【壱】07
「……そうか」
小太郎はしょんぼりとうなだれた。そのさまが、今しも捨てられようとしている犬のように見えて、うっ、と結維はたじろいだ。
「その、……行くところがないって、親戚とかは?」
罪悪感に苛まれた結維が問うと、小太郎はふるふると首を振った。まるで、幼子だ。
「いない。その、……俺は、……山の中で拾われたので」
「拾われた?」
結維は目を丸くした。
「祖父といったが、犬飼小次郎は山中に置き去りにされていた俺を育ててくれただけにすぎぬ」
だからなんで時代劇口調なのか。
「身寄りが、ないの?」
「祖父のいない今となっては、俺は天涯孤独だ」
天涯孤独、という四字熟語に、結維はぞっとした。
小太郎はじっと結維を見つめる。淋しげな瞳だった。
「……で、でも、その、わたし、そう、叔父がね」
結維ははっとして言った。「叔父が引っ越して、わたしが留守番でこの家に住むことになったんだけど、友だちとか、ほかの人間を連れてきたらだめって言われている」
「人間は、だめ……」
小太郎は、どこか考える顔つきになった。「では、犬は?」
「へっ?」
思いがけない問いかけに、結維は目をぱちぱちさせた。
「犬はどうだろう」
「どうって……そりゃ、猫はだめだって言われたけど」
「俺が番犬になる」
「つまり、あなたが犬の代わりということ?」
「……そうとってくれてかまわない」
小太郎はごくまじめな顔で告げた。「結維どのにとって、俺はさっき会ったばかりの見知らぬ男だ。妙齢の女性として警戒するべきではある。だが、俺には行くあてがまるでない。金も尽きたのでこのところほとんど何も食べていなかったし、ここまで歩いてきた。……しばらくのあいだ、庭の隅でいいので、置いてくれないか。さすれば番犬としての役目を果たそう」
「庭の隅って……」
今年は寒い。しかも今は月はじめとはいえ十二月だ。
「外で寝るの?」
「だめだろうか」
小太郎は背が高い。たぶん一八〇は軽く超えているだろう。だが、捨て犬のような目で見上げられて、結維は即座に切り捨てられなかった。
小太郎が犬を引き合いに出したせいか、彼の後ろに尻尾が垂れ下がっているのが見えるような気がした。もちろん気のせいである。
「凍えちゃうよ?」
「ここなら平気だ。尾張はあたたかいな」
小太郎はにこっと笑った。だが、その笑顔が少し曇る。
「それに……」
ふと、小太郎は振り返った。その視線の先は庭の隅、古井戸に向けられている。
「なに」
結維は少し寒さを感じた。午後も遅くなり、まだ沈んではいないが、陽も陰り始めている。これから夜にかけて、もっと寒くなるだろう。
このあたりは県境の大きな川があるせいか、寒い時季でも湿気が強く、そのせいで冷気が骨の髄まで染み渡る。風が吹けばもっと寒くなるだろう。そんな中、外で寝るなどと結維には考えられなかった。
かといって、さっき会ったばかりの名前しか知らない男を、いかに見目がよくても、ひとりで暮らす家に入れようとはとても思えない。さすがに結維も、それくらいの警戒心はあった。
「あれは、井戸だな」
「そう。今は使ってない、古井戸よ。わたしも、あんなところにあるなんて忘れてたよ」
古井戸を見ると、何かの影がその上に揺らめくのが見えた。一瞬、木の影かと思ったが、そうではないようだ。結維は目をこすった。
「すまない。俺のせいかもしれぬ」
「……何が?」
小太郎はすっと立ち上がった。そのまま古井戸に歩み寄る。だが、途中で足を止めた。
結維は思わず濡れ縁へとび出し、サンダルへ足を突っ込んだ。
「何……あれ!」
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