第5話 子どもがいなくなった日



 いつもの道を女袴で歩いていると、何やら周りが騒がしがった。噂話とも悪口とも違う、どことなく怯えに染まった声の数々が道の端から聞こえてくる。

 大して興味を惹かれることもなく、私はしずしずと学校に向かった。


「うーん?」


 けれど、結局私は校門の前で首をかしげることになってしまった。鋼鉄の門は閉じられていて、「本日休校」の文字が浮き出ている。

 ふうん、と呟いた。だから今日は誰ともすれ違わなかったのか。

 変に納得したとき、後ろでかつんと音がした。


「よう、黄昏ちゃん。そっちもか」

「あれ、黎明くん」


 振り返ってきょとんとした。

 全身真っ黒な軍服を身にまとった彼が意味深に笑っている。朝に会うことなどほとんどないのに、どうしたのだろう。

 彼は面白そうにくっくと笑うと、意味ねえよなあ、と哀れむように校門の文字を見た。


「こんなん見るやついねえのによ」

「私がいるよ?」

「俺らは例外だろ。そうじゃなくてだな」


 彼は一旦言葉を切って、とんっと私の鎖骨の辺りを指で突いた。

 少年のごとき輝きが瞳の中に満ちた。


「消えちまったらしいぜ、成人してない『子ども』がよ」

「……へえ?」


 視線で意味を問いかけたつもりだったけれど、彼はまた意味深に笑うだけだった。俺の学校もだあれもいなくてな──と告げる彼は背を向けて、顔だけ私のほうを振り返る。

 とりあえず氷菓子でも食いに行くか、と言われたので、私は一も二もなく頷いた。





「ハーメルンとかいうやつが出たらしいぜ。市長がそいつの頼みを突っぱねたせいで、こんなことになってるんだってよ」


 三丁目の喫茶店カフェで、大人気の氷菓子を食べながら彼が言う。いつもならサボりの学生でごった返しているはずの時間帯なのに、今はがらんどうだった。


「そんな話、どこで聞いたの」

「まあ、女中にちょっとな」

「うわあ、破廉恥ー」

「天然男たらしが何言ってやがる」


 聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたが、彼は言葉を挟ませる隙も作らず話を続けた。


「そいつに声をかけられて、もれなく子供はみいんな」


 手の中でスプーンをくるりと一回転させ、素早く握り込む。

 そしてこれまた素早くぱっと開いた。


「消えたんだと」


 その手から銀食器は消えていた。思わずぱちぱちと手を叩く。彼もまんざらでは無さそうだ。愛いやつ。


「で、まあ問題は俺らだよな」

「消えてないもんね」

「実は俺らだけが消えてたりしてな」


 恐ろしいことを平然と言う。

 まあ二人一緒ならなんの問題もないので、私としてはどうでもいいけれど。

 彼もそうなのだろう、平然とした顔で「それならそれで別にいいけどな」などとのたまう。


「……あ、そう言えば」

「あ?」

「私、その人に会ったかも」

「は? 本当か?」


 身を乗り出して彼が距離を詰めてきた。勢いに驚きつつ頷く。


「昨日家にいたら、庭にある板塀の向こうで影が動いてたから、一瞬黎明くんかと思ってね」

「黄昏ちゃん……俺だったら黄昏ちゃんが気づくより先に庭に入ってるだろうが」

「いや、呆れられても」


 私のほうが呆れたい。

 氷菓子にふわりとスプーンを入れて、口に運びながら話を再開する。食べながら話すなんてお父様に怒られるなという自覚はあった。


「近づいても見えなかったんだけど、『黎明くん?』って言ったら無言で手が伸びてきて、撫でられそうになってね。それが黎明くんそっくりの手だったの。こんなに精巧な偽物いるんだなと思って、嫌だったから逃げた」

「なんだそりゃ。俺とそっくりの手だと? 虫酸が走るな…………にしても、黄昏ちゃんは俺の手との見分けがついたわけだ」


 何やら嬉しそうにニヤニヤ笑っている。私はことりと首をかしげた。


「指輪、ついてなかったからね」

「……左利きかよ」


 彼は親の仇でも見つけたのかという勢いで虚空を睨みつけた。このご時世に、と吐き捨てる。

 よく分からないひとだ。氷菓子を口に運んで、変わらない甘さにうっとりする。一瞬でふわりととけるその早さが絶妙だ。そんな私を見て彼は呆れた顔になった。


「どうすんのかね。俺ら以外消えちまって」

「どうするんだろうねえ……そもそも、いつまでが子供なんだろうね?」

「さあな」


 ぱくりと彼が最後の一口を口に運んだとき、かあらりいんという音がして店の扉が開いた。柔和な顔立ちの男が入ってくる。

 見覚えがあった。


「あ、魔法使いさんだ」

「お、氷菓子食いにきたのか?」

「……やっぱり無事でしたか」


 苦笑した若い男の言葉に、私と彼は顔を見合わせる。


「なんだよ、やっぱりって」

「いえ、今回の騒動をなんとかするよう市長に頼まれまして。どうしようかと悩んでいたのですが、もしかしてあなたがたは無事だったのではないかと思いましてね」

「そっか、大変だねえ、魔法使いさんも」

「……相変わらず、仲がよろしいようで」


 苦笑した魔法使いに、彼が目をすがめた。


「俺らが無事だった心当たりでもあんのか?」


 ふふ、と笑って、指輪ですよ、と魔法使いは囁いた。


「その指輪は、互いが互いを必要としている者たちが嵌めると何者からも干渉を受け付けなくなるんです」

「へえ、そうなんだ」


 私は胸元から鎖を引っ張り出す。目の前で彼も興味深そうに天井の明かりに指輪を透かしみた。


「それを知ることが出来たのでもう大丈夫です。なんとかできます。明日には皆帰ってきますよ」

「……自信がすげえな」

「それはまあ、魔法使いですから」

「ふうん? それはそうとお前が黄昏ちゃんに求婚した件、俺はまだ忘れてないからな」

「………………肝に命じておきますね」


 変な会話だなあと思いながら、私はほぼシロップのみになった氷菓子を食べる。かあらりいん、と音が鳴って、魔法使いは消えていた。






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