第21話 北の王

「将軍、野営の準備が完了いたしました」

「うむ、明日は「護衛壁」を越えることとなる。全軍に早めに休息をとるように指示しろ」

「はっ!」


 将軍と呼ばれた男は北を睨んでいた。それは約十年ほどまえの苦い思い出である。そして今現在もその忸怩たる思いは続いていた。


「私はな」


 側近へ語り掛ける。将軍がこのように自身の事を話すことは少なかったためにほとんどの者が驚愕の表情をしていた。


「十年ほど前に、ここに来た。命の恩人が流刑になるのを防ぐこともせず、ただ見届け人として付き添った」


 見届け人を終えた彼は命の恩人がいなくなった位に滑り込むようにして将軍へと昇格した。その後、帝との関係性が悪くなった飛蓮将軍ロイサム=アッサイトは徐々にであるが閑職へと回され、それに伴い自分の位が上がっていった。帝に反抗したもので生きているのはロイサム将軍のみであろう。過去の業績が彼を護っていたが、それもどこまで続くことやら。


「彼が命を賭して戦場を、敵の陣営を貫かなければ、孤立していた私の隊は全滅していたのは間違いなかった。せめてもの思いで見届け人を名乗り出たが、逆にその事を後悔しなかった日はない」


 途中で逃がせば良かった。彼の権限ならばそれができたかもしれない。帝から監視の意味で連れてこられていた役人は命の恩人に対して同情的だった。

 月日が流れ、彼は大将軍にまで上り詰めた。大仰な二つ名まである。そして今、狂った帝の命令で数万の軍勢を率いて北の大地を攻めようとしていた。悪霊がどのようなものであれ、数万の軍勢にかなうわけがないと思っている。


「将軍!」


 伝令が何かを伝えに来たようだ。丁度物思いに更けていた所だ。気を引き締める意味でもいいだろう。


「何だ」

「北から、北の使者が参りました!」


 その使者によると、こちらが攻める前に一度話し合ってみたいと言っていると。


「誰がだ? 悪霊か?」

「いえ、使者によると、「北の王」と名乗っているそうです」


 北の王だと。悪霊ではなく王が存在するとは聞いたことがなかった。将軍は興味を抱いた。それはもしかしたら流刑になった命の恩人の情報を聞くことができるかもしれないという、わずかな希望があったからかもしれない。


「会ってみよう」



 その決断が歴史を変えた。



 翌朝、「護衛壁」の上に数人の集団が立っているのが見えた。彼らは、鮮やかな色の馬のような鳥にまたがっている。騎馬で近くまで行く。さすがに数万の指揮をする将軍が護衛なしで会うわけにいかず、数十人の供が付いて来ていた。先頭を走っていた部下が叫ぶ。彼は命の恩人の部隊にいた将校だった。この十年間、よく支えてくれている。


「そなたが北の王か!?」


 鮮やかな夕日の色をした鳥が一匹進み出た。朝日が斜めに当たっているために顔が見えづらい。


「まさか、よりによって貴様にそんな事を言われる日が来るとは思わんかった」


 北の王が不機嫌な声を出した。その声には聞き覚えがある。声は不機嫌だが、顔が笑っていた。


「ま、まさか……」


 戦闘を走っていた部下が硬直した。だが、その他の部下がいきり立つのが分かる。しかし、行動は起こさない。部下の統率は完璧だった。思いが、感情があふれ出す。この十年の何かが崩れたのが分かった。


「はーはっはっはっはっは!!」


 腹の底から笑った。何年ぶりだろうか少なくとも十年はそんな事はなかった。


「全軍!! 帰るぞ!!」


 部隊に反転を指示する。将軍の指示の意味が分からない者も多かったが、全員が指示には従った。その間に将軍は北の王と無言で語り合った。



「北攻めはやめだ! 我が軍はこれより首都を攻める! だが、ゆっくりと行こう! 数か月後に帝が都にいるかどうかは分からんがな!!」


 陣地に帰った将軍が出した号令はこうだった。そして通常行軍よりも遅い歩みの数万の軍勢は、都に至るまでに数十万にまで膨れ上がり、逃げ出した帝は逃亡先で殺されることとなった。将軍は新たな王朝を起こし、繁栄は数百年以上続いたという。


「北の大地を攻めていても結果は対して変わらんかっただろう。北の王の剣は帝の首に必ず届いた。あれは、悪霊よりも質が悪いからな」


 初代皇帝は反乱の動機に関してそう言ったという。




 ***




「だから、大丈夫だと言っただろうが。皆、俺を信用しないとかありえねえ。一応、頭は俺だって事になってただろうが」

「いやいや、いつ死ぬかなんて分からないからね」


 北の大地のある集落ではユウヒウマドリに乗った集団が帰ってきていた。その内の先頭の二人は帰りの道中、ずっと罵り合っている。片方はずっと酒を飲んでいた。しかし、ふらつきなどはない。


「飲み過ぎだ。いつかウマドリから落ちるぞ」

「この酒が俺の毒に対する耐性を上げててくれたんだよ。酒によって生かされていると言っても過言ではないね」

「馬鹿野郎。シオンさんとテレンの努力のおかげだろうが。二十年間もあの毒の解毒法を研究し続けた母の愛と必死でユウヒウマドリを取りに行った妻の愛がお前を生かしたんだよ」

「母の愛とか妻の愛とか、恥ずかしいから言うなよ」

「言わせるなよ」


 集落の門をくぐると、そこには待ち人がいた。自然とそれぞれの家へと帰っていく同行者たち。「北の王」に護衛はいらず、むしろ家族の再会を邪魔すると後が怖いのである。


「おかえり」

「ただいま、リン」


 リンの腕には去年生まれたばかりの赤子が抱かれていた。彼で三人目である。ゆくゆくはその内の一人が次期の「北の王」になるだろうと北の大地の民は思っている。




 北の大地は悪霊が住まうと言われ、古来より「護衛壁」と呼ばれる壁を作りその侵入を阻んできた。今では北の大地には「北の王」がおり、その大地を見守る「見届け人の丘」が続いている。

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守護霊の紡ぐ糸 本田紬 @tsumugi-honda

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