【壱】09
「すまない」
陽が翳る中、小太郎はそう言った。
結維は口をあけたまま、小太郎を見上げる。小太郎は、少し困ったような、それでいてどこか焦ったような表情を浮かべていた。
「その……結維どのは、ああいうものをみるのは初めてだったのだろうか」
小太郎は冷静である。だが、結維はただただ混乱していた。
「ああいう、もの……」
口をぱくぱくさせてやっとのことでそれだけ口にする。
「あのような、人外化生、――あやかし」
「あやかし」
結維は繰り返す。「あれ……おばけでしょ?」
「祟り神と自称していたが」
「おばけじゃないの!」
結維は思わず叫んだ。が、すぐに我に返る。
「おばけを見るのは初めてだわ」
「おばけというと、なんとなく愛らしさがある」
小太郎は真顔だった。結維はぶんぶんと首を振る。
「可愛くない!」
「ともかく、ここに入れてもらったときからあの井戸からは異様な気配を感じていた」
小太郎は結維の認識を覆すことを諦めたようだ。話をつづけた。
「俺は、あのような化生、――あやかしと、少しばかり関わりを持てる」
「それって、ああいうおばけを退治できるってこと?」
「退治……」
そこで小太郎は、少し困ったような顔になった。「申しわけないが、そこまで確実にできるとは言い切れぬ。言葉が通じて会話ができる場合、交渉をして、人間の害にならぬよう頼んだり、するくらいがせいぜいだ」
「でもさっき何かしてたじゃない!」
掴んだ小太郎の腕を、結維はがくがく揺さぶった。
「あれは……話が通じない場合、俺から離れてもらうだけで、祓ったりできるわけではないのだ。あの井戸の中に押し戻すのが精一杯というところだった。すまない」
小太郎は揺さぶられながら、心底気の毒そうな顔をした。眉が下がっている。悲しそうな犬のように見えた。
「結維どの、あの祟り神は、貴女を脅かすと言っていた。……その、俺は貴女には、さきほど食事を振る舞っていただいた恩がある。だが、この家のごやっかいになるわけにはいかぬだろう。であれば、今宵はどこかべつの……隣の空き地ででも寝起きして、あす、同じころあいに来て、あの者を、」
「隣の空き地で、寝起き?」
結維は仰天した。まじまじと小太郎を見る。しかし小太郎はまじめくさっていて、うそや冗談を言っているわけでも、ましてや結維の同情を引くために言っているわけでもないようだった。
「それって、野宿ってこと?」
「そうなるな」
小太郎はなんでもないことのようにうなずいた。「お気になさるな。外で寝るのはこの半年で慣れた」
「慣れた……」
結維は呆気に取られた。いや、さっきから呆気に取られつづけている。
真夏なら蚊がいることを除けば外で寝ることくらい可能ではあるだろう。しかし今は年末で、寒さも厳しくなりつつある時季だ。外で寝るなど、自分のことでもないのに考えるだけで寒くなった。
「だめよ。風邪ひいちゃう」
結維はがっしりと小太郎の腕を掴んだ。「そりゃ、うちに入れるのはちょっと……」
「ご無理なさらぬように」
小太郎はそこでやさしく笑うと、腕を掴む結維の手をそっと剥がした。「ただの成り行きで見ず知らずの者を家に入れてはいけない」
「そ、それは、そうだけど……そうだ!」
結維は家を振り返った。「濡れ縁でなら、地面で寝るよりよくない? 毛布も貸せるよ、古いのだけどたくさんあるから」
結維の提案に、小太郎は目を丸くした。そうすると、少し幼くなって、もしかしたら結維が予想したより若いのではないかと思えた。高校生くらいに見えたのだ。
「結維どの、それは……」
「どう? だって、井戸に押し込めたっていっても、いつ出てくるかわからないんでしょう?」
「一日はもつとは思うが……」
「ねえ、そうして」
結維は再び、小太郎の腕をしっかり掴んだ。
あんな得体の知れない者がいつ現れるかもわからないことに不安はあったが、それより、小太郎が野宿をすると考えると、さすがに気の毒に思えたのだ。
「お願い、今夜はそうして」
結維が重ねて言うと、小太郎は苦笑した。
「結維どの、貴女はどうやら、親切がすぎるようだ。見知らぬ相手にそこまで親切にするとは、お人好しにすぎないか」
「だって怖いもん!」
結維は正直に叫んだ。すると小太郎は苦笑した。
「あいわかった。では、お言葉に甘えて、そうさせていただこう」
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