妖精の笑み
レッシュは苛立ちを隠せないままに探偵事務所を出てきた。
そこは、金を積めばどんな調べものでもしてくれると他の探偵から教えられたところで、長年探し続けている諜報員“カズ”の情報を掴むことができるかもしれないと期待していたのだ。
前回、来日した際に「金に糸目はつけないから」と依頼したにも関わらず、訪問したレッシュを見るなり探偵は「調査できませんでした」と頭を下げた。
なぜなのかと問うても、ただひたすら謝るばかりで、着手金まで返された。
きっと裏社会で何らかの力が働いたのだろう。
いくらこっそりと調査を進めようとしても阻まれるなら、少々危険でも
ビルを出ると、春の日差しが柔らかくレッシュを照らす。
依頼を果たせなかった探偵にひとしきり文句の言葉を浴びせかけた後で喉が渇いた。どこか喫茶店にでも入るかと考えるレッシュの眼前に、日の光に照らされて暖かそうな公園が広がっていた。
アメリカに帰るため空港に行かねばならない時間までそう余裕があるわけでもない。自動販売機で缶コーヒーでも買ってベンチで飲むか、とレッシュは公園に入っていった。
適当にベンチを見つけて、手にしたコーヒーをちびちびと飲む。もうかなり暖かくなってきたのにホットコーヒーはちょっと熱かったなとレッシュは苦笑した。
ぽかぽか陽気に誘われて、公園内には家族連れやカップル達がたくさんいる。幸せそうな光景に、レッシュは複雑な思いを抱いた。
父親が逮捕などされなければ、自分もまっとうに家族など持っているのかもしれない。結婚はまだでも、今付き合っている彼女に引け目を感じることもないのだ。
「レッシュ、さん?」
そこまで考えた時、遠慮がちに自分の名を呼ぶ少女の声がして、レッシュは我に返った。声の方に顔を向けると、まだ十代半ばに見える女の子が様子を伺うように小首を傾げて立っていた。パステルカラーのワンピースに身を包んだ少女は、大きめのバスケットを手に持っている。
不思議の部屋で会う女性、
「あぁ、あゆみか。久しぶり」
声をかけると、あゆみはほっと息をついて近づいてきた。人違いかもしれないと思っていたのだろう。
「お散歩ですか?」
あゆみは、レッシュが座っているベンチの端っこに、ちょこんと座った。こうして見ると本当に二十歳の娘かと思うほどに、あゆみは幼い顔立ちだ。本人も気にしているようなので口にはしないが。
「あぁ、散歩というより、喉が渇いたから、ティータイムかな。これ飲んだら空港に向かわないといけないし」
「アメリカに帰られるのですね。あ、お茶でしたらマドレーヌがありますけど一緒にいかがですか?」
あゆみはにこりと笑って、手にしているバスケットをちょっと掲げた。
あの部屋で見るようにたくさんのマドレーヌが入っているのだろうとレッシュは笑みを浮かべた。
彼女の婚約者の涼は、甘いものがあまり得意な方ではない。「Nシステム」の社長である涼は、社員に魔王と畏怖されるほどのやり手で厳しいと聞くが、食べきれないマドレーヌをどうやって秘書や部下に分けているのだろうか。
「それ、涼への差し入れじゃないのか? おれが食って大丈夫?」
涼がこの場にいたら恐らく「食え、食ってくれ」と目で訴えかけてくるのだろうが、一応尋ねておいた。
「はい。たくさんありますから」
あゆみはバスケットを開けて、レッシュに差し出した。中には小さなマドレーヌが数個ずつ、かわいく丁寧にラッピングされている。
「ほんとにたくさんだな」
「事務室のみなさんへの差し入れの分もあるんです」
「へぇ、みんな喜ぶだろ」
「はい。いつも忙しい皆さんのお役に、少しでもなれるならって思って……」
あゆみは、はにかんで笑った。
可愛らしいと、レッシュはあゆみの笑顔を見て思った。彼女の微笑みを見ていると、さっきまでイラついていた心が少し和んだ。
そういえば、あゆみにはこんなニックネームがあるのだった。
――「Nシステムの妖精」と。
なるほどその呼び名にふさわしいと、レッシュも笑みを返した。
よし、明日からまた頑張るぞ。
そうとさえ思えてきたのはやはり、妖精の笑みに癒されたのかもしれない。
(了)
お借りしたキャラ:五月あゆみ
作者様 天野みなと様
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