【壱】01
ねこアレルギーの叔父を、結維と兄とその婚約者の美津穂の三人で駅まで送った。
「ねこと女は入れるな、って、さとくんもへんなこと言うよね」
駅の階段をおりながら、結維はちょっと笑った。母の弟である叔父は男にしては小柄で、結維とさほど身長も変わらなかった。少し繊細で、他人と交わるのが苦手で、特に女の子の高い声を長く聴いていると頭痛がする、と言う。
そんな叔父だが、結維とはうまがあって、よく遊んでもらった。結維の声だって子どものころは甲高かったはずだが、いやな顔ひとつしなかったので、声がどうのというのはただの言いわけかもしれない。とにかく叔父の聡(さとし)はシャイなのだ。
「さとくんは女の子が苦手なんだ」
兄の洋介は、隣を歩く美津穂にそう説明している。「だから、あんな態度だったけど、気にしなくていいから」
「わかったわ」
美津穂は微笑んでうなずいた。ふたりは年が明けたら入籍することになっており、すでに現在は一緒に暮らしていた。
「それより結維さん、本当に今日からひとりなのね。だいじょうぶ?」
「平気だよ。今までだってあまり変わりない生活だったし」
美津穂が心配そうな顔をするのへ、結維は明るく請け合った。
結維が今まで暮らしていた家には、両親と、父方の祖母がいるだけだ。兄は家の近くにアパートを借りていて、今は美津穂もそこで暮らしている。
結維の母は音楽家で、そのせいだけではなく少し変わっていた。何かと唄ったり、踊ったり、ピアノを弾いたりする。世の母親とはそういうものだと思っていたが、そうではなかった。唄うのはともかく、踊るのは何か違う。
そして父は、そんな母のマネジメントをしている。名古屋を拠点にしつつ国内外を問わず各地へ仕事で出るため、両親ともに一年のうち半分くらいは家にいない。だから洋介も結維も、幼いころは同じ敷地内の離れに住んでいる父方の祖母に育てられたようなものだ。
そのように母の都合を軸にする家庭で育った結維は、思春期に、両親にとって自分が予定外の子だったと知って深く悩みもしたが、高校に入ってから割り切った。傷つかなかったといえばうそになるが、両親とも結維をかれらなりに大切にし可愛がってくれていたので、気にしないことにした。
「それに、リフォームしたからうちより便利にはなってるんだよね、おおじいちゃんち」
おおじいちゃんとは、結維の母方の曾祖父だ。
百歳を過ぎた曾祖父は二月に老衰で亡くなった。母と叔父の両親である結維たちの祖父母はとうになく、それまで叔父が曾祖父のめんどうを見るように同居していたのだ。曾祖父は最低限の自身の始末はできたので施設にも入らず、最後は病院に運ばれて亡くなった。
駅から母の実家の水野家までは十分ほど。昔はよく遊びに来たが、高校に入ってから曾祖父が危なくなるまではめったに訪れなかったので、記憶にある風景と少し異なる。からくり時計のモニュメントを眺めつつ、ショッピングセンターの脇の道を歩く。
名古屋から私鉄で三十分の地方都市は、知るひとぞ知る、歴史の街である。古い昔ながらのお城があり、寺があり、遊園地もある。少し離れた山には、テーマパークがふたつもある。ここまでてんこもりでありながらやや寂れがちの街、それが愛知県犬山市だ。
「おうちの設備は素敵だったわ。でも、買いものをするところはここしかないのね」
スクランブル交差点を渡りながら、美津穂が振り返ってショッピングセンターを見た。
「そうだね。近くにコンビニとかないし……食料品店は一軒あるけど」
結維は当たり障りなく答える。
兄の婚約者の美津穂は、実は結維と同じ高校の出身だ。一年生のときに同じクラスだったらしいが、結維はほとんど記憶にない。洋介と知り合ったのは偶然らしいので、兄が妹の同級生に目をつけていたわけではないのは安心だった。
ふたりは結婚したら実家に住む予定だ。叔父が上京にあたって甥か姪のどちらかに家を管理してほしいと言い出したとき、結維は渡りに船で留守番を申し出た。結維としては、憶えていない同級生と一緒に暮らすのはなんとなくばつが悪かったのだ。それに、両親も祖母も兄たちが実家に同居するものと決めてかかり、楽しみにしている。となれば、結維が叔父の依頼を受けるしかなかったのもある。
「結維はこう見えてきちんと家事もできるし、つくる料理も旨いからな」
兄が朗らかに言った。確かに結維は家事をある程度はこなせる。洗濯は畳むの以外はきらいではないし、掃除もそれなりにできていると思う。料理の腕に関しては、ふつう、としか言いようがない。兄は料理をしないので、彼の評価はあてにならないのだ。
「すごいわ、結維さんを見習わなくちゃ」
美津穂がそう言った。結維は内心で少し焦りつつ、美津穂に笑いかける。
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