第12話 はねとまほうつかい
女の子が泣いていた。
道端で、肩を震わせて泣いていた。小刻みに揺れる肩に小さな羽が生えているのが私のいるところからも見えて、息を呑む。
ざわり、ざわり。
さざめきは伝播する。
私は早足で彼女の元へ向かった。私の嫌いな空気の中で一人取り残された少女を見ているのが嫌だった。
「どうしたの?」
私が声をかけると、女の子はちらりと振り返って、ますます泣いてしまった。怯えているんだろう。
私は少し眉を下げた。今はまだ皆遠巻きに見ているだけで済んでいるけれど、時間が経ったらそうもいかなくなる。
ふうむと悩んだ私の頭を、こつんと何かが小突いた。
硬くもなく柔らかくもない、人の手だった。
「何やってんだ
「あれ、
気配もなく私のそばに寄ってきた彼は、未だに泣く女の子を見て首をかしげる。
「ん? なんだお前……なんか生えてんな」
無遠慮な言葉に、女の子がくしゃっと顔をゆがめる。
私はため息をついた。彼はどうにも、遠慮というものを私以外には向けてくれないみたいだ。
彼女の手を握って、ふわりと立ち上がらせる。
「とりあえず行こっか。こんなところじゃ風邪ひいちゃうよ」
時は夕刻。冬に片足を突っ込んでいる今の時期は、少女の体には堪えるに違いない。
私は左手で小さなもみじのような手を握る。その子はきょとんとしながら、おずおずと私の後をついてきた。
「はねがはえるの」
三丁目の『エトランゼ』の中で、女の子はふわふわとした声でそう言った。私と彼は顔を見合わせる。
「そう……みたいだね」
「見れば分かる。もっとなんかこう、解決策みたいなのはないのか?」
「黎明くん……」
十を超えたばかりにしか見えない少女に何を求めているんだろう。あと、その堂々とした態度、多分子どもとは相性が悪いと思う。
案の定、その子は怯えた目で私のほうへ少し寄った。同時に黎明くんが目をすがめてしまったので、ぴゃっと声を上げて私の背に隠れる。可愛い。そして黎明くんは容赦がない。
どうどう、と呆れながら彼を押しとどめ、私は女の子に向き直る。
「綺麗だね」
きょとん、とした顔だった。
「綺麗だね、その羽」
瞬間、ぱあっと彼女の顔が明るくなる。
「そうなの、きれいなの!」
「それは、家族みんなに生えるの?」
「おとうさんはもってないの。おねえちゃんとか、おかあさんとか、おんなのひとにしかはえないんだって」
なるほど。女の人限定の遺伝か。
私は女の子の感情に合わせて揺れ動く羽を見つめた。窓から差し込む太陽光の光を反射していて少し眩しかった。
「あのね、きょうはたんじょうびなの」
ぼんやりしていて少し反応が遅れてしまう。はっとしたときには黎明くんが「誰のだ?」と問いかけていた。
「わたしの」
「ふうん? お前、いくつになったんだ」
「じゅっさい!」
にこにことしている女の子は、先程まで怖がっていたはずの彼と楽しそうに話をしている。彼も子供が嫌いなわけではないのだろう。面白そうにほっぺたをつまんだり引っ張ったりしている。
私の頬が自然と緩んだ。
「じゅっさいになると、はねがはえるんだって」
「じゃあ、お前の姉さんも母さんも生えてるのか」
黎明くんが何気なくそう問いかけたとき、彼女の顔がさっと曇った。顔は青ざめ、唇をわななかせ、きゅっと言葉を閉ざしてしまう。
黎明くんは戸惑ったように私を見た。
私も目を瞬いて女の子を見た。
「……どうしたの?」
薄暗い店の中で、その子は不安そうに私を見て、カウンターの奥で穏やかに食器を拭いている青年を見て、また私を見た。
大丈夫だよ、と私は笑った。
「魔法使いさんは何もしないよ。大丈夫、誰にも言わないよ」
「ほんとう?」
「本当」
彼女はゆっくりと口を開く。
「はね、とっちゃうの」
「え?」
「きっちゃうの。もいじゃうの。とっちゃうの」
滝がその場に現れたかのように、だぱっと彼女の目から涙が溢れた。ぎょっとする私たちの前で、怖々と自分の羽に触れる。
「いたいの。この子はいたかったのに、やめてくれなかったの」
「だから、家出してきたの?」
「えっ……」
びっくりしたような顔で私たちを見るので、私は思わず笑ってしまった。黎明くんもシニカルに笑いながらその子の頭をぐわんと撫でている。
「こんな時間に一人でガキがわんわん泣いてるのに、親が出てこねえのはおかしいだろ。大方、その羽で飛んできたんだろ?」
「そうだねえ、羽を取られるのは怖いよね。痛いよね」
「いたいのはわたしじゃないの。この子なの」
「え?」
女の子はきょとんとした顔で涙をぐしぐし拭いながら、懸命に説明した。
「わたしはいたくないの。でもこの子がいたいっていうから……いやだったの。とらないでほしかったの。でも、おかあさんがやめてくれなかったから……」
私は少し目を見開いて、ゆるりと体の硬直を解いた。そっかあ、という声が口からもれる。
「あなたは痛みが分かるんだね」
きょとん、とした顔だった。
「人の痛みが、分かるんだね」
正確には人ではないけれど、彼女の羽は彼女とは別物で、命があって、痛いと泣くのだ。だったら、彼女にとって大事なものであることに変わりはないのだろう。
「あなたは間違ってないよ。ね、黎明くん」
「なんで俺に振るんだ……まあ、無理に取ることねえんじゃねえの。他人の家の事情にとやかく口出すもんでもねえけど、そいつにも痛みがあるんだろ」
「あれ、私の家の事情には口出すくせに」
「ああ……そう言えばそうだったな」
おや、黎明くんが素直だ。ちょっと怖い。
そんな感情が伝わってしまったのか、少し怖い目付きで彼は私の頬をぐにっと摘んだ。いひゃい。
「あなたたちは相変わらず楽しそうですね」
「あ、魔法使いさん」
どうにかこうにか彼の呪縛から逃れたとき、かちゃかちゃと食器の音を響かせながら魔法使いがやってきた。優しい笑顔で彼は怯える少女の前にティーカップを差し出す。
「どうぞ、ハーブティーです」
「はーぶ……」
「心が落ち着きますよ」
「おちつく…………の?」
「だからなんで俺なんだよ。黄昏ちゃんに聞けよな……」
渋々ながらも、基本的に頭のいい彼はハーブティーの効能について説明していた。そのおかげでより一層女の子の目が尊敬の色に染まっていることはきっと知らないだろう。
くすくすと笑う私の前に、かちゃんとカップが置かれた。
「どうぞ、レモンティーです」
「あ、ありがとう……ん? どうかしたの?」
「……あなたは、それを嵌めないのですね」
胸元に視線が移る。銀の輪が煌めくのを彼は静かに見つめていた。しようのない子供を見るような目に、私はばつが悪くなって小さく笑ってしまう。
ふっと視線を上げると、まるで秘密基地の相談でもしているような顔で女の子と話す、黎明くんの姿が目に入った。心臓がぐっと縮まった気がした。
「……私は、強くないから」
「彼もそれほど強いとは思えませんけどね」
「魔法使いさんの感覚は別格だからなあ」
比較にならない。
魔法使いは悠然と微笑みながら、ぶれない軸のようにその場に立っている。私はぼんやりと魔法使いと黎明くんの間の何も無い空間を見つめていた。
「何か、ありましたか?」
反響する声が耳の中に満ちる。
不思議だ。黎明くんよりよっぽど大人で、私のことも彼のことも分かっていて、それでいてこちらとあちらの線引きをきっちりしている目の前の彼に、私は隠しごとができないのだった。
それはなんでも話せてしまうというより、喉元まで手を突っ込まれて言葉を引きずり出されているかのようだった。暴力的で、それでいて眠りを誘う甘言の響きなのだ。
……でも、私は。
「……言いたくないから、言えないよ」
それでも、言えないことはある。
わりと簡単に言葉を飲み込めた私は、魔法使いが結構驚いた顔をしていることに気づいた。
「珍しいですね……これで話さなかった人はあまりいないのですが」
「……私に何したの?」
「おっと失礼。失言でした」
「失言だったんだ……」
冗談なのか抜けているのか。
不思議というより不可思議な青年に、私は溶けるように言葉を返す。
「だって私、これを言うのは黎明くんが最初って決めてるから……だから、魔法使いさんでも、言えないよ」
「おやおや、そうですか」
彼は大して悔しがるでもなくそう呟くと、すっと頭を下げた。
「でしたら、ご無礼を」
「やめてよ、魔法使いさんはそういうことしないって信じてたのに」
「おや、僕は結構軽々しくこういうことをしますけどね」
「ええ?」
「おい黄昏ちゃん」
急に明瞭な声が私と魔法使いの間に割りこんだ。
怪訝そうに黎明くんがこちらを見ている。
「何してんだ? ……また求婚でもしてんのか?」
「いえしてません。絶対にしてませんよ。神に誓って」
「なんで早口なんだよ、違うんだったら堂々としてろよな」
ごもっともである。
胡乱気な視線のまま、彼は後ろにいる少女を指さした。
「結局、こいつどうすんだ? 家に帰すのか?」
女の子の肩がびくりと震える。おろおろと全員の顔を眺め、やがてきゅっと口を引き結んだ。
「かえらなきゃ、だめ?」
「駄目っつーか……」
「まあ、ここにずっといるわけにもいかないでしょうねえ」
魔法使いの困り気味の声にもぷるぷると震える。まるで小動物のような愛らしさだ。
私は呆れて魔法使いのほうを見た。黎明くんも気づいたのだろう。無遠慮に彼を眺めている。
「魔法使いさん、何かあるでしょ?」
「おや、何かとは?」
「お前がにやにやしてるときは大抵なんか企んでるときだ」
「おやおや……」
彼は緩んだ口元を隠そうともしない。ようやく上品に口元を覆いながら、すいと視線を斜めに揺らして女の子を見た。そのままどこかの騎士よろしく彼女の前に跪く。
私と黎明くんはほぼ同時に額に手を当てた。
ああ、また始まった。
「お嬢さん、ご家族に未練はありますか?」
「みれん?」
「ご家族の皆さんと一緒に暮らせなくなるのと、羽がなくなってしまうのは、どちらが辛いでしょうか?」
そよそよと風が若葉をさらうがごとく、静謐な雰囲気がその場に満ちた。彼女は困ったように視線をあちらこちらへ移しながら、懸命に答えを考えている。
対して、私たちは既に諦め状態だった。
黎明くんがこそっと私に耳打ちしてくる。
「なあ、穏便に済むと思うか?」
「穏便に済ませると思う? 魔法使いさんだよ?」
「……まあ、だよな」
私達は同時にため息をついた。
この魔法使いはこちらとあちらの境界線に不安定に佇むものを引きずりこまずにはいられない性分であるらしい。彼は本物しか相手にしないのでそこまでの頻度ではないが、あるときは因果律にまで干渉してしまうというのだから厄介だ。
今回私たちに出来ることは、少女がどんな判断をしてもこちら側の人間として理解を示してやることだけだろう。あちら側には魔法使いがいることだし。
と、二人で色々と話し合っている間に、少女は答えを出していた。
「おねえちゃんと、は、やだ」
少しだけ申し訳なさそうだったが、毅然とした声だった。
「お、おねえちゃん、すきだから、はなればなれはやだ。おかあさんはとっちゃいなさいっていったけど、わたしのおねえちゃんは、きれいねっていってくれたもん。や、やだ」
私と彼は顔を見合わせて少し驚いた。魔法使いに魅入られた者は大抵言うことを聞いてしまうのが常なのに、女の子は泣きそうながらもはっきりと拒絶の意思を示したのだ。どころか少し恐れているようにも見える。
魔法使いも予想外だったのか、その刹那に清廉な空気は霧散した。あまりにも急な変化に私も彼も一度頭を振って空気に馴染ませる。
「ああ、参りましたね……」
本気で困っている声だった。
「本当でしたらもっと確実にやるのですが……そうですね、あなたがそこまで言うのでしたら正規の方法で行うとしましょう」
「いや、まず非正規の方法でやる前提なのをやめろ」
ごもっとも。
まだ上手く話せない私に代わって黎明くんが苦言を呈した。私もこくこくと頷く。こんなに目眩がしたのは初めてだ。
魔法使いという人物は本当に、周りが見えなくなると見境がなくて困る。私も彼も、そういう部分に関しては強く言えないのが弱みだ。
少女がこてんと首をかしげると、魔法使いは柔らかく微笑んで奥の戸棚から何かを取り出した。
困惑する女の子の服を半ば有無を言わさぬ調子でまくり上げ、とろりとした蜂蜜のようなものを羽に塗り込む。痛くはないのか彼女は大人しくしているが、不安そうにその視線が私たちのほうを向いた。
私は微笑んでひとつ頷き、彼は面倒そうに頭を掻きながらも力強く言う。
「大丈夫だ。なんかあったらそいつぶっとばしてやるよ」
「流石に殴られるのはご容赦願いたいですね……さ、出来ました」
ぽんっと背を叩く。彼女はぱっと後ろを振り向いて、変わらぬ姿で羽がぱたぱたと揺れていることにほっと息をついた。
「えっと、なにしたの? いま……」
「その羽を普通の人には見えないようにしました。まあ一時的なものですが、いずれなんとかしますので」
「いちじてき……」
「だからなんで俺を見るんだ………………いつかは見えるようになっちまうってことだろ」
「えっ……」
「大丈夫です、なんとかしますよ」
彼は読めない笑顔を振りまく。
まあ、魔法使いがなんとかすると言うのならなんとかするのだろう。どんな正規の方法でやろうとするのかは知らないけれど、非正規の方法よりかはマシなはずだ。まあ、多分、おそらく。
「さあ、どうぞ今日のところはお帰りを。諦めたわけではありませんので、いつかまた同じ質問を致しますが、どうぞそのときまでにはご覚悟を」
すらすらと並べ立てられた綺麗な言葉に気圧されたように、女の子は一つ頷く。満足したのだろう。魔法使いさんがぱちりと指を鳴らせば、そこから彼女の姿はかき消えていた。
では、あなたがたもお帰りを。
ぞんざいに告げられた後に残っていたのは、朝方特有のひんやりとした空気と夢から覚めた感覚。
私はぱちりと目を瞬くと、億劫な体をどうにか起こして、ため息をついた。
どうやら久しぶりに、夢にされたらしい。
立てた膝に頬杖をつきながら、ぼんやり思う。
さて、あの蝶のような透き通った
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