第13話 冬が嫌いな理由



 冬が近づく季節が嫌いだった。

 昔から、嫌なことはその時期にあった。私が転んで足をざっくり切ったのも、よく懐いてくれていた子猫が溺れて死んだのも、仲の良かった女中が家の不祥事でやめてしまったのも、黎明くんが見たことないくらい感情をなくしていたのも、全部、全部。


 だから、お父様に呼ばれたときの胸騒ぎは、私の経験に裏打ちされているぶん正確だったし、やっぱり、神様なんてものはいないのだと思った。

 私は黎明くんがいればそれでいい。

 黎明くんでなきゃ、嫌なのに。


 すらりと開けた障子の先、珍しくお母様が起きていて「あれっ」と思って、次の瞬間その正面で笑っている青年に気づいて、目の前が真っ暗になったかと思った。

 どう見ても彼の隣に用意されているのは私の席で、ああ、と絶望を抱く。

 私の隣にいたのは、いつだって黎明くんだったのに。


 私に気づいたお母様が、あら、と優しく笑う。一瞥もくれずにお父様が座れと促す。久しぶりだね、と告げる昔の面影を無くした男の、瞳の奥は笑っていなかった。


 もうその場をどうやって切り抜けたのかは覚えていないけれど、私が婚約しなければならなくなったことくらいは分かっていた。それにしたってひどく急で、この男の留学が終わったらそういう話をするつもりだったのだと告げられたときは目眩がした。


「お前も、幼馴染と恋人ごっこをするのはもうやめろ」


 あなた、そんな言い方はあんまりよ。

 お母様の声が水底から響いているようにくぐもって聞こえる。私は微笑んで、何も言わなかった。

 戯言は、所詮戯言にしかならない。


 私には分かっている。


 お父様は、どれだけ黎明くんが優秀だって関係ないのだ。どれだけ成績が良くても、どれだけ上手くやっている商家の息子でも、私とどれだけ仲が良くても、きっと関係ないのだ。


 今でも覚えている。仕事が忙しいせいで会う時間が少なくて、好きとか嫌いとかそんな感情すら抱いていなかったころ、彼を紹介したときにお父様が言った言葉。


『汚らわしい』


 あのときから、思えば私はお父様が嫌いだったのだ。


 病気で色々なことが出来ないお母様の幸せは、私が幸せにしていることらしい。それをお父様が邪魔するのだから、私の幸せをお父様が決めるのだから、ひどく理不尽だと思う。お父様はお母様のことしか愛していなくて、他のことはほとんどどうでもいいので、気にかけてくれているだけ幸せなのだと言い聞かせていた時期もあったけれど。


 私の隣が当たり前に自分の席だと思っているらしい男が、彼女にとってはあまりにも急すぎるのでしょう、と告げたのが聞こえた。それだけは、嫌にはっきりしていた。

 男の熱視線は、お父様の隣に注がれている。


 お母様はそうねえと言って、私は何も言わなくて。


 結局、一年の猶予が与えられることになった。


 まるで罪人のようだ。両親からしてみればずっと前からの決定事項なのだとしても、私としては昨日今日知った話だというのに、まるで私が駄々をこねているかのような雰囲気だった。私は、結局一言も何も言わなかったのに。

 私の人生が、隣で決まっていくのが奇妙でならなかった。難しい顔をして、私の人生をまるで自分のものかのように、たくさんの言葉を交わして、糸を織るように。

 馬鹿らしいというより人形劇のようだと思った。配役を決めて、台本を作って。そう言えば似たようなことを演劇倶楽部の友人がやっていたなあ。


 これって、普通なのだろうか。


 ねえ、黎明くん。


 私たちの暮らす世界は、ちょっと私たちには、生きにくすぎるね。

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黎明くんと黄昏ちゃん 七星 @sichisei

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