第6話 覚悟と覚悟

「生……贄……?」


 衝撃的な答えが返ってくる。それは予想をはるかに上回る最悪の答えであり、ゼノはその次に言うべき言葉を返す事ができない。テレンが南人にしてはめずらしいと言った意味を理解する。そしてそのテレンですら、守護霊の生贄になる事を望んでいるのだ。あらゆる事が頭の中で交錯するが、一つとして形を成す言葉はなかった。かろうじて、体が倒れないように、意識する。


「こんにちわぁ!って……テレン! 久しぶりぃ!」


 ちょうどその時にリンがゼノの小屋に入ってきた。ゼノはリンの顔を見つめる。リンはテレンと話すのに夢中でゼノの意識がここにない事に気づいていなかった。この、自分を救い出してくれた少女が生贄として命を散らそうとしている。それはこの土地では栄誉として受け入れられているのかもしれない。実際に、リンが選ばれし者の候補になった際に村の人間たちは両親も含めて祝福こそすれ、悲しむ者はいなかった。そしてテレンの言うとおり、南から来た人間はその事を理解できないでいる。理解、したくもない。


「久しぶりね、リン。私より先に帰るとは思わなかったわ」

「へへ、運が良かったんだよ」

「リン……」

「あっ、ゼノ! お酒飲んでるっ!」


 無邪気に笑う少女。最近、ゼノやロトフとともに酒を飲む事を覚えてしまっていた。飲むと必ず言うのがゼノの「家」で食べた干し果実を今年も作って欲しいという事だったのだ。果実を手に入れることができるかどうかが分からなかったために、返答をしなかったのであるが、作ってやってもいいかもしれない。探してこよう。ゼノはそんな事しか考えられなかった。


「リン、飲みすぎるなよ」


 ロトフに制されても、リンは聞く耳を持たないようである。


「ロトフこそ、最近飲みすぎなんじゃないの?」


 ゼノが隣村へ行き、狩った魔獣の肉と交換で持ち帰った酒の量はロトフの予想以上だった。いつもは貴重な物であるが、最近は気軽に手に入れるようになってしまっている。


「へぇ、ロトフって意外とお酒が好きだったんだ」


 テレンが言う。


「ゼノのおかげだよ。それに、酒を飲むと話すのが楽しいんだ」


 ここ最近、ロトフはよくこの小屋に泊まる。そのために寝台が二つ設置してあるのだ。一つはゼノが持ち込んだ魔獣の毛皮で作られたものであり、もう一つはもともとあった物である。基本的に、ゼノの拘りが詰まった毛皮製の寝台はロトフがいつも占領する。彼らは夜遅くまで、酒を酌み交わし語り合った。だが、そのほとんどはロトフが話してゼノが聞いているだけである。ゼノもロトフの話を聞くのが楽しみだった。

 リンは純粋に酒が好きなようである。狩りの上手いゼノが作る干し肉や燻製にも目がない。一年間を孤独に過ごしたゼノの生活力はここに来ても生かされていた。いつも、ゼノはリンのために温めた酒を振舞った。甘味が貴重な北の大地で、こっそり残していた干し果実を出してくる事もある。


 だが、この時のゼノはリンをもてなす事ができなかった。リンは不思議に思いながらもロトフ同様にぬるい酒を飲む。夏の暑い時期に、酒精が飛んでない酒はよく効いた。


「あら、本当においしいわね」


 ゼノの作った燻製肉を食べながらテレンが感心する。


「でしょ? ゼノの作った干し果実はもっとおいしいんだから」

「干し果実? 何よそれ、ちょっと出しなさいよ」


 放心してしまっているゼノを正気付けようと、あえて大げさに要求するテレン。その気遣いが分からないわけでもない。ゼノは、残っていた干し果実を全て出した。


「これで正真正銘、最後だ」


 四つの果実が出てくる。さっと一つを回収したのはリンだった。あっというまにかじり付く。負けじとテレンも一つを手に取る。


「何の実かしら?」

「あぁ、名前は分からんが、黄色いこのくらいの大きさになるやつだ。葉がみっつに分かれた……」

「あぁ、クティの実ね」


 一口かじるテレン。あまりの凝縮された甘さにもう一つを回収しようとしていたリンを睨みつける。


「何よこれ! リンはいままで沢山食べたんじゃないの? 寄越しなさい!」

「やだ!」


 ははは、とロトフが笑う。ロトフは果実よりも酒と肉がいいようである。


「今年も作るよ……来年もな……」


 騒ぐ三人を見ながら、ぼそっとゼノがつぶやいた。それを聞いていたのはロトフだけだった。



 酔いつぶれたリンとほろ酔いのテレンを連れて、ゼノとロトフは村へと向かう。暖かい季節である。月夜が明るかった。


「ごめんなさいね、もうちょっと時期を見計らうべきだったかしら」

「いや、言ってくれて助かった。考える事も多いが」


 全く納得の言っていない自分と、北の大地の風習にケチをつけるべきではないと思う自分がいた。だが、そのどちらもゼノにとっては価値がない。酒を飲みながら考えていた事は、自分がどうしたいと思っていたかだった。そして、これからどうすればいいのか。


「この時間が貴重なんだと思い知ったよ」


 それは誰に向けられた言葉だったのだろうか。だが、それを聞いていた者は全て日常がすぐに壊れてしまうという事を認めている者たちだったのだろう。



 翌日、ゼノは隣村まで物資の購入のために出かけた。売りに行くのは村で獲れた動物や魔獣の肉や毛皮などである。それを売って、生活に必要な物や酒などを買い込んだ。魔獣の毛皮は高く売れる。かなりの荷物になったが、ゼノはそれを一人で背負う。鍛え上げられた肉体はその重さをものともしない。


「しかし、あんたもよく守護霊の村に近づこうと思うもんだね。うちの村のもんは行きたがらねえもんで、助かってはいるが」


 隣村の村民はそう言った。守護霊に守られておきながら、皆どこか守護霊を怖がっているのだとその人は言う。


「まだ守護霊様の力を見た事がないんじゃないか?」

「守護霊様の力?」

「あぁ、守護霊様はいざという時に守護霊の村の方々に力を授ける。俺たちはそれで南からの侵略から守られてるのさ」


 守護霊の村は北の大地の最南端にある。護衛壁を越えて近づく者たちは守護霊によって監視されており、危害を加える素振りを見せれば守護霊の村の人間が出てくるのだそうだ。しかし、ゼノはあの優しい村の人間たちがそのような力を持っているとは思えなかった。


「それは普段は守護霊様も力はお授けにはならないだろうよ」


 外からの脅威がある時だけ、と村民は言うのだった。ゼノはまだ、その力を目にしていない。見た者は恐れと敬意を抱いて、村には近づかなくなるのだそうだ。

 近年、南からの脅威はない。それ故に守護霊の村人が南に出かける事はほぼなくなったという。しかし、その他にも脅威というのは存在した。魔獣の発生などがそれにあたる。


「南から軍が攻めてくるわけじゃねえからな」


 近年は守護霊の力を見たという者が減ってきたらしい。若い者は見た事がないというのも珍しいものではなかった。しかし、真実を話す大人が近くには必ずいる。


「偏見のない……」


 ロトフが言った意味がうっすらとであるが、分かってきた。敬意は恐れになりうるのだ。そのために守護霊の村に利便性はない。掟によって、村の外に住居を構えるのは禁止されている。村で生まれたものは村で生きて行かねばならないのだ。用事がなければ外には出てはいけない。それは主に南からやってくる脅威に備えた当然の処置だったのである。


 南がこの地を攻めたのは数十年前になる。今の帝になってからは攻めていないはずだった。あまりにも情報のない土地で、悪霊が住むと言われ、帝が欲するとは思えなかった。若い時は合理的な戦略で周辺の国々を屈服させ続けてきたのだ。北の土地に帝の欲するものがなければ、帝の視界にも入らなかったのだろう。

 荷を背負ったゼノの足取りは重かった。考えがまとまらない。今までの事が全て崩れていくようである。無性に、リンと話しがしたくなった。ゼノはリンを訪ねた。


「ゼノ、どうしたの?」


 出会ってから気づいた。何を聞けば良かったのだろうか。それすら分からない。リンの顔を見ながら、必死に考えた。そうだ、とりあえずあれを言おう。


「クティの実をな、今年も干し果実にしようと思うんだ」

「え? 本当に?」

「それで、どこに行けば手に入るかをリンに相談しようと思って……」


 こう言えば、リンは絶対に食いついて来る。


「やった! 今年に作っておけば、来年の旅に持っていけるもんね!」


 ゼノは胸の奥がチクりと痛んだ気がした。表情には表れてなかったと、思う。


「クティの実はここから南に行ったところじゃないと手に入らないな」


 いつの間にかロトフが小屋に来ていた。ゼノはリンと二人きりで話したかったはずであったが、いざ二人になってしまうと言葉が見つからない。ロトフが小屋でくつろいでいたのには内心助かったと思っていた。


「やはり、以前住んでいたの付近まで行かないとだめか」


 北の大地ではクティの実は流通していないようだ。干し果実を作るという文化もないようである。


「取ってきてよ!」


 リンが言う。


「あぁ、取ってくるよ。この時期なら、そろそろ生っているはずだ。熟す前に収穫してしまう方がいい」


 熟しても干せないわけではないが、移動の事などを考えると収穫を急ぐ必要があった。


「明日にでも、出よう」

「……焦ってるのか?」


 その時ロトフがリンに聞こえない小声で言った。ゼノは無言で頷いた。


「リン、酒を手に入れて来た。ロトフのおごりだ。明日から俺はクティの実を取りに南へ向かう。この小屋には自由に出入りしていいし、親父さんにも持って帰ってやれ」


 酒の壺を一つ渡す。ロトフが注文していた奴の一つである。


「やったぁー!」

「なにっ?」


 今は、紛らわすしかない。自分の考えすらまとまらないのだ。リンの気持ちを聞いても、どうしようもなかった。だが、日増しにゼノの中でリンに対する思いが膨らんでいくのが分かった。



 次の日からゼノは南へと向かった。まずはを目指す。昨年クティの実を収穫した木の場所は覚えていた。今回はさらに周辺を探索するつもりである。リンのためにできる事がある。無心でゼノはクティの実を探し続けた。


 一か月もしないうちにゼノは帰ってきた。三本のクティの木から実を収穫してきたのである。道中で鹿の魔獣も一匹狩って毛皮と角を持って帰っていた。肉は途中の食料としてほとんど消えていた。


「リン! 手伝ってくれ!」


 クティの実を干す作業をリンと一緒にやった。皮を剥き、沸騰し浄化させた湯で清める。紐につないで風の当たる場所に吊るしておけば、数週間もしないうちに干し果実ができるはずだった。


「故郷では、たまに揉んで硬さを確認するのだと、そうしないと拗ねて硬くなってしまうと教えてもらった」

「へぇ、クティの実にも霊が宿ってるのかもね」


 作業中も、ゼノはリンに選ばれし者の旅の事について尋ねる事ができなかった。



 冬が来る。守護霊の村でも例外でなく、冬に対する備えが始まった。大量の薪や冬の間の食料などが用意されていく。ゼノは、隣村との行き来で忙しくなった。交易で手に入る物は思ったよりも多く、そして村の中には鍛冶場などもある。必要なものは手に入った。ゼノの狩ってくる魔獣の皮や角は高く取引された。ゼノは必要な物だけを受け取ると、あとは村で使ってもらったために、今年の冬支度は楽だったと言ってもらえた。相変わらず、ロトフは村の中やゼノの小屋でふらふらしていた。いつも霊木を削った棒を持ってどこかをほっつき歩いている。しかし、補佐人である彼に村人は文句ひとつ言わなかった。同世代の同性からは距離を置かれるのも仕方がなかったのだろう。彼はいつもゼノの小屋にいた。


「ロトフは冬支度しなくていいのか?」


 酒を飲む親友を見て、ゼノが聞いたことがある。


「僕は、いいんだ」


 その悲しげな表情は、あとから理由が分かるのだがこの時のゼノには分かるはずもなかった。彼は長老の家とゼノの小屋くらいしか居場所がないようだった。

 本格的に冬に入ると、雪が降りだした。村の人々はあまり外出しないようになる。ゼノは村へ顔を出すようにしていたが、ロトフは寒さを理由にゼノの小屋で数日間泊まるなんて事もざらではなかった。しかし、の周囲と違い、守護霊の村の周辺はそこまでの寒さではなかった。


「それはそのあたりが周りに比べてへこんだ地形だったんじゃないかな?」


 ロトフは盆地状になった土地には寒さを司る霊が貯まりやすく、風に流されにくいという説明をした。ここは、むしろ他の場所よりも高い土地である。身を切るような寒さは感じず、防寒も行き届いた小屋は快適であった。薪は十分にあり、また村には炭も存在した。炭の方が煙も少なければ暖かいのである。ロトフはますますゼノの小屋に住み着くようになり、ゼノもまたそれを歓迎した。独りは、耐えられそうになかったのである。



 春が近づいた頃、ゼノはロトフに聞いた。


「リンは、怖くないのかな?」

「……」

「俺は南人だ。俺の考えがここでは通用しないという事は十分、分かってる。だが、怖いんじゃないか。人の本質は生まれや土地では変わらないだろう?」

「ゼノ……」


 ゼノの小屋ではすでに干し果実が出来上がっていた。春に選ばれし者を決めるための旅は始まる。ゼノはリンとテレンのためにこの果実を作る事を決めていたために、自分では試食以外では一つも食べていない。


「選ばれし者になるための旅には三人が参加する。テレンとリンと、もう一人はユーリという女性だ。その旅に僕も同行する。リンが選ばれし者になって命がなくなると決まったわけじゃない」


 選ばれし者の候補はもう一人いたようである。だが、だからと言ってゼノと面識のない女性が選ばれし者になり生贄になれば解決するという問題ではなかった。ゼノは続ける。


「俺はわがままなのかもしれない。リンに旅を止めて一緒に暮らしてもらいたいんだ。しかも、リンが後悔せずにだ。掟とか、儀式とか、生贄の事は分かってる。どうしようもないんだろ? まだ全てを解決するいい案が見つかってない。これからも見つかる事はないんだろう。リンが生贄になる事を望んでいる。そして俺は望んでいない。だが、リンの力になりたい」


 気づけば、ゼノは泣いていた。ロトフはその答えを持っていなかった。酒をあおる二人。雪は周囲の音を優しく消してくれていた。その後、春が訪れるまでロトフは村で過ごした。彼も耐えられなかったのかもしれない。



 春は雪が溶けると芽を出すようである。しかし、ゼノの心に春が来る事はない。選ばれし者を決める旅の始まりの日がすぐそこまで迫っていた。ゼノは干し果実を持って、村を訪れた。


「リン、これをテレンにも渡してくれ。」

「ありがとうゼノ!」


 無邪気に喜ぶリン。旅の準備は着々と整っているようである。リンの両親も、そのために忙しいようだった。


「ちょっと、話さないか?」


 リンを村外れまで誘った。ここなら誰も来ない。二人きりで話す事ができる。


「どうしたの?」

「リン、最初に謝っておく。気を悪くするかもしれない」

「な、なによ?」


 いつもと違う雰囲気のゼノにたじろぐリン。しかし、ゼノの目は本気であった。


「怖くないのか? いや、本当は怖いんだろう?」


 パッと目を開くリン。それは、予想していた言葉とは違ったからである。リンは、ゼノがもしかしたら選ばれし者を決める旅に参加するのをやめてほしいと言ってくるのではないかと思っていたのだ。それに対しての答えは決めてあった。何を言われても行くと。

 だが、ゼノが発した言葉はそうではなかった。本当は怖いんだろう? 今まで必死に堰き止めて来た思いがあふれ出す。


「怖いよ? でも、頑張らなきゃ。リンは、選ばれし者になって、お父さんやお母さんの期待に応えなきゃ」

「リン……」

「南から来たゼノには分からないのよ! 守護霊様がどれだけすごい存在で、そのためには誰かが生贄にならなくちゃいけなくて! その生贄はものすごい名誉なのよ!」


 想いと共にあふれ出す涙。ゼノも、涙している。


「止めないでよ! リンはもう決めたんだから! 覚悟をしたの! なのにどうして、急に現れて、リンを助けて、優しくして、そんな事を言うのよ!」


 戦場や命のやり取りも全く知らない十八になったばかりの娘が自分の命を犠牲にしてまで守ろうとする物があった。それは家族であり、村であり、そして北の大地であった。この土地の全ての生きる者のために、少女は覚悟を決めていた。だが、ゼノに助けられた事でその覚悟が緩みそうになった。必死で繋ぎ止めていた。だが、無理だった。


「リン、違うんだ」

「え?」


 泣き崩れたリンを支え、ゼノが囁く。


「リンが覚悟を決めてたんなら、俺も覚悟を決めようと思ったんだ」


 リンを立たせて、涙をぬぐう。



「俺もついて行く。リンだけを助けるとズルになるからできないけど、リンの覚悟をずっと見てる」



 昔、南の国には烈火将軍と呼ばれた若き将軍がいた。父親譲りの戦略と、それを越える苛烈さで、狙った将軍の首は必ず討ち落として帰ってくる彼を周囲の国々は恐れた。狂った帝により北の地へ流刑とされた彼のその後を知る者は、いない。

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