【壱】06

 覚悟を決めた結維が告げると、小太郎は心底驚いた顔をした。

 どうやら本当に知らなかったようだ。いったい今までどういう生活をしてきたのだろう。

 奥飛騨から出てきたと言っていたが、奥飛騨だってTVもあるだろうし、小太郎の服装はどう見ても現代の男のものである。ありふれた上着は少しくたびれていたが、シャツもズボンもにおわず、近くに寄ってもくさいということもない。ただ、年末が近づいたこの時季にコートも着ていないのはおかしく思えた。寒くないのだろうか。

「だが……嫁とは、食事をつくったり、洗濯をしたり、掃除をしたり、する役割を担っているのだろう? 俺はそういうことをするために、孫どののもとへ嫁入りするよう言われたのだが」

「それは嫁じゃなくて主婦っていうの。男だったら主夫ね。発音は同じだけど字が違う。女の主婦は婦人の婦で、男の主夫は夫って字。でも夫の人と書いてもふじんって発音もするけど……えーと、とにかく、男なら嫁とは言わないよ」

「だが、じいさまは、俺に嫁にいけと言いのこしたのだが……」

「言いのこした?」

 その言い回しに、結維はひっかかった。

 小太郎はしょげたさまでうなずく。

「じい……祖父は、亡くなる前に、俺の行く末が心配だから、水野どのに、孫どのの嫁として俺を行かせると手紙を出したと言っていた」

「それ、いつの話?」

「半年ほど前……今年の五月だ」

 結維は溜息をついた。

「おおじいちゃん、二月に亡くなってるよ。あなたのおじいさんが手紙を出して、それが届いてても、読めなかったと思う。それについては、叔父からも聞いてないし……その、あなたの言ってる孫って、わたしの叔父のことだと思うんだけど、叔父は、東京に行っちゃったよ」

「なんと」

 小太郎は困り切った顔になった。「いつ戻られるのか」

「いや、その……行ったというのは、引っ越したという意味で」

「引っ越した……」

 小太郎はゆっくりとまばたいた。さすがに寝耳に水だったのだろう。

「戻ってこない、のか……」

「そうなる」

 結維が神妙にうなずくと、小太郎はがくりと肩を落とした。

 そこで、何かの音がした。とたんに小太郎が恥ずかしそうに顔を赤らめる。

「失礼した」

「おなかすいてるの?」

 結維が確かめるつもりで訊くと、小太郎はこくりとうなずいた。

「ちょっと待ってて」

 結維はそう言うと立ち上がり、家の中に入った。曾祖父の部屋をつっきって廊下を越え、ダイニングキッチンに向かう。

 叔父が出ていく前にキッチンの使いかたを教えてもらうついでに炊飯を仕掛けておいたので、電気炊飯器の液晶には米が炊き上がった表示が浮かんでいる。

 結維は食器棚をあけて茶碗を取り出し、ごはんをよそった。ごはんだけでは味気ないと思い、フリーズドライの味噌汁も椀に入れて電気ポットから湯を注ぎ、箸と食器をのせた盆を持って濡れ縁に戻る。

「食べられる? お腹すきすぎてるなら、おかゆのほうがいいかな……」

 濡れ縁に戻ってから、もしかしたら小太郎が何日も食べていない可能性に思い至ったが、小太郎はやや驚いたような顔をして首を振った。

「いや……おとといは食べた。まだ、お金があったので」

「じゃあ、これ、よかったら」

 結維は廊下に座ったまま、濡れ縁に盆を置いた。すると小太郎は盆を見て、それから結維を見た。

「その……よろしいのか」

 小太郎が、信じられないというような顔をして結維を見る。そのまなざしは、ひどく真剣だった。それより結維は、どうして小太郎の口調が時代劇みたいなのかばかりが気になった。しかしそれについては訊かずに結維はうなずく。

「どうぞ」

「……では、いただきます」

 小太郎は手を合わせると、箸を手にして茶碗を持った。ゆっくりと、炊きたてのごはんを口に運ぶ。

「……旨い。これは、……餅米が入っているのか」

「そう。よくわかったね」

 結維はちょっと驚いた。「おばあちゃんが、いつもそうするから。ふつうのお米二合と餅米一合を混ぜて、粉寒天を入れてるの。だからお米がもちもちでしょ」

「おばあちゃん……」

「あっ、そっちは父方の祖母ね。わたしの実家にいるわ」

「実家……ということは、その、」

 味噌汁をすすってから、小太郎はじっと結維を見た。その間にも、もぐもぐとごはんを食べ、味噌汁の椀を口に運んでいる。

 結維はその視線の意味に、しばらくしてから、あ、と気づく。

「ごめん、名乗ってなかったね。わたし、八(や)神(がみ)結維っていうの。水野のおおじいちゃんの曾孫で、……ここで暮らすことになったんだ」

「結維どの。どうぞよろしくお願いいたす」

 箸とお椀を手にした小太郎は、にこりとした。一瞬みとれるほどに、その笑顔は可愛く見えた。

「どうぞよろしくって」

 しかし結維は、その言葉にぎょっとした。

「俺はじい……祖父の遺言で、この家に嫁入りしろと言われた。そうせねばならぬ」

「せねばならぬって」

 結維は慌てた。「だって、さとくん、――叔父は東京にいるのに」

「祖父は、この家に嫁入りしろと言ったのだ」

 あっという間に小太郎は、ごはんと味噌汁を食べ終えた。からになった食器と箸を置くと、しずかに手を合わせる。

「ごちそうさま。このように饗応いただけるとはありがたきしあわせ」

 ぴんとのびた背筋といい、その物言いといい、若く見えるが年寄りのようだ。

「お粗末さまです。……じゃなくて、どういうこと? この家に嫁入りって……」

「結維どの」

 小太郎はじっと、結維を見た。真剣な顔をしている。「俺は祖父が死んだあと、もろもろかたづけて奥飛騨を離れた。だからもう戻るところはない。もといた家も今はない。嫁入りしろと祖父が言ったのは、ここで水野どのの孫どのの世話をして暮らせという意味でもあった」

「……えええ……それってつまり……その、あなた、ここで暮らすっていうの」

 結維がおそるおそる尋ねると、小太郎はこくりとうなずいた。

「そうさせていただきたい」

「無理!」

 結維は思わず叫んだ。

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