【壱】15

「おおじいちゃんのことを思い出したの」

「おおじいちゃん……水野どののことであろうか」

「うん」

 結維は箸を置いて、手で涙を拭った。「ずーっと前に、おおじいちゃんもこうやって玉子焼きをつくってくれたなって。うち、両親がいないことが多くて、おばあちゃんがわたしとお兄ちゃんの世話をしてくれてたんだけど、おばあちゃんが入院したとき、ここにいたことがあったの。そのときに……」

 曾祖父のつくってくれた玉子焼き。公園のブランコにのった結維が求めるままにずっと背を押してくれた曾祖父は、帰るときはへとへとだった。

 遊びに来た叔父の友人が読んでくれた絵本は、親を殺した狼に弟子入りする悲しい山羊の話だった。それと、犬に育てられたライオンの話。どちらも悲しくて、結維はたくさん泣いた。

 泣いたといえば、遊園地に行けなかったとき、悲しくて縁側で泣いていたら、どこからともなく仔犬がやってきて慰めてくれたなとも思い出す。

 そのときは叔父もいなかったので、夕方になって学校から戻った兄と、遊園地に行けなかった代わりに、せめてと遊園地行きのモノレールを見に行った。あのモノレールも今は廃止され、橋脚も何もかも撤去されてしまった。

 懐かしい曾祖父だけでなく、叔父の友人も、乗れなかったモノレールも、みんな、昔の話だ。だが、小太郎の玉子焼きが、忘れていたそれらのことを一気に思い出させた。

 曾祖父とは、中学に上がってから年に一度、正月に会うのがせいぜいだった。お年玉を回収していらっしゃいと母に送り出されて、成田山へ初詣がてら遊びにきたものだ。以前のように泊まることもなく日帰りだった。

 亡くなる直前に病院へ会いに行った結維に、曾祖父は目を細めて笑ってくれた。その老い衰えた顔に浮かぶ死相に気(け)圧(お)された結維が、長生きして、と言葉少なに言うと、そうだなあ、と曾祖父は答えた。やしゃごを見たかった、とかすれた声で呟いた。

 あれからまもなく曾祖父は亡くなり、百歳を過ぎた大往生だと葬儀はなごやかにつつがなく終えられたが、それでも、見知った者の死が悲しいことに変わりはない。曾祖父ともう話すことはできないのだ。おおじいちゃん、と呼んでも、なんだ、結維、と答えは返らない。結維は今さらのように、そのことを思い知っていた。

「そうか……思い出させて、すまない」

「ううん」

 結維は首を振った。しょげたような顔の小太郎に笑いかける。

「わたしはおおじいちゃんがいなくなって淋しいけど、最後はあんまり会ってなかったから……もっとたくさん会いに来(こ)ればよかったなって」

「二月だったか、亡くなったのは。もうすぐ一年だな」

「小太郎のおじいちゃんと、向こうで会えたのかな」

 結維がそう言うと、小太郎は微笑んだ。

「そうだといいな。……俺は薄情なのか、祖父がいなくなって淋しいとは思うが、結維どののように悲しくなることはない。言葉を交わせなくなったのは残念だが……祖父はいつも言っていた。役目が終われば船に乗って海に漕ぎ出すと。だから祖父が死んだとき、祖父の役目が終わって船出をしたのだと思った。最後は体がつらいと苦しそうだったので、船出をした今はもう、苦しくないはずだと思っている……そう考えることが、のこされた者には慰めになる。死者は、どのような死にざまでも、生死の境目をくぐり抜けてしまえば、痛みも苦しみも、つらさも、もう感じずに済むのだ」

 結維は驚きを隠せず、まじまじと小太郎を見た。

「小太郎って……お坊さんみたい」

「お坊さん。僧侶か」

「うん。だっておばけも追い払ってくれたし」

 結維が言うと、小太郎はちょっと困った顔になった。小太郎の前で泣いたことが恥ずかしく、また小太郎が妙にばつが悪そうだったので、結維は話を変えることにした。

「ねえ、小太郎、玉子焼きとってもおいしいよ。ほかにもいろいろつくれるの?」

「ああ。和食も洋食も、……中華はさほどだが。お望みなら、夕飯もつくっておくが」

 小太郎は微笑みながらうなずいた。

「ほんとに?」

 結維は思わず目を瞠った。「だったら家で待っててもらってもいい、かも」

 玉子焼きのおいしさに、思わず結維は口を滑らせる。

 すると、小太郎は微笑むのをやめて真顔になった。

「結維どの。それは俺に、この家で留守番をしてもいいということか」

「う、うん……」

 改めて言われ、結維は内心で身構えた。

 こんなおいしい玉子焼きをつくれるのだから、小太郎は悪いひとではない。そう思いたかった。

 すると小太郎は少し考え込んで、箸を置いた。

「しかし、結維どの。……その、では」

 それから右手を左手首にやって、するりと何かを抜いた。

「何? 数珠?」

「そうとも言う。俺は念珠と呼んでいたが」

 小太郎が右手に持つのは、丸い珠が連なった腕輪だった。水晶玉の数珠なら祖母が持っているし、そうでなくてもファッションで身に着けている者もいなくはないので見たことはある。だが、小太郎が持っているようなものは初めて見た。連なっている珠が、どれも虹色を帯びているのだ。

「これは祖父の形見だ」

「もしかして、おじいさん、お坊さんだったの?」

「いや、猟師と術者の兼業だ。あとは農業」

 さらりと小太郎は答えた。「これを結維どのに預ける」

 そっと数珠を食卓に置かれ、結維は目をしばたたかせた。

「? なんで?」

「俺がこの家から貴重品を持ち出したり、火をつけたりなど不埒な行為をしないという約定の品として、持っていてほしいのだ。そして、結維どのが戻ってくるまで、この家にいさせてはくれまいか」

 小太郎は、結維の不安をずばりと言い当てた。

 こうやって話している限り、小太郎は不埒な男では決してないと思える。だが、きのう会ったばかりでは、全幅の信頼を置くのはばかげているだろう。そう考えるのはごくあたりまえだ。

「これは祖父の形見でなんの力もない。俺にしか意味のないものだ。売り払ってもいくらにもならないだろう。だが、俺にとっては唯一、俺を育ててくれた祖父をしのぶよすがだ。……それを、貴女に預ける。俺を信じてもらう代わりに」

「……」

 結維は黙って小太郎を見つめた。

 小太郎は真剣な顔をしていた。

「そんな、いいの?」

 やっとのことで結維が問うと、小太郎はうなずいた。

「そうしていただいたほうがいい。……ともかく今の俺には行くあてがないのは事実だ。だが、それだけではない。あの古井戸の祟り神は放っておけない。俺には祓えないが、出てくるたびに押し戻すことはできるだろう」

 それを言われると結維もぐらついた。あの空恐ろしい幽霊がひとりのときに出てきたらどうしていいかわからない。

 結維は小太郎を見てから、食卓に置かれた数珠を見た。

 虹色にきらめくそれにどんな価値があるのか、結維にはちっとも見当がつかない。だが、小太郎が言うように、小太郎にとっては、祖父の形見という価値のある、唯一無二のものなのだろう。

「……わかった」

 しばしの沈黙のあとで、結維はうなずいた。「とにかく、今日はこれを預かるね」

 結維の言葉に、小太郎は、ほっとしたような顔になった。



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