第3話 悪霊の出る土地 後編
初夏になり、またしても魔獣を仕留める事ができた。最初に仕留めた鹿型の魔獣である。今回は相手に発見され、追跡されたためにあえて家の近くの川の付近で迎え討った。木の矢が額に刺さり、即死した魔獣の血を抜き、川に浸ける。今回は内臓も使う予定である。
「これは、旨い」
生の肝の臓が美味かった。軍にいたころに部下から聞いた話ではあまり食べ過ぎてはいけないそうだ。動物の肝の臓には悪霊がいる事がある。しかし、悪霊はもっとも旨い部分に宿るとも言われている。沸騰させた水につけて浄化すれば問題ない。新鮮であれば内臓も食料となる。この数日はこれを食おうと思い、肝の臓と心の臓を取り出し川で洗った。当初の予定通り胃袋を取り出す。裏返して洗って乾燥させる予定だ。他の内臓は今回は使い道が分からず捨てようと思ったが、罠の餌には使えるかもしれないのでとっておく。骨も加工すれば鏃くらいにはなるかもしれない。すでに食い終わった燻製肉の骨が家の周辺に落ちている。あれの使い道も考えねばならなかったが、捨てる事もなさそうだ。骨を削って、角と組み合わせればナイフくらい作れるかもしれなかった。削るための道具は、今度考えることとしよう。
「今回は余らす事なく使えそうだな」
茹でた餌用の内臓を持って罠を作ると、いつもより成功率が高い気がした。鳥が引っかかったのは大きい。またしても尾羽で矢を作る事ができそうだった。内臓を取り出した鳥は取ってきた岩塩を振りかけて干し肉にした。
魔獣の毛皮は伸ばして乾燥させた。首回りから肩にかけての防寒具が欲しかったために半分はその形に加工した。熊の魔獣の爪と、鹿の魔獣の角を削って前側のボタンを作成する。さすがにこれを取り付けるのには針と糸を使った。裁縫なんてした事なかったためにこれには苦戦した。最終的に不格好ではあるがしっかりと結んだ糸が外れることなく加工した爪と角に開けた穴と毛皮とを固定する事ができた。今は暖かい季節であるためにあまり必要ないとは思うが、これから先に重宝するだろう。夜間、まだ寒い時間帯にはこれをつけて寝ると良かった。
残りの毛皮は寝台の補強に使った。さらに快適になった寝台を見て満足する。これはもっと寝心地を重視しても良いかもしれない。枕にも毛皮を使い、中の素材をどうするか考えた。
最終的に考えたのは乾燥させた木の実を枕の中にいれる事だった。国にいた頃には羽毛を詰め込んだ布を枕としていたために、柔らかさは全く違う。しかし、今の生活を続けるゼノにとっては格段に良いものであったし、なにより軍にいた頃にはもっとひどい寝台で寝ていた事もあった。どんぐりに似た木の実はいくらでも拾うことができるようになっていた。それをかき集めて布の袋に詰め込んだ。そしてそれを毛皮で包むと上質な枕ができあがった。
「これじゃあ、寝る事に生きがいを感じているみたいじゃないか」
独りで笑う。何故、ここまで枕に拘りを感じるようになっていたのだろうか。しかし、無性に楽しかった。そしてこの生活には新たな発見があり、それに喜びを感じている事が分かった。木の実を拾っている時に気づいたのである。これを乾燥させて粉にし、水で練って焼けば食料になるのではないか。家の周囲にはこの木の実が生る木が沢山あった。これだけの量を全て粉にすれば一冬くらいは余裕で過ごせるはずである。ここは何もない土地ではなく、自然豊かな土地だったのだ。枕に使った量の倍の量を拾い集める。すでに乾燥しかかっているそれの皮を剥き、洗った平べったい石の上で片手で持てるほどの大きさの石を使い砕いていった。
「専用の道具を作らねばならんな」
意外にも重労働であり、粉になるまでにはかなりの時間を要した。更には少し湿っているためにすでにまとまりかけている。少量の水を加えて練ってみた。思うように塊にはならない。もう少し細かくするべきだったのだろうが、これ以上は耐えきれそうにもなかった。なんとか固まったその何かを串に刺して火にくべる。最初に試食した塊は中が生焼けだった。最後に試食したのは表面が黒焦げだったが、中は意外にも食べる事のできる味だった。
「焼き方を考えればなんとかなりそうだな」
直火はよくないのかもしれない。今度は竈を作って石の上で焼いてみようと思った。これで食料問題は解決するかもしれない。穀物と肉と果実が手に入るのだ。一人が食べていくには十分な量がある。後は冬を越すことのできる家と服があれば、なんとかここの土地で生きていくことができるはずだった。まだ夏だった。想像を絶する寒さの冬が来るかもしれない。薪の準備を怠るわけには行かなかった。一冬でどれだけのものを使うか分からないのである。そして、この家で十分とは言い難かった。できれば一冬をその中で過ごすことのできる十分な空間と防寒が必要である。やはり、洞窟を探すべきなのだろうか。それとも本格的な家を建てるべきなのかもしれない。一人でやれる事には限界があった。
その日の夜。不穏な気配にゼノは起きる。たき火の火が消えているが、月明かりが部屋の中を軽く照らしていた。剣と弓矢を持って外を覗う。
「狼か」
群れで行動するのはほとんどが狼型の魔獣である。おそらくは保存食の臭いにつられてきたのであろう。家の中はそこそこの空間があるとは言え、弓を引くには不十分だった。しかし家の前は木を伐採しているために切り株が点在する広場になってしまっている。囲まれるのは得策とはいい難い。
「仕方ない」
あまり気は進まなかったが家の壁を壊す。そしてもともと煙の脱出用だった穴を拡張させて、そこから狼たちを射た。最初の連射で三匹ほどの狼が絶命する。群れの規模はどのくらいなのだろうか。天井から外にでたゼノは周囲を全て囲まれている事を悟る。
「だいたい十五匹って所かな」
家の前の広場に集まっていたのが十匹ほどであり、その周囲に五匹が散らばっていた。天井に生えている木の周辺には二匹しかおらず、それは剣で切り伏せる。素早く木に登ったゼノは木の上から矢を連射した。作った木の矢が全てなくなった時には狼は残り四匹にまで減っており、そいつらはもちろん逃げて行った。
「家を壊しちゃったな」
周囲に散らばる狼の死体を固めて置く。昔、軍にいた頃に狼を食べた事はあるが、どうにも食べられたものじゃなかった。肉食は基本的に肉がまずいと知ったのはその時である。熊は雑食であるので問題ないが、狼は純粋な肉食だった。後で毛皮をはぎ取って捨てる事になるだろう。丁寧に矢を引き抜いていく。再利用できるものは利用するのだ。矢じりがなく、返しがついていない矢はすぐに抜けた。半分ほどは再利用できそうだった。矢羽が痛んでいないものも回収しておく。家の壁の応急処置を施して、その日は寝る事にした。
翌日は狼の毛皮をはぎ取るので忙しかった。十匹もの狼の死体があるのである。肉と内臓は捨てるしかなかった。肉食の狼の肉は罠の餌にすらならなかったのである。ただし、大量の狼の毛皮は重宝した。糸がもっと欲しかった。あれば服を作る気になったかもしれなかったからだ。
***
夏が過ぎて秋になった。ゼノはまだ独りのままだった。冬に備えてやることが沢山あるのが彼を救っていたと言っても良い。家の拡張と薪の準備に毎日を費やした。保存食となる干し肉も作っていたが、木の実もかき集めた。この実はおそらく昨年の秋にできたものだったのだろう。上を見上げると青々とした実が沢山生っているのが見えた。冬にかけて地に落ちて、春に芽吹くに違いない。芽吹く前に拾い集めたものだけが家の中にある。
「食料はなんとかなりそうだ」
しかし、薪は分からなかった。すでに大量の薪や枝が家の横に積み上げられている。そこには乾燥させたツタもあり、食べた後に残った魔獣の骨も置いてあった。この地で生きていくための財産である。春に生っていた果実よりも甘い果実が見つかる事もあった。それらはできるだけ乾燥させて保存するようにしている。肉だけでなく、果実を食べると体が楽になる気がしたので定期的に食す事とした。冬を乗り切れば、ここで生きている目途が立つ。そうしたら、さらに北へも行けるかもしれない。まだ見ぬ人を探すのである。
風に冷気が混じるようになった。今着ているものだけでは心もとない。狼の毛皮を羽織る。かじかむ手に合うように切り取り、ツタで作った紐で巻き付ける事もした。靴にも同様に毛皮を巻き付け、足先が冷えないように気を配った。寒さで毎日の水くみが辛くなった頃に、雪が降ってきた。
「雪か……」
冬が来たのだ。これを乗り越えなければ、ここで生きていくことはできない。考え得る準備はしてきたつもりだった。そのために必死でこの辺りを駆け回った。家の壁にも隙間風が来ないようにツタや毛皮を巻き付けてある。中で火を絶やさなければ暖かいはずだった。だが、現実は甘くない。
「こ、凍える……」
たき火にいくら薪をくべても温まらない日があった。ありったけの毛皮にくるまって火のそばを離れずに過ごす。一日中、火をくべ続ける日もあった。そんな日にはひたすら食べ続けるしかなかった。暖かいものを食べると、芯から熱くなる。すぐ近くの川まで行くこともできずに、雪を鍋に入れて溶かす日が続いた。余裕があると思っていた食料は、凍える日が来る度に残り少なくなっていく。しかし、食べずに乗り切る事はできなかった。
雪が深い日は、むしろ暖かかった。
「雪は熱が逃げにくいのだな」
木と乾燥したツタだけの壁では、熱がすぐに逃げてしまうらしい。ゼノは思い切って家の外にでて、削った木の板で家の周囲に雪をかき集めた。それを硬くなるまで壁に貼り付ける。完全に家が入り口を残して雪で埋まるまでそれを続けると、家に入ったゼノはその内部の暖かさに自分の考えが正しかったことを知った。たき火の熱が雪で逃げなくなった家はようやく住めるようになった。ゼノは数日おきに家の周囲の雪を補充し、熱が逃げないようにした。
「もし来年があるようであれば、土を盛っておくのもいいかもしれん」
残り少なくなった食料の干し肉をかじりながら、来年に思いをはせる事ができるほど余裕が生まれていた。余裕が生まれると、仕事ができる。集めておいたツタから紐を作り出すこともしていた。籠は作れなかったが、毛皮を固定する時などに役立った。一日中家の中にいるのである。出るのは薪を取りに行くときと用を足す時だけだった。木の実をすりつぶすのも上手くなった。それを入れて置く木の容器も削りだした。徐々に快適になっていく環境に、これは自然との闘いだと思うようになっていった。
雪が降らなくなった。ゼノは、冬を乗り切った事を確信した。
***
この地で約一年を過ごし、ゼノは春を迎えた。
「乗り切ったか……」
なんとか、生き抜く事ができた。ここにいればもう一年くらいならば問題なく過ごせるだろう。少し探索の範囲を広げても良い。誰かに出会えることを願うばかりである。それには、やはり準備が必要だった。この一年は環境を整えるのにずいぶん時間を使った。家はすでにできているのだ。冬における熱の問題を解消すれば、これ以上の改善は必要ない。であるならば、遠出をする用意ができる。まずは食料からだった。
「肉が必要だ」
もっとも保存がきいたのはやはり干し肉だった。そして乾燥した木の実だ。木の実の粉を水で練って、焼いた石に貼り付けるとやや苦いが食えるものになる。灰汁の抜き方がいまだに分からないが、この際味は二の次だった。沸騰した水に干し肉を浸けると柔らかくなり、暖かい水分とともに摂る事ができた。これらは冬においてゼノを生きながらさせた食料である。そして乾燥させた果実に岩塩。余裕があると思っていた食料はギリギリだった。遠出をするのならさらに多めに取っておく必要がある。ゼノは食料を調達することに精力を傾けた。
春のうちに魔獣を二匹狩った。一匹は鹿型の魔獣であり、もう一匹は熊型の魔獣だった。熊の魔獣はやはり弓矢ではとどめをさせず、しかし後ろ足を射る事で動けなくなったところを刺した。二匹ともに「家」の近くの川の付近へ誘導したために、内臓も含めて全てを使う事ができた。夏に向けて、干し肉を作るつもりだったゼノは全ての肉を干すことにし、直後に食べたのは塩茹でした内臓のみだった。生きるために、塩気以外の味に拘りはなくなっていた。
熊の魔獣の毛皮を丁寧に伸ばして脂肪を取り、乾燥させて外套を作る。それは雨からゼノの体を守ってくれるほどに大きなものであった。前回の毛皮は加工もせずに寝台に敷かれている。貴重な糸を使って、前で止めることができるようにしたそれは、夏に差し掛かる頃には暑くて着れなくなったが、冬に向けて重宝すると思われた。
しかし、この頃にゼノに異変が起こる。
「ああぁぁぁぁ!!」
あまりにも人と交わらない事による発狂に近い叫び。人と話すことに飢えていた。独り言がかなり多くなるが、それでは満たされない。死ぬことすら考える。だが、すぐにそれは否定される。それの繰り返しの中で、持前の強靭な精神をもってしても孤独には耐えられそうもなかった。
だが、初夏の事である。
「森が……なんか変だ」
それは森を歩いていた時に感じた違和感から始まった。以前にも熊の魔獣が出た頃に、あまりにも静かな森を経験していた。その頃には違和感を感じるほどに森に慣れていたわけではない。しかし、今回の違和感は間違いない。だが、静かなわけではなかった。どちらかというと、侵入者に対する警戒というところではないか。
「帰った方がいいか」
初めての反応に家へ帰る事を選択する。もしかするとまだ見ぬ魔獣が来ているのかもしれない。この違和感がなくなるまでは家の中ではなく、木の上にいた方が良いかもしれなかった。家が見下ろせる大木に登る。持ち物は食料と狩りの道具である。夏に入ったために、このまま木の上で寝ていても凍死することはない。
「さて、何が出るか」
その違和感が家に来る可能性が低いとは思っていた。もともとあまり目立たない場所にあるのだ。数日間、この上で過ごして何もなかったという落ちが待っているに違いない。ゼノは自分の慎重過ぎる行動に驚きながらも、直観を信じる事にした。もし、ゼノにとっての脅威が近づいているというのなら、この行動は命を救う。そうでなければ、何もないだけである。
そして、その違和感はゼノの直観どおりやってきた。
「なんだ?」
何かが動いている気配がした。大きさからいうと魔獣かもしれない。ゼノと同等程度のものだ。それが茂みの中から家を伺っているようだった。幸い、樹上のゼノには全く気付いていない。相手の正体が分からないゼノはこのまま見守ることにする。ただし、矢は弓につがえていた。
がさりがさりと茂みの中の何かがゼノの家に近づく。唾を飲む音がそれに聞こえるのではないかと思うほどにゼノの喉で響いた。その何かは全体的に黒かった。狼の魔獣が同じような色をしていたはずだった。しかし、狼にしては少し大きい。そして黒くない部分もある。ゼノはその正体が分かった気がした。
「おい!」
ゼノの呼びかけにそれがびくりと反応する。まさか上から声をかけられるとは思っていなかったのだろう。あわてたそれが茂みから這い出てくる。進行方向をふさぐように、ゼノは飛び降りた。それに気づかなかったそれが目前に出現したゼノに再度おどろいてしりもちをつく。
「何か用かい? 言葉は分かるか?」
ゼノはそれに話しかけた。
「わ、分かる」
それは答える。だが、ゼノの予想は当たっており、そして外れていた。予想外とはこのことだ。ゼノは信じられない様子で言う。
「女?」
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