第7話 百物語【前編】



 百物語をしようぜ、というのが彼の提案だった。


 いきなりそんなことを言うものだから、私はきょとんとして自分達の装いを見た。


 私は梅柄の浴衣に赤色の帯を巻き、彼は黒い無地の浴衣を着ている。履いているのは下駄でも長靴でもなく草鞋わらじだ。私は巾着を持っていて、彼は扇子を持っている。


「……夏祭り、行かないの?」

「行きてえの?」

「ううん、別に。黎明れいめいくんがいればそれでいい」

「じゃあいいじゃねえか」


 まあ確かに、それでいいかもしれない。


「でも、なんで急に百物語?」


 くるりと方向転換をして、夏祭りの喧騒から離れていく黎明くんについて歩く。彼は顔だけで振り返り、楽しそうににやりと笑った。


黄昏たそがれちゃんが怖がるところが見てえから」

「……うわあ、悪趣味ー」

「今更だな、知らなかったのか?」

「十分把握してるけど、まさか夏祭りを反故にしてまでそんなことするなんてって思っただけー」

「……黄昏ちゃん、やっぱ夏祭り行きたかったんじゃねえの?」


 もう遅い。

 訂正しておくと、べつに私は嘘はついていない。黎明くんがいればそれでいい。けれど、黎明くんと一緒の百物語より黎明くんと一緒の夏祭りのほうが楽しそうだと思うだけだ。


 少しすねた私の頬をするりと撫でて、「なんか起こったらどうにかしてやるよ」と低い声で言う。そういうことじゃないのだけれど、そういうことを言われてほだされてしまうのが、私の弱いところだ。

 私はもうひとつ嘆息して、黙って彼について行った。






「ここ、どこ?」

「寺だな。もう使われてねえけど」

「……ムード満点だね」


 出来れば別のベクトルのムードを学んでいただきたかった。

 まあ、そんなことを彼に言っても無駄だろう。もう来てしまったし。


 黎明くんは丁寧に草鞋を脱ぐと、何のためらいもなくすたすたとやしろの中に入っていく。私もその後につづくと、ぎしりと板が鳴った。

 彼もうるさい音に顔をしかめる。


「古いだけあるな」

「そうだね。何かが通ったらすぐ分かるね」

「……伏線張らないでくれねえ?」

「仕返しだもん」


 彼は肩をすくめて歩みを遅め、私の隣に立った。怖いのかと思いきやにやにやと笑っているので、私が怖がってないか見たいのだろう。怖いか怖くないかで言えば怖くないのだが、どうして伝わらないのか謎だ。

 黎明くんがいるなら、私は地獄だって怖くないのに。


「ここにするか」


 すらりと障子を開けた先にあるのは仏壇のようなものが置いてある部屋だった。私の前で、彼はごそごそと何かを探し始める。


「お、あったあった」


 手に持っているのは蝋燭とマッチ。なるほど、これを探していたらしい。だからこの部屋にしたのもあるのかもしれない。

 さすが寺と言うべきか、おびただしい量のマッチと蝋燭だった。まさかここにいた人たちも百物語をしたのではというくらいある。


「こんだけあれば足りるな」


 綺麗に蝋燭を並べて、黎明くんは笑った。暗い暗い部屋の中、蝋燭がぽつりぽつりと灯る。向かいに座ると思いきや、彼は私の隣に座った。


「だってこれが倒れて火事とかになったら一緒に逃げたいだろ」

「確かにね」


 ものすごい量だ。ひとつが倒れれば隣に当たって連なるように倒れていくことは想像に難くない。二人が分断されるというのは嫌だ。

 火事より、離れ離れが嫌だ。


「んじゃ、始めるか。俺からな」


 どっかりとその場に座り込み、片膝を立てて話し始めた。朗々とした声だった。


「俺が小さい頃の話なんだけどよ、まだ今より色んな場所に行きたがってた時期あったろ? 黄昏ちゃんがまだ可愛く嫌がってた頃」

「なんだか悪意を感じるけど、黎明くんがわがままでやんちゃな健康優良児だったときのこと?」

「褒めてんのかけなしてんのかわかんねえけど、まあその頃だな。黄昏ちゃんが先に帰っても、俺は色んな場所を駆けずり回ってたんだよ」


 まあ、あの頃はまだまだ遊びたい盛りだし、体も小さいから余計に色々な路地裏とかに行けたことだろう。


「そんで、いつもみたいに黄昏ちゃんが先に帰ってから、走り回って走り回って、四つ辻の場所に出たことがあってな」


 黎明くんは思い出すように視線を上げる。


「どこだったかな、忘れたけど、どっかの山の麓だったんだと思うんだが、とにかくそこで『なんだ、お前か』って言われたんだよ」

「誰に?」

「それが誰だかわかんねえんだよな。記憶が曖昧とかじゃなくて、その当時から分からなかった。夕暮れで、夕日が向こう側に見えてて、そいつの顔は逆光で見えなくて……ただ、俺に用があるんじゃねえのは分かった」


 静かに語りは進む。


「そいつはどうやら黄昏ちゃんを探してたみたいなんだよな。俺はどうやらお気に召さなかったみたいでよ。まあ、俺がそんなこと許すわけがなかったけどな」

「それで、どうしたの?」

「なんだよ余裕だな。まあ、黄昏ちゃんは家に帰ったって話をしたら大して未練もなさそうに行っちまったよ。それだけならどうでも良かったんだが……」


 どうでも良くはない。普通に考えたらそれは私を狙っていた誘拐未遂犯か何かだろう。私の容姿に意味があるのではなくて、あるのは私の肩書きだろうけれど。

 なのに彼はそんなものじゃないと笑う。


「ありゃあ人間の部類じゃねえよ。影がなかったからな」

「影が?」

「そう。あと、爪が異様に鋭くて、目付きが異様に悪くてな、逆光で顔は見えないはずなのに、目だけがぎらぎらしてて、子供ながらにこいつはヤバいって思った」


 ぼうっと、彼は私を見た。


「あいつは探してるって言ったんだよ。オモアンドキ……夕暮れ時に自分に会ってくれる、人間の女を探しているってな」

「オモ……? それが、私なの?」


 確かに私は彼に黄昏ちゃんと呼ばれているけれど、そんなことくらいで私を対象にしないでほしい。私はその男のことなどこれっぽっちも知らないのだ。

 彼は可笑しそうにくつくつと笑う。


「まあ、あいつが探していたのは多分別のやつだろ。黄昏ちゃんは瓜子姫じゃない」

「なんの話?」


 黎明くんは笑っていた。馬鹿だなあ、と私をからかうときの顔だった。


「自分が昔手にかけた女の生まれ変わりを信じてる、ただの馬鹿の話だよ」


 ふっ、と蝋燭が消えた。


「黄昏ちゃんの番だぜ」

「……今のが怖い話なの?」

「あのときの俺は怖かったけどな。黄昏ちゃんがさらわれたりしたら、多分俺は修羅になる」


 冗談なのか本気なのか、彼はたまによく分からないことを言う。

 私は首をかしげつつも、私の話をすることにした。


 百物語の醍醐味というのは、こういうおどろおどろしい雰囲気の中にあるのではない。話してはいけないのに、話さなければ進まない。進みたくないのに、進んでしまう。そういう思いの中にあるのだ。

 少なくとも、私はそう思っている。


「私は全く幽霊みたいなものに遭遇したことがないから、自分の体験談なんてものは話せないけど、人づてでもいい?」

「ああ。つーか、普通は人づてだ」

「そうなの?」


 知らなかった。そもそも百物語をしたことがないから。


「私の曾お祖母様から聞いた話なんだけど、その時代はまだ土葬をするところが結構あったらしくて、私の曾お祖母様のお祖父様の葬式のときも、土葬だったんだって」

「それで?」

「お葬式自体は特に何もなかったらしいんだよ。きちんと弔って、きちんと埋めて……ただそれだけ。でも、その三月後だったかに、墓荒らしが横行したらしくて」

「まあ、よくある話だろうな、その頃だったら」

「うん、それで、結構用意周到な泥棒だったみたいで、外側からは墓を荒らしたなんて分からないのに、墓の中のものだけが、ごっそり無くなってたんだって。だからそのお祖父様のお墓を一旦、掘り起こして見ることにしたんだって」


 穏やかだった曾お祖母様の顔が、まぶたの裏で一瞬引きつった。


「そうしたら、棺桶の蓋がね」

「蓋? 蓋にも装飾品つけてたのか?」

「ううん、そうじゃなくて。そもそも何も盗られてなかったんだけど」


 内側が、と告げる。


。まるで爪で引っ掻いたみたいな、細い線が何本も何本も……」


 それがどういう意味なのか、どうやらきちんと伝わったらしい。

 ひくり、と隣の彼の頬がひきつった。

 私はにこりと笑う。


「嘘じゃないよ? 曾お祖母様はそういう冗談は言わないの」

「いや、嘘だとかは思ってねえよ……」


 ただ、と黎明くんは苦く笑い、周りをぐるりと見渡した。恐らく墓地があるのだろう障子の向こうを見るように。


「こんなところでそんな話、するか? 普通」

「こんなところでこんな話させたの、黎明くんじゃない」


 失礼しちゃう、と告げれば、彼は降参、と言いたげに両手をあげた。してやったり。

 でも、まだやめてあげる気はなかった。


「この話はここで終わりじゃないんだからね?」

「まだあんのかよ……」

「ほかの墓も見てみたんだって。棺桶の蓋の内側を。そうしたら……」


 少し言葉を切って、笑う。彼はまっすぐ私を見ながらもひきつった笑顔だった。


「二十人に一人くらいの割合で、あったの。傷跡。赤い線も見えたんだって」

「おいおい……」

「まあ、そういうことだよね」


 死んだと思われている者の二十人に一人は生きているのだ。生きたまま埋められてしまうのだ。

 どれほどの恐ろしさなのだろう、それは。


「暗闇の中に一時間でもいれば人は簡単に狂ってしまえるらしいけど、その人達ははどれだけの時間、そこで正気を保っていられたんだろうね」


 かりかりと自分の爪の音が響くだけの暗闇の中で、一体どれだけの者が、希望を持っていたのだろう。誰かが助けてくれるわけもない、永久とこしえの夜の中で。


「案外、墓荒らしに助けてもらえた死人も、いたのかもしれないね」


 ふっ、と息を吹きかけ、私は蝋燭を消す。

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