第17話 過去と許し

 二十三年前、北の大地を旅する補佐人と候補者たちがいた。候補者は二人で女性である。補佐人の名はロイ。候補者はシオンとヤルタといった。


「もうすぐ守り人の集落だ。頑張ろう」


 ロイは二人に声をかけた。三人は幼馴染である。実は守護霊の村にもう一人のステンという年上の男を残していた。彼もこの度に同行する事を強く望んだが、掟がそれを許さなかった。ステンはヤルタに恋をしていた。そしてそれはロイとシオンも分かっていた。旅立ちの日に、ステンは泣きながら見送った。この旅が終わり、ヤルタが選ばれた場合は今生の別れになるはずだったからだ。だが、ロイはそんなステンに一言告げた。


「ヤルタは大丈夫だ」


 何が大丈夫なのかステンには理解できなかった。そしてステンはその日を後悔した。なぜならば今生の別れになったのは恋をしていた相手ではなく、年下の親友とその幼馴染であったからである。ステンはロイとシオンが惹かれ合っている事を知っていた。そしてヤルタが選ばれてもシオンが選ばれても喜べない自分を恨めしく思った。

 守り人はヒナタと言った。シオンはこのヒナタにある感情を抱いた。それは事の真相がはっきりするまでは分からなかったが、終わって終えば納得のいくものだった。


 守り人の集落での生活は一か月以上にも及んだ。その間にヒナタはヤルタを呼んでは何かを教えていた。シオンは特にやる事を言われなかったために、ロイと共に過ごした。ヒナタがロイを見る目が、優しく、そしてもの悲しそうだった。シオンたちは村に順応していった。守り人の村は慎ましく生きていたが周りの集落からの献上品もあったために特に生活に困ることはなかった。選ばれし者の旅の間にこんな安らぐひと時だあって良かったのかと思うほどに、シオンは守り人の村へ適応していた。それはロイが隣にいたからでもある。二人は、自然と結ばれ、そして子をなした。


「ヤルタ。もう教えることは全て教えた。帰ったらステンの坊やによろしくね」


 ヒナタが三人を小屋に呼んでそう言った時に、シオンは全てを教わった。シオンはすでにいたのだ。そしてヤルタはこれから守護霊の村へと戻り、そこれ次の長老になるものと結ばれることになっていた。そして、ロイとシオンの子が産まれたら、それを取りに来る。


「すでに守護霊様に自我はない。今あるのは代々の補佐人の意識だ」


 太古の昔に生贄となった家系。それが補佐人の家系だった。世代ごとに生贄となり、守護霊とつながれ、同じ存在として生きる。それがロイの家系に課せられた使命だった。自我が保つ事ができるのはせいぜい一世代であり、それ以上に無理をしようとすると大蜘蛛は暴れだす事すらあったという。補佐人はその宿命を隠しながらも守護霊の村で世代を重ね、そして守護霊に食われ、死んでいった。

 そしてこれは補佐人の伴侶を旅であり、次世代の子をなすための儀式でもあった。ヒナタは、ロイの母親であった。それは秘中の秘とされ、守護霊の村においては掟でこの事を話す事を禁じられた。「選ばれし者」の候補者は常に二人が選出される。それは補佐人の意向がもっとも反映されるために、候補になるための試験には決まって補佐人がと思った相手の得意な分野で決められていた。シオンたちは、薬草の知識を求められた。ロイから薬草について教わっていたシオンとヤルタにとっては、造作もない試験だった。全てはロイがシオンをと思ったからであり、「選ばれし者」に立候補するという事は死をもいとわないという強い意志がある事の証明だった。

 だが、実際に生贄になるのは補佐人のロイであり、「死」と「命」と「別れ」を受け入れ、最愛の人との子は守護霊の村で育てられ、死ぬために守り人の村へと帰ってくるという辛い運命を容認しなければならなかった。シオンは、それをロイに打ち明けられ、耐えきれなかった。自身が生贄となる覚悟はあったが、ロイが死ぬ事に対しての覚悟がなかった。落ち着くまで、ヤルタは守り人の集落に残ってくれた。


 そのうち、子が産まれた。その男の子に「ロトフ」と名付けたロイは、一か月後に北へと向かった。ヤルタはロトフを抱いて、守護霊の村へと帰り、ステンと結ばれた。村で真相を知るのは先代の長老とステンとヤルタのみである。それをロトフに伝えるのが彼らの役目であった。シオンはヒナタとともに、守り人の集落へと残った。

 そしてロイは守護霊と共になり、シオンは守護霊の力を授かることができるようになった。悲しみは押し殺した。常に「死」との恐怖に打ち勝ってこれたのはロイが支えてくれたからであったが、ロイは二人分の「死」の恐怖にたった一人で打ち勝ったのだった。その事実がシオンを生きながらえさせた。さらにはヒナタがシオンを過去の自分と重ね、理解してくれた事も大きかった。シオンは静かに、ロトフが帰ってくる時を待った。




 ***




『我はロイであり、また先代の補佐人たちの集合体でもある。もともと、大蜘蛛の精霊に自我はほとんどない。そして、ロイの意識もそろそろ限界に近いのだ。もって数年だろう。その間にロトフが次の「選ばれし者」との間に子をなし、我の元へと来る。息子は、次の守護霊となる。そうか、次の「選ばれし守り人」はテレンと言うのだな。賢そうな、良い娘だ』

「俺はもともと、リンという女性に救われた。最初は彼女のためにできる事をやってやりたいという思いだった。だが、ロトフにもテレンにもユーリにも悲しい思いをして欲しくない」

『傲慢だな、南人よ』

「傲慢さは分かってるつもりだ。だが、いくら傲慢であろうとも可能性があるならば諦めたくない」


 すでに大蜘蛛からは覇気のようなものは感じられなかった。地に体をつけ、動いていないというのもあるのだろうが、まるで過去を振り返る老人のようである。


「この地に「糸」が必要なのは分かっているつもりだが、なんとかならないか? それを確かめるまでは諦めることなどできない」

『我が紡ぐこの糸はすでにどこにつながっているかなど分からぬ』

「天はあるのか、神はいるのか。あなたを許すものは、存在するのか」

『許す……か』

「罪があったならば、償う事はできるのか。あなたの話が正しければ、未来永劫苦しむのは大蜘蛛ではなく、補佐人の家系だ。人が苦しむのが償いだというのであれば、すでにそれは終わっている。人の一生は短く、人の本質は変わらない。それは人が人であるからだ」


 必死であったが、ゼノはそれを守護霊に訴えた所でどうなるものでもないとも思っていた。だが、言わずにはいられなかった。


「俺はリンに「生きる」事を教えてもらった。そしてそれはロトフにもだ。テレンにもユーリにもシオンにもヒナタにもだ。これが人だ。だから、助けたい」

『南人よ』

「命を、助けたい。そして、心を助けたい。もう、その中には貴方も含まれているんだ。これは傲慢だろうか」


 自然と涙があふれていた。ゼノはそれに気づいていない。



 守護霊が、ゆっくりと立ち上がった。



『南人よ、感謝する』

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