純真王子

 この部屋で誰かと話すのは嫌いではない、とリカルドは思っている。

 殺伐とした世界に無理矢理とどめ置かれている彼にとって、駆け引きも損得もない単なる言葉のやりとりは、とても新鮮で、心地よいものだった。


 今、リカルドの目の前に座ってジュースを飲みながらにこにこと人懐っこい笑みを浮かべているのは美しい金の巻髪の、あどけない顔立ちの少年だ。名をトゥーティリアと言うが、皆にはトゥーティと呼ばれている。


 一見、まだ未就学児にさえ見えてしまう彼は、もう十四歳で、しかも一国の王子だと言う。

 だがかしこまった対応をされるのはあまり好きではないらしいので、リカルドも普段と変わらない口調で話す。もっとも、リカルドはいつでも誰にでも、一部の者以外には敬語なのだが。


「それでね、リカルドさん。ぼくね、旅をしているんだよ」


 少年の話を、リカルドは相槌をうって聞いていた。


 トゥーティリアの国では、王子は十四で王位継承権を与えられる。ただしそれには試練がついてくるのだとか。

 彼の少し要領を得ない説明でリカルドが理解できたのは、どこかの部族と何らかの条約を締結すること、らしい。交渉相手の部族名やどのような条約を締結するのか、今一つトゥーティリアには判っていないようだ。

 大丈夫か? と首をかしげたくなるが、宰相が旅の供をしているようなので、そういったことは宰相に任せているのだろう。


 旅路は決して安穏としているわけでもなく、むしろ困難に直面している、という話を聞いて、リカルドはいつもの社交辞令を返した。


「それは大変ですね。うまく解決するといいのですが」

「ううん、大丈夫。ありがとう。リカルドさんはとっても優しい人だね」


 優しい、人?

 リカルドは目を瞬かせた。

 自分がそのように言われるとは、思ってもみなかった。


「私が、優しいですか?」

「うん。リカルドさんの言葉はあったかくて、やさしくて、聞いていると元気がでるよ。リカルドさんはとっても優しい人だなーって思う。リカルドさんがぼくの兄様だったらよかったのに」


 大きな青い瞳を細めて、トゥーティリアは笑った。

 無邪気な笑顔とはこのようなものを言うのだろう。

 兄と言われるより親子ほどの歳の差なのだが、そんなことは些末だと思えるほどにまばゆい純粋さを放っている。

 リカルドは少年の笑顔をまぶしそうに見た。


「私は、……あなたが思うほどに優しくはないですよ」


 自分の世界に戻れば冷徹だの非情だのと言われ、それに慣れているリカルドには、優しいという褒め言葉こそが、逆に蔑みにさえ聞こえる。そのように心が磨り減り、麻痺してしまったことにさえ、リカルドは胸を痛めることはない。

 ただ、純粋な子供をだましているという少しの罪悪感はある。自分が優しいと判断された、ちょっとした気遣いの言葉は心からのものではなく、いわばよそ行きの飾りものでしかないのだ。


「そんなことはないよ。リカルドさんといると、なんだかとっても安心できるんだから」


 リカルドの心の内など知る由もなく、トゥーティリアがソファをポンと降りてぎゅっとしがみついてきた。そして抱きついたまま顔を上げてうるうると大きな瞳で見上げてくる。


 思わず答えに詰まったリカルド。

 自分が十四歳の時には、もう既にこのような純真さはなかった。ただ命ぜられるままに仕事をして、命ぜられるままに勉強をしていた。だが心のどこかではまだ、この状況から何とか抜け出せるすべはあるものだと思っていた。それだけが、希望の光だった。

 それもそう長い時間も経たずに潰え、後はもうひたすら、生きるだけの日々であった。


 目の前の王子は希望にあふれ、自分の未来に暗雲が立ち込めるやもしれないという可能性すら考えていないかのようにさえ思える。

 うらやましい、とリカルドはふと思った。


「私といることが王子の安心になるなら、それは光栄なことですよ」


 今までに述べていた社交辞令よりも少しだけ感情をこめて、リカルドは答えた。


 トゥーティリアはまたにっこりと笑う。


「王子は、どのような王になりたいのですか?」


 さぞや温かな――ちょっと夢見がちとも言えるであろう将来を思い描いているのだろうな、と思っていたリカルドの予想とは反し、トゥーティリアからは毅然きぜんとした答えが返ってきた。


「ぼくは、戦争のない世の中にしたいんだ。戦争は悲しいよね。いっぱい人が死んじゃう。きっととっても難しいと思うんだ。けどぼくは、戦争のない世の中にしたい」


 争いのない世、という辺りはやはり夢のような話だ。だがトゥーティリアはそれを困難なものだと知っている。ただの理想だけではなく、難関に立ち向かおうとしている王子の姿がそこにあった。


「王子なら、……トゥーティなら、きっと争いのない世に導けると思います。頑張ってください」


 リカルドは思わず心からのエールを送っていた。


 大人は、きっと子供には、自分のようにはなってほしくないものなのかもしれないな、とリカルドは思った。


「うん。ありがとうリカルドさん。やっぱりリカルドさんは優しいや」


 国の未来を託された王子の極上の笑顔に、リカルドも微笑を返した。


 俺は優しいのではない、とリカルドは思う。ただもう口に出して否定はしない。

 少しだけ温かい感情を思い出したリカルドは、この純真な王子の旅が無事にすめばよいのにな、と思った。



(了)


 お借りしたキャラ:トゥーティリア

 出典作品:トゥーティリア王子の宿題

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885688485

 作者様:千石綾子 様

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