第7話 旅立ち

 ユーリは最後に帰ってきた選ばれし者の候補だった。他の候補になれなかった女たちとは違い、きちんとした丁寧な仕事をすると評判の女だ。しかし、テレンのように狩猟が得意というわけでもなかった。仕方なく彼女は罠を張った。それもかなり大掛かりな罠である。準備にはかなりの時間がかかった。さらにはひたすらに待った。その罠に目当ての熊の魔獣がかかったということは幸運以外の何物でもないだろう。


「もう少しで諦めるところだったわ」


 これは本心ではない。彼女はそんな事で諦めるような心をしてはいなかった。だが、そんな彼女であっても不安はあったのだろう。帰ってきたユーリの痩せようを見て、周囲の者は選ばれし者の候補になった事を心から祝福できたものは少なかった。もともと、あまり恰幅のよい女ではないのである。さらにやせ細った体はどうしても目立った。だが、それに反して彼女の心は強く守護霊に選ばれることを望むようになっていったのである。


 旅立ちの日が近づく。春の間に旅に出るのが決められている事であり、その日は補佐人からそれぞれの候補者へと伝えられる事になっていた。この旅に関して、村の者は長老と言えども無関係である。補佐人が全てを取り仕切り、全てを決める。彼が行くと言わなければいつまでも旅は始まらない。

 テレンとリンはその日をじっと待った。彼女たちの覚悟はすでに定まっていたのである。だが、ユーリの心は非常に不安定だった。それは補佐人であるロトフに向けられる。


「ロトフ! いつ出発するの!?」


 彼女はロトフにいつ出発するのかを聞く事が多くなった。そんなユーリを周囲は不安そうに見つめる事しかできず、唯一旅の意味を知るとされている長老は何も告げなかったのである。村は、いつもとは違う雰囲気に包まれていた。そんな中、ロトフのみがいつも通りであった。しかし、新しくできた彼の親友は村の外れにはいなかった。



 ゼノが旅に同行を許されるはずがなかった。だが、ゼノが諦めるわけがない。彼は今まで狙った首は全て落としてきたのだ。自然と、自身の命を賭ける覚悟が出来上がっていった。

 まずは旅がどのようなものであるかを知らねばならない。自分の言葉が現実には起こりえないと思っている少女のためにも、ゼノは全てを行うつもりになっていた。


「さすがに無理だ」


 手っ取り早く聞き出そうとした親友はそう言った。どうしても口を割らない彼のために、鹿の魔獣を殺さないように捕獲し、村の近くで絞め、生の肝の臓を振舞う事までしてみた。無類の酒好きが判明しているロトフにとって、それは最高のものだったらしい。心が揺れているのがよく分かったが、それでも無理だった。


「僕もゼノが付いて来てくれたら心強い。だけど、それはできないんだ。掟は絶対だ」

「ならば、もういい」


 突き放すように言うしかなかった。だが、諦めたわけではない。


「北へ行くと」


 独り言のように親友が話す。それはゼノへ語り掛けるかのように。


「選ばれし者の候補者と補佐人にしか入る事を許されない場所がある。その入り口に村があるそうだ」


 そこで待てという事なのだろうか。ゼノは旅の支度を始める事にした。旅の始まりはロトフが決めるという。それに合わせてゼノも村を出るか、もしくは先回りするしかない。北へ行くとロトフは言った。だが、それは本気なのだろうか。


 ロトフはすぐには旅に出ない。ゼノは何故かそう思っていた。であるならばやれる事はある。まずは周囲の村々の状況を把握する事だ。そしてそれ以上に旅の装備を整える事が重要だった。この村に来て、衣服と靴は新調することができた。さらには魔獣の毛皮を売った金でそれらの補強を行うこともできれば、毛皮を使った防寒具を製作する事もできた。背嚢や水筒も使い勝手が良いように調整できている。特殊な環境でなければある程度の期間は問題なく旅をすることができる装備である。さらには保存食の作成にもぬかりはない。

 北の村に前もって訪れておく事で情報を集めることができた。数十年前にあったという選ばれし者の旅の際には、さらに北へと赴いていったという。その先に集落があるらしいが、交流は少なく、どのような経路で行けばよいのかも分からないそうだ。更に北は守護霊が住まう土地であるために、許可のない者が立ち入ることは許されていないらしい。北の集落はその土地へ立ち入る者を選別し、守護霊を守る立場の者たちの集落なのだという。


 北へ。旅の目的地は守護霊のもとだろう。守護霊がいるのが北であるのならば旅はおのずと北へ向かうことになる。少なくとも南へ下り護衛壁を乗り越えるような旅ではない。東と西へ伸びるように点在する集落間の情報網はあまりたいしたものはなく、数十年前の旅の事の詳細を知るものはほとんどいなかった。


「やはり、北か」


 このまま北の集落へと向かうべきか。それとも南へ、守護霊の村へと戻り旅の始まりを追うべきか。ゼノの心は揺れた。だが、最後に彼の心を決めたのは単純なものだった。


「最近、リンに会ってない」


 決めたら早いのがゼノである。数日後には守護霊の村へと帰っていた。小屋に戻ると、そこには当たり前のようにロトフがいた。


「おかえり」

「ああ、ただいま」


 旅装を解く。心がすでに村へ向いていたがロトフに言っておきたいこともある。


「北へ、行って来た」

「守り人には会えたかい?」

「いや、その集落は結局分からなかったが、あるという事までは分かった」

「そうか」

「いつ、出立するんだ?」


 ロトフはゼノをじっと見据えている。まるでゼノの反応をみてからそれを決めるとでも言わんばかりであった。


「君は、僕らに旅に出て欲しい?」

「いや、できるならこのままここで暮らそう。酒が欲しければ買ってきてやる。魔獣の肝が食いたければなんとかしよう。だが、そんな答えを聞きたいんじゃないだろう?」

「すまない、意地悪な質問だった」


 ロトフは杯に注がれていた酒をぐいと飲み干すと、帰り支度を始めた。


「リンに会いに村へ行くんだろ? 僕もテレンに会いたい。それと、もう酒はいらないよ」


 それは旅に出るという意思表示だと思った。ゼノは無言で頷く。やはり、ロトフはゼノが帰ってくるのを待っていたのだ。腑に落ちない事が沢山ある。知りたい事も多い。そしてそれを聞く時間は少ない。


「ゼノ、おかえり」


 リンはあの出来事からすっかりと落ちつくようになってしまった。よく言えば大人びた、悪く言えば死への恐怖を心の奥に押し込めている。


「リン、ただいま」


 ロトフとは村の入り口で別れた。かなり酔っていたようであるが、足取りはしっかりしている。ゼノはリンの家へと向かった。旅の準備がすっかり終わった家は、奇妙なほどに静まり返っている。旅が始まれば、もう二度と会う事はないかもしれないのだ。ゼノには許されなかった家族と過ごす時間というのを大事に噛み締めるという事は、こういう事なのかもしれなかった。


「ロトフの様子がおかしい。もしかしたらもうすぐ出立かもしれない」


 言われたリンは特に取り乱した様子もなかった。


「ゼノは……ついて来るの?」

「ロトフにはダメだと言われた。だから直接は行けない。でも、行き先は知ってる」

「そう」


 意を決したようにリンは話始めた。


「リンはね、あれからも考えたよ。だけどやっぱり決めた事なんだ」

「分かってる」

「だけど、もうちょっと早くゼノに会いたかったかも」

「大丈夫だ。俺がついている。最後までだ」


 人のためにここまでしようと決心したことはなかっただろう。だが、ゼノにとってこれが自然であり、これを行うために北へ流刑となったと言われても納得できるほどのものであった。




 ***




 その日の夜、ロトフは選ばれし者候補の家を周り、明日の朝に出立する事を告げた。そして同時刻、ゼノの小屋には意外な人物が訪問していたのである。


「呼ばれれば伺ったのですが」


 客へそういうとゼノは部屋の中へと誘った。そして長老は小屋へ入る。供も連れずに長老が村の外まで来る事は珍しい。ゼノの記憶では全くと言っていいほどになかった。


「ロトフの事だ。お前に言っておかねばならん事がある」


 長老は明日の朝に選ばれし者候補が旅に出ることを告げた。そしてゼノがその旅に同行したいと思っている事も知っていた。だが、掟で候補者と補佐人以外は旅に同行する事を禁じていた。そして、その掟の意味をゼノへと教えに来たのだと言う。


「掟の意味?」

「そうだ。この旅の内容は村の者に知られてはならん。知っているのはわしとロトフのみ。もちろん詳細はお前に知らせるわけにもいかん」




 ***




 旅立ちの日は次の日だった。村はその報せで沸いている。


「行ってきます。今まで、リンを育ててくれて本当にありがとう」


 選ばれなかったら帰る事ができる。リンの両親はどちらを望んだのだろうか。しかし二人ともに娘の前では選ばれる事を望む両親を演じきった。リンはそれを知ってか知らずにか、涙を拭うことはなかった。


「行こう」


 三人の候補と補佐人であるロトフは村を出立した。目指すは北である。先頭を歩くのは常にロトフであり、女の足でついて行くのは辛いかと思われたが、それぞれ候補になっただけのことはある健脚揃いだった。


「ロトフ、まずはどこに行くの? 教えてくれてもいいじゃない」


 テレンですら聞かなかった質問をユーリが憚らずにする。


「ユーリ、悪いけど教えられないんだ。その理由もね」

「じゃあ、いつ着くかどうか分からない道を歩けって言うの?」

「そうだよ。これは選ばれるための旅だからね」


 守護霊に選ばれるという事はどういう事なのか、候補の三人は分からない。


「この旅はどのくらいの期間になるのかは僕にも分からないんだ。でも、一つだけ言えるのは、協力し合わないと、旅は面白くないよ」


 三人はこの意味を理解できなかったようだ。だが、すぐに理解できるようになった人物がいた。リンである。


「とりあえず、考えても無駄って事よね?」

「さすがリン。よく分かってる」


 ロトフに微笑まれて得意顔になるリンであったが、テレンはあきれ顔である。


「考えても無駄ってのを分かってるっていう事は、分かってないって事と一緒なのかしら?」

「そうとも言うね」

「どういう事!?」


 その日の夜にリンはゼノにもらった干し果実を皆に振る舞う事にした。考えても無駄であれば、他の事を考えようというのが彼女の考えであり、それは正しかったと言える。


 テレンはリンの事を気にかけていた。


「ゼノが、気になるの?」


 それがいかに残酷な質問なのかをテレンは理解している。しかし、この質問は聞くのが遅ければ遅いほどに残酷性を増すものであるという事も知っていた。


「テレンは、そういうのなかったの?」

「私は……」


 ロトフもユーリも寝てしまった後の事である。火の番をしていたテレンと、寝付けなかったリンはこういった会話をした。


「そういうのは、この旅に付いて来たから大丈夫よ」


 リンにとっては意外だったようである。言われてみればそうだったかもしれない。しかしロトフがそんな素振りを全く見せなかった事で、リンはロトフとテレンの関係を考える事などなかった。瞬時に顔が熱くなるのを感じた。

 翌日からは特に変わった話題はなく、ただ黙々と北を目指した。もともと守護霊の村から出た事がほとんどない者ばかりである。土地勘もないが、ロトフが歩く方角へ付いて行くだけだった。


「せめて、中継地点くらい教えてよ!」


 我慢がならないユーリが声を荒げる。目的地を教えられずに歩くという行為に苦痛を感じているようだった。


「仕方ない、北だよ」

「それは分かるわよ!」


 二日目にして、すでにこの集団には波乱の種が潜んでいた。だが、補佐人であるロトフは頑なに目的地を明かそうとはしなかった。そんなロトフを見て、テレンは何も言わない。リンもテレンに倣うと決3めたようである。ユーリの苛立ちは急速に溜まっていくように思われた。

 夜、またしてもテレンが火の晩をしている最中にリンは眠る事が出来なかった。


「ゼノがね……」


 無性に彼の話をしたくなった。テレンが、ロトフを想うように自分だってゼノを想っているという事を主張したくなったのだ。そんなリンを見て、テレンは微笑むだけだった。そしてリンの話を聞き続けた。


「でも、ゼノはリンに行先は分かってるって言ったんだよ」

「え……?」


 リンも自分で言っていておかしいと思った。ロトフが、ユーリに言った言葉。行先は教えられないのではなかったのか? そして自分たちも行先は知らない。なのに、何故ゼノがそれを知っているのだろうか。


「本当にゼノが行先を知っていると言ったの?」

「うん、旅に直接は付いて行けないけど、行先は知ってるからって……」


 その言葉だけでもおかしいと今なら分かる。ゼノはロトフに聞いたのだろう。だが、ロトフは自分たちには頑なに目的地を明かそうとしない。候補でないゼノには打ち明けて、候補である自分たちには知らせない理由というのは何なのだろうか。


「でも、ロトフの事だから、問い詰めると貝のように閉じこもってしまうのでしょうね」


 貝は村の周囲にはいない生き物だった。たまに行商人が乾燥させたものを持ってくる事がある。生きている時の姿を見たことがないリンにはそれがどういった状態なのかを想像する事は難しかった。だが、テレンに対して、一応として頷いておく。



 二日後、北の集落に到着した。その集落の門の所で待っているゼノを見てリンは泣きそうになったが、予想していただけあって泣かずに済んだ。ロトフも知っていたようである。


「付いて来るなって言っても付いて行くからな」


 旅装に身を包んだゼノはこれでもないくらいに頼もしく見えた。彼の眼には光が宿り、全てをやり遂げる覚悟が写っていたに違いない。

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