第11話 収穫祭 前編
随分と騒がしい夜だった。
普段ならぽつぽつとガス灯が並ぶだけの街の中が、ひどく明るい光で満ちている。ほとんどが
その全てが似たような三角の目で、チェシャ猫のように笑っていた。
きゃらきゃらという笑い声がして、彼は気だるげに右足を半歩引き、体を横にずらした。瞬間、白い布を被った子供たちが、一瞬前に彼がいた場所を駆け抜けていく。今どきの子供はこんな時間でも変わらず元気だ。
ふと、彼は自分の服装を見て苦笑した。
モノトーンを基調にしたタキシードの上に、足首まで隠す影のようなマント。これでは闇に溶け込んで見えなかったに違いない。髪を見るには少年たちの目線は低すぎる。
子供は別に好きでもないが、嫌いではなかった。大人は皆有象無象だが、彼にとって子供は別だった。
まあ、とか、あらあら、などと言いながら、母親たちが会釈をして通り過ぎていく。その頬が自分を見て一瞬ひきつることは気にもせず、彼は歩きだそうとした。
しかしその体が、急にびたりと止まる。
彼は目を見開いた。目の前の何を見るでもなく、ただ視界を広げるためだけに、瞼を引き上げた。
今、自分の、右に。
「ご、めんなさい、ねえ? わた、し、の、こども、が……」
片方の瞳はどろりと溶けていて、口は半開きでだらだらと唾液をこぼし、長い髪を耳にかけたその指がありえない方向に折れ曲がっている。そんな姿が視界の端に移り、彼は指先一本動かせなくなったのだった。
これは、本物だ。
冷や汗が流れ落ちた。
真正面から見てはいけない。それだけが分かるから、彼はそのまま返事をしようとしたが、喉がかわきすぎて何も音は出なかった。ひゅーひゅーという呼吸音だけが響く。
ずるり、と女が動いて彼は肩を跳ねさせた。
まずい……!
「駄目ですよ、おばさま」
ふっと視界に白が舞った。
硬直が解けたのは、彼女が彼の体を支えたからだ。
形容するのも難しいそれににこりと微笑み、彼女は優雅に困り顔を作った。
「あなたの息子さんはあちらに行ってしまわれました。早く追いかけてくださいませ。見失ってしまいますよ」
瞬間、弾かれたように女の気配が動いた。無理を押した動きでずるずると進んでいく。
息をすることすらはばかられるような時間が流れ、異様な姿が見えなくなり、やがて辺りは元の騒がしさを取り戻す。いや、恐らく彼の耳が正常に戻っただけだろう。周りは徹頭徹尾、何事も起こっていないかのような雰囲気だった。
彼女が顔を覗き込んできた。
「大丈夫? 黎明くん」
「……あ、あ。大丈夫、だ」
「顔真っ青だよ? 本格的な仮装?」
「阿呆、みたいなこと、言うなよな……」
ゆっくりとその場にしゃがみこんだ。前髪をぐしゃりと潰すと、彼女も同様に膝を折って、背を撫でてくれる。
「あんなのもいるもんなんだねえ。初めて見たよ」
「俺だって初めてだったわ。よく対処できたな、黄昏ちゃん」
「んー、お祖母様から『べとべとさん』の話を聞いたことがあったから……その対処法をアレンジしてみたら上手くいっちゃった」
「はは、最高だな」
降参、と両手を上げて立ち上がり、彼は気を取り直して彼女を見る。
いつもと全く違う服装だった。西洋の服に見える。
するりするりとこぼれ落ちる水、というのが一番近い。
たゆたうようで不思議な滑らかさを感じる生地。どうなっているのか、上下に分かれていないのに襟で布を合わせてもいない。繋ぎ目は一体どこにあるのか。
だが、彼女がことりと首を傾げると、首元に煌めく銀の輪が揺れた。瞬間全てがどうでも良くなる。
「まあ、なんだ……水みたいな服だな」
「それ、服に形容しちゃいけない言葉だよね……後学のために教えるね。これはワンピースって言うんだよ」
「ふうん」
「……まあ、目指したのはウンディーネだから百歩譲って許してあげる」
「へえ、水の精霊か。黄昏ちゃんには似合いだな」
「そう? 黎明くんは何? 吸血鬼?」
「そうなるな」
彼は自分の服装を改めて見下ろす。
牙はどう足掻いても生やせそうになく諦めたが、誰よりも化け物じみた容姿をしている自信はある。
じいっと彼の全身を眺めて、彼女は嬉しそうに笑った。ぶんぶんと腕を掴んで上下に揺さぶる。
「黎明くんはもちろん似合ってるけど、私たち二人、並んだらますますお似合いじゃない?」
「……そう、か?」
「……ひどい!」
やや頬を赤くして、ぷくっと膨らませる。
彼は聞き方を間違えたことに気がついた。単純に吸血鬼とウンディーネのとりあわせがよく分からなかっただけなのだが……
「いや、吸血鬼は水の上を渡れないだろ」
「えー、そうなの? でもそうじゃない吸血鬼もきっといるよ」
雑な理論を振りかざし、真っ白な少女はすっと手を握ってきた。
「行こ、黎明くん。それともここで私に『
「……いや、後でいい」
天真爛漫な彼女の姿に、彼もいつものようにシニカルに笑いかけた。
「楽しみは最後に取っとくべきだろ」
「あっはは、嫌な予感ー」
けらけらと笑って、彼女が彼の腕を引く。彼は何を言うでもなく、薄く微笑みながらその後に続いた。
「ねえねえ黎明くん、あれなんだか知ってる?」
特に目的地も定めず歩く道中。彼女が指さした先に何気なく視線を移して、彼は怪訝そうに眉をひそめた。
「なんだ、ありゃ」
二人の歩く先には大きな橋があった。この街の名所はどこだと問われたとき、必ず一人は話題に上げる、街で一番大きな川にかかった一番大きな橋。
紅葉が美しくその周りを取り囲む中、橋のど真ん中で誰かがお菓子をばらまいていた。
いや、今日この日にお菓子をばらまくこと自体は奇妙ではない。むしろ自然なことだ。自然すぎて、不自然だった。
柔らかな、まるで紳士な怪盗のように白いタキシードに、同じ色のシルクハット。
彼はあらゆる場所からお菓子を生み出し、何を言われずともそれを配っていた。きゃらきゃらと笑う子供たちは、なんの疑いもなくそれらを受け取っている。
二人は顔を見合わせた。
「黄昏ちゃん。今何考えてる?」
「多分黎明くんと同じことだと思うなあ」
「ならいい」
少し自分の声が不機嫌になっていることに、言われなくとも彼は気づいていた。
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