百物語【後編】



 当たり前だけど、百物語は百の話を語らなければならないわけで、つまり一人五十話語らないといけないわけで、端的に言えば労力が半端じゃない。

 私も彼も、始めたことは途中で投げ出したくない頑固なところがあるけれど、こればっかりは苦戦した。

 だって知らなきゃ語れないのだ。私は後半何個か作ったし、彼も多分いくつか作っていたに違いない。分からなかったけど。


「これで、百話?」

「そうだな。蝋燭一本しかねえし」


 ようやく私が最後の話を語り終え、ふーっと息をつく。揺らめく蝋燭がもはや恨めしい。ひとつくらい風で消えてもよかったのに、蝋燭というのは案外しぶといのだ。まあ、消えたら消えたで付け直すんだけど。


「じゃあ消すね」


 もう早く終わってしまおう。

 そう思って、吹き消そうと口を近づける。


「あ、待て、黄昏たそがれちゃん!」


 ふっ。


 吹き消す一瞬前に慌てたような声がして、私の右手がぎゅっと握られた。え、という声を出してしまったけれど、それはもう消したあとだった。


 すなわち、暗転。


 私はぞくりと背中を駆け抜ける悪寒を感じる。

 馬鹿。当たり前だ。

 こんな夜、こんなところに、ガス灯などあろうはずもない。来た当初は花火も咲いていたせいか少しは明るかったけれど、今はもう夜更けも夜更け、祭りも終わる頃だ。蝋燭以外に明かりなどなかったのに、私は唯一の光源を消してしまった。


 固まっていると、不意にすっと私の肩に手が乗る。ああ、帰ろうと促しているのだと咄嗟に思って、しかし私はびたりと動けなくなった。


 黎明れいめいくんの、手ではない。


 一瞬で分かった。それなのに、私のそばでささやくのは確かに彼の声だった。


「おい、帰るぞ黄昏ちゃん。全く、普通に消しやがって何やってんだ」


 声色、話し方、抑揚、声の間。

 全てが全て、寸分違わぬほど黎明くんと同じだ。

 私はむしろ頭の奥がすうっと冷えていくのを感じた。単なる偽物ではない。よりにもよって、彼の。

 ぎゅっと握られた右手にはっとした。それだけは、絶対に彼のものだと確信できる。


「ねえ、黎明くん」

「あ? どうした」


 我慢しろ。我慢だ。

 すっと耳に手をやると、何やらぬるりとした感触がした。けれど手は濡れていない。例えるなら、砂丘に手を突っ込んだような感触。

 ああ、私は今耳を塞がれているのだ。だから本当のの声が聞こえないのだと、ぼんやり理解した。


「黎明くん、いるの?」


 話しながら、ぐっ、ぐっ、っと手を握る。私の暗号を適切に読み取った彼は言葉を返してきた。


「どうした? 俺はここにいるぞ。ほら、早く帰ろうぜ。真っ暗だ」


『黄昏ちゃんと同じ声の化け物がいる』


 なるほど、そちらもどうやら同じらしい。

 ちなみに、誰だか分からない彼は今、私の空いた左手の手首を握っている。

 気持ち悪いことこの上ない。これで私が喜ぶとでも思っているのだろうか。まあ、思っているのだろう。


「ねえ、黎明くん」


 私は今度は繋いでいる手のほうには力を入れず、どこの誰だか分からない彼に言葉をかけた。


「どうした?」

「……怖いよ」

「怖い? ああ、こんなに暗いからな」


 優しい声がする。


「大丈夫だ。言ったろ、守ってやるって」


 さらりと髪の毛が私の頬に触れる。顔が近づいてくるのが分かる。

 私は声も出さずに小さく笑った。

 ああ、よかった。

 こいつが、黎明くんでなくて本当によかった。


 ずくり、と私の手に肉を貫いたような感覚が伝わる。……肉なのだろうか。多分違うと思うけど、私はすぐに興味を失った。どうでもいい。彼以外の肉体がどうなろうと、私の知ったことじゃない。


「ぐ、あ……?」


 全くわけが分かっていない声に怒りが増長し、余計に手に力がこもる。

 本当に分からないのだろうか。黎明くんは、私が簡単に弱音を吐くような脆弱ぜいじゃくな精神の持ち主ではないことを、誰より良く知っているというのに。

 そんなこと言わなくても分かるから言わないだけで、私を軽々しく守るなどと言うことは、私への侮辱だと彼は知っているのに。


 許さない。

 許さない、許さない、許さない。

 よりにもよって彼になりすましたこと、地獄で詫びろ。


 瞬間、霧が晴れた、ように感じた。

 耳の中まで洗われたような清々しい空気に包まれ、私はぱちりと瞬いた。

 目の前には、私同様に虚を衝かれたような顔の黎明くんがいる。目が合うと体勢を変えずににやりと笑った。


「よお、黄昏ちゃん、さっきぶり」

「黎明くん、何して……いや、なんでそんなの持ってるの? 物騒だね」

「そりゃお互い様だろ。つーか俺よか黄昏ちゃんのほうが物騒だからな。かんざし職人が見たら泣くぜ」


 ああ、と私は自分の持つ金色のかんざしをぼんやりと眺めた。今日は彼と出かけるからとお気に入りのを持ってきたのに、これではもう使えないなと思う。

 先の鋭く尖ったそれは、得体の知れない何かの瞳を寸分違わず穿っていた。


 私は顔をしかめる。金に赤というのは悪くない取り合わせだけど、今回ばかりは意味などない。

 呻き声をあげるは本当にそっくりだ。殺したくなるくらいに。ぐり、と簪を持つ手を動かせば気持ちの悪い悲鳴が上がる。

 五体満足なほうの彼が笑った。私の手ではなく、自分自身の手元を見ながら。


「おいおい、何驚いてんだ。黄昏ちゃんならきちんと避けるぜ。紛い物は真似事すら出来ねえのかよ」


 くつくつと笑う。いや、流石に私でも黎明くんの速さについていけるかは微妙だけれど。

 私はすいっと目線を上げた。黎明くんの手は私より高い位置にあるので、首ごと上を向かなければならなかった。


 彼の手元にあったのは銀に輝く刃だった。短刀ほどの長さの刃は綺麗に後ろの女の首を貫いている。喉をやられているためか女は声も出せないままひゅーひゅーと喘ぐばかりだ。

 私は顔をしかめた。こちらにいる偽物とは違って、彼女は私と同じ顔ではなかった。

 正確に言うと人間の顔ではなかった。言葉にするのも難しい。とにかく異形の姿だ。一言で言うならば大火傷を負ったままぐずぐずに溶けてしまったような。


 そのとき私はぱちりと目を瞬いた。目の錯覚だろうか、抜き身の刀が血を吸ってぎらりと光ったように見えたのだ。その刀は生きていると言われても納得したかもしれない。

 美しい刀身が収まっていたのは恐らく扇子の中だろう。仕込み刀というやつだ。


「黎明くんこそ、そんなことされてるって聞いたら扇子職人が泣いちゃうよ」

「残念だが、職人もグルだ」

「改良したんじゃないんだ、それ……」


 まさか刀を仕込むために作られた扇子だとは思わなかった。なんてものを逢瀬に持ってきているのだ。


「黄昏ちゃんこそ。俺は黄昏ちゃんがそんなもの持ってたなんて知らなかったぞ。俺よりヤバいだろ、凶器隠してねえじゃねえか」

「凶器じゃない! 咄嗟に攻撃できそうなのがこれだっただけ!」

「それもそれでヤバいだろ」

「確かに……」


 二人して神妙に頷いたとき、私の後ろの偽物と彼の後ろの異形が同時に黒板を爪で引っ掻いたような叫び声を上げた。私と彼が顔をしかめて手を緩めた瞬間を狙い、これまた息をぴたりと合わせて手を伸ばしてくる。

 偽物は彼に、異形は私に。


『テを、ダスな!』


 私達は嘆息した。


「うるせえよ」

「知らないよ」


 金が舞い、銀が閃く。

 彼の相棒は偽物の手首を寸断し、私の宝物は異形の手のひらから二の腕までを刺し貫いた。


 ずるりと私が簪を抜いたときには、もうそれらの姿はなかった。あまりに呆気なさすぎてきょろきょろと辺りを見回してしまう。見れば、黎明くんのほうも不思議そうな顔で刀を見ている。


「見ろよ黄昏ちゃん。血一つついてねえ」

「あ、私の簪も」


 不思議なものだったけれど、やっぱりそれをこれからも付けようとは思えなかった。流石にそこまで図太くない。

 どこかの質にでも入れようか。


「なあ、黄昏ちゃん」


 ぼうっと障子の向こうを見つめている彼に首を傾げる。どうしたのだろうと思いつつ返事をすると、黎明くんはおもむろに立ち上がって、その綺麗な手ですらりと障子を開けた。


「俺らが来たとき、花火上がってたよな?」

「え? うん」


 私達の街では夏祭りの日に花火が上がるのは恒例だ。確か来たときにはもう結構な量の花火が上がっていた。時間的には中盤くらいだったように思う。


「見ろよ」


 すっと彼が体をずらした先の光景に、私は目を見開いた。

 ぱあんと轟く破裂音、人々の拍手喝采、わずらわしいくらいの歓声。


「なんで……?」


 私たちは結局百話、きっちりと話をしたのだ。花火なんてとっくに終わっているはず。


「なるほどな、この寺自体に干渉されてたってわけか」


 こつん、と柱を叩く。くつくつと可笑しそうに笑う。


「まあいいだろ、遅く帰ったせいで黄昏ちゃんが親にうるさく言われる心配もなくなった」


 どうして心配するのが私のことなのか。自分の心配をしなさいと思いつつ、私は黎明くんに近寄る。彼は腕を伸ばして私の手を掴まえた。


「わたあめ買ってくれよ、黄昏ちゃん。偽物の相手してて疲れた」

「女の子に買ってもらうのってどうなの? ていうか、黎明くんのは偽物でも何でもなかったじゃん。化け物みたいではあったけど。焼死体みたいな」

「冗談だよ、りんご飴買ってやる……っておい、待て。流石にあれを黄昏ちゃんだって言うつもりはねえけど、外見だけで言うならそっくりだったぜ。黄昏ちゃんの後ろにいたやつのほうが化け物じみてただろうが」

「え? そんなことないよ、こっちだって外見だけなら黎明くんにそっくりだったよ」

「……俺にはどう見ても泥田坊にしか見えなかったがな」


 泥田坊というのはその名の通り、泥が固まって人間のていを成したかのような妖怪だ。まさかあ、と頬をひきつらせながら、私はぎゅっと手を握る。

 まさか、私にだけ黎明くんに見えていて、本物は見るに堪えない化け物だったんだとしたら。



「……りんご飴、三本買って。黎明くん」

「おいおい、食いすぎだろ……」

「わたあめ五本買ってあげるから」

「よし、のった」


 私は彼の態度に安心した。そうだ、本物はこれくらいふてぶてしくなくては。

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