第2話 暁光の誓い

 深更になって、二人は名残惜しく席を立った。本当は夜を徹して語り合うつもりだったが、翌日サウレリはラゴまで帰らねばならないし、弦朗君げんろうくんもまた都の次官として登庁する必要があったからである。


「何、俺は馬の上で眠れば良いが、お前は休まねば仕事に差し支えよう」

 そんなわけで、弦朗君は自分の寝室の続き部屋に床を整えさせ、客人を案内した。

 だが、サウレリは着替えて寝台に上がったものの、眼が冴えてなかなか寝付けなかった。その理由は、何も枕が変わっただけではない。


 ――ついに言い出せなかった。


 妹とともに都の瑞慶府ずいけいふに入って、一番はじめに眼にしたもの。それは、高官の処刑の現場だった。胴から離れて転がっている首の前で、遺族らしき少女が身じろぎもせず座っていた。しかも、王による官僚の粛清や処刑は頻繁に行われているらしい。

 ――王の暴政ぶりは、伝え聞く以上だな。


 改めて、難しい立場にいる弦朗君が気になった。サウレリはこの若い王族がその血筋と人望ゆえに現王に警戒されていること、そして実際に、かのラゴ族の紛争にかこつけ彼を亡き者にしようとしていたことを知っていた。

 ――レツィンを預けることが、彼の新たな重荷にならねばいいが。そして、無事に嵐をやり過ごして生き延びてくれればいいが。


 この二年、遠くラゴの地にいても、蓬莱街道ほうらいかいどうの風に乗り運ばれてくるさまざまな噂や知らせに耳を澄ませていた。そして、それらの中に「弦朗君」の名が出てこないことに、サウレリは安堵して過ごしていたのだった。

 ラゴ族の客人はふうっと息をついて寝がえりを打つと、眠りに引き込まれていった。



 ――レツィン、レツィン。よく出来たな。じゃあ、今度は的からもうちょっと離れてみるから、同じように射るんだぞ。

 ――はい、兄さん。でも、兄さんみたいに百発百中になれればいいのに。

 ――ははは、すぐには無理さ。でも毎日稽古するんだ、剣でも弓でも乗馬でも。そうすればお前もいずれ俺を抜いてラゴ族一の腕の持ち主になれるぞ。

 ――そう?じゃあ、毎日練習する!


 サウレリが懐かしい夢から現実に引き戻されたのは、誰かの声が聞こえたように思ったからだった。ラゴの戦士としての聡い耳が、ごく小さな、しかしいかにも苦し気な呻きを拾ったのである。


 ――空耳?いや、違う。


 眼が覚めたサウレリが窓を見やると、うっすらと白んでいた。明け方にほど近く、もう少しすれば朝の鳥が鳴き出すだろう。

 喉の渇きを覚え、起き上がって枕元の水差しに手を伸ばそうとしたとき、扉がそっと開く音が響き、続いてかすかな足音も聞こえてきた。


「――顕秀けんしゅう?」

 思わず彼のいみなを呼んでしまったサウレリは、誰に聞かれているわけでもないのに口を押さえた。それから、手早く服を身に着けて自分も部屋を出る。


 裏庭に降りて薄暗がりに眼を凝らすと、人影があった。井戸端で釣瓶の音を響かせ、その者は水を汲んでいる。しばらくサウレリは遠くから相手を見守ったのち、頃合いを計って呼びかけた。

「弦朗君」

 振り返った王族はもろ肌を脱ぎ、汗を拭き身体を清めようとしていたのか、手ぬぐいを持っていた。

「サウレリ、どうした?私が起こしてしまったのか?であれば、すまない」

「お前こそ――呻き声を聞いたが、悪い夢でも見てうなされたのか?」

 サウレリが近寄ると、顔をこわばらせた弦朗君が一歩退く。

「もしや、頻繁に悪夢でも見てるのか」

「……」

「寝汗をかいているじゃないか、背を拭いてやろう」


 何気なく手ぬぐいを受け取ろうとしたサウレリの右手を、弦朗君は音を立てて払った。サウレリも不意のことで驚いたが、鋭い目つきになっていた弦朗君も我に返ったのか、「すまぬ」とだけ呟き、俯いた。そして相手の視線に耐えられないのか背を向け、井戸の縁に両手をかける。

 サウレリは弦朗君の背を眼前にして、胸を突かれた。右の肩甲骨にはっきりと残る矢傷。忘れもしない、二年前の紛争時、殺されるとわかっていてなお烏翠に帰ろうとした弦朗君を引き留めるべく、サウレリが自ら矢を放ってつけた傷だったからである。


 ――あの時、いっそ心の臓を射抜いていれば、彼は悪夢を見ずに済んだだろうか。

 思わず傷にのびた自分の指を引っ込め、サウレリは首を横に振った。


「弦朗君。俺は一族を統べる者として、そしてお前は一つの府を構える王族として、それぞれの責務を背負っている。本当は、レツィンともどもお前を烏翠から連れ出してラゴに帰りたいくらいだが、それは叶わぬ夢だ。ともかくも、生きていてくれ。どのような状況になっても、生きていてくれ。俺はお前と二度と戦場では会いたくないし、お前への弔歌ちょうかを、蓬莱街道の風で聞きたくもない」

 向き直った弦朗君は、弱々しく微笑んだ。

「わかっている。この邸には代々仕えてくれた者達がいる。そしてレツィンも私のもとに来た。私は彼らを守らねば……」


「弦朗君、それだけではない。レツィンや皆のためだけではない、お前自身のために生きて欲しい。嵐がどんなに吹き荒れたとしても、いつかは風雨もやみ晴れ間も出る。そなたと俺は烏翠とラゴそれぞれを支え盛り立て、妻を迎えて子をもうけ、またこのようにして酒を酌み交わして笑うのだ。な?」

――王族としてしか生きられぬのはわかっている、それでもひとりの人間としての幸福を、できればお前には享受してほしい。

 そして、都の東陽門とうようもんに掲げられていた古詩を詠じてみせる。


 去る者の踏む道は遥かなる天空に懸かり

 行く者の渡る橋は遠く龍門りゅうもんへと消える

 我はただこの楼上より見送り

 王城おうじょうあかつきの太鼓を凝然ぎょうぜんと聞くのみ

 心は半分だけこの門に懸けていかれよ

 さすればく戻れると人はいう

 君帰り来たらば杯を手に語り明かそう


「俺とお前はいつでも敵味方に別れる身ゆえ、遠く異郷にあって互いを思い出すだけの存在でいようと誓った。だが、いま俺はお前のために、心を半分あの門に懸けていく。だから、またきっと月下で会える。いや、会えるように全力を尽くそう。ラゴと烏翠のよしみが続くのであれば、そなたとは戦場で遭わずに済むのだから」

「サウレリ……」

 ありがとう、と弦朗君は呟き、肌を清拭して寝衣を着直した。そして暁の光のなか、二人はゆっくり歩み寄りしかと抱き合った。ともに身体は寒気にさらされ冷え切っていたが、そのようなことは問題ではなかった。


「顕秀、お前の幸運を祈っている」

「気持ちはありがたく受け取るが、どさくさに紛れて私の諱を呼んだな」

「まだ意地を張るのか。そんな風だから、あの時も俺に肩を射抜かれるのだ。それより、俺はお前の幸運を祈ったのにお返しはないのか。随分と冷淡な王族だな」

「まだ酔ってるのか、どうしようもない族長代理だ。お返しがないと何もせぬのか?それに、私がそなたの幸せを願っておらぬとでも?」


 互いの耳元で言い争いをする若者二人の姿が、暁光ぎょうこうに照らされてくっきりと浮かび上がった――。


【 了 】


****


ここまで読んで下さって、ありがとうございました。

なお、本作は「戦場を渡る蝶 翠浪の白馬、蒼穹の真珠外伝2」の続きに位置づけられる作品で、

https://kakuyomu.jp/works/1177354054884158914


また、サウレリがレツィンを送ってくるエピソードは「翠浪の白馬、蒼穹の真珠」本編に含まれています(第1~6話、特に第5・6話を参照されたし)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054883205481


もし興味を持たれましたら、ご一読賜りますよう。

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古歌 ~翠浪の白馬、蒼穹の真珠 外伝3~ 結城かおる @blueonion

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