収穫祭 中編



「よお」


 かつん、と長靴ちょうかを響かせて現れた二人組に、男は笑顔を振りまく。


「ああ、お菓子でしたら子供たち優先で────げっ!」

「げっ、じゃねえよコノヤロウ。お前、あの魔法使いに追放されたんじゃなかったのか」


 最高潮に不機嫌な吸血鬼の姿に、紳士的な笑顔が一瞬で歪む。そばにいた男の子が慄いたように後ずさり、男は慌てて笑顔を浮かべたが、額にうっすら汗がにじんでいるのは誤魔化せていなかった。


「なんなんですかあなたたち。僕は今健全に今日という日を過ごしているだけですよ」

「よく言うぜ。黄昏ちゃん攫おうとしといて……黄昏ちゃん?」

「うーん、よく見たら左手そんなに似てないや。黎明くんはそんな気持ち悪いくらいすべすべした手じゃないし」

「黄昏ちゃん、今はそこじゃねえだろ……」

「あなたはサラッと心を抉りに来てますね。僕の努力の結晶を……」



 ぴきり、と青筋をたてながらも、彼はお菓子を生み出す手を止めない。さすが生粋の子供たらし、通称ハーメルンである。

 ハーメルンは苦々しげに彼を見た。


「あなたたちのように手強かった子供は初めてですよ。普通に声をかければついてきてもらえるものだとばかり思っていたのに、あなたに至っては歯牙にすらかけてもらえませんでしたね。理想の姿に見えていたはずなんですが」

「ああ? 理想の姿? ……ああ、あの気持ち悪い黄昏ちゃんはお前だったのか。あんな笑顔どこで学んできたのかと思ったぜ」

「え、なにそれ、私聞いてないよ」

「俺だって今思い出したわ。俺は黄昏ちゃんとの記憶と勉強の記憶以外はすぐ忘れるようになってんだよ」

「ポンコツな脳みそだね」

「んだとコラ」


 夜だからなのかいつもより遠慮のない応酬に、ハーメルンは嫌そうに嘆息した。


「痴話喧嘩ならよそでやってくれよ……」

「んだとコラ」

「っ!?」


 隣の少女に向けるものとは格段に異なる、一オクターブは低い声が響いた。ハーメルンは動揺を悟られないように笑みを貼り付ける。


「僕には監視がついているんですよ。あなたたちの言う『魔法使い』のね。だからもういいでしょう。あの人の監視下に置かれたんじゃ、僕だって何もできませんよ」

「ふーん? その菓子とか怪しさ満点だがな」

「疑うなら食べてみてくださいよ。何も無いですから」

「阿呆抜かせ。俺らには干渉できないんだろうが。食っても害なんぞ分からねえだろ」


 はあとため息をついた彼だったが、その瞬間彼女の高い声が響いた。


「あれ? それお菓子じゃないね?」

「あ?」


 ぱっと振り向けば、彼女がにこにこしながら、小さな女の子のそばにしゃがみこんでいた。きょとん、とした顔で、少女は小首を傾げている。

 黄昏ちゃんの好きそうな子供だ……などと思ったとき、おもむろに彼女が彼を見た。


「なんだろうね? これ」


 その手にあるのは小さな木でできた人形だ。可愛らしい馬の形をしている。あ、と小さく女の子が不満の声を上げたが、彼女が「ちょっとだけ貸して?」と言うと素直に頷いた。

 なぜ馬なのか分からないが、彼には彼女がそんなことをする意味も分からない。


「それがどうしたんだよ黄昏ちゃん。馬だろ」

「馬なんだけどさあ、これ、なんか変な模様ついてるんだよね」

「は? 模様?」

「そうそう、ちょうどその、男の人の首から下げてるものと同じ模様」


 ぎく、とハーメルンは固まる。その隙を見逃さず、彼は男の懐に飛び込んで首元の鎖を引き抜いた。


「ちょっ──!」

「ふうん? 笛か」


 それは小さな笛だった。ちょうど口を付ける部分に、綺麗に、なにかを模した文様のようなものが描かれている。

 男が固まったまま大きく目を見開いているのを見て、彼はにやりと笑った。


「これはなんなんだろうな? ハーメルンさんよ」

「っ、なんなんだよ、君たちは……!」

「口調崩れてるぞ。お前、やっぱ何か企んでんじゃねえか」

「全くですよ、ハーメルン。少しは反省したものだと思っていたのですがね」


 いきなり紛れ込んだ慇懃な口調に、彼と彼女以外の、子供たちも含めた全員がぎょっと身を引いた。


 何も存在していなかったはずのちゅうがぐにゃりとたわんで、ばさりと紫が翻る。

 夢のような、幻のような空間の奥。そこからのぞく白い手足。知らぬ間に消えているそのひずみ。


 刹那を超えた先に、とんがり帽子を被った、すらりと背の高い男が立っていた。


 子供たちが歓声を上げる。


「にいちゃんすげえ! どうやったの?」

「パッて! パッて出てきた!」


 多種多様な高い声。くすくすと彼女が笑う。


「魔法使いさんだからね」


 その一言にますます子供たちは目を輝かせた。


「まほー!? まほーつかいなの!?」

「まほうみせて、みせて!」


 少年少女の声に交じって柔らかな音が笑う。


「見せてくれるよね、魔法使いさん?」

「そうですねえ……あなたに催促されては仕方ありませんね」


 苦笑して、男はすっと空中に手を差し伸べた。子供たちはきゃらきゃらと騒いでいたが、その姿勢のまま動かない魔法使いに徐々に静かになっていく。

 最後の一人が口を閉ざした瞬間、彼はくるりと手をひねった。


 瞬間、様々な色の蝶が舞った。


 赤、橙、緑、青……さながら昼間のごとく、煌めきに満ちた飴細工の蝶があちこちで羽ばたく。鱗粉を模したざらめをぽろぽろと流れ星かのように落とし、宙で体をくるりと回す。

 わあっと声が上がった。目をキラキラさせて蝶を捕まえようとする男の子に、同じように目を輝かせながらじいっと見つめる女の子。魔法使いはそんな少女たちに微笑みながら手の中に出現させた花の飴細工を差し出した。


「どうぞ、小さなレディたち。蝶を引き寄せるのはあなたがたの役目です」


 おずおずと受け取った飴細工に蝶がふわりと降り立つ。少女たちは嬉しそうに手に持っていた木のおもちゃを放り出した。言わずもがな、少年たちはとっくにおもちゃなどには目もくれていない。

 悔しそうに歯噛みしたハーメルンを横目に見つつ、吸血鬼は笑った。


「負けてんなあ、お前」

「っ!」

「まあ、曲がりなりにも黄昏ちゃんに求婚したあいつと、俺の姿を借りても指一本触れられなかったお前とじゃ格が違うってことだろうよ」


 魔法使いは苦笑した。


「随分高く買ってくださっているようで」

「まあ、求婚したことはまだ許してねえけどな」

「……あなた結構嫉妬深いですよね」

「黄昏ちゃんが無防備すぎんだっつの」


 すいっと視線を動かした先には、全くもって危機管理のなってない少女の姿があった。子供たちに混ざってふわふわとワンピースの裾をはためかす彼女は素で蝶をひきつけている。甘い香りでもしているのだろうか。


「さて、あなたにはキツめの罰が必要ですね」


 魔法使いが不意に微笑んだ。何も変わらないいつもの笑顔なのに、ぞくりと寒気が背中を撫でた。


「……まあ、じゃあこいつ任せるわ」


 こういう神には触らないほうがいいんだっけな、と学んでいた彼はぽいっとハーメルンを放り出す。瞬く間に逃げようとした男の首根っこを掴んで、全く変わらない笑顔のままで魔法使いは去っていった。

 子供たちも誰一人気づかないくらい、消えるように。

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