【壱】03

「それにしても、こっちはやっぱり少し寒いな、市内にくらべると」

 家に着いた。結維が門扉をおして敷地に入り、玄関の鍵をあけると、後ろで兄がそんなことを言った。

「木曽川こえたら岐阜だもんね。ちょっとの距離だと思ってたけど、だいぶんちがうよ。オール電化の床暖とお風呂の暖房はほんとおおじいちゃんも助かってたし」

 水野家の外観はいかにも古いが、関西で地震があったときに耐震補強をしたり、曾祖父の足腰が弱ってきたころに水回りや冷暖房を一新したりしたので、中は外ほど古くない。

「じゃあ、俺たちは帰るよ」

 結維がバリアフリーに改装された廊下に上がったところで、洋介が言った。え、と結維は振り向く。

「お茶、いれるよ?」

「これから道が混む時間帯だからな」と、玄関先で洋介が肩をすくめる。「高速が犬山までのびてくれたらもう少し長居できるのに」

「そっかあ。それもそうだね」

 高速道路の降り口が交差している小牧からの国道の渋滞っぷりは結維も知っているので、引き留めずうなずいた。

「名残惜しいわ」

 残念そうに美津穂が言った。本気なのか社交辞令なのか結維にはわからないが、とりあえず笑っておいた。本気だったらそれはそれでありがたい。そう思うことにする。

「うん、でもまたそのうち、帰るから」

「じゃあ、またな」

 洋介はそう言うと、扉をそのままにして庭へ回っていく。美津穂がそれについていこうとして、扉を閉めるか迷うそぶりを見せたので、結維も外に出た。

 祖父母や母と叔父が子どものころに住んでいた本宅は、結維が生まれる前に老朽化して取り壊されたらしい。その後は広い庭となって曾祖父が草花を育てていた。それも曾祖父の没後、叔父は世話ができないと春先にすべて処分して、今は更地だ。隣の空き地との境には結維の好きな金木犀が生け垣として残っていて、その中ほどには古い木戸がある。表通り沿いは車を出し入れできるようにアコーディオン式の門だ。

 そこから兄は車を出した。美津穂が助手席に乗り込む。

「何かあったら電話しろよ」

「じゃあね」

 兄が運転席から言うのへ、結維は手を振った。


 兄たちを見送ってから結維は家に入った。ちゃんと玄関の鍵をかける。

 外観通りに古い家だったら、結維もひとりで住むのは渋っただろう。しかしリフォームで、古さのあまりぎしぎしいっていた廊下はぴかぴかになっていた。

 玄関を上がると中廊下で、突き当たりの裏口まで見通せる。廊下に上がってすぐの左側に納戸、その向こうから外廊下が縁側へ向かう。外廊下を挟んで叔父の使っていた書斎兼寝室、西の端が曾祖父の部屋という並びである。

 中廊下の右側がトイレや風呂、そして台所兼食堂をリフォームしたダイニングキッチンだ。室内の中心にシンクや食洗機、調理台がカウンター代わりとなってキッチンとダイニングをゆるく分けている。カウンター沿いに昔から使っている六人掛けのテーブルを置いてあるが、配置の関係で三人しか座れない。

 結維はダイニングに入ると、兄の運び込んでくれた段ボールに詰めた食材を眺めた。ダイニングにも床暖房を入れているので、そのまま置いておくのはよくないと考え、あれこれと冷蔵庫にしまい込む。叔父が買い込んでいた食材もあるので野菜室がいっぱいになった。ほかにも叔父がつくったらしいおかずの残りなどもある。叔父は前々から上京すると言っていたが、このさまを見ると、行ってすぐに帰ってきそうにも思えた。

 そんなことを考えながら食材をかたづけた結維は、曾祖父の部屋に向かった。

 曾祖父が亡くなってまだ一年と経っていない。

 曾祖父自身が生前にかなり持ちものを整理しており、私物は最小限になっていた。叔父はそれらの最小限の私物を含めて未だに曾祖父の部屋をそのままにしている。曾祖父が使っていたベッドでけさまで寝起きしていたほどだ。結維もそのまま使うつもりである。もちろんシーツなどは叔父が出ていく前に手伝ってもらって取り替えた。

 その際に、曾祖父の着物や洋服、ほかに古いシーツや毛布が未だに納戸に残っていることがわかった。叔父はまだそれらを捨てる気になれないらしい。叔父は学生のうちに両親を亡くしており、ずっと曾祖父と一緒に暮らしていたのだ。唯一の肉親となった姉をあまりすきではない叔父にとって、よくも悪くも曾祖父は親代わりも同然だったのだろう。

 広い室内には、外廊下側に寄せられたベッド、ベッドから見える壁に大型テレビが設置されている。百歳を過ぎても新しもの好きだった曾祖父は、サイドテーブルにキーボード付きのタブレットパソコンや、スマートフォン、携帯ゲームを置いて遊んでいた。

 頭がはっきりしているのに体が動かなくなっていくと曾祖父は残念がっていた。せめて聡の嫁が見たいとも。しかし叔父は、こんなじじいのいるところへ来るわけがないと呆れていた。友人に頼んだと曾祖父は言っていたが、結局、それもどうなったかわからない。

 そんなことを思い出しながら、結維は外廊下に面した障子戸をあけた。障子の向こう側は広い廊下で、午後の光を受けてぴかぴか光っている。昔は走り回れるほど広く感じた廊下だ。子どものころに大きく広く感じられたものが、おとなになった今はそうでもない。それをふしぎに思いつつ、結維は端から窓に近寄ってあけた。夕方が近いので雨戸を閉めようと思ったのだ。

 内装はリフォームで最新になっても、雨戸は古いトタン製で重く、広い廊下のぶんだけきちんと閉めようとすると一苦労だ。結維が幼いころ、曾祖父はこの雨戸を軽々と右から左へと流しては閉めていたことを思い出しながら、一枚の雨戸を引き出す。

 だが、二枚めの雨戸を引き出そうとした時点で、雨戸は外から閉めたほうがいいと悟った。濡れ縁へ出たが、濡れ縁は祖父の部屋の前しかない。下を見ると健康サンダルが置いてあったので、それを履いて庭におりた。

 この家は少し高台にあるので、西にあるお城が見える。お城といってもちいさな天守閣だけで、それでも日本に五つしかない国宝の城だ。今年の夏に屋根の鯱鉾に落雷したのが全国ニュースにもなっていた。

 川沿いの小高い山の上にあるお城を最上層まで登ると空恐ろしいほどの絶景が見える。結維は子どものころに行ったきりだが、外側に貼りついている狭い通路をめぐるときには泣きそうになった。前庭に面したほうはたいしたことなく思えるが、川に面したへりはとにかく怖ろしいほど高く感じたのである。なのに防護の網などはついていないのだ。金華山が見えるよ、と兄が教えてくれたが、そんな景色もそこそこにぐるりとめぐったことを、結維はぼんやり思い出した。そのうち行ってみるのもいいだろう。あのお城を観光資源にして、城下町が最近は少し栄えているらしい。

「あれ……」

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