第16話 大蜘蛛

 リンが小屋から出て行ったあと、ロトフが大きく息を吐いた。残っている者たちの空気は重い。


「思ったよりも大変な事態になりそうですね」


 シオンがまっすぐにロトフを見る。見られたほうは目をそらし、拗ねたようにつぶやいた。


「申し訳ありません」

「いえ、ロトフが思うようにやりなさい。私たちはそのためにいるのだから」


この事態は全てロトフに責任があるためであった。だが、その顔に後悔は微塵も感じられなかった。それをどう解釈していいのか分からず、シオンは先送りにする事にした。今は他にやらなければならない事がある。ユーリの方を向いた。


「ユーリ、少し早いですがあなたは守護霊の村を導く知識は全て持ってます」

「はい」

「リンと、他の事は私たちに任せて下さい。事の顛末は文を出すのを約束しましょう」


 それは前もって話をしてあった事柄である。守り人の村へ来て数日後、シオンはテレンとユーリだけに真相を伝えた。それはロトフがそう望んだからである。シオンは覚悟を背負って生きていく必要がある人物は少ない方が良いと考えていた。だが、リンは全てを知った。おそらくはゼノを追いかけるのだろう。そのために守護霊の力も授けた。ロトフはこうなる事をある程度予想していたのかもしれなかった。その理由はシオンには分からない。


 ユーリは旅の支度を整える。途中の村まではラウスが付いて行くことになる。ここで、ユーリの選ばれし旅は終わりを告げた。だが、彼女はのだった。それは今まで守護霊の村にいた頃に思っていたものとは別物である。


「テレン、大変だけど私もあなたしかいないと思う」

「ユーリ……」


 残されるのはテレンである。そして彼女もまたいた。


「リンが、もしリンがゼノとともに守護霊の村に帰って来たいというのならば私は迎え入れようと思う」

「ありがとうユーリ」

「ロトフ。今までごめんなさい。そして、ありがとう」

「ユーリ、守護霊の村を、長老たちを頼んだよ」

「ええ、必ず」


 その目にはこれから課せられた使命を必ず成し遂げるという強い意志が感じられた。願わくば、将来を共にする人が彼女の行き過ぎた行いを止めることのできればさらに望ましい。責任が人一倍強く、妥協が下手であるが基本的には任せることができるとロトフは考えていた。


「リンとゼノをよろしくお願いします」


 ユーリは最後にシオンに頭を下げた。頭を下げたところでシオンにはどうしようもない事くらい分かっている。だが、ユーリとしては少しでも何かが上手く運べるとしたら可能性を上げておきたかった。全ては守護霊の意志であり、ゼノの行動とリンの思いである。そんな事くらいは分かっていた。


「明日の朝、立ちます」

「ステンによろしくと伝えて下さい」

「はい、必ず」


 ユーリは次の日の朝早く、守り人の村を出て行った。




 ***




「本当に天から降りている」


 守護霊の紡ぐ糸は天からまっすぐに地へと降りていた。伝承によるとあの糸は地に張り巡らされそれによって北の大地は奈落に落ちずに済んでいるという。果たしてそれは本当であるのか。しかし「護衛壁」と南人が呼んでいた大地のしわを乗り越えて来たゼノとしては信じてしまいそうだった。それほどまでにこの北の大地に来てからはゼノの常識を覆す事が多々起こっている。


「あそこに、いるはずだ」


 守護霊は必ずいるはずだった。地を吊るす糸を見た今ではその事を疑うことはない。ゼノはその日は糸が見える丘で寝ることとした。天気は良く、夜には星が綺麗に見えた。そして何時まで経っても糸がはっきりと天から地を吊るしているのが見えた。それを見ていると、なかなか寝付くことができなかった。

 翌日、丘を下った。あとはひたすら糸に近づいて行くだけである。相変わらず生き物の気配がしない森だった。だが、よく見ると虫などの小動物はいる。ある程度の大きさの生き物がいないだけだった。そんな森はなぜか歩きにくかった。


『緊張と不安と、あとは後悔か。しかし強い意志も感じられる』


 天から降りる純白の糸の束に近づくと、どこからともなく巨大な蜘蛛が現れた。人の体よりも太い足の先には鋭い爪が付いており、しかし地面に刺さることなく音もなく移動する。体は黒色の毛で覆われ、全体的に黒と茶色が入り混じった配色をしていた。今までみたどの生物よりも大きい。大きな館ほどもあるその体の中央には口が付いており、聞き取りにくい発音であるが、確かに言葉を発している。


『本来であればここに人の立ち入りを許すことはない。だが、そなたは少し興味深い』

「あなたが守護霊か?」


 もし、襲われたとすればひとたまりもないだろう。人としての力量を全て注ぎ込んでも覆すことのできないほどの巨大さである。俊敏性においても向こうが上であり、逃げ切る事も不可能と思われた。ゼノは、一息ついて聞く。


『いかにも、我がそなたらが言う守護霊である。む、そなたは南人か。向こうでは私を悪霊と呼ぶのだな』

「人は理解できないものを恐れる。それだけだ」

『たしかに』


 大蜘蛛が地面に体をつける。その際にも音はしなかった。あれほど巨大なものが動いたというのに、気配がしない。


『何が聞きたい?』


 大蜘蛛はこちらの心を読むようだった。それは今まで長く生きて来たためか、それとも精霊であるが故かは分からない。少なくとも細かいところまでは心を読まれているわけではなかった。ゼノは意を決して聞くことにする。これを聞かなければここまで来た意味がなかった。



「どうすれば、あなたの息子を救えるのか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る