魔王社長と取引

 自宅の扉を開けると、そこは「例の部屋」だった。

 ゆうはひとつ息をついてから、部屋のなかほどにあるソファに腰を下ろした。

 どうせ家に帰っても寝るだけだ。その前に、めったと会う事のない異世界の人々と談笑するのもいいだろう。


 やがて、若い男が扉をくぐってやってくる。

 今日現れたのは、結と同じくビジネススーツで身を固めた、無愛想そうな青年だ。


「俺、会社では魔王なんて呼ばれてるんだぜ。失礼だよな」


 初対面でそんなことを言っていた彼は確か、リョウ、と言ったかな、と結は記憶の中の相手の顔と名前を一致させつつ、会釈した。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 IMワークス大阪支社にて。


 システム開発部第三課のそばにある会議室に結は呼び出された。極秘の仕事を言い付かるのは、いつもこの部屋だ。見た目は普通の部屋だが、扉を閉めれば音すらも漏れない完全な密室となる。新しいコンピュータソフトの企画会議などにも使われているが、ここまでしっかりとした防音設備を整えているのは諜報部の仕事の内容を漏らさないためにある。


 次の派遣先はどこだろうか。結はこの部屋に呼び出されるたびに、新しい仕事がどのようなものなのか、うまく行くのかと考える。


 やがて現れた直属の上司、西村によって新たな任務が告げられる。


「次の君の仕事は、五月さつきあゆみという女性の警護だ」


 西村が言うには、あゆみは鳴沢なるさわ涼という青年の婚約者だ。彼女の警護は涼に近づくためのプロセスだという。

 涼は、鳴沢財閥の御曹司であり、系列会社「Nシステム」の社長だ。「Nシステム」はコンピュータ関係の会社であるが、他にもいろいろと手がけているとか。


「手広く、ですか」

「そう、手広く」

 結が微笑を漏らすのに、西村も同じように笑みを浮かべる。

「任務達成におけるこちらの情報流出の許容範囲はどれぐらいでしょうか」

「漏れないに越したことはないが、より内密な情報を得られるならばその限りではない」

「判りました」


 結は西村から「Nシステム」と鳴沢涼に関する簡単な覚書を受け取って、部屋を後にした。




 涼は仕事においては冷徹な男で、二十歳という若さからは想像もできないほどのやり手である。ゆえに敵も多い。彼には峰谷という聡明な秘書もおり、彼らに表立った攻撃を加えることは、まさに命がけなのだとか。それは肉体的な死を意味するものではなく、しばしば所属する組織ごと深刻なダメージを、つまり、社会的な死を与えられる。


 そこで涼に恨みを持つ者達はしばしば、あゆみを狙ってくる。あゆみは涼にとって最愛の女性であり同時にアキレス腱だ。彼女を手中に収めれば、涼を屈服させることができるという意図だ。


 あゆみの護衛といっても、彼女のそばで行うものではない。あゆみがそうやって守られていることも気付かないようにとの涼の配慮だ。

 結は変装を施し、あゆみと適度な距離をとって彼女に近づく不審者がいないかと目を見張らせる。


 そうして、彼女の護衛を続けること一週間。ついに涼との接触の機会を得ることができた。


金谷かなや様。あゆみ様の護衛をありがとうございます」


 涼の秘書、峰谷が結に近づいてくる。涼やかな笑みを浮かべているが、結を見つめる目は油断がない。

 結は軽く会釈をして、折りたたんで懐に入れておいた紙を取り出した。


「こちらが、五月様に近づこうとした者達の詳細です」

「ありがとうございます。あなたの仕事ぶりを鳴沢社長に報告いたしましたところ、ぜひお会いしたいということですが」

 どうしますか? と小首をかしげる峰谷に、結はうなずいた。

「では、こちらへどうぞ」


 結が連れて行かれたのは「Nシステム」の会議室だ。

 しばらくすると、涼その人が姿を現した。


 あ、と結は心の中で驚きの声をあげる。

 彼、鳴沢涼は、不思議の部屋で数度会った事のある、リョウだった。


「あなたが金谷さんですか。いつもあゆみの警護をありがとうございます」

 涼は微笑を浮かべながらも、鋭い目つきで結を見つめてくる。

「それとも、“セイ”と呼んだらいいのかな。あ、それより青井さんの方がいい?」


 涼の口調が崩れる。にやりと笑われて、結は苦笑を浮かべずにはいられない。


「やはりお気づきでしたか。さすが魔王様ですね」

「褒め言葉になってねーよ。……で? あんたの本当の目的は? うちの内情偵察?」


 どうやら涼は手早く話を済ませたいらしい。分刻みのスケジュールで動くやり手社長らしい思惑だ。結も彼にあわせることにした。


「はい。警察が、貴方方とよその組織との摩擦を懸念して双方の情報を集めています」

「警察ね。さすが『サツの犬』」


 IMワークスが警察と密接に関わっていることから、しばしばこう呼ばれる。


「私としては、こちらの情報を多少なりともお渡ししてでも任務は成功させたいところなのですが、いかがでしょう?」


 お互いの内情を出し合うことで取引をしないか、と持ちかけた結に、涼はにやりと笑った。


「そうだな。あの部屋で話すよしみだしな。これからなんかあった時にあんたのところにも協力してもらえるなら、業務提携ってことで、いろいろとやり取りしてもいいぜ」


 魔王と称される青年のことだ、日本どころか世界各地に支社を持つ私設諜報組織をいいように利用してやろうとでも思っているのだろう。

 だがそれはお互い様。結はにこりと笑ってうなずき、「魔王」との取引に応じることにした。



(了)



 お借りしたキャラ:鳴沢涼 峰谷

 作者様 天野みなと様


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