【壱】10

 叔父が家に入れるなと言ったのは猫と女だった。

 だから、小太郎を入れてもべつに問題なく思えたが、かと言って、結維としては警戒せざるを得ない。出会ったばかりの見知らぬ異性を、自分しかいない屋根の下に招き入れて一晩を過ごすというのは、どうしても結維の感覚としてはしていいこととは思えなかった。

 薄情かもしれないが、小太郎が穏やかに見えていても、実は内面はそうではない可能性だってなくはないのだ。家に入れたが最後、結維を害して金品を奪うことも考えられる。

 家にあるもののうち、叔父の部屋には、結維にはわからないが好事家には高値のつくものが多く残っている。叔父が留守番を求めたのは、それらを誰にも触れさせたくないという考えもあったようだ。ちなみに叔父はおたく気質で、大切にしているといっても未開封のフィギュアや古い漫画雑誌などで、結維にはその価値はまるでわからない。

 いっそ兄に相談しようかと思ったが、我が兄ながら頼りにならないことはわかっていたのでやめた。実家に連絡しても両親はしばらく不在の予定だったし、祖母に言っても心配させるだけだ。だから結維はこの件を自分でなんとかしようと決めた。

 それに、小太郎が叔父の大切にしているがらくたのようなものに手を出すとは思えない。結維は叔父の忠告を受けて、自分の貴重品はキッチンの床下の貯蔵庫に入れ、その上には可動式のワゴンを置いていたが、用心するに越したことはなかった。

 結維はひとまず、小太郎に貸すために、納戸にしまい込まれていた古い毛布を何枚か出して濡れ縁に敷いた。小太郎は毛布を見ると笑顔でありがたがった。

「これはこれは。野宿よりよほどましだ」

「野宿……そういえば、あなた、お風呂は……」

 着替えも、どうしていたのだろう。結維が気になって訊くと、小太郎は首を振った。

「一週間ほど前に。服の着替えはない。これは、長野でもらったものだ。老夫婦の家のあれこれを手伝って、……都会で暮らしている息子のものだと言っていた」

 真顔で小太郎は答えた。徒歩で東日本を半周してきたようだが、身ひとつでよく平気だったものだと、今さらのように結維はその非常識な行動にめまいを覚える。

 よく考えてみれば小太郎は手ぶらだ。着替えているはずもない。だが、近くにいてもにおってくさいということもない。不思議だったが、追及するのはやめた。しても楽しいことになりそうもなかった。

「その、……お風呂、使う?」

 濡れ縁に敷いた毛布の上に座った小太郎に、結維はためらいつつ問う。

「お気遣い痛み入るが、風呂を使ってから外で寝たら風邪をひきそうなので遠慮する」

 しかし小太郎はまじめくさって答える。結維は申しわけない気持ちになった。それを察したのか、小太郎は少し笑った。背も高いしがっしりした体格なのに、顔立ちに幼さが残っているので、それがひどく可愛く見えた。

「お気になさるな。結維どのは俺とは出会ったばかり。俺のことなどまったく知るまい。俺は結維どのが、初対面の相手に飯を恵む情け深い女(によ)性(しよう)であることしか知らぬ。しかし未知の者への用心は当然だ」

 にょしょう、と言われて結維は思わず笑ってしまった。

「ねえ、小太郎さんはどうしてそんなふうにしゃべるの?」

「さん、は要らない」

 小太郎は気恥ずかしげにもぞもぞした。「そのまま名で呼んでくれ。そのように呼ばれるとどうにも……」

「じゃあ、わたしだって、どの、は要らないわ」

「そうはゆかぬ。貴女は俺に食事をくれた。つまり命の恩人だ」

 小太郎の言葉に、結維はぎょっとした。おなかをすかせた相手にごはんを食べさせただけで命の恩人と言われるとは思ってもみなかった。実家では、祖母におなかがすいたと訴えるとごはんが出てくる。あるいは自分で適当につくって食べる。それと同じつもりだった。そこまで言われると少し恥ずかしくなってくる。

 小太郎は今までいったいどういう生活を送ってきたのか。

「それに、俺の祖父は、水野どのに幾度も助けられたと言っていた。その恩を返しそびれたとも。なので、このように番犬をつとめるのは俺の祖父からの恩返しと言っていいだろう」

「おおじいちゃんが……?」

 冬至の前で夕暮れが早い。あたりはすでに夕暮れを通り越して暗くなり始めている。夜気はひどく冷たいが、暖房を入れた寝室の障子をあけているので、結維は中から外に流れる暖気を風のように感じた。

「詳しいことは俺も知らぬ。だが、……その、」

 そこで小太郎は、ちらりと庭の隅を見た。その視線の先には古井戸がある。

「あの古井戸の祟り神も言っていただろう」

「なに?」

「水野どのはすぐれた術者であったと祖父から聞き及んでいる」

「その……術者ってなに?」

 結維は首をかしげる。確かに、あのざんばら髪のおばけはそんなことを言っていた。だが、そんな言葉、結維は初めて耳にした。曾祖父がそんなものだったと聞いたこともない。

「術を使う者だ。……術使いとも術師ともいう。……あのようなあやかしと関わる力を持ち、鍛錬の末にあやかしを鎮めたり、退けたりできるようになった者のことだ」

 小太郎は声を低めた。結維に視線を戻すと、きりっと顔を引き締める。

「俺も術者の端くれではあるが、未熟者ゆえ、水野どのの足もとにも及ばぬであろう。あのような者を封じ込めることなどできそうにない……」

 結維は目を何度もしばたたかせた。

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