収穫祭 後編



 ああいう奴は実は敵に回したら怖いのだが、何を遠慮しているのか、どれだけ挑発しても乗ってこない。身分やらしがらみやらを気にするような奴ではないので、多分自分がまだ子どもだということの証明なのだろう、と彼は思っている。

 子どものままではいられない。そんなのは分かっているつもりだが。


「黎明くん、すごいよこれ! 飴だけどぐにぐにしてて飴じゃないみたい!」

「黄昏ちゃん……」


 そんな彼の心境は知らぬ存ぜぬで、彼女はすっかり子供たちに混ざって蝶をぱくぱく食べていた。すごい光景だ。

 やれやれと首を振り、長靴ちょうかを響かせながら彼は彼女に近寄る。怖いのか、子供たちがさっとその場から引いた。


「……別になんもしねえよ。まあ、黄昏ちゃんにいたずらなんかしたら怒るかもしれねえけどな……聞いてるか? そこのチビ」


 彼女のワンピースの裾を引っ張っていた少年に声をかければ、何故かその少年は二人を交互に見上げ、ぴと、と彼女の裾にすがりついた。どうしてそうなる。

 おまけに、さっきまでにやにやしながら裾をいじくっていたくせに、彼女が振り向いたときだけ幼げに笑っている。確信犯としか思えない。

 底冷えのする視線を向けた彼に、彼女が笑った。


「黎明くんは本当に子供の扱いが下手だねえ」

「……いや、今のはなんか違うだろ」

「違わないよ。ほら、蝶も避けてる」


 彼女のたおやかな指の先に自然と首が向く。確かに、まるで彼の輪郭が分かっているかのように綺麗に蝶が避けていた。

 ……気に入らない。

 彼女は男の子の頭を撫で、周りの子供たちのほうへと促す。少年はたいした未練もなく輪の中へ戻っていった。


 なんだか無性に苛ついて、飛んでいる蝶をむしる勢いで掴み取り、口の中に放り込んだ。

 途端、目を丸くする。


「……なんだこりゃ」


 ぐにぐにしていて、飴ではなさそうだ。しかしゼリーよりは硬い。奇妙な食感が口腔を満たした。


「なんだろうね、これ。あとで魔法使いさんに聞いてみようかな」


 ひょいひょいっと蝶を食べるさまはあまり綺麗とは言い難いはずだが、彼女がやっていると神秘的に見えるから不思議だ。

 子供のように蝶を頬張る姿に、彼の頬が緩む。


「わっ、何?」

「ざらめ、ついてる」


 頬についた僅かな煌めきを拭い、静かに舐めとる。と、彼女の顔が赤く染まった。


「黎明くんって、ほんとにさあ……」

「なんだよ。文句あるならもう少し落ち着きを見せろ」

「正論なんだけどさあ……」


 なぜ恨みがましく見られなくてはならないのか、彼にはよく分からない。

 と、そのとき不意に二人の前にとてとてと危なっかしい足音が聞こえてきた。同時に見た先には可愛らしい少女が立っていて、魔法使いからもらったらしい花を手にたずさえている。


「これ」


 こてんと首をかしげ、あげる、と舌っ足らずな声でつぶやく。てっきり彼女への花だと思っていた彼は、自分の前に差し出された硝子細工のようなそれを見て、ぽかんと口を開けた。

 は、という呟きがこぼれる。


「あのね、ちょうちょがね、とまるの。お花に」

「……そう、らしいな」

「だからね、あのね、もってないとだめなの。おねえちゃんも、ちょうちょさんみたいだから、おにいちゃんはお花もってないと、だめなの」

「は……?」

「つかまえてないと、とられちゃうのよ?」


 はっと目を見開いた彼に臆することなく花を押しつけ、愛らしい少女は去っていった。

 後に残ったのは、力を少しでもこめればばらばらになってしまいそうな、作りもののような花が一つ。

 呆然と手元の花を見つめ、彼はゆっくりと顔を俯けた。


「黎明くん?」

「……ふっ、くく……」


 額に手をやって肩を震わせる。


「聞いたか? 黄昏ちゃん」

「え……ちょっ!」


 ぐいっと腕を引いて、一気に狭まった距離の中に花を滑り込ませた。


「あんなチビっこに指摘されてちゃ世話ねえな」

「えっと……何が?」

「ははっ」


 心底不思議そうにしている彼女に愛しさが募った。全く、彼女は自分の魅力を理解していないのだから困る。無垢でありながら、それでいてどこか奇妙な危うさを備えた彼女を、人は放っておけないというのに。

 まあいいかと目を細め、彼は手に持ったもろく儚い花を見つめた。


 そのまま瞳だけを動かし、橋の欄干を支える四隅の柱のひとつに目を止め、そこに乗っている不気味な笑顔に近寄る。

 ジャック・オ・ランタンだったか、なんだったかというそのかぼちゃの中には、蝋がぱたぱたと文字通り命を燃やしていた。


「黎明くん? 何を……」


 小走りで追いかけてきた彼女をよそに、彼は手に持った花を三角の目の中に突っ込んだ。

 息を呑む音が隣から上がるのにも構わず、花びらを躊躇いなく炎に触れさせた。もちろん、そんなことをすれば花は松明よろしく燃え上がり、一瞬で徒花へと変貌する。


 だが彼は満足だった。かぼちゃの中から燃える花を取り出し、艶めいた笑みを浮かべる。

 彼女はぴくりと肩を震わせた。彼の姿は本当に血を主食とする異形のようだった。


「……何してるの黎明くん。せっかく綺麗だったのに……」

「いや、まあそうなんだけどよ……」


 何故かくきには決して燃え移らない炎を陶然とうぜんと見つめて、不敵に笑う。


「ただの花じゃ、黄昏ちゃんは逃げちまうかもしれねえだろ?」


 炎に恋焦がれて自らの体を焼き尽くした虫の話を思い出す。絡めとって魂をも逃がさない花にしなければ、彼女には相応しくない。

 当の彼女は訝しげに目を細め、「変な黎明くん」と呟く。


「別に花なんてなくたって私はいなくならないのに」


 それに、と呆れた目はそのままに、突然自らの襟元に手をかける。

 ぎょっとした彼を気にもとめず、彼女はぐいっとその白い肩を月の下にさらした。


「そんなに心配なら、印付けマーキングしちゃえばいいのに……違う?」

「……はっ」


 最高だ、と彼は笑い、彼女の首の後ろに手を当ててぐっと体を前に倒した。はずみかわざとか、燃え盛る花は橋の下に消えてゆく。小さくじゅわりと音が聞こえた。

 くすくすと笑いながら、彼の背に手を回して、彼女は言う。


「ねえ、知ってる?」


 囁くように、歌うように。


「ウンディーネと水の近くで交わした約束を破ったら、そのウンディーネは、泡となって消えてしまうんだって────」


 ああ、なるほど、と彼は心の中で白旗を上げた。どうやら、彼女には既に魂すらも囚われる覚悟があったらしい。

 子供たちは上空を飛ぶ蝶に釘付けになって遊んでいる。おかげで、彼らの姿はジャック・オ・ランタンがじっと見ている以外は、誰の目にも触れなかった。


 子供の遊ぶ声だけが、その場に騒がしくさざめいていた。

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