思い描く物の中でも悪い予想が当たってしまっていた事を確信させられた。


「それじゃあ、……いや、何でもない」


 自分に言う権利のない事だった。そしてロトフに言っても仕方がない。


「少し頭を冷やしてくる。その前にリンに会ってからにしよう」


 そういうとゼノは弓矢を持った。狩りに行く恰好である。




 ***




 木の上に上る。こちらに来てから自作した矢の出来は悪いものではなかった。鉄が手に入ったのも大きい。そして北の大地に住む鳥の羽は大きく、矢羽には向いていた。中にはいつぞやのユウヒウマドリの羽で作った矢もあったが、目立つ色は避けて購入することにしていた。

 守り人の村のすぐ近くには魔獣が寄り付くことはない。何故なのかは分からなかったが、魔獣は何かを感じているのかもしれなかった。それ故に、ゼノはある程度の距離を移動する。たいていは、村から続いている川を下るのだ。そうすることで道に迷わないという効果もあった。さらには水場に獲物が多いのはどの土地でも同じである。


 いつもの狩場の近くの木である。ここで仕留めれば獲物を冷やし、血を抜くのにも困ることはない。血の匂いで近寄ってくる魔獣は、返り討ちにする。ゼノにはそれができた。

 一度獲物をしとめると同じ狩場はある程度の時間は使えなくなる。ゼノは獲物の大きさと種類には拘った。だからこそ、今水場にきている小型の鹿には目もくれない。狙うのはさらに大型の魔獣である。

 息をひそめて待つ間にやれる事は限られている。矢の調子を確認する程度だった。そしてそれはかなり前に終わって終っている。自然と、余計な事を考える。


 リンが仕留めた虎の魔獣。ゼノは一人で狩る事ができたであろうか。そしてゼノの使う剛弓を事も無げに引いたリン。あそこまでの力はゼノにはなかった。だからこそリンは腕の腱を痛めてしまったのだろう。自分であったら怪我をせずに行うことができたに違いない。自身に守護霊の力が宿るという仮定を妄想してしまう。おそらく、他の誰よりも強くなれるはずだった。だが、守護霊はゼノに力を与えることはないだろう。

 そしてゼノの目的とも違う。ゼノは守護霊の力を望んでいるのではなく、守護霊に生贄を止めてもらいたいだけだった。リンとともに生きていきたい。そして、そのために誰かが犠牲になるというのも許しがたいことだった。だが、ここに来てゼノは自分の考えがなにか食い違っているという事に気付いている。

 考え事をしている間に、目当ての獲物がやってきた。鹿の魔獣である。ゼノは矢をつがえる。


「ゼノ、大丈夫。ありがとう」


「リンは大丈夫だ。だから早まるな」


 矢をつがえている最中に思い出されたのは蒼い瞳だった。そして親友の寂しそうな顔だ。何が、大丈夫なのだろうか。そして、何が大丈夫でないのだろうか。その答えをゼノは持ってしまっていた。

 矢を放つ。無論、当たるはずがなかった。北の大地で獲物を逃がしたのは初めてだった。




 ***




「ゼノが、守護霊の領域へと入りました」


 シオンが伝えたのはそれだけだった。リンは何が起こったのかが分からなかった。


「なんで?」

「詳しいことは分かりません。私が分かるのはゼノがあの領域へ入ったという事実のみです」


 シオンが冷たく言い放つ。後ろには眉間にしわを寄せるヒナタがいた。


「やはりか」

「ヒナタ様っ! やはりって、ゼノが守護霊様の領域に入るんじゃないかって思ってたの?」


 リンがヒナタに詰め寄った。それを制したのはユーリである。


「リン、落ち着いて」

「ユーリも、もしかして分かってたの?」


 答えがなかった。それをリンは肯定と受け取った。信じられない気持ちで一杯になる。


「ロトフ、どういたしましょうか」


 少しだけ、ロトフを責めるような目でシオンが言う。リンにはロトフもテレンも、ここにいる全ての人がこの状況を予想していたと感じられた。守護霊の力を授かり、使命を果たした気になって怪我の療養をしていた自分が置き去りにされている事を自覚する。


「なんで? なんで、みんなそんなに落ち着いていられるのよ? ゼノが、ゼノが……」


 死んでしまう。それを言葉にするのはできなかった。だが、このままではゼノには追手が差し向けられる。それも守護霊の力を授かった、共に旅をしてきた仲間である。リン自身かもしれない。


「リン、話があります。しかし、その話を聞く覚悟がありますか?」


 シオンはリンをじっと見据えて言った。


「覚悟? 覚悟なら村を出る時にしたよ! これ以上どんな覚悟が必要だって言うの?」

「命と、死を受け入れる覚悟です」

「できてます!」

「貴方の命では、ありません」


 シオンはリンに語った。23年前の事を。




 ***




「少し、冷えるな」


 何の準備もせずに、足が北を向いていた。これ以上歩き続ければ、良くない事が起こるというのは分かっていた。だが、歩かなければ何も変わらないと思った。これは慢心なのかもしれない。だが、自分にできる事がどれほどの事か、分からなくなっていた。


「静かだな」


 森の中は樹々のこすれ合う音しか聞こえなかった。生き物が住んでいる気配はほとんどしない。歩きやすいと言えば歩きやすかった。

 一日ほど歩いて、寝る場所を確保した。領域に入るまでに小型の鹿を狩った。毛皮と肉は携帯してきている。塩を常に持ち歩くのは狩りをはじめてからの習慣だった。食料には困らない。毛皮は加工してないため、裏返して羽織った。火を起こして暖を取るのは避けた。一人であれば必要ない。そして夜も生き物の気配はなく、月明かりをもとにある程度は歩けそうだった。実際にいつもより多めに距離を取った。守護霊の力があれば、すぐに追いつかれてしまうだろう。だが、それでも良かった。仲間に殺されるならばリン以外が良かった。

 しかし、予想外なことに追手はこなかった。ゼノは次の日も歩き続けた。向かう先は北であり、守護霊の住まう領域である。なぜか、方向には自信があった。そして、三日後に見えたものがあった。



 そこには天から大地へまっすぐと降りる純白の糸の束があった。


「あれが、守護霊の紡ぐ糸……」

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