第5話 選ばれし少女 後編

 村まであと一日という所で、人影が見えた。


「おい、あれは守護霊の村の人間か?」

「えっ?」


 音もなく前方に現れたその人物はこちらを見ているようだった。右手にはその背丈よりもやや長いだけの棒を持っている。後で分かった事であるが、これは霊木を削って作った棒であり、それには何かが宿っていた。


「ロトフ!」


 リンの表情が明るくなる。しかし、そのロトフと呼ばれた男はまったく表情を変えようとはしない。ゼノを見定めているようだった。そして、両者の距離が近づくにつれてそれは殺気に近いものに変わる。


「おかえり、リン」


 ロトフは目線を外さずに一言だけ放った。警戒だろう。ゼノは久しぶりの感覚を味わう。


「ど、ど、どうしたのかな? こっちはゼノ。恩人だよ」


 リンの説明で少し殺気を抑えるロトフ。


「リンの恩人と言うのであれば歓迎する。だが、この男、尋常じゃないぞ」


 それは将軍として戦っていたゼノの事を示しているのだろうか。初見でここまで警戒される事はなく、その慧眼にゼノの方も警戒する。


「ゼノ=アキュラだ」

「アキュラ! 将軍の息子か?」

「俺も将軍だった。いまではただの流刑の罪人だがな」


 流刑という言葉を聞いて、納得の表情のロトフ。だが、そこまで事情に詳しいロトフに対してゼノは警戒を深めていく。こんな北の土地でアキュラの名に反応する人間がいるとは思えなかった。しかし、現実に目の前の人間はそれを知っていた。南に通じる何かがある。北の大地は思ったより南寄りにあるらしい。


 ゼノとロトフ、二人の出会いはこのようだった。



「父さん、母さん、ただいま!」


 ゼノに譲ってもらったグレーテストベアの毛皮の外套を着こんでリンは生家の門をくぐった。守護霊の村は全部で数百名の村人が暮らす集落である。その家屋は南の国とは違って質素なものであったが、長老の住まう場所のみは祭壇も含めてかなりの大きさがあった。リンの生家は特に特徴のない標準的な大きさである。


「リン!」


 信じられない物を見たという顔の両親が出てきた。その顔は死んだはずの娘が戻ってきたというのが最も正確な表現であろう。両親ともにリンが生きて帰れるとは思っていなかったようだ。その反面、娘の無事を祈願するお守りがところどころに飾られてあったらしい。


「こっちはゼノ。グレーテストベアを狩ってくれたのも彼なんだ」


 両親に紹介され、その日は歓迎される事となった。何故かロトフが付いて来ていた。そしてずっと一緒にいる。


「ロトフは補佐人なんだ」


 補佐人とは、選ばれし者を最終的に決める旅についていく異性を指す。候補者が数名いるのに対して補佐人は常に一人だ。そして補佐人は候補者がいるわけではなく、生来から決まっている。補佐人として生まれた者は村の長老に育てられる。ロトフの両親が誰かなのは知らされず、リンも知らなかった。知るのは本人たちのみである。


「ゼノ=アキュラ、南の話が聞きたい」


 ロトフは当初の警戒を解くと、南の事を聞きたがった。その日はなぜかロトフもリンの家へ泊るという事になったらしい。リンの両親から感謝されつつ、ロトフと夜遅くまで語り合った。ほとんどはロトフが外の事を聞きたがったのだ。補佐人は基本的には、外の世界に出られないらしい。守護霊の村から出た事は数回しかないというロトフであったが、ゼノはそれが意外な気がしていた。ゼノから見ると、ロトフは敵国の将軍と同程度以上の気を放っていたのだ。戦場で出会っていたならば、勝てるかどうかは自信がない。


「君は変わってるな」

「南人からすればここらの人間は全部変わってるんじゃないか?」

「いや、人の本質は同じだと思う」


 ロトフは不思議な雰囲気を持つ男だった。しかし、悪い感じはしない。久方ぶりの酒を酌み交わし、二人は語り合った。リンに出会って、全てが上手く回っている気がした。


 翌朝になるとリンがグレーテストベアの毛皮を持って帰ったという事は噂になっていたらしい。朝から訪問客もある。そしてゼノという客人を連れて帰ったという事も知れ渡っていた。


「じゃあ、リンは長老の所に毛皮を持っていくから」


 リンとロトフは朝早くから出て行った。完全に手持無沙汰になったゼノはリンの弟と遊んでいる。こんな時間がとれるなどとは思っていなかった。十六の頃から戦場を駆け回ってばかりで死と隣り合わせの生活だったのである。子供と触れ合うのは慣れていない。だが、無償に楽しかった。


「ゼノ! ここに住めよ!」


 幼子が屈託なく言う。それを見てリンの両親も笑ってくれているようである。しかし、ゼノはここには住めないのだというのだ。守護霊の村は外からの客人は許しても住み込む事は許されてない。後日、どこか住む事のできる集落を探してくれるとロトフはゼノに言った。それまでは厄介になろうと思う。どうせ、生きる目標などないのだ。なるようになるだろうとゼノは思った。


 グレーテストベアの毛皮を納めたリンは正式に選ばれし者の候補者になったようである。リンの家にはそれを祝いに来る者もいた。両親も嬉しそうである。そしてこの日もロトフはリンの家に来ていた。


「ゼノ、君が良ければこの村の近くに住まないか?」


 ロトフの提案はこうだった。守護霊の村に行商人は来るのだが、その頻度は少ない。そして何時来るのかも分からないそうだ。その行商人に頼るしかない事も多いのだという。周囲の集落から尊敬を集める反面、守護霊の村は避けられがちであった。そもそも隣の集落から徒歩で数日の距離も離れている。


「村の中に住む事は掟でできない事になってる。だけど、村の外れなら大丈夫だ」


 偏見のないゼノが村の外れに住む事によって、他の集落との連絡や物資の運搬などをしてもらえないかという提案だった。仕事をもらえるとは思っていなかったゼノはこの提案に乗った。


「本当は、ゼノの所に行くという用事を作って村の外に出たいというのもあるんだけどさ」


 補佐人は基本的に村から出る事は許されない。村の周囲を回るのが精一杯なのである。ロトフとしては、ゼノが村の外れにいてくれると助かるというのだ。


「それ、いいんじゃない? ゼノなら独りで生きてたくらいだし」


 村の外れに住み、毎日のように顔を出せばそれはもう村に住んでいることと同義である。掟を重んじる人たちが何と言うか気になったゼノはロトフにその事を問う。


「そんなの気にしないでいいよ。なんか、ゼノの方が守護霊の村に昔からいるみたいな考え方してるね」


 ロトフは何てことはないという風に笑った。後でリンやリンの両親に聞いても答えは同じだった。その内、長老から呼ばれた。


「ロトフから聞いておる。村の外れに住んでくれるのか?」


 まさか長老直々に歓迎してくれるとは思わなかった。一緒について来ていたリンが嬉しそうに言う。


「ね、言った通りだったでしょ?」


 ゼノ=アキュラは守護霊の村から東に行ったところにある川の近くの小屋を与えられた。もともとは倉庫のように使っていた小屋らしい。今は使われていない。しかし、北の大地で使われていただけあり、しっかりとした防寒が施された小屋であった。


 小屋に住み始めたゼノは頻繁に守護霊の村に顔を出し、狩りで手に入れた肉などを交換するようになった。そして隣の集落にも連れて行ってもらい、顔を知ってもらう事もした。こうして一人で往復できるようになるまでに一か月もかからなかった。


「助かる」


 守護霊の村人たちはゼノに優しかった。必要とされる事が嬉しく、ゼノはここに来て良かったと思っていた。そして季節は真夏になり、村が騒がしくなった。


「テレンが帰ってきたらしい」


 選ばれし者の候補であるテレンという女性が帰ってきたらしい。ロトフと長老の家で隣の集落から買ってくるものを選定している時にテレンが帰ってきた。


「ただいま帰りました」


 テレンはロトフと同い年であり、幼い時から仲良く過ごしてきた女性らしい。狩りが上手く、弓を使わせれば集落の男にも負けないのだそうだ。凛々しい顔立ちに、はきはきした物言い。いかにも賢そうな女性である。


「帰ったか。して、グレーテストベアの毛皮は獲れたかの?」

「はいっ」


 荷物の中から立派な毛皮が出てきた。


「仕留めるのにだいぶ苦労しました」

「罠を使ったんだね?」

「そうよ、ロトフ。仕方ないじゃない」


 ロトフと嬉しそうに話している。ロトフもテレンが無事に帰ってきてくれて嬉しいようだ。もしかしたらこの二人は恋仲なのかもしれないとゼノが思っていると、テレンがゼノを見て言った。


「それで、こちらの殿方はどちら様?」

「テレン、彼はゼノ=アキュラだ。南人だよ。この近くに住んでもらう事になった」

「ゼノ=アキュラだ」

「テレンです。でも、南人が何でここに?」

「親族のとばっちりで流刑にされてるところをリンに拾ってもらった」


 若干脚色してあるが、概ね間違いではないだろう。隣でロトフが苦笑いしている。


「へえ、リンに……って、あの子が戻ってきてるの?」


 テレンは自分が最も早く帰ったものだと思っていたようだ。言われてみればリンは一か月程度でゼノのに着いている。グレーテストベアはこの辺りには生息していないから、リンは最短で往復した事になるのだろう。


「リンを拾ったのは君の方だろう?」


 笑いをこらえきれずにロトフが言う。


「いや、彼女に救われたのは間違いじゃないさ」


 リンが来なければ今頃はまだ「家」の中で独り作業をしていたに違いない。そういう意味でもリンには救われている。ゼノは生きる目標がなかったが、リンを見ているとそれはこれから見つければ良いとすら思えてきたのだ。


「だからリンが選ばれし者になるっていうのなら、それの手助けができればいいなとも思ってる」


 場所を移して、ゼノはロトフとテレンを自分の小屋に招待した。ここに招待した理由はロトフに頼まれた隣の集落から買った酒が置いてあるからだった。長老の前では控えているという。たまにこうして男二人で飲み明かす事にしていた。今日は後からリンも合流する事になっている。数か月前と比べると生活が変わっていた。ゼノは、ここに、住んでいる。


「南人にしては、めずらしいわね。選ばれし者を応援するなんて」

「あっ、テレン」


 テレンの言葉にロトフが少し慌てる。


「なんだ?」


 ロトフがテレンにまだ話してないんだと説明していた。まだとは何をだろう。


「言ってくれよ。気になるじゃないか」

「すまない、ゼノ」


 ロトフが先に謝る。言い出す機会がなかったと。ゼノは嫌な予感を覚えていた。この幸せを感じる事のできる生き方がまたしても崩れてしまうのではないかと。あの、流刑に決まった時と同様の何かを感じていた。


「いつかは知られる事だからリンが来る前に言っておくわよ。選ばれし者ってのはね」


 現実は上手くいかないという事は身に染みて分かっていたはずだった。しかし、理解できていなかった。



「守護霊様の生贄になる者のことよ」

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