第14話 焦り

 指定された場所にはリンが先に着いた。姿が見えなくなってからもゼノは全力で走り、やっとの事でその場所へたどり着く。すでにリンが着いてからそれなりの時間が経っていたようだ。


「これは守護霊様のお力なの。分かってると思うけど、普通のリンはゼノの足元にも及ばないんだからね」


 息を切らしたゼノに対して、全く呼吸を乱していないリンが言う。


「守護霊の、村の皆は、こんな、事が、できるのか」


 生身の人間にしてはかなり早く領域の手前まで来たはずである。息が整うことなく、汗が止まることもなかった。


「何か脅威があった時にだけ、守護霊様は私たちに力をお授けになるの。リンは今まで授けられたことはなかったんだけど、お父さんはもう何度もまわりの村を救ってる」


 そういうとリンは守護霊の領域へと入っていった。ゼノも後に続く。

 初めて入る森だった。違和感がとてつもなく、森全体が静かである。息を整える間にゼノができることは観察だけだった。


「あっちの方にいるみたい」


 リンが指差した先には何も見えなかった。樹々が風でこすれ合う音のみが聞こえる。


「守護霊様のお力のせいだと思うけど、分かるの。はっきりと」


 いくら感覚を研ぎ澄ましても人にはたどり着くことのできない領域がある。ゼノはそれを目の当たりにした。


「まだ、歩いて数十分はかかる距離だから、気づかれてることはないけど、このまま進むと風上に出ちゃうね。ちょっと回り道しようか」


 地形も分からないはずなのに、リンにはどう行けばよいのかが理解できているようだった。足元の悪い場所であっても進んでいく。ただし、その進み方はバランスを取りながらというわけではなく、堅い地面に足を突き刺して足場を確保するような歩み方だった。巧いというよりは力強い。


「気づかれないようにゆっくりと進むよ」


 その速度はゼノの思っていたのよりも随分と速い。


「リン、体に負担はないのか?」


 懸念があるとすれば、それだった。その質問に一瞬であるがリンの体が硬直する。


「やはり、負担があるんだな?」

「お父さんは、守護霊の村に帰ってくると次の日は寝込んだかな」

「人の限界を超えるって事じゃないか。あまり無理をするな」

「でも、この力が必要なんだよ」


 まっすぐに見つめ返すリンの瞳が蒼く、ゼノはそれに苛立った。どうしてもリンと話しているように思えない。リンは誰かに、守護霊にそう喋るように強要されているのではないだろうかと思ってしまう。

 リンについて行くと、沢のほとりに出た。無言で指差す先には大型の魔獣が寝ていた。


「虎か……」

「知ってる?」

「南で見た事はあるが、あんなでかくはなかった」


 かつて帝に献上された虎はあの半分程度の大きさだったろう。今見ている虎の魔獣は人二人どころか、三人分よりもさらにでかいように見える。


「一矢で仕留める。できなければ首を斬るよ」


 リンが弓を構えた。だが、その弓は小柄な女性であるリンが使うものである。どれだけ引いたとしても威力はたかがしれていた。


「こっちを使え」


 ゼノは自分の弓をリンに譲る。そして自身は剣を抜きはらった。もし、リンが弓で射殺せなかったらゼノが斬りかかるつもりである。


「ゼノ、大丈夫。ありがとう」


 こちらを見つめてくる蒼い瞳が嫌だった。だが、リンは狙いをつけると弓を引いた。今まで、何があっても引く事のできなかった剛弓である。やすやすと引く姿に、ゼノは苛立ちを覚える。


「ビュンッ」


 という風切り音がし、矢はぶ厚い頭蓋骨で守られている虎の脳を打ち抜いた。即死である。虎の魔獣はそのまま目覚めることはなかった。


「よしっ!」


 拳を握るリン。だが、その腕の腱が痛んでいるのは明らかだった。


「これ以上無理をするな」


 虎の魔獣の皮を剥ぎ、討伐の証とするのだ。作業は全てゼノが行い、リンは沢の水で腕を冷やすように言った。そして黙々と作業を続ける。


「ゼノ……」


 作業が終了しても、ゼノは一言も発することはなかった。




 ***




「よくぞ、成し遂げました」


 小屋に帰ると、シオンはまたしてもリンの額に手をかざした。力が授けられた時のように、淡く光る。すると、リンの体から力が抜けるようだった。


「あぁ……うっ……」


 やはり、体に負担が生じていたのだろう。リンはその場に腕を抱えてうずくまる。すぐさまヒナタがリンを抱きかかえ、寝台へと連れて行った。既に傷の手当の準備がされていた。


「納得がいきませんか?」


 取り残されたゼノに、シオンが問いかけた。


「納得がいくわけがありません。守護霊の力の事もですが、それをリンに授けて無理をさせることもです。そしてこの状況も」


 シオンの後ろには相変わらずユーリが控えていた。いつもなら真っ先に異議を唱えそうなものであるが、大人しい。それも理解できない。


「あなたに話してもいい事が限られているのです」

「それは分かっています。ですが、それとリンがあのように苦しむのは別だとも思ってます」


 ロトフとテレンはいなかった。


「リンは当分の間、狩りをする事はできないでしょう。その間の狩りと、周辺の集落との連絡をお願いしてもいいでしょうか。ラウスだけでは足りないものも多いもので」

「分かりました」

「あの魔獣の毛皮も売ってきてください。できれば、この村をもっと豊かにしてあげたいのですよ」

「……」


 知れば知るほどに、解決策が思いつかない状況に、ゼノは焦りを感じる。

 小屋を出ると、ロトフがテレンとともに屋外にいるのが見えた。


「早かったね」

「俺はほとんど何もしていない。弓を貸しただけだ」

「守護霊の力はすごかったかい?」

「あぁ、人には及ばないものだとは理解した」


 そしてゼノは分かり合えないという事も感じていた。不条理を力でなんとかしようとしても綻びが生じる。流れの強すぎる所に堤を作っても崩壊するだけなのだ。だが、守護霊にはそれをはねのける力があるのも確かだった。

 そして、いままで引っかかっていた多くの事の一つを思いつく。


「その霊木、守護霊の力が宿ってるのか?」

「あぁ、そうだね。そうだよ」


 ロトフが普段から肌身離さず持ち歩いている霊木。それに不思議な力を感じたことは何度かあった。そして、その力がリンに宿った守護霊の力とそっくりだったのである。ロトフに最初に出会った際に感じた圧力も、ロトフではなくこの霊木からであったのだ。


「この世の不条理を力でねじ伏せることのできる守護霊は、何を感じてるんだろうな」

「それは、更なる不条理だと思うよ……」

「ロトフ」


 これ以上は話してはいけないというように、テレンがロトフの服を掴んだ。仕方のない事であるが、ゼノは自分が南人である事、選ばれし者の旅にとってよそ者である事を自覚する。


「俺は、俺のやり方をするべきなんだろうな」



 焦りが、ゼノを包み込む。そして、それはよくない事だと思う冷静な自分をもゼノは自覚した。

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